地獄巡り 貪食の罪 3

●地獄巡り 貪食の罪 3



「あの一撃で僕を撃たなかったこと、後悔させてやる! あのリョコウバトを、やれぇ!!」


 号令がくだされる。

 この男、由木の手足にさせられた男女がリョコウバトに勢いよく跳躍し飛びつく。

 人間の肉体の負荷を考えない、無茶な特攻。

 まさに人間ミサイルだった。


「それがどうしましたか?」


 リョコウバトは、自らその哀れな人々の群れから飛びこんだ。


「手羽先――」


 リョコウバトはその頭に生えた羽を大きく広げ、回転させた。


「トルネード!」


 疾風が巻き起こる。

 その吹き荒れる風に、人々がきりもみ回転しながら上空へと飛ばされた。

 そして、徐々に上昇がとまり、天井の手前で静止した後、自由落下した。


「ぎゃああああ」「うわーーー」


 皆が叫ぶ。

 リョコウバトは即座に移動して、人々より早く地面へと降りる。


「手羽先クッション」


 羽を大きく広げ、人々すべてを受け止めた。


「さあ、みんな大丈夫ですか?」


 リョコウバトは人々を地面におろし、そう尋ねた。

 無論、人々はみな目を回しながら嘔吐して、返事どころではなかった。


「大丈夫そうですわね」


 そう結論づけたリョコウバトは、由木に睨む。


「くそぅ。彼らに取り込ませた僕の一部を吐き出させ、支配から開放したのか。やるねぇ」


 由木はリョコウバトに感心する。


「後は由木さん、あなただけですわ」

「……そうだね。どうやら僕が出るしかないようだね。さあ! 真の力を見せてやる!!」


 由木の周囲から禍々しいオーラが放たれた。

 由木の体が大きく膨張する。


「ぬおおおおぉ!」


 新たに腕が生え、4本に。

 4メートル以上の巨体。

 そして、肥大化したお腹。

 その姿かたちは、人間からかけ離れた怪物に成り果てていた。


「まあ! 巨大化のせいで服が全部ちぎれ飛んでますわ! 恥ずかしいですわ!!」

「だいぶ屈辱的な反応をありがとう! けど謝ってもダメだ! ミンチにしてやる! リョコウバトぉ!」


 変貌した由木は、大きくその一歩を踏み込む。

 二人の間合いが一瞬で縮まる。


――右のストレート!


 リョコウバトはその一撃を避けた。

 あまりにも早く、重い一撃。

 その一撃は、戦車砲――120mm砲を超えるパワーだった。


「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ!!!」


 その同等のパワーを持つストレートパンチを4本の腕から連続で放つ。

 拳が風を切る音ですら、耳を塞ぎたくなる爆音。

 まともに喰らえば巨大な岩ですら粉々になり、かすっただけでも死ぬ威力。

 まさに、人の身ではあり得ざる攻撃としか言えなかった。






 そしてその攻撃の嵐を、リョコウバトは避け続けていた。


――なに?!


