第17話 七夕前夜祭

 天斗たちは今、山を登っていた。急な斜面はほとんど舗装ほそうされていないため歩きづらい。左右には人の手が行き届いていない森が広がっており、様々な虫や鳥の鳴き声、木々が風に揺られる音がこだましている。和式料理の店を出た時には過剰に元気だった太陽も、今は山の向こう側に隠れようとしていた。


「……いつになったら着くんだ」

「あと10分くらいかしら?」


 沙織が指をあごに当てて簡単な見積もりを立てる。その顔に疲れはなく、汗1つかいていなかった。


 天斗たちが向かっているのは、沙織の母親の実家、つまり、沙織の祖父や祖母の家だ。沙織の祖父の家では、毎年7月日6に七夕前夜祭というものをするらしい。



 笹葉との思い出作りとして、沙織が天斗たちを誘ったのだった。


休憩きゅうけいしよう」


 沙織の後ろを足を引きずるようにして歩く天斗の額には玉のような汗がいくつもあり、呼吸は乱れている。


「もう疲れたの? だらしないわね」

「背中で寝てる笹葉にもつのせいでな!」

「笹葉ちゃんを荷物呼ばわりしないの」


 笹葉は天斗におんぶされた状態で気持ちよさそうに眠っている。山に向かうまでのバスで眠って以来、ずっと天斗が背負って山を登っていた。大量のよだれを天斗の背中に垂らしているが、天斗は汗と勘違いしているため、お咎めは今のところない。


 あーだこーだと文句を垂らしながら山を登り続けること10分。沙織の見積もりは正しかったようで、突然視界が開けた。平坦な地面に荘厳な建物が1軒だけ建っている。


「神社……か?」

「そうよ」


 祖父の実家が神社ということは、沙織は神社の家系というわけだ。今までの品行方正な感じはこういう所から来ているのかもしれない。


 沙織の後ろをついて神社の方に向かっていくと、神社の裏の方から、かん高い子供のはしゃぎ声が聞こえてきた。


「毎年、近所の子供たちも呼ぶの」


 沙織は少し困った表情をしている。沙織は子供たちのお世話係として毎年呼ばれているのかもしれない。


 二人は神社の中には入らず、子供たちの声がする神社の裏で足を止めた。そこにはイルミネーションで彩られた大きな一本の竹が鎮座していた。


 よく見ると、周辺の木々はいつの間にか竹林に変わっている。神社の周辺だけ、植生が違うのだ。


「あれが短冊を飾ると願いが叶うといわれている奇跡の笹よ」

「なんじゃそりゃ」

「神楽家のご先祖様が山で見つけた奇跡の笹。元々神楽家は神社の他に笹を使った伝統的な工芸をしていたんだけど――――」

「もしかしなくても長い話だよな、それ」

「そうね。長いけど感動する話」


 そう言って沙織は再び神楽家の話を始めたが、天斗はその手の胡散臭い類は全く信用していない。なので、2人の間には妙な温度差があった。


 その後、5分間ぶっ通しで話し続けた沙織は話の最後で、


「ね、感動するでしょう!?」


 と、天斗に同意を求めてきた。ほとんど聞いていなかった天斗は、否定すると厄介なことは目に見えていたので、ただ頷いて沙織のご機嫌をとった。


 笹葉は沙織の長すぎる話の途中で目覚め、そのまま奇跡の竹に走って行ってしまった。今は短冊を一生懸命書いている。近くで遊ぶ子供たちと遊ぶ様子は全くない。


 天斗は笹葉が同年代の子供たちと遊ぼうとしない態度に少しだけ疑問を感じたが、どうせ明日には親元に返す話なので深くは考えないことにした。


 深く息を吸い込む。ひんやりとした空気が灰の中に流れ込んできて、登山の疲れを癒してくれる。東京で過ごしていると味わえないこの空間を堪能しようと、何度も何度も深呼吸をした。


 すると、いきなり辺りが暗くなった。日が沈んだのだろうかと夕日の方を向く。しかし、なぜか天斗の視界は2つの大きな大胸筋で埋め尽くされた。同時に、頭上から聞きたくなかった声が降り注がれる。


「何でお前がここにいる」


 腹の底に響く、ドスの効いた低音。顔を見なくても分かる。沙織の父親だ。思い出したくもない先週の土曜日の記憶が勝手に呼び覚まされていく。

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