第35話 ぎこちない浩輔と真白

 翌日、浩輔は学校に行くのが怖かった。茜の顔を見たらどんな顔をすれば良いのだろう? と言うか、どんな顔をしてしまうだろう? それを考えると自然と学校へ向かう足が重くなってしまう。かと言ってサボる訳にもいかず、マジメな浩輔が学校に着くと、校門に立つ真白の姿に気付いた。


「あっ、浩輔先輩おはようございます」


 真白は浩輔の姿を見ると笑顔で挨拶をしてきた。やはり昨日の茜の件が気になるのだろう、その笑顔は何かぎこちない。


「ああ、稲葉さん。おはよう」


 浩輔も笑顔で挨拶を返したが、浩輔の笑顔もやはり何かぎこちない。

 一年の教室は二階で二年の教室は三階だ。階段で別れるまで並んで歩く二人の間に会話は殆ど無かった。

 授業が終わり、ホームルームで担任の話を怠そうに聞いている郁雄の耳に、何者かが廊下をバタバタと走る音と聞き覚えのある声が廊下を走る何者かを止めようとしているのが聞こえた。また奈緒が郁雄の教室に向かって走っているのを真由美と真白が止めようとしているのだろう。


「うわっ、また来やがった」


 郁雄が身構えると教室の引き戸がガラっと開いた。数日前にも見た光景だ。教室に居る誰もがショートカットの少女が「郁雄先輩!」と叫ぶものとばかり思った。だが、教室の引き戸を開けた奈緒は大声で別の男の名を呼んだ。


「浩輔先輩!」


 前回と違ったのはそこだけだった。すぐに真由美と真白が現れ、真由美が奈緒の襟首を掴むと有無を言わさず教室から引きずり出し、真白は黙って一礼し、教室の引き戸をそっと閉めた。奈緒が郁雄では無く浩輔の名を呼んだ事に教室はざわついた。あちこちで奈緒が郁雄から浩輔に乗り換えたのではないかという憶測が飛び交う中、担任までもが郁雄に呆れた顔で言った。


「なんだ、郁雄、振られたのか? そりゃ、顔も成績も浩輔の方が良いから仕方が無いよな。ドンマイ!」


          *


 放課後、いつもの様に真白達と合流した瞬間、浩輔は奈緒に責められた。


「浩輔先輩、真白の様子がおかしいんですよ。いったい何をしでかしたんですか? あっ解った。えっちな事でしょ? えっちな事をしようとしたんでしょ!?」


「バカか、お前は」


 浩輔が反論するまでもなく、郁雄が奈緒の頭をひっぱたいた。


「そうよ奈緒。浩輔先輩がそんな事する訳無いじゃない……ノブ君じゃあるまいし」


 真由美も呆れた声で言った。ってことは、信弘は真由美に『えっちな事』をしようとしているのだろうか? おそらく先日プールで手を繋いだ事で調子に乗ってキスでもしようと迫ったのだろう。


『えっちな事』と聞いて浩輔の頭に茜の顔が思い浮かんだ。無理も無い。昨日あんな事を言われたばかりなのだ。だが、『茜の大事な話』について浩輔から何も聞いていない真白はそんな事は解らない。ぼーっとしている浩輔を心配そうな目で見ている事しか出来なかった。


 それから数日の間、浩輔の様子はずっとおかしかった。六人で居ても、真白と二人きりの時でさえ心をどこかに置いてきた様な感じだった。


「……先輩、浩輔先輩」


 真白の呼ぶ声に浩輔が我に帰り、顔を向けると心配そうな真白の顔が間近にあった。以前の浩輔なら慌てふためいて飛び退いてしまうぐらいの至近距離だったが、この時の浩輔は動揺する事も無く


「あっ、ごめん。ぼーっとしちゃってたね」


 と優しい笑顔を真白に向けた。しかし浩輔の目は笑ってはおらず、むしろ悲しそうだった。真白にはその目が自分を憐れんでいる様に思えてならず、思わず言ってしまった。


「浩輔先輩、本当にどうしちゃったんですか? もしかして、茜ちゃんの大事な話って……」


 真白は茜が浩輔に告白でもしたのではないかと心配しているのだろうか? なら、その誤解は解かなければならない。しかし、どう説明すれば良いのだろう? 悩んだ末に浩輔は全てを真白に話した。茜が真白の純潔を守る為に自分の初めてを浩輔に捧げようとした事までも。その話の内容にショックを受けた真白は真っ青な顔でしばらく立ちつくしていたが、気分がすぐれなくなったのだろう、「すみません、今日は帰ります」と言葉を残して帰ってしまった。


 その夜、浩輔のスマホに真白からメールが入った。


『明日の放課後、六時に屋上で待ってます』


 真白らしくない用件のみの素っ気ないメール。浩輔は猛烈に後悔した。やはり自分は言わなくても良い、いや、言ってはならない事まで言ってしまったのだと。浩輔の胸を嫌な予感が過ぎった。



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