9. 愛に感謝する

 冬に外でお喋りをしていると、寒さで舌が回らなくなることも多いと思う。だから言葉数も少なくなり、必然的に視線や表情、そして行動で会話を行うことになる。

 視線だけのやり取りは"わかりあってる感"が醸し出せるし、簡単に手を繋いだり腕を組める状況は恋愛弱者のあたしにはとっても助かるものだったりする。

 そんなことはどうでもよくて、今大事なのはお喋りのこと。

 あたしと郁弥さんは二人で冬の山形新幹線に乗ってお喋りをしているわけなのだけど、今のところ窓の外と服装以外に冬を感じる点はない。簡潔に言い換えれば、昔話が止まらないということになる。


「昔話、と言っても二、三年前の話だけどさ。あの頃のこと話してたら初デートのこと思い出したよ」

「ふふ、ええ、懐かしいわね。あたしもちゃんと覚えてるわ」


 まだただの友達で、それでもちゃんと"デート"として体裁を整えたお出かけだった。思い返していくだけで自然と笑顔になる。

 彼の言った通りほんの二、三年前の話だというのに、ずいぶんと懐かしい。


「映画行ったよね」

「ん、あれから何回も行ったわね」

「初デートで映画ってよく失敗するとか聞くけど、僕らはどうだったかな」

「ふふ、そんなの言わなくてもわかるわよ。今のあたしたちはどうなってるの?」

「恋人だね」

「でしょう?」


 ぽんぽんと話をしながら、座席の背もたれに身体を預ける。二人席の手摺てすりは上げてしまっているので、隣同士を遮るものは何もない。

 新幹線に乗って何度目かわからないほどだけど、飽きることなく再び手を重ねた。

 あたしと同じようにぼんやりと椅子に身体を預ける恋人は、自分の手の甲に重ねられた手を感じてか、ちらりとこちらに視線を向ける。何も言わず緩く微笑んで、手だけ裏返して繋いでくれた。


「また、映画も見に行きたいね」

「そうね。今度はちゃんと"手を繋いで"見ましょうね」

「うん?――あぁ、そうだね。手も繋ごうか」


 一瞬戸惑って、でもすぐに考えが及んだようで笑って言う。

 初デートでできなかったことをしたいなぁ、なんて。別にこれまでのデートで何度もしたことだから、今さら言うことでもないんだけど。でも、せっかくの昔話、こんな話をするのも悪くないでしょう?


「ところで日結花ちゃん」

「ん、なに?」

「初デートと言えば映画だったけど、他にも色々あったよね」

「え?うん、そうね?」

「――例えばそう、あの日は目の覚めるような寒々しい雪の日だった」

「それは嘘」


 妙に真面目腐った顔で新幹線の窓の外、それこそ冬の雪広がる風景を見て堂々と嘘をついてきた。


「まあ冗談は置いておいて」

「うん」

「あの頃は日結花ちゃんも若かったなぁと思って」

「郁弥さん。その辺の女の人に年齢の話はしない方がいいわよ」

「はは、そんなの知ってるよ。日結花ちゃんだからしてるんだ」

「ふーん、そ。ならいいわ」

「恋人じゃなきゃそんな話しないよ」


 すべてわかったうえで"あたしだから"と言われてしまった。地味に照れる。体感でも頬が熱くなった気がするし、変に気恥ずかしくて繋いだ手に力を込めた。きゅっと柔らかく返ってくる手の感触に気持ちが落ち着く。


「話を戻して、本題は年齢じゃないんだ」

「う、うん。ええと」


 火照った頭を冷ますように外の景色を眺めながら考える。初デートと年齢を紐づけて、あの日何があったかを思えばすぐに答えが出た。


「誕生日ね、誕生日のお話」

「そうそう。誕生日の話だよ」


 誕生日プレゼントをもらった記憶がよみがえる。

 とんとんと彼氏さんの肩を叩き、次いで自分の右耳を指差して触れる。


「なにか――あぁ、そういえばつけてたね」

「ふふん、感想は?」

「似合ってるよ。僕がプレゼントしたやつだよね。今年あげたやつ?」

「そうよ。恋人になったからプレゼントもランクアップしたやつね」

「その言い方は誤解しか招かないからやめようね」

「でも、初デートのときのイヤーカフより今年のイヤーカフの方が恋人だってこと意識して買ったでしょ?」

「いやまあ……うん」

「ふふ、でしょー?」


 あたしの場合、普段から髪の毛は左右どちらかでまとめたサイドダウンにしている。まとめる位置によってサイドポニーっぽくなるときもあるけれど、基本的には低めの位置で留めたサイドダウンを選んでいる。

