12. 二人ぼっちの大石田駅

 ――――♪


「くぅー、つっかれたー」

「んー、空気美味しー!ていうかちょっと寒い!郁弥いくやさん手貸して!」

「あ、うん。どうぞ」

「ありがとー」


 新幹線を降りると、ひゅるりと冷たい冬の風が身体を通り抜けた。ひらひら舞い降りる雪の粒がコートにまとわりつき、風にさらわれて飛んでいく。

 空気は冷え、空からは冬の象徴が降ってくる。今の大石田駅に降り注いでいるのは細雪ささめゆきだった。


「寒いは寒いけど、思ったほどじゃないね」

「ふふ、手繋いだからじゃない?」


 隣に立つ恋人を上目に見て、ぎゅっと繋いだ手に力を込めた。貝殻のように組み合わされた手からじんわりと体温が伝わってくる。


「あはは、そうかもね」


 くすっと笑って手を握り返してくる郁弥さんと雪降る駅を歩き始める。

 新幹線から降りた人たちはあたしたち二人と他数人くらいで、皆が皆どこか観光客の風体をしている。他の人は全員既に建物の中へ入っているため、まだホームに残っているのはあたしと郁弥さんだけ。

 それに気づいてすぐ、きゅっと彼を引き留めた。


「どうかした?」

「郁弥さん、ちょっと待ってて」


 動きを止めて尋ねてくる恋人に一声かけて、手提げのミニカバンを漁る。スーツケースと一緒に持っていたので、そっちは薄っすら雪が見える地面に置いておいた。


「郁弥さん郁弥さん。もっとくっついて?」

「あー、了解」


 鞄から取り出したのは携帯電話。外カメから内カメに切り替え、斜め上に左手を伸ばした。恋人との距離はゼロにして笑顔で繋いだ手を持ち上げる。


「はいピース!」

「いえーい」


 一応声を出してくれた郁弥さんだけど、声に張りはなかった。ただ、数枚撮った写真には歯を見せて満面の笑みを浮かべ、なおかつ顔の横でピースを見せる恋人の姿が写っていた。


「あたしよりスマイルが眩しい?」

「はは、ファーストショットだからね」


 やけに爽やかな顔がむかつく。イラッとするより、なんか釈然としないというか。そんな感じ。


「まあ、ひとまずは行こうか?」

「ん、いいわよ」


 手を引かれて歩く。写真を撮れて満足したし、余分な気持ちはなかったことにした。それよりも、これから始まる本格的な観光への期待に胸が弾む。

 ホームから改札口に入ると、こぢんまりとした待合室のように椅子が並べられていて、暖房もよく効いていた。改札口からそのままお土産屋さんにも通じているようで、そちらの方が面積としてはかなり大きく見える。今のところそちらに行く予定はないため、二人で駅員さんに切符を渡して外に出た。

 知っていたけれど、大石田駅に自動改札機はなかった。


「ふわぁ!郁弥さん郁弥さん!!!」

「うおっ!引っ張らないでよ。いや付いていくけどさ」

「うふふ、ね、ね。雪よ?降ってるわね!」


 改札を抜けて駅を出る。その先には広々としたバスターミナルがあった。コンクリートの地面はちらほらと雪が見える部分もあり、今降っている雪と同じくらいの積もり方をしている。

