残酷のアスモデウス 3
***
知らない場所に旦那は立っていた。
「あれ? ここはどこだ……? アスモデウスはどこ……?」
「ここはアスモデウスの胃袋の中さ」
「誰――て、ええ!!」
旦那は驚いた。
自分の目の前にいたのはアスモデウスに食べられたはずの江口だからだ。
「僕もいますよ」
その後ろからひょっこり現れたのは、優也くんだった。
「なぜ、こんなところに、二人が? ……そうだった。アスモデウスの胃袋の中だからってことだからか」
「そのとおりだ」
江口はそう告げた。
「俺も、この優也って子も、アスモデウスに食べられた。もうここからは出られない」
「そんな……ってそれじゃ私も食べられたってこと?!」
旦那は動揺した。
「いいや、違う」
江口はきっぱりとそういった。
「それじゃあ、どうして私はここに……?」
アスモデウスの命令に従って、リョコウバトさんを殴ろうとした直前で、それをやめて、自分の後ろにいたアスモデウスに殴りかかった。
ここまでは旦那も覚えている。
混乱する旦那に、優也が説明する。
「旦那さんとアスモデウスが接触を――つまり旦那さんが殴りかかったときにアスモデウスの意識が逸れたので、そのスキを伺って対話しています。つまりここはアスモデウスの精神世界と言って差し支えないと思います」
「な……なるほど」
旦那は、なんとか状況を飲み込んだ。
「僕たちがこうしていられるのは、レイイエルさんのおかげです。アスモデウスと接触した際に僕たちの魂をレイイエルさんが残された力を振り絞って開放してくれたんです」
「開放?」
「そうです。本来なら食べられた魂がこうして精神世界の中でも対話することなんてありえません」
「ということは――」
二人が生き返れるのでは?
そう考えたが、優也は首を横に振った。
「僕たちは、生き返ることも、ここから出られることもありません」
「そんな……」
旦那の淡い期待が砕け、ショックを受けた。
悲しい表情をする旦那に、江口は言った。
「なあ、お前には大事なものがあるはずだ。自分の命よりも大事なものが」
「……」
「お前は何のためにアスモデウスの命令に逆らった? 命よりも大切なものを守るために、戦う道を選んだからだろ。――ならば立て」
「それは君たちもあるんじゃないのか! 命よりも大切なものが!!」
旦那は叫んだ。
「なんで私だけを送り出そうとするんだ……君たちだって、生きていてほしいのに……」
旦那は、もう誰にも死んでほしくなかった。
苦しい目にもあってほしくなかった。
みんな幸せな世界で生きてほしかった。
「俺は、恋人の気持ちを踏みにじり、愛欲の罪を犯して死んだ」
江口はそういった。
「僕は、自転車で無茶な運転して、事故死しました」
優也はそういった。
「旦那。お前はまだ気づかないのか?」
「え……?」
「お前とリョコウバトはまだ、生きてるかもしれない」
江口はそういった。
「お前たちは、自分がどうして死んだのかすら覚えていない。ならば可能性としては十分だ」
江口は、本気でそう言っていた。
確かに、飛行機がなんらかの事故で、窓ガラスが割れたことまでは覚えている。
死んだ時の記憶は、はっきりと存在していない。
「ねえ、旦那さん」
優也くんは旦那に語りかける。
「僕は、あなた達に感謝しています。両親は僕を立派にするために、たくさん勉強を叩き込まれました。そして、その努力が実る前に死にました。――でもですよ」
「……」
「僕は地獄に落ちたたくさんの人々を、アスモデウスから守ったんです!」
「……守った?」
アスモデウスと言っていることが違う、と旦那は思った。
「アスモデウスは旦那さん達に嘘をつきました。本当は僕以外のみんなは食べられていません」
優也ははっきりと真実を述べた。
「アスモデウスは僕たちを狙って辺境までやってきました。そのとき、囮役として僕がアスモデウスを散々引き回しました。その結果、僕だけは食べられましたが、他のみんなは無事に天使さんたちに保護されたんですよ!」