 理由は単純で、大人っぽく見えるから。

 今日は左側で留めてきているため、右耳は完全に露出している。せっかくの旅行ということもあって、以前もらった花びらをかたどった二つ続きのイヤーカフをつけてきていた。

 イヤーカフは耳を挟む形でつけるものなので、イヤリングやピアスのように揺れることはない。それでも十分に可愛いアクセサリーとして活躍してくれている。

 なにより、耳に穴開けなくていいのが一番の利点よね。あたしが耳にピアス穴空けてない、ていうか空けたくないこと知ってるから郁弥さんもイヤーカフとかプレゼントしてくれるわけだし。


「そりゃ、あれだよ」

「あれって?」


 どこか恥ずかしそうに、あたしの目を見ていた瞳が横にずれる。


「ほら、恋人なら"らしい"ものを贈りたいからね」

「ふふ、そっかー。ありがと」

「うん、どういたしまして」


 そんなところでこの話は止めて。


「照れて可愛い郁弥さんを見ているのもいいけど、ちょうど思ったことがあるのよ」

「はいなんでしょう」

「昔も昔。ずーっと昔のこと考えたの」

「昔?っていうと、本当の意味で昔かな」

「ええ、そう」


 ぼんやりと窓の外を見ていたら、ちょうど針葉樹らしき木の枝から雪がどさりとこぼれ落ちるのが見えた。

 さっと顔を動かして恋人を見るも、ぽけーっと手元のペットボトルを弄んでいた。先ほどの光景はあたししか見ていなかったらしい。新しい話をし始めたばかりだったので、今見たことを話すのは数秒迷ってやめた。今くらいの風景、この先いくらでも二人で見られるもの。


「あたしたちの出会いを思い出していたの」

「――そっか」


 飲み物を置いて顔をあげ、儚げに微笑んで静かな声で返事をしてきた。

 真面目な彼らしく、今はきっと昔のことを思い返している。あたしですら鮮明に思い返せるのだから、郁弥さんからしたらもっとずっと強く心に残っているはず。それだけ、あたしたちの出会いは大きな意味を持っているから。


「僕がまだ十五歳のときだったよね。日結花ちゃんは」

「八歳よ」


 恋人の言葉を遮って伝えた。

 年齢だけ考えるとずいぶん離れているようにも思えるけれど、今の年齢で換算すると二十七歳と二十歳だからそんなでもないわ。ただ。


「当時はお子ちゃまだったわね」


 これだけは事実でしかない。だって八歳だもん。小学生よ?いくらママのお仕事で大人慣れしていても、子供は子供でしかないでしょう?


「そんな八歳のお子様に泣かされた十五歳の僕は何だったんだろうね」

「最初から泣いてたじゃない」

「雨が降っていたせいだよ」

「綺麗な青空だった気がするのだけど」

「僕の心には雨が降っていたのさ」

「上手いこと言わないの」

「はは」


 くすりと笑って、どこか遠くを見るように流れる景色で目を留めた。


「あの時も、その次の時も。僕は君に救われたんだ」

「知ってる」


 たくさん聞いたから。


「一方的な感謝だったけど」

「それも知ってる」


 いっぱい言われたから。


「生きがいにまでしちゃったけど」

「ちゃんとわかってる」


 何度も伝えてきたから。


「それでも言わせてもらうよ」


 一度言葉を区切って、あたしに目を合わせてくる。

 同じような会話は何度も繰り返したのに、この人はいつまで経っても忘れない。柔らかな光を宿した瞳からは、見ているだけで温かな感情が伝わってくる。


「僕と出会ってくれてありがとう」

「……ん」


 真摯な眼差しに深く優しい笑顔が眩しすぎて、くすぐったい気持ちになる。


「ね、郁弥さん」


 いつもならここで何も返さないけれど、ただ感謝を受け取ってしまうだけだけれど。今日は違う。今日はあたしも伝えておこうと思う。


「あたしを好きになってくれて、ありがとうね」


 返事を待たずに続けて伝えさせてもらった。

 驚いた様子で目を見開き、それから柔らかく微笑む恋人を見て、あたしもまた同じ表情を浮かべる。

 鏡なんて見なくてもわかるくらい。今日だけでもう何度目かわからないくらいに、自然と口元が緩んでしまった。

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