16. バスで雑談
温泉旅館、
大事なのはあたしと郁弥さんが二人で選んだ旅館だということ。
「でもあれね」
「うん?」
「どんどん奥に進むわね」
「あー、そうかもね。山奥行くよね」
「そそ。郁弥さんさ、酔いやすいじゃない?」
「うん?うん。日結花ちゃんもね」
「そうね。だから今はマップ見れないでしょ?」
「だね」
「銀山温泉がどの辺にあるか覚えてる?」
「どうだっただろう。全然覚えてない」
「あたしも覚えてないのよ」
「そっか。この感じだと結構行きそうだよね」
「ねー」
声は抑えて、ぽつぽつと会話を続ける。
大石田駅から銀山温泉への送迎バス、というより銀泉花への送迎バスに乗っているのはあたしたち含めて四組ほど。荷物は足元に置いているので、そこそこに場所を取っている。ただ、バッグそのものが大きくもないので邪魔というほどでもない。コンパクトにまとめてきてよかったと思う。
お客さんの年齢層は、結構年を取っていそうな夫婦一組、中年くらいの夫婦一組、あたしたちよりちょっと上くらいの女の人二人組と、割と幅広く、年齢的にはたぶんあたしと郁弥さんが一番若い。
十三時半をちょっと過ぎて出発したこのバス。窓から見える景色にどんどん雪が増えていってわくわくが止まらない。
「日結花ちゃんさ」
「ん、なに?」
「今、体重っていくつ?」
「え、な、なんで?」
突然すぎてくっつけていた身体を離す。窓際に身を寄せ恋人の顔を見る。真顔なまま意味不明なことを聞いてきたせいで、何を考えているのかまったくわからない。
「いや気になったから」
「そ、そう。別に重いとかそういうのじゃないのね?」
「うん?うん。全然。日結花ちゃんは可愛いままだよ」
「……あなたのそれは信用できないのよ」
彼の言う"可愛い"は、あたしに向けての全肯定なので
この人、暇さえあればあたしのこと好き好きオーラ出しているんだもの。
「いえ、いいわ。あたしの体重ね」
「うん」
頷く彼氏さんから視線を逸らして、窓の外を眺める。
体重……どうだったかな。五十はなかったと思う。郁弥さんに甘やかされて一時期五十五キロとか超えたこともあったけど、今は四十八くらいをキープしているはず。ちょっと前に量ったときは四十八……四十九だったわ。
「四十は――九キロってところね」
「そうなんだ。変わってないね」
さらっと鯖読むところだった。こんなくだらない嘘で罪悪感なんて持ちたくない。それに、郁弥さんのことだから五十キロとか五十五キロとか言っても何にも気にしなさそうだし、細かく誤魔化す意味なんてないと思う。
「そういうあなたはどうなの?」
「僕?僕は……七十一くらいかな。最近ジョギングサボってたから体重増えたと思うんだよね」
「ふーん」
それを聞いて、先ほど離した身体を寄せて彼のお腹に触れる。コートの上からじゃ感触どころか大きさすらわからなかった。
「ね、後で触らせて?」
「いいけど、何も楽しくないよ」
「あたしが楽しいからいいの」
「そうですか」
「そうです」
くすくす笑って手を離した。微妙に釈然としていない顔をする恋人の頬をむにーっと引っ張って、またそれが楽しくて笑いがこぼれた。
「うふふ、郁弥さんのほっぺたはいっつも柔らかいわねっ」
「いひゃい」
「嘘つかないの、痛くないでしょ?」
「……いひゃくない」
「ふふ、よろしーい」
ほっぺたを離して手のひらで撫でてあげる。恥ずかしそうな表情がとっても乙女心をくすぐる。
撫でていた手のひらをそのまま下げていって、彼の腕を掴む。冬服の上からでもわかる男の人の腕。あたしの恋人は、ぱしぱしと叩いても揺るがない良い筋肉をお持ちだった。
「これはわかりやすいわね。相変わらず筋トレとかしてるの?」
「それはしてるよ。ルーティンワークみたいなものだし」
にこにこ笑いながら、筋トレメニューをざっと説明してくる。ほとんど聞き流したので、最低一日三十分くらいしているってことしか覚えていない。
あたしとしては筋肉も好きだし柔らかいお肉も好きだし、どっちもある今がちょうどいい。ていうか好きになった郁弥さんが今みたいな感じだから、それで好きな身体も固定されちゃった感じね。
それはそれとして、大事なことがある。
「今日もするの?」
これを聞きたかった。変な意図はないのよ?普通に、普通に知りたくてね。