優也くんは、笑顔でそういった。
旦那はそのことを聞いて、泣きそうになった。
「僕の人生は無駄ではありませんでした。きっと僕の両親も、よく頑張ったって褒めてくれるかもしれません! 旦那さんたちが僕のことを信頼して任せてくれたからです!」
優也くんの笑顔は、悔いのない晴れやかなものだった。
「お前の大切なリョコウバトを守るために立ち向かわなくちゃ行けないんだろ。……俺は、俺が生きている間に自分の命、いや欲望よりも大切なものなんて見つけることが出来なかった。だからそれを見つけた旦那に、俺は託したい」
江口は言った。
「僕みたいに、くだらないことで命は投げ出してほしくない。旦那さんが大切にしたい誰かのために戦うのであれば、僕があなたの背中を押します。――僕たちはここで、あなたに勝機を作ってみます」
優也は言った。
その言葉を聞いた旦那は、戦う決意を固めた。
確かにアスモデウスは恐ろしい。
戦えば絶対に死ぬに違いない。
それでも、旦那は立ち向かわなくてはならない。
――大切なもののために。
「本当にありがとう。江口さん、優也くん」
そして旦那は、二人と最後のお別れをした――!
***
旦那の目の前には、アスモデウス。
視線で相手を殺しかねないほど、こちらを鋭く睨みつけていた。
それにすら負けじと、旦那はアスモデウスに言葉をぶつけた。
「……家族のためなら、たったの一度や二度くらい――」
「死んで」
「死んだって構わない!!!!」
すべての恐怖を振り払った旦那は、左手に全力の力を込めて放つ。
しかし、どれだけ本気を出したところで、アスモデウスの前では、とてつもなく遅い攻撃だ。
アスモデウスは避けるまでもなく、旦那よりも圧倒的に早く、旦那の胸ぐらをえぐろうと手を伸ばした。
がしかし――
「――え?」
寸前で、自分の腕が動かなくなる。
そして、そのまま旦那の拳を避けられず、頬にめり込んだ。
「ッッッッッッ!」
アスモデウスはよろけた。
(これはどういうこと?? なんで体が動せな――)
旦那は更に拳を振りおろし、アスモデウスを殴る。
2撃目、3撃目、4撃目
次々と、拳がアスモデウスの体にねじ込まれる。
「馬鹿な――こんな人間風情に――」
旦那の拳に、血が滴る。
それはアスモデウスの血ではなく、旦那が殴ったときに、拳の皮が擦れ、吹き出た血だ。
拳が痛み、骨が悲鳴を上げる。
息は絶えそうで、死ぬほど苦しい。
けれども、攻撃をやめない。
なぜならば――
「痛いことよりも!! 死ぬことよりも!! 大切なものがある!! リョコウバトさんと二人で!! ハト丸とハト音が待っている世界に帰るんだ!!!」
旦那の魂が込められた攻撃を、アスモデウスは何度も何度も喰らい続けた。
体にダメージこそ無いものの、屈辱という名の痛みが、アスモデウスを苦しめた。
大悪魔であるアスモデウスにとって、この状況そのものが信じられないほどだった。
屈辱に耐えながら、なんとか冷静に頭を働かせ、自分の体が動かせない理由を探る。
(……ああ、やっと体が動かせない理由が分かった。自分の中に、咀嚼しきれずに残された魂があるんだ)
旦那から何度も殴られながらも、アスモデウスは自分の中にある不要な魂を探す。
(見つけた)
そしてアスモデウスは、自分の邪魔をし続けた魂を、溶かし、消滅させた。
アスモデウスは、自由になった片手で、旦那の両腕を掴んだ。
「ふう、ようやく動いたよ」
「くそ……!」
旦那は、腕の代わりに、何度もアスモデウスを蹴りつけた。
しかし、人間を超える力を出せるアスモデウスにはびくともしなかった。
「もういいよー。くだらなーい。つまんなーい」
アスモデウスのもう片方の手に、禍々しい力が込められる。
旦那はこれを見て、自分は絶対に死ぬと理解した。
「それじゃあ消えてー。旦那さん」