 空を見上げると、灰色の雲から真っ白な雪が舞い降りてきていた。


「降ってるね。…………あぁ、雪国だ」

「ん……何か気になることでもあるの?」


 郁弥さんの雰囲気がちょっぴり静かめで、街を見て郷愁にでも駆られたかのようにぼんやりとした表情をしている。


「あぁいや、なんだろうね。わからないけど、少しだけ寂しくなったのかな。そんな気がする」


 自分の気持ちに戸惑っているのか、眉を下げて儚げに笑う。

 恋人としてあたしが彼にできることはそんなに多くないけれど、こんなときだからこそできることもある。


「えい」

「っと、なに?」


 きゅっと、彼の腕を抱きしめて距離を縮めた。

 寂しい気持ちをなくすことはできなくても、誤魔化すことくらいはできる。

 昔のあなたの隣にはいられなくても、今のあなたの隣にはあたしがいる。そうでしょう?郁弥さん。


「ううん。なんにも」


 不思議そうな顔をする恋人に首を振って答えた。深くは言葉を続けずに、そっと微笑む。

 何も言わないあたしを見て、すぐに意図を察してくれたのか薄く苦笑して目を逸らした。空を見上げて、静かにたたずむ。

 彼に倣って空を見上げると、たしかにそう、少し寂しさを感じる。

 周りに人はいない。新幹線を降りた人たちはもうどこかへ行ってしまった。新幹線そのものも既に出発していて、音という音はあたしたちくらいしかいない。

 ふわりと落ちてくる雪の粒は顔に降りてひんやりと溶けていく。少しずつ冷たくなっていく肌を感じて、心にも雪が降り積もっていくような感覚に陥る。

 あのときはだめだったなとか、いっぱい傷つけちゃったなとか、全然上手くいかなかったとか。これまでの人生で悲しかったり辛かったりすることばかりが浮かんでくる。


「……はふぅ」


 ため息のように、一度息をこぼす。同時に重苦しいものも吐き出して気持ちを切り替えた。

 もしもの話。今、もしもあたしが一人だったら、きっとひどく落ち込んでいたと思う。気落ちして沈んですぐにでも眠ってしまいたくなっちゃっていたかもしれない。でも、そうじゃないから。

 繋いだ手から、触れ合った身体から、一人じゃないってことがわかるから。一緒にいる事実が、隣に立っていてくれる現実が、伝わる体温が、凍りそうな心を包んで温めてくれる。冷たい気持ち以上の暖かな気持ちで満たしてくれる。

 一人じゃないだけで、隣に好きな人がいてくれるだけで、こんなにも心が満たされる。

 あたしだけじゃなくて、郁弥さんもそうだったらいいなと思う。この気持ちをわかってくれれば、きっと寂しいのなんか吹き飛んじゃうから。


「……くしゅん」


 身体の奥はぽかぽかと温かくても、やっぱり雪が触れて溶けている顔は冷たくなっていた。何分経ったのかわからないけれど、冬の風が濡れた肌に触れてくしゃみが出てしまった。


日結花ひゆかちゃん?平気?」

「ずず、うぅー、鼻水出そう」

「はいティッシュ」

「ありがとー」


 自分の鞄から取り出す前に渡してくれた。ポケットティッシュを開いて鼻をかんで、ゴミは丸めて鞄の空きポケットに入れておく。後でゴミ箱に捨てよう。


「ごめんね、寒いよね」


 しょんぼりした声が耳に届いて、そそーっと横を見たら案の定悲しそうな郁弥さんがいた。


「大丈夫だから気にしないで。それよりほら。一緒に写真撮りましょ?」

「写真?」

「うん。カメラ持ってきたって言ってたじゃない。一緒に写真撮って、いっぱい思い出作りましょ?」


 恋人の手を両手で包んで笑顔を見せる。

 今を楽しむだけじゃなくて写真として残すことで、後で思い返して一緒に行ってよかったぁって思えるような、そんな旅行にしたい。この旅行は、あたしたちだけの旅行だから。


「そう、だねっ。うん、わかった。準備するからちょっと待ってて」

「りょうかーい」


 あたしの言いたいこと、伝えたいことはわかってくれたみたい。雪の冷気にも負けないくらい温かくて眩しい笑顔を見せてくれた。

 郁弥さんがスーツケースからカメラを取り出す姿を眺めながら、あたしはぼやぼやとして静かに待つ。

 後ろ姿も好きー、とかそういうのはどうでもよくて。いやどうでもよくはないけど。今思ったのは別のこと。そう、スーツケースについて。

 あたしも彼もスーツケースを持ってきていて、その容量は少ない。一泊二日のお着替えとお土産と他色々小物が入るくらいなので、そう大きくはない。頑張れば三泊四日できるくらいの容量だと思う。あたしの場合、そのスーツケースに手提げの鞄を一つと、合わせて二つの鞄でここに来た。手提げ鞄は肩掛けにもできるので言うほど手間にはならないけど、恋人の装いを見たらそれもちょっと変わる。

