残酷のアスモデウス 1

〜第三圏〜


 リョコウバトは由木を倒したあと、残された人々に、辺境への道を教えた。


「そこに向かえば、ひとまずは安心だと思いますわ」


 その言葉を聞き、人々は辺境へ向かうことを決断した。


「由木を倒し、私達を助けてくれて本当にありがとうございます。それでは、お二人のご武運をお祈りします」


 優子さんは夫婦にお礼を言ったあと、他のみんなと共に、建物から出ていった。


 残された夫婦はゆっくりと談笑しながら待つ。


 颯真、アンドロマリウス、アスタロトと合流するのは、数十分ほどあとだった。


***


「あの、食べなくて良いんですか?」


 旦那が率直な質問を颯真、アスタロト、アンドロマリウスに投げかける。


 旦那とリョコウバトの手元には颯真が(文字通り、魔法のように)作ったコロッケが握られている。


 颯真、アスタロト、アンドロマリウス、リョコウバト、旦那の五人は第四圏に入る手前、階段を降りる途中で休憩していた。


「私達悪魔はこういう食事はしないな」


 アンドロマリウスはそう答えた


「者によるが、代わりに何かを生命のエネルギー源にするのだ。」


「ん? 生命エネルギー?」


「私達ソロモン72柱は、一部例外を覗いて闇をエネルギー源としている。」


「闇……?」


 旦那にとってはアニメや漫画では聞き慣れた言葉だったが、どう解釈していいのかははっきりとわからない。


 心の闇ってことか?