「今日?あはは、するわけないよ。しないしない。そんなつもりないから安心して」
「そ、そう。ならいいわ」
しないならいいのよ。あたしとの"二人っきり"の旅行でそんなことしてほしくなかったし、しないならいいの。やることなら他にいっぱいあるものね。
不安も払拭されたので、にこりと笑顔を浮かべて彼と手を繋いだ。
「筋トレとかは全然するつもりなかったんだけど、日結花ちゃんの方はどうなの?」
「んぅ?何が?」
「おっと可愛い。ええと、ほら運動とか?」
指を絡めて、空いた手であたしの頭をふわふわ撫でながら聞いてきた。
不意打ちに耳が熱くなったのは無視して、運動……運動かぁ。
「お仕事以外だと全然しなくなっちゃったわね」
「ほー。仕事って言うと発声練習とかストレッチだっけ?」
「ん、あとダンスもあったりするけど、それくらい」
ぽやぽやした郁弥さんとは違い、あたしは運動なんてほとんどしていない。一時期歩いたり走ったり鍛えたりしていたこともあるけれど、気づいたらしなくなっていた。不思議なことに、あたし自身もいつやめたのか覚えていない。自然消滅、摩訶不思議なこともある。
言い訳はそこまでにしておいて、実際のところ普通に続かなかった。郁弥さんが"そのままでいいよ"とか言ってくるから、それならいいかなと思ってしまったのが原因かもしれない。
ちゃんと体型キープしているからいいでしょ?お仕事で必要な体力はお仕事で得ているから問題もないし、このままでいいのよ。
「ダンスかぁ。今度一緒に踊ろうね」
「え?いい、けど。郁弥さんって何か踊れたりするの?」
「いやまったく。でも抱き上げたりくるくる回ったりしてみたいんだよね」
ふわふわ笑いながら、なかなかにメルヘンなことを言ってくれる。あたしは嫌いじゃない、むしろすっごく好きな部類の話だったので猛烈に頷いた。
「いいわね!ちゃんとお姫様抱っこもしてね?ね?」
「ふふ、任せて」
胸を張る恋人に手遊びを仕掛けながら、ほんのり考える。
くるりくるりと、抱き上げられて世界が回る。あたしは裾がふわりと広がったドレスを身にまとっていて、郁弥さんはぴしっとした蝶ネクタイの燕尾服。黒色の服に白い蝶がよく映える。あたしのドレスもウエディングドレスみたいに真っ白で細かなレースをあしらったプリンセススタイル。
大きな広場に躍り出た二人は、ゆったりと手を重ねて踊りの作法なんて無視した自由なダンスをするの。街灯に照らされた噴水が光を反射して、動きを止めた男女を柔らかな光で彩っていく。互いの目に映る瞳は眩しくて、その眩しさでさえ愛おしく感じる。
今、世界は二人だけのものだった。
「――そんな場所はどこかにないかしら」
「ないよ」
「本当に?」
「……現実的な話をしてほしい?」
「うん」
どうせなら真面目に聞いておきたい。適当でもなんでもいいから、あたしの恋人としての意見が欲しいわ。もしも仮に実現させるなら絶対郁弥さんの協力は必要だもの。
「まず、場所探しをしないとね」
「それはそうね」
「服もレンタルしないと」
「そうなる、かも?」
「さすがに買うのは大変だから、レンタルの方向でいこう」
「ん、まあいいわ」
「場合によってはカメラマンとか音楽流してくれる人とか必要になるけど、とりあえずそれくらいかな」
「あら、案外いけるんじゃない?」
「本気になればやれそうだけど、一応いつかやるって話でいいよね」
「うふふ、それでいいわよ。ダンスの前に結婚式をしないといけないものね」
「そうだよねぇ」
そんな妄想なのか現実なのか、不明瞭な他愛もない話を続けていく。
話に一段落がついて、ふと窓の外を見ればそこには――――そこにはそう、一面の銀世界が広がっていた。
灰色の空と白色の大地に挟まれて、景色が鈍い銀色のように見える。田んぼか畑なのか、遠くに見える木々まで真っ白な雪が地面を覆い尽くしている。降りしきる雪が積もり、世界の色を変えていた。
冬の色に魅せられ、どこまでも続く雪景色を見て、自然と口角が上がる。
ドキドキと高鳴る胸を抑え、今の気持ちを共有しようと恋人さんに目を移した。彼もまた、バスの外に目を奪われていた。あたしと目が合って、すっと微笑む。
どうにも、まだまだあたしたちの会話に終わりは見えないらしかった。
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