 だってこの人、スーツケース一つだけなんだもん。しかもリュックにもなる便利仕様。絶対鞄二つあるよりそっちの方が便利でしょ。あたしもそういうの買おうかしら。一つあってもいいわよね。


「日結花ちゃん、準備できたよ」

「ん、そう?……おー、ちゃんとしてる!」

「あはは、まあ一応はね?」


 くすぐったそうに笑う恋人が触れているカメラは、三脚に固定されて人の目線の高さに置かれていた。彼の言う"コンデジ(コンパクトデジタルカメラ)"がどんなものなのかは詳しく知らないけれど、そこそこのお値段はするらしく結構良い写真が撮れるとか。

 これまでも何度か使ってきたけど、あれね。三脚が進化しているわね。


「三脚買ったの?」

「うん。ちょっと長いのを買い足したんだ」

「ふーん、そう。いいと思うわよ。あたしたちの写真はこれからもいっぱい撮るんだから。褒めてあげる」

「わー、ありがとう。手繋いでほしいな」

「……し、仕方ないわね」


 適当言っていたらご褒美を催促されてしまったので、恥ずかしさを抑えて手を繋いだ。

 普通に手を繋いだり、自分から手を繋いだりするのは何にも思わないのに――いえ、嘘。それもちょっとは思うわ。でもそれ以上に、郁弥さんからお願いされたりするとすっごく恥ずかしくなる。意味がわからないわ。この気持ちも嫌いじゃないけどね。


「ふふ、ありがとう。じゃあ場所決めようか?どの辺りを背景にしたい?」

「ん、そうね……」


 問われて辺りをすーっと見回す。駅前はバスターミナルで、別に何かを背景にしたいとかはない。目印というか、案内というか、"ようこそ大石田へ"と書かれた灯籠のようなものはあるけれど、わざわざそれを背景にという気分にはならない。一応、郁弥さんにぱしゃりと風景写真として撮ってもらってはおいた。

 この駅で重要なのは駅前というより、むしろ駅側。駅を出た右側すぐに登り階段があって、駅の上まで登れるようになっている。もちろん今は雪で覆い尽くされているため登るなんてできっこない。

 駅上から写真でも撮れたらよかったなぁと思いながらも、別の部分に目を向けて恋人に話しかける。 


「ねえ郁弥さん。あれをいい感じに後ろに収めて撮らない?」

「うん?あー、なるほど。いいね」


 あれ、というのは駅の外壁に立体文字で作られた"大石田駅"そのもの。"OISHIDA STATION"というローマ字が漢字の下にあるのはとても良い。

 白の壁に赤褐色のラインが等間隔に並んでいて、色褪せているように見えるのもまた雰囲気がある。積もった雪に曇天の空、そして風情を感じさせる駅。旅に来たと思える写真になりそうだから、ここを後ろにしたくなった。


「これなら駅の階段も入れたいし、もうちょっと引こうか」

「わかったわ」


 恋人からも同意を得て、駅の屋根や横の階段も入るように場所をずらす。駅員の人が雪かきをしたのか、こんもりとした雪山の一つが視界に入った。今も降り続けている淡雪がまた積もって、コンクリートは少しずつ白に染められていく。

 なんとなく感傷的な気分になり、そっと視線を移す。


「じゃあ十秒後だから、準備はいい?」

「ん」


 カメラをセットして聞いてくる郁弥さんに頷く。カメラの音がピーピーと小さく聞こえる中、あたしの恋人は小走りで隣にやってきた。

 ぎゅっと彼の手と自分の手を繋いで、その温かさに頬を緩めてカメラを見つめる。


「―――」


 シャッター音が耳に届く直前、隣から何事かの呟きが聞こえてきた。声の主には聞こえなかったふりをして、カメラに戻って二人で写真を確認する。


「……ふふ」 


 "ありがとう"、だなんて。あたしは何もしていないのにね。でも、あたしと同じ気持ちになってくれたのはやっぱり嬉しいかな。

 そんなことを思って、少し笑ってしまった。

 寒さのせいか頬を薄っすら朱色に染めている恋人に笑いかけて、もう一度写真を撮ろうと口を開ける。心なしか、雪に触れた肌が温かくなったような気がした。

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