 速度もパワーも、全てがリョコウバトをはるかに上回っていた。

 それなのに、リョコウバトはその攻撃全てにまるで当たることはなかった。


 翼を優雅にはためかせ

 拳と風圧を受け流して


 これだけの攻撃の中ですら、こちらの懐に飛び込もうと徐々に距離が近づき始めていた。


――だったら


 由木は即座に右足を振り上げた。

 その足はリョコウバトの股下に入る。

 いわゆる金的蹴りだった。

 前方の突きに対して、下からの奇襲。

 回避は困難かに思われた。しかし――


 リョコウバトは自身の真下に掌底を打ちこんだ。


 ぱん


 小さな破裂音。

 蹴りと掌底がぶつかり合う。

 そして、リョコウバトはその衝撃を利用して、上空へジャンプした。


「――な」


 由木の目には、リョコウバトが突然消えたかのように見えた。

 その一瞬の思考の停止。

 リョコウバトの踵が由木の頭に振り落とされた。


「ぬう!!」


 由木の頭が、衝撃で揺れた。

 強烈な一撃だった。


――まずい


 由木は反射的に2撃目を恐れ、前に出た。

 リョコウバトと距離を取り、構え直す。

 そして、リョコウバトが息一つ切らしてないのを目の当たりにする。

 あれだけの猛攻に対して、息一つ切らさず避け、カウンターが入れられるのか、まるで理解できない。


「なぜ……当たらない?」

「そんなもの、反射神経でよけれますわ」


 実際、リョコウバトは避けようとして避けてはいなかった。

 避ける意識より先んじて避ける動作をしていたからだ。

 五感が相手と周囲の状況を捉えた瞬間に、体が即座に反応する。

 もはや予知レベルの反射速度だった。


「……ふむ」


 由木はこのままでは勝てないと判断する。


「戦い方を変えよう。おい、悪魔」

「ひぃ……!」

「武器を出せ」

「へ……武器……?」

「何でもいいからあのリョコウバトを倒せる武器を出せってんだよ!」


 命令する由木。


「させません!」


 リョコウバトはスキを見逃さまいとするが、由木に阻まれた。

 人の頭ほどの大きさの石が投げられたからだ。

 それをリョコウバトは自身の体で当たりに行き、その軌道をずらした。


「ほう、よく見てたね。あのまま石を避けたら、後ろの誰かに当たってたからね」

「くっ……あなた達は早く逃げてください!」


 リョコウバトの後ろにいた人々は、その言葉をきっかけに動き始める。

「はやく立て!」「さっさと逃げるぞ!」、という言葉をお互いに掛け合い、それぞれが階段目指して駆け込んだ。


「武器……持ってきました……」

「ほう! これはなかなか……!」


 悪魔の持ってきた武器に、由木は関心を示した。

 その武器は、巨大なこん棒だった。

 その大きさは、巨大化した由木と同等。

 巨大な柱のようなこん棒を持ち上げる。


「原始時代から使われる武器。まさに暴力の象徴。僕の好みだね」


 由木はリョコウバトをにらみつける。


「全力で捻り潰してやる」

(あの構え……?)


 由木は4本の腕の内、2本の手でこん棒を握り、そして残った2本の手で石の床から岩の玉をえぐり取る。


「これは避けられまい」


 その岩の玉をこん棒で殴りつける。

 まるで野球のバッティングのように打たれた岩は、散弾銃のようにバラバラに砕け、その破片がリョコウバトに降り注ぐ。


「手羽先トルネード」


 リョコウバトは降り注ぐツブテから身を守るように、風を巻き起こした。

 その風邪のバリアによって、迫りくるツブテは勢いを失った。

 しかし――


「これで終わりだぁぁぁ!!」


 リョコウバトが身動きを取れなくなる瞬間を目掛けて、由木が突進した。

 こん棒を4本の腕で握りしめ、渾身の力が込められた。

 その力がもし生物に向けて放たれら、体のすべてが弾け飛び絶命するだろう一撃。

 その最強の一撃がリョコウバトに向けて打ち込まれる。


――これは避けられませんわ

――これほどの力を持つなんて、なんて恐ろしい男

――心の底からムカつきますが、正直、不思議と憎めないですわ

――もし、私が憎しみで誰かを傷つけていたならば、きっとこの男と同じ存在になっていたのでしょう

――だからこそ、私はこの勝負に挑んだのですわ。勝ってこの悲しみを終わらせるために。


 リョコウバトは全身をひねり、回し蹴りをこん棒に向けて放つ。

 由木のこん棒に比べれば、遥かに弱々しい威力のものだった。

 苦肉の一撃に、由木は勝機を得たものと確信し、ニヤリと笑った。

 そして――







「な……?!」


 由木は突然体勢を崩した。

 自分の右足が折れたからだ。


――なぜ??