「そうだ。だから私達悪魔は食事を一切必要としない。」


「じゃあその例外とは?」


 旦那は更に尋ねる。


「例えば大罪者だな」


「大罪者?」


 旦那はアスモデウスやベルゼバブの姿を思い出す。


「大罪者は罪人の魂をエネルギー源としている」


 罪人。


 例えば、江口。色欲の罪を犯したであろう男。


 恋人や、たくさんの女性の思いを踏みにじった上に殺された過去を持つが、地獄に落ちた子どもたちを率先して助け、リョコウバト夫婦をも助けた。


 しかし、罪人ですら無いであろう魂すら地獄に落ち、悪魔に取り込まれてしまうというのが現状だ。


 例えば、優也。家族の期待に応えるため、必死に生きた少年だ。


 辺境にとどまり、地獄に落ちた人たちを保護している。


 旦那とリョコウバトの脳裏には、これまで地獄の中で会った人たちの顔と名前を思い出していた。


「どうした?」


 アンドロマリウスは夫婦の顔色を見て、そう聞いた。


「いえ……なんでもありませんわ」


「……大丈夫です」


 そろそろ行けそうか? とアンドロマリウスに聞かれ、大丈夫と返すリョコウバト夫妻。


「よし……次の圏に行こう」


 颯真はそう言って立ち上がる。


 五人は第四圏へと向かった。


***


 その後、いろいろなことが起こった。


 第四圏では悪魔マモンとの遭遇し、第五圏では囚われていた天使ラミエルの救出した。


 そして、今、第五圏にいるのは、救出されたラミエル、颯真、アスタロト、アンドロマリウス、そしてリョコウバト夫妻。


「天使が降ってきた!?」


 颯真がそう叫ぶ。


 天井が崩れ落ち、そこから現れたのは天使――ラファエル、ハニエル、サンダルフォン、ゼルエル


 そしてそれに対抗していた悪魔――アンドラス、メフィストだった。


***


 リョコウバトと旦那は走っていた。


 突如やってきた天使と悪魔から逃げるためでもあったが、他に理由があった。


「アスタロトさん!」


 二人はアスタロトを追いかけていた。


 そして、追いかけた先に、夫妻とアスタロトは第六圏へと足を踏み入れていた。


「アスタロトさん……どうして、アンドロマリウスさんは私達と別れたのですか?」


 颯真は第五圏に残った。


 そしてアンドロマリウスは悪魔であるメフィストたちと会話を交わしたあと、奴らについていき、天使と戦っていた。


「アスタロトさんはアンドロマリウスさんを見捨てたのですか?」


 旦那はアスタロトにそう尋ねる。


「私はソロモンの悪魔……人を救う事は許されていない」


 すると、アスタロトは自分の無力さを呪うが如く答えた。


「それが悪魔達に告げられた絶対的な枷、取り除けない永遠の束縛、享受することの出来ない自由……そう、私達悪魔は――因果関係を断ち切れない」


 つまり、アンドロマリウスは自分の意志に関係なく、メフィストに付き従わざるを得なかった、ということ。


 悪魔は人を救うことが出来ない、ということはアンドロマリウスもアスタロトも、自分の意志でリョコウバト夫婦を救うことは無い、ということでもあった。


(じゃあ、颯真さんが私達を助けようとしているから、この二人はそれを手伝っていただけなのか?――いや少し違うような気がする……やっぱりこの二人も私達を助けたいと思っている……?)


