15. 駅とバス

「うーさむーい。郁弥さん、手貸してー」

「はい」

「……あったかいけど寒い。手しかあったかくならない」

「そりゃ手しか触れてないからね」


 外に出た途端、空調のなくなった冬の冷気にさらされて手を繋ぐはめになった。暖かいところにいたため、それだけ寒さがひどくなったように感じる。

 呆れ混じりに返事をしてくる恋人を見つめて、ひっそりと密着した。ぴたりと横にくっつけば寒さも幾分か緩和される。


「これでさっきより暖かくなったわね」

「それはそう、だね」


 ちょっぴり照れた様子の郁弥さんを横目に、ゆっくり歩調を合わせて薄く積もった雪を踏みしめる。積もった雪を踏んだとき特有の沈むような軽い音は聞こえず、踏んだ後にはコンクリートの地面が色を見せる。まだまだ積もっているとは言えない程度の雪だった。


「~♪」

「ご機嫌だね」

「ふふ、まあねー」


 鼻歌を歌いながら目を細めて空を見上げる。見えるのは灰色の雲に覆われた空。落ちてくる雪の色が灰色に混じっていっそう白く見えた。灰色の空、真っ白な雪。身体を通り抜ける風は冷たく、五感で冬を感じる。

 冬の東北。

 我ながら、ここに来てこんなにも情緒的な考えをするなんて思ってもみなかった。もともと冬は嫌いじゃなかったけれど、雪が降っているときにひっそり佇んで冬に想いを馳せるなんてするわけがない。寒いし冷たいし濡れるし、いいことなんてまったくない。

 そう思っていたはずなのに、今となっては"この時間"でさえ幸せだと思うようになってしまった。

 冷たいのも寒いのも変わらないし、雪が体温で溶ければ濡れるのも変わらない。だけど、隣にこの人がいるだけで、大好きな人と手を繋いで一緒にいるだけで、他のすべてを忘れちゃうくらいに嬉しくなる。

 お仕事で冬の季節に東北まで来たこともあったけど、今とは心の在りようがまったく違ったわ。ただただ何もしないでゆっくりするだけの時間に幸せを感じるようになったんだもの。不思議よね。過ごす時間一つ取っても、考え方次第でこんなに変わるんだから。


「日結花ちゃん日結花ちゃん」

「んーなにー?」


 雪模様の空を見ながら返事をする。なんだかぼーっとしてしまっていた。意識を現実に戻して、なんとか視線を隣に移した。すると再び意識を奪われる。今度は大好きな人の瞳。優しさでいっぱいの温かくて柔らかな色の瞳。簡単に捕まっちゃった。


「あれ見てよ」


 言われて彼が視線を向けた先を見ると、雪に混じって緑色の車体が映った。

 そう、そこにはバスがあった。

 緑というよりは深緑といった方が正しいような色合いをしていて、屋根部分はゴールドのラインで縁取った白色。バスらしく窓ガラスが大きい。ただ、大きさそのものはそんなでもない。遠目からでも席が縦に五列とかそれくらいしか見えない。

 そんなことはどうでもよくて。


「なんか普通のバスじゃないわね。昔の車みたい」

「そうだねぇ。レトロな感じ」


 バスの座席とか色がどうこうより、まず見た目が違った。普通のバスと違って車の前部分が突き出している。

 新幹線とか高速列車みたいな。蒸気機関車とか?そんな感じで見栄えしてる。これは写真撮らなくちゃ。だってあたしたち、このバス乗らないもん。


「郁弥さん、お写真撮りましょう」

「お写真って……別にいいけどね。どうする?カメラ使う?」


 カメラと言われて、ちょっと考えることになった。

 早めにお店を出たからあと十五分はあるけれど、駅を見た感じ結構人がいる。車も止まっているし、いくつかの旅館から迎えのバスが来ているんだと思う。郁弥さんがカメラをスーツケースから出しているとはいえ、三脚をセットして色々してまた回収しての時間は少しぎりぎり感がある。

 たしかにちゃんとしたカメラで撮る方が写りやなんやらはいいかもだけど、絶対にそっちじゃなきゃいけないって理由はない。それに、携帯には携帯の良さがある。存分にカップルっぽさが出せるところとかね!


「なので、携帯で撮りましょ」

「何がなのでなのかはわからないけど、いいよ。撮ろうか?」


 そんなわけで、ぎゅーっとくっついて"銀山線はながさバス"を後ろにしてパシャパシャさせてもらった。頬をくっつけて写真を撮るという、なかなかにあたしたち至上イチャイチャ率の高い写真も撮らせてもらった。一番は頬にキスしたりされたり唇にキスしたりしている写真なので、さすがにそれ以上とはいかなかった。

 ついでに知宵胡桃とのNEMUにも写真を投稿しておき、自慢のポーズなスタンプを押しておいた。これで完璧。


「あー、すみません。銀泉花ぎんせんかさんのバス、ですよね。予約した藍崎です」


 "はながさバス"を通り過ぎ、駅の入口に歩いていくと旅館からのお迎えらしき人が数人いた。みんな看板のように旅館名が書かれた板や布を持っていて、それぞれどこのホテル、旅館かわかるようになっている。

 郁弥さんが声をかけたのは、そのうちの一人。人の良さそうなおじさんで、この人も他の人と同じく旅館名を手に持っていたのでわかりやすかった。


「お、おお。ええ、そうです。藍崎様、ですね……はい!どうぞこちらへ!」

「ありがとうございます」


 時刻は十三時二十分前。駅内からはまだ人が来ておらず、すぐに送迎バスまで案内してもらった。場所は駅前バスターミナルの一部。駅の入口が見える位置だった。

 つい一時間も前は車一つなかったバスターミナルが、今では中型?バスで埋まっている。なかなかに色とりどりで旅館の特色がよく出ている。改めて温泉に来たんだなーと思ってちょっとだけドキドキしてくる。


「他のお客様もいらっしゃるので、少々お待ちくださいね」

「わかりました」

「わかりましたー」


 一言声をかけて、また駅前に戻っていくおじさん。バス内に人がいないことを見るに、あの人が運転手を兼ねているんだと思う。

 バス内に入り、ドアから離れた奥側の二人席に並んで座ったあたしたち。バスの扉は開けっ放しなので、特に暖かいとかそういうことはない。ただ、雪に降られなくなっただけでかなり気持ちは変わる。


「「ふぅ」」


 軽く息を吐いたら、まさかの偶然にもお隣さんと揃ってしまった。


「うふふ、郁弥さんあたしに合わせたの?」

「はは、日結花ちゃんこそ僕に合わせたんじゃない?」

「んふふ、どうかしらねー」

「ま、でも、どちらにしろようやくって感じだね」

「ん?んー、そうね」


 軽く笑い合って、当然のように手を繋ぎながら話をする。

 バスが出発するまでの待ち時間でさえも、なんだかわくわくした気持ちにさせてくる。気持ちをぶつけるようにと恋人へ肩をくっつける。もともとくっついていた身体がきゅーっと近づいて隙間一つなくなった。


「どうしたの?」

「んふふー、なんでもー」

「そっか」


 なんでもないやり取りがどうにも心地いい。


「ところで日結花ちゃん」

「なにー?」

「さっきのお勘定だけどさ」

「ん」

「日結花ちゃんが払ったよね」

「うん」

「昔はお金出し合ってとかしてたよね」

「そうねー」

「今は色々変わったよね」

「んー?」


 ちょっと何が言いたいのかわからなかった。

 首を軽く動かして恋人の顔を見つめる。タイミングよく郁弥さんもこっちを見てきたせいで、物凄い近い距離で見つめ合うことになった。頑張ればキスできる距離感がとっても心臓に悪い。


