13. 雪と相合傘
注文したホットティーを口に含み喉に流すと、身体の芯から温められたような感覚になる。雪が降る中を十分かそれ以上か傘もささずにいたからか、自分で思っていた以上に身体が冷えてしまっていたらしい。温かい飲み物がとても美味しく感じる。
湯気を立てる水面に落としていた視線を上げると、両手でマグカップを支える恋人と目が合う。ちびちびとホットティーを飲む姿が、いつかどこかで見た景色に重なって自然と笑みがこぼれた。
「なに?どうかしたの?」
「ふふ、なんでも。ちょっと可愛いなぁって思っただけよ」
以前、同じような言葉を伝えたような気もする。それがまたなんだかおかしくて、それでいて温かくて嬉しくて、笑顔があふれた。
「可愛いはこっちのセリフなんだけどなぁ」
ぐちぐち言いながらもふわふわとした笑顔を見せてくれる。
見つめ合って、心の距離を確かめながらゆっくりと話をしていく。
「郁弥さん、疲れた?」
「うん……どうだろう。疲れたかもしれない」
「そ」
「日結花ちゃんは?」
「あたしも。ちょっと疲れたかな」
「そっか」
「ん」
穏やかな時間。ただただ、とりとめのない話をするだけの時間。
ずっと座ってきただけなのに、変に疲れちゃった。こんなとき、郁弥さんに膝枕でもしてもらえたら――ちょっと思いついた。
「……ん」
「なん――なるほど」
「ふふ、察するのが早いわね」
「ま、日結花ちゃんの恋人やってますから」
「好きよ」
「僕も好きだよ」
そんな感じに笑顔で告白された。
何をしたかというと、まずテーブルの空きスペースに手を伸ばして手のひらを上にして見せた。これは手を繋ぎたいのサイン。郁弥さんはすぐわかってくれたので、今はテーブルの上に手が繋がった状態で置かれている。
自分から好きと言っておいて、逆に"好き"を言い返されて照れくさいのは内緒。誤魔化しのために繋いだ手をもにゅもにゅとさせておく。
「うぉ、それくすぐったい」
「きゃ、ちょ、ちょっとやり返さないでよ」
「不可抗力ってやつだから」
「絶対わざとじゃない」
「じゃあこうする?」
「あっ……」
こしょこしょと動いていた手が止まって、隙間を埋めるように指が絡まる。ぴたっとくっついた両手は貝殻のように結ばれて、向き合う形で繋がった。
「これでいい?」
「……うん」
空いている手で紅茶を飲みながら頷く。
羞恥心は抑え、手先から伝わる温もりだけを感じて窓の外に視線を移す。薄いレースのカーテン越しに見える景色は、ひらひらと舞い落ちる雪と地面に積もり始めた雪で白く染まっていた。人影は見えず、冬の静かな景色だけが広がっている。
ふ、と思った。それはずいぶんと前のことで、もう二年も昔のことになる。二人で時間を重ねていくたびに思い出は積もって、会話や景色の全部は覚え切れなくなってしまった。それでも、記憶に刻み込まれて残っているものもある。それがあの日、あたしと郁弥さんが一歩だけ歩み寄った日。
「郁弥さんって傘持ってきてる?」
「うん。折りたたみだけどね」
「あたしも一緒。折りたたみ傘なら持ってきたわ」
目を合わせたら微笑まれた。にっこり笑みを返して話をすると、彼も傘は持ってきているらしい。この人らしいなぁとよくよく思う。
「でも突然どうして?雨が降りそう……ではないよね」
途中で窓の外を見て、視線をあたしに戻しながら言う。くてりとほんの少し首を傾げた仕草があざとい。あたしを惚れさせようという魂胆が透けて見える。
残念だけれど、あたしはもうあなたに惚れているから効かないわよ。
雑念を振り払って彼の問いに答える。
「外を見ていたら思い出したのよ。一緒に傘さしてくっついて歩いたなぁって。覚えてるでしょ?」
「……ふむ」