 正直、旦那には答えが出せないでいた。


 その時、別の方向から声が聞こえた。


「縛られている様ですね……?」


 誰だと思い、全員が振り返る。


 そこにいたのは天使だった。


「私の名前はレイイエル……解放を司る天使です」


 彼女が歩いて来る。


 頭には金の冠を付けて不思議なオーラが彼女にはあった。


 一番の特徴は、左目が白く、天使の紋章が描かれていた。


「何なのだ……」


 アスタロトはそういった。


「私は貴方の鏡」


「鏡?」


「カバラ様によって定められた、72人の天使……運命に縛り付けられた悪魔を救済する為に、私達は居ます」


 意味深な言葉を投げる。


 ちなみに意味はリョコウバトと旦那には全くわからなかった。 


「貴方を苦しみから救う為、貴方に寄り添い、手を差し伸べるのです」


「私が苦しんでいる……?」


「えぇ」


 アスタロトの問いに、レイイエルは断言した。


「貴方はもう、苦しまなくて良いのです」


 アスタロトは数秒考え、こう言った。


「まだ私には、やる事があるのだ天使よ。その救いの手は他の者に差し伸べて貰いたい。例えるなら、あの二人に、だ」


 リョコウバトと旦那を指さした。


「え……?」


 突然自分達のことを言われてぽかんとする旦那。


「お前が私の鏡と言うのなら、私の代わりにお前が救うのだ。そうだろう? 何故ならお前は天使だからだ。それで理由は十分だろう?」


 そうレイイエルに呼びかけるアスタロト。


「そうですか、分かりました……だから貴方は苦しんでいると言うのに、何時まで歩き続けるつもりですか?」


「私はソロモンの悪魔だ。その悪魔である以上、そう生きるしか無い」


 誰だって、自分を辞めることは出来ない。


 悪魔である以上、アスタロトには、何も出来なかった。


「そうですか、貴方の近くに救済者たる人物が居ると言うのに」


「何?」


 アスタロトの近くに、アスタロトを救ってくれる人物――


「あの少年ですよ? 全くその出会いは偶然か、必然か……」


 少年とは――颯真のことのようだ。


「偶然か必然か……」


 アスタロトはレイイエルの言葉を聞いて、こう答えた。


「少年と戦うのか……だがそれもありと言えよう」


「「え……?!」」


 全くの脈絡もなく、アスタロトが颯真との戦いを決意し、動揺するリョコウバト夫妻だった。


***


「本当に颯真と戦うんですか?」


 リョコウバトはアスタロトに尋ねた。


「……そうだ」


 旦那はアスタロトに尋ねた。


「……何で戦うんですか?」


「私には使命、宿命と言った方が正しいのだが、クリフォトの一人だ」


「クリフォト?」


「生命の樹が善ならクリフォトは悪を司っている。私はその中の一人、【無関心】」


「アスタロトは悪い人だったということでしょうか?」


「騙していたつもりは無い……だがこれだけは信じて欲しい。私達悪魔は、長年苦しみながら世界を切り開いてきたと。それだけは真実だ」


 アスタロトの言葉には嘘は無いのだろう。


 そして、よく分からないものの、颯真と戦う宿命にあるようだ。


「ここは戦場になる。天使レイイエルと共に、第七圏へと降りろ」


 リョコウバトと旦那は、多少の説得を試みたものの、考えを改めなかったので、仕方なく天使とともに降りることにした。


***


 第七圏へと降りたリョコウバト夫婦、レイイエル。


「ここなら安全か……?」


「いいえ、そんなことはありません」


 レイイエルはそう旦那に言った。


「もうすぐ、またここも戦場になります」


「どういうことですか?」


「理由は簡単です。天使は下層を目指しています。それを食い止めるべく、悪魔が立ちふさがっていますが、ここへなだれ込んでくるのも時間の問題です」


「そんな……」


 全くなんで、そんな大戦争を今起きてしまっているのか全くわからないが、そんなのに巻き込まれるのは御免被りたいとリョコウバト夫妻は思った。


「……おや、他にも人がいますね」


「本当ですか!?」


 リョコウバト夫妻はレイイエルが見ている方向へ顔を向ける。


 人影は見えないが、たくさんの悪魔が群がっている様子ははっきりと見える。


「あなた達はそこで待っていなさい。私が助けに行きます」


 そう言って、レイイエルは一瞬の速さで飛び去っていった。


「もし、生きてる人がいるなら無事でいてくれ」


 旦那はそう祈るしか無かった。


***


「……何だあれは……ぎゃ!」


 名もなき悪魔たちは、レイイエルの光によって次々と薙ぎ払われる。


 悪魔はなすすべなく、逃げられず、ただ消えゆくのみだった。


 そして、地面にうずくまる一人の男の前に、レイイエルは立った。


「人の子よ。怪我はありませんか?」


「あ……ああ! 助けてくれてありがとうございます!」


 男は顔を上げ、レイイエルに感謝した。


 レイイエルはその無事な姿をみて安堵した。


「あなたは天使ですか?」


「ええ、我が名はレイイエル。安心しなさい人の子よ。人をま――」


「人を守るのは神より与えられた使命――ですか?」


「……ええ、そのとおり。あなたに神の祝福を授けに――」


「ご立派」


 男の腕が、レイイエルの胸を貫いた。


「え……?」


「安心してねー、すぐには殺さないからさ。……ただ、私の言うことをきいてもらうだけー」


 男はレイイエルの心を書き換えた。


 そして、レイイエルの意識はここで途絶えた。


***


「レイイエルさん!」


 リョコウバトは戻ってきたレイイエルに声を掛けた。


 レイイエルの横には、人間の男がいた。


「人間だ! おーい、大丈夫か!」


 旦那は走り、その男に近づく。


「え? あなたは?」


 旦那が知っている男だった。


 それはリョコウバト夫妻が地獄で、一番最初に会った人間――色欲の罪に溺れた男――江口だ。


「無事だったのか!!」


「ああ、どうやらお互い様のようだ」


 旦那は驚くべき再会に、心から喜んだ。


「そういえば怪我はもう大丈夫なのか?!」


 あのとき、江口は怪我しており、あの場所から動くことができなかった。


「ああ、なんだかんだ、動けるぐらいには治った」


 そして、江口はさりげなさそうに、旦那に手を伸ばした。


 そして、触れられそうになった瞬間――


「手羽先トルネード!」


 リョコウバトは、竜巻を江口に飛ばした。


 江口は直前で後ろに飛んで避けた。


「え……? リョコウバトさん、これはどういう……」


「あれは、江口さんではなさそうですわ」


 旦那は、江口を見る。


 見た目は江口に見えるが、たしかに何か違和感がある。


 彼は第二圏にいたのに、何故か今第七圏にいる。


 負ってた怪我もない。


 そして、これまでのやり取りを見ていたはずのレイイエルも、ただ横に浮かんでいるだけで、何一つ反応せず、その場にいるだけだった。


「ちぇ、やっぱり知り合い以外の人に化けたほうがよかったかー」


 江口は突然、女の声で話しだした。


「でもまあ、いいや。最後に食べられればそれでー」


 江口に似た何者かが――正体を表した。


 リョコウバト夫妻はその姿を見たことがある。


「……アスモ……デウス」


「あったりー。また会ったね〜リョコウバトさん、旦那さん」


 色欲のアスモデウス――気の抜けた声に反して、彼女がこちらを見る目だけはギラついていた。

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