アスモデウスはその手を、旦那に胸に刺し貫こうとした――。
――ここまでか
旦那は、覚悟していた死を受け入れた。
「ここまでだ。アスモデウス」
アスモデウスの手は、旦那に触れる寸前で止められた。
そして、アスモデウスを止めた相手を見た瞬間、旦那は安堵した。
「アンドロマリウスさん!!」
その正体は、悪魔の側として、天使と戦う道を選んだアンドロマリウスだった。
「よくもってくれた。リョコウバトの旦那よ」
アンドロマリウスは、旦那にそういった。
そして、アスモデウスはアンドロマリウスを、睨みつけた。
「ねえ、アンドロマリウスー。これはどういうことかなー?」
その穏やかな声に反して、怒りをにじませていた。
「君と旦那とはどんな仲なのかよく知らないけどさ―。悪魔が人間を助けていいってことは無いよねー」
悪魔は人を助けられない。
それが絶対の摂理だ。
しかし、アンドロマリウスははっきりと答えた。
「私は人を助けるために君を止めたのではない」
「は?」
「君を助けるために、君を止めたのだ」
「……なにそれ? どういう意味?」
アスモデウスは、アンドロマリウスをにらみつける。
「もし、アスモデウス、君がここにいるリョコウバトと旦那を殺した時、颯真も、アスタロトも、そして私もお前を許さない。そうなると君は終わりだ。……だから止めた」
アスモデウスは、全身に力を込める。
明らかに、目の前のアンドロマリウスを殺す気だった。
「なにそれ、私じゃ君たちに勝てないって意味かな―?」
「だったら、今この状況をよく見てみろ」
そう言われて初めてアスモデウスは周りの状況に気づく。
天使と悪魔の戦いは、ついにここ、第七圏にも及んでいた。
そして、アスモデウス、旦那、アンドロマリウスの周りに、大天使が降臨した。
大天使ハニエル、大天使ラミエル、大天使サンダルフォン。
その全てが、人間である旦那を守ろうと、アスモデウスを睨みつけた。
「お前は旦那達相手に負けたんだ。そして、そもそも旦那達を狙った時点でお前の負けは決定的だったんだ。色欲の――いいや、残酷のアスモデウスよ!!」
残酷のアスモデウス。
アンドロマリウスは、その正体を見抜いていた。
「……」
アスモデウスはしばらく黙り込むと、体から力を抜いた。
「えー、残酷のアスモデウス? だれそれ〜。 私はただの色欲のアスモデウスだよー」
そう言って、アスモデウスは飄々とした態度を取り始めた。
「まあ、それじゃあ、なんか疲れたしー。とりあえずどっかへ行くねー。それじゃあ旦那さん、さよならー。もう君たちには関わらないように努力するね―」
そう言い残して、旦那の元を去っていった。
旦那は膝から崩れ落ちた。
そして息を荒げたまま、少しだけ休む。
「りょ……リョコウバトさんは……?」
アンドロマリウスは旦那に言った。
「ただ眠ってるだけのようだ。もうそろそろ起きるのではないか」
すると、アンドロマリウスの言う通り、リョコウバトが目を覚ます。
「う、うーん。……アスモデウス!!」
がばっと素早く起き上がったリョコウバトは周囲を見回した。
「あなた! それにアンドロマリウスさん!」
「リョコウバトさん! ……よかった」
旦那もリョコウバトも安堵する中、一匹の天使が近づいた。
「どうやらお二人ともご無事のようですね」
「レイイエルさん!」
「本当に私が未熟なばかりに、ご迷惑をおかけしました」
レイイエルが申し訳無さそうに、言った。
「いいえ、レイイエルさんのおかげで、江口さんと優也くんにお話できたのですから」
旦那はそういった。
「え、お二人とお話したのですか!」
リョコウバトは驚いた。
「ああ、実はな――」
旦那は、これまであった大変なこと、二人のメッセージをリョコウバトに語るのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます