クリフォト

 旦那はふらふらしながら移動している。


 行かなきゃ、行かなきゃ、とうわごとを呟きながら歩くその姿は、まるで幽霊のようだった。


「やっぱり♪ 君もクリフォトになったんだね♪ おめでとう♪」


 旦那は突然真正面から声をかけられた。


「な……え……」


 旦那の目に光が戻る。


 旦那は、徐々に正常な意識が回復することを自覚する。


「じゃあ、彼を殺しに行こうか♪」


 旦那は目の前の人物を知っていた。


 むしろ忘れることが出来ない。


 黒いフェネックの姿をした、悪魔。


「アスモ…デウス?」


「そうだよ〜?」


「う、うわァァァッ!!」


「驚く事無いよ〜? だって君は、私と同じだったんだもんね〜♪」


「同じ……?」


「右手を確認してご覧よ。」


「右手……?」


「そうそう♪…その右手に、黒く光る数字があるよね?」


 そう言って彼女は右手の甲を見せた。


 アスモデウスの右手の甲には5iが黒く発光している。


「それはクリフォトである証なんだ〜♪」


 旦那は恐る恐る自分の右手の甲を見る。


「え、ナニコレ?」


 旦那の右手の甲には、8iという文字が黒く発光していた。


「ふむふむ、これは【アドラメレク】の番号だね~」


「アドラメレク……?」


「第八の殻、貪欲<ケムダー>、アドラメレク。

 クリフォトの樹には十の【殻】があって、それぞれに対応する十体の悪魔が存在するんだ。

 つまり君はアドラメレクに覚醒したってこと」


「私は私だ……アドラメレクだなんて、何かの間違いじゃ……?」


「さっきも言ったけど、この右手の印が出てる以上、旦那は間違いなくクリフォトの一人になったのさ~

 そうそう、ちなみにわたしは、第五の殻、残酷<アグゼリュス>だよ」


 残酷のアスモデウス。


 地獄にて、アンドロマリウスがアスモデウスを指して呼んだ名であった。


「嫌だ……クリフォトだなんて……グハッ! ゲホッゲホッ!」


 旦那は黒い血を大量に吐いた。


 飛び散った血が地面に染み込み、一帯が黒く染まって行く。


「何…これ……?」


「あぁ〜それは君が君たる所以となる物さ」


 アスモデウスは、旦那の血を見てニヤニヤする。


「しかっし何よりも真っ黒だねぇ〜♪ 君さぁ、どんな生き方したらそんなに黒くなるのかなぁ??」


 アスモデウスは半ば嬉しそうに問いただす。


「嫌だ……嫌だ……ッ!」


 何もわからずに、人間でなくなってしまう恐怖に、旦那は怯える。


 その目には、黒い涙が流れていた。


「諦めなよ〜。もう君はクリフォトと同化し始めてるんだ。君の体液はもう真っ黒なのさ〜」


「体液……?」


「そっ。血液も、涙も、唾液も、君の全てが黒くなる」


 旦那は自分に流れる血が、涙が、すでに人間のものではないことを悟る。


「嫌だ……誰かぁッ!」


 助けを呼ぶ以外に、出来ることは無かった。


「助けを呼んでも無駄さ〜。この辺りには【ある一人を除いて】誰も来やしない」


 アスモデウスはある方向を見る。


 その瞬間、凄まじい速さで、何者かが飛んできた。


「あなたッ!!」


 飛んできたのはリョコウバトだった。


「リョコウ……バト……さん」


 旦那はリョコウバトの姿を見て、表情に安堵の色が浮かぶ。


「おっと、それ以上近付かない方が良いよ〜?」


 残酷な悪魔が旦那のすぐ横にいるのを見て、その場に静止する。


「アスモデウスッ!」


 リョコウバトは敵意を剥き出しにして威嚇する。


「君もクリフォトと一緒になるよ?」


「クリフォトですか?」


「まともじゃいられなくなるってことさ。唯一わたしだけがクリフォトのまま、こうして意識を保ってられるんだ~……君はどうなるのかは知らないけどね♪」


「私の旦那に何をしましたの?」


「さぁね〜。ただ、旦那はクリフォトに選ばれたとしか言えないかな〜」


「選ばれた?」


 リョコウバトは疑問をぶつける。


「そっ。旦那は今、クリフォトと一つになろうとしている。取り込まれてるって事」


 アスモデウスが話してる間にも、旦那は苦しみ続けている。


「がはぁ、ごほっ、ごほっ!」


「どうすれば助けられるの……あぁ、あなた、気を確かに……!」


「リョコウ……バト……さん……君……だけ……でも……」


 旦那の吐き出した体液が旦那自身にまとわりつく。


 旦那は黒に汚染されていた。


「あぁ……! そんな、あなた! あなた!」


「おっと離れなよ〜? 君も彼みたいになりたくなければね〜」


「……」


 真っ黒な状態で地面に横たわる旦那。


 ピクリとも動かない。


「ねえリョコウバト? 君に一つアドバイスと言うか、警告を言うね〜」


 リョコウバトはアスモデウスに、憎悪のこもった目を向ける。


「悪意は伝播する。これは人間だけの話じゃないんだ。悪魔にも悪意があって、それがどれだけ強いかで、影響力の大きさが決まるんだ。まぁ単純な悪意程怖い物は無いからね〜」


「許さない、、、。」


「おっと、もう手遅れだったか〜」


 瞬間、リョコウバトはアスモデウスに飛び掛かる。


 爪を豪快に振り回す。


 リョコウバトの爪は、いつも以上に伸び、鋭くなっていた。


 そしてリョコウバトによって、辺りの木々が次々と薙ぎ倒されてゆく。


「当たる訳にはいかないな〜。」


 しかし、 アスモデウスは軽い身の熟しで爪を簡単に避けて行く。


 少しも当たる気配が無かった。


「このまま戦っても、意味無いと思うけどな〜」


 アスモデウスは余裕たっぷりに言った。


 リョコウバトは、それでもなお爪を振り回して暴れる。


「はぁ、疲れちゃうな〜全く。……仕方ない、私の禁術、使いますか〜」


 瞬間、アスモデウスはリョコウバトの腹部を殴りつけた。


「ぐぅ!」


 まるで嵐のようなリョコウバトの攻撃を、アスモデウスはあっさりと見切り、反撃したのだ。


 致命的一撃<クリティカルヒット>。


 リョコウバトの動きは止まる。


「ぬぅ……はぁはぁ……」


 リョコウバトは腹痛で悶えるも、外傷は無い。


 アスモデウスが手加減していたからだ。


「君の旦那、ちょっと借りるね〜。」


 アスモデウスはそう言って旦那を担いだ。


「何をすると言うの!?」


 動けないリョコウバトを、アスモデウスは無視する。


 アスモデウスは、旦那を地面に寝かせて、腕に注射針を刺し、血を採取する。


「よしよし、まだ血は腐ってなかったみたいだね〜」


 アスモデウスの手には、旦那の血が入った注射器が握られていた。


 そしてアスモデウスは、旦那の血を手に出した後、ペロリと舐めた。


「ふ〜ん。性別は男、年齢は、40位で、体重は、大体65って所かな」


「……?」


 アスモデウスは旦那の肉体年齢をピタリと当てていた。


「水分と合わせて1500mlあれば足りるかな」


 アスモデウスは独り言を止めて、リョコウバトに話しかける。


「私の血液を彼にあげよう。私は、その程度の血液を失ったくらいじゃ死なないからね〜」


「血液……?」


「そ、君の旦那を生かすために、手を貸すってことさ」


 アスモデウスの表情に、悪意は感じられない。


「嫌なら別に――」


「お願いいたします!!」


 リョコウバトは即断する。


「私の旦那を助けてください!!」


「……りょーかーい♪」


 アスモデウスは、旦那の左手首と自分の手首を管で繋いで、旦那に血液を送った。

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