「えへへぇ」

「ふ、はは」


 にっこりとろけた笑顔になったら、一緒に笑ってくれた。恥ずかしいけど嬉しい。

 やっぱり持つべきものは恋人よね。好きな人じゃなきゃこうはならないわ。


「えっと、それでなんだったの?お金の払い方が変わったとかなんとか?」

「そうそう。前と違って、そういう部分に遠慮がなくなったなーって話」


 ひとしきりにこにこし合って、それから真面目に話を聞いてみて納得がいった。

 彼が言いたいのはお金的なことだった。

 昔は二人でお金出し合ったりしていた、つまり割り勘とかそんな感じだった。

 比べて今は一緒に過ごす時間が増えて、いつの間にかお金の支払いを気にすることがなくなった。"今回あたしが払ったし、次回はお願いね"みたいな感じでもない。ほぼお財布共有みたいなものだから、クレジットカードとか現金とか、それに支払いのタイミング(前払い後払いとか)やお店によってさらっと払える方がお金は支払っている。

 いつからって言われると難しくて、本当に気づいたらこんな感じになっていた。なかなかに恋人らしく、個人的にはいい事だと思っている。


「ふふ、お高いお店の時はお礼にプレゼントし合うようになったのもあるし、恋人的にはステップアップだったんじゃない?」

「あー、それもあったね」

「郁弥さんがお高いお店連れていってくれるから悪いのよ?」

「いやいや、それを言うなら日結花ちゃんこそ高いお店連れていくでしょ」

「あら、そうかしら?」

「そうでもなくちゃ、僕がフォアグラなんて食べる機会は生まれなかったさ」

「んふふ、そうだったかも」


 そんなこともあったなーと肩を揺らす。

 カジュアルなドレスコードが必要なお店はそこそこ行っているけれど、本当にきっちりしたところは数えるほどしかない。そのすべてがあたしから誘ったような気がしなくもない。二人で二桁万円超えて郁弥さんが顔を引きつらせていたのはいい思い出だわ。

 さすがにあたしが連れ込んだ高級レストランだと、お支払いもあたしがしてた記憶はある。


「お高いお店行った時って、あたしが全部支払いしてたんだしあなたは別に気にしなくてもいいでしょ?」

「それはそうなんだけど……。お返し選びが難しすぎるのはやめてほしい」

「……あ」

「な、なに?」

「お返しで思い出したんだけど」

「う、うん」


 やけに身構えている恋人に内心笑いながら、表面は普通のまま話を続けた。


「郁弥さん、あたしに高い下着くれたでしょ?」

「うわぁ!?やっぱりその話!!」

「ふふ、あははっ!もう、そんな驚かないでよ」

「予想していた分、余計に驚かされたよ」

「そう?じゃあお話してもいい?」

「だめ。二人っきりのときにしてもらえる?」

「んふふー、仕方ないなぁー」


 結構ちゃんと恥ずかしそうにしているので、今はやめておいてあげた。彼の言う通り、二人っきりになったらきっちりお話してあげよう。


「――すみません、藍崎様」

「はい」

「電車の方がちょっと遅れているようで、もう少しお待たせしてしまいそうです」

「あ、わかりましたー。全然大丈夫ですので気にしないでください」

「すみません、ありがとうございます」


 とのことで、運転手さんに言われて待ち時間が伸びた。ちらっと携帯を見たら十三時二十六分。もともとは十三時十六分に電車が来ている予定なので、既に十分は遅れている。大石田に着いてもバスに乗るまで間があるので、やっぱりまだもうちょっとかかりそう。


「ねー郁弥さん」

「なに?」

「あたしたち、カップルに見えるかな?」


 似たようなことを聞いた覚えはあるけど、もう一度聞いてみる。何度聞いても、あたしの恋人は嬉しいことを言ってくれるから。


「ふふ、自分で言うのもなんだけど、僕だったらカップルとしか思わないね」

「えへへ、そうよねー!」


 爽やかに笑って言う郁弥さんを見て、にへらと笑みをこぼす。

 待ち時間が伸びても、一緒にいるだけで幸せいっぱいだから文句の一つもない。隣に座ってお話するだけでこんなに楽しいなんて、本当に一緒に旅行に来てよかったと思う。

 外は雪が降っていてバスのドアも開いたままなのに、どうしようもなく心はぽかぽかと温かかった。

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