神妙な顔で頷くのは、あたしの大好きな人。ここで覚えていないとか言ったら大好きレベルがマイナス三くらいされるわ。ちなみに現在の大好きレベルは二万六千四百一よ。全部適当だけど。
「ごめん、いつのこと?今年だけでも数が多すぎてわからないんだけど」
「あら」
予想だにしない返事をもらってしまった。好感度がどうこうじゃなくて、単純に二人で傘をさして歩いた回数が多すぎるせいだった。
言われてみれば、というか言われなくてもそうだった。あたしと郁弥さんが傘さしてくっついて歩いているなんてよくあることだった。それこそ雨の日に二人で外に出たら絶対していた。梅雨の蒸し暑さでもくっついていたし、冬は当然寒いからくっついていたし。特に理由はなくてもくっついていたし。さすがにこれはわからなくても仕方ないわね。
「んーと、郁弥さんが初めて
「あぁ……あの日かぁ」
なんとも微妙な表情で呟いてくれる。
それにしても……初めて家に彼氏を呼ぶだなんて!きゃっ!だいたーん!当時は彼氏でも恋人でもなかったとかそんな状況でもなかったとかそんなのは関係ない、として。
でもあれね。初めてがどうとか、そんな単語一つで慌てたり照れたりしていた頃が懐かしいわ。今のあたしは、いろんな意味で成長しちゃったから。
「日結花ちゃん?そんな眉間にしわ寄せたら可愛くなくなら……ないことはないけど、いや可愛いけど」
「なによそれ。結局可愛いしか言ってないじゃない」
難しい顔をして可愛い可愛い言ってくる恋人にスマイルをプレゼントした。
身体だけは成長しないし
「可愛いのは不変の事実だからね」
「あたし以外に言ってたりは」
「しないよ」
「ほんとに?」
「本当に」
「証拠は?」
「キスでもする?」
「ばか。好きって言ってくれるだけでいいわよ。……でも、ちゅーは後でして」
「了解。日結花ちゃん、好きだよ」
「えへへ、あたしも郁弥さんのこと好き」
まったくもう。この人はまったく。まったくよまったく。証拠のためにちゅーしようとするなんて、そんな軽々とキスなんてさせてあげないんだから。頻繫にちゅっちゅしてるわけでもないから嬉しくないこともないかもだけど、それはまた別の話でしょ?
「それで、例の日がどうとかだったよね」
「あ、うん。そうね」
例の日とかいう謎ニュアンスは聞かなかったことにして、話を進める。
「あなたが家に来たとき、結構な雨だったじゃない?」
「だったねぇ。傘さしていても濡れちゃうくらいには降ってたかな」
「そそ。あのとき、相合傘したの覚えてる?」
「もちろん」
「ふふ、一緒に傘入って歩いたわね」
「何気に緊張していたのを隠していた記憶がある」
「えー、それ初めて聞いた」
「これまで言ってなったからね。話す機会もなかったし」
「それはそうだけど……。まあいいわ。それより、外を見てあたしが何を思ったかわかる?」
話の流れを汲んで答えてくれると助かる。そんな思いを込めて目前の恋人をじっと見つめた。何か理解したのか、郁弥さんはゆっくりと頷いた。
「外で相合傘したいなぁってところかな」
「ん、正解」
さすがダーリン。完璧。
「それなら後でする?」
「遠慮しておくわ」
「ええ……」
「だって、今は別に傘なんてなくても隣でくっついていられるもの」
"そうでしょ?"と、繋いだ手にやんわり力を込める。
返事は言葉ではなく手のひらを押し返してくる力だけ。前を見れば郁弥さんが小さく頷き、優しい微笑みを見せてきた。あたしも同じように柔らかく微笑んで、そっと指を解く。
お皿の上に乗ったワッフルを切り分けてフォークで口に運ぶと、ほどよい甘みが口の中いっぱいに広がる。後を引かない優しい甘さで、どこか今の気持ちに似たものを感じさせる味だった。
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