 時間を遡る。

 由木の蹴りと、リョコウバトの掌底がぶつかった時、実は由木の足にヒビが入ってしまったのだ。

 そして、リョコウバトはその弱点に気づいていた。

 由木のこん棒に対して、あるタイミングで蹴りをぶつけた。

 あるタイミングとは、由木の全体重が載せられた攻撃を放ち、それが最大のスピードへと至る直前だった。その瞬間、蹴りによって力の方向が逸らされてしまった。

 逸らされた結果、由木の全体重を載せた力が直接右足へと負担がかかる。

 そして、右足はその負担に耐えられず、折れた。


 相手の身体の動きを完璧に捉え、最小限の力で相手の体勢を崩す。

 まさに神業<かみわざ>だった。


「手羽先――」


 リョコウバトは最大限の力を込める。


「や、やめ――」


「正拳突きー!!」


 衝撃が、由木の肥え太ったお腹をシェイクした。


「う……おえええええええ!!」


 そして、これまで喰らってきた悪魔をすべて吐き出す。


 吐き出された悪魔たちは、「逃げろー!」「脱出しろ!」「もうやだぁ!」と、いろんなことを言いながら逃げ出す。


「……ま……まて……」


 由木はすべてを吐き出した後、巨大化した体が人並へと戻っていく。

 そして、そのまま気絶したかのように背中から倒れ込んだ。



◆◆◆



 母ちゃんは、父ちゃんから殴られていた。

 僕がちっちゃかった頃からそうだった。

 仕事のストレスなのかは知らないけど、お酒を飲んでは母ちゃんを殴っていた。

 けれど不思議なことに、僕は殴られなかった。

 僕はいい子だと、父ちゃんはよくそう言って僕を撫でてくれた。

 母ちゃんも僕を撫でてくれて、可愛がってくれた。


 ある日、夢を見た。

 父ちゃんが僕を殴る夢だった。

 何度も何度も。

 夢の中の痛みは痛くて、苦しいものだった。

 けれど、飛び起きてみれば、痛くもなんともなくて、そして、現実にいる父ちゃんは僕のことを決して殴ったりしなかった。


 父ちゃんと母ちゃんは離婚した。

 僕は母ちゃんの方へついていった。

 そして、時々父ちゃんとも会うことが出来た。

 そして、会うたびに僕のことを撫でてくれた。


 両親は僕のことを心から愛してくれていると思った。


 そして、僕は大人になり、両親は病気や寿命で死んだ。

 僕は一人の社会人として働いた。

 沢山の失敗と、叱責に、心が折れかけたときに、僕はあの女性を殴った。

 その時、「ああ、そうか」と気づいた。

 父ちゃんはこうやって母ちゃんを殴るたびに、幸せになって満たされたんだって。


 でも、その時はそう思ったんだけど、もしかして間違っていたのだろうか?

 今まで積み上げてきたその価値観がくずれそうだ。

 苦しくて苦しくてたまらない。

 誰かを殴りたくてたまらない。

 それが出来ないなら、沢山のお菓子が食べたい。

 でも気持ち悪い。

 吐き出したい。

 こんなに求めてもなお、足とお腹が痛くて動けない。


 ああ、みんなこんな苦しい時どうしてたんだろう?

 僕はこういうときは、誰かを殴ることばかり考えてたけど。

 あれ? じゃああの女性を殴る前はどうしていたんだろ?


 ……思い出した。ずっと我慢してたんだ。

 ずっと、母ちゃんが殴られている間、僕はなんにも言わずに我慢した。


 それが僕の間違えだったのかな。

 僕は物心ついたときから、誰かに、辛いとも、苦しいとも、言ったことなんて一度もなかったんだ。



◆◆◆



「……おんぎゃあ! おんぎゃあ!」


 由木はわんわんと泣き始めた。

 まるで赤ちゃんのように。


「もう動けそうにもありませんわね」


 赤ちゃんは、不快な気持ちになると泣いて母親や父親を求める。

 由木は、物心ついたときから、誰かに辛いとも、苦しいとも、助けてほしいとも言わなかった。

 だから由木は、赤ちゃんの方法でしか誰かを求めることが出来なかった。


「私のお仕置きはこれまで。さよならですわ」


 リョコウバトは階段へと向かう。


「仕留めたのか?」


 リョコウバトの先にいたのは、由木に操り人形にされていた人々だった。


「なんだよ生きてるじゃないか! これだけのことをされて黙ってられるか! こいつは俺達の手でころ――」


「止めなさい!!」


 リョコウバトは一喝した。


「あなたのその行為はあの男がしたことと全く同じことですわ!! 憎しみで殺すことなんて、快楽目的と何ら変わりありませんわ!!」

「でも……」

「もう彼には、私がきついお仕置きをしました。あとは然るべき罰がくだされるだけ。私達はもう何もしなくていいのですわ」


 人々はみな黙った。

 不思議と、誰もがリョコウバトの言葉に従うのだった。



◆◆◆



 リョコウバトたちは階段を下る。

 そして、旦那のいる部屋についた。


「あなた! 帰って来ました……わ……」


 旦那は女性である優子をロープで縛り付けていた。

 ギュウギュウに、動けないように。

 そして、縛り付けた上で、旦那は上から押し倒していた。


「その……ち……違うんだこれは! 突然、優子さんが暴れだして、それで――」

「私に隠れてSMプレイ?! 浮気者! この浮気者! 手羽先ビンタ!」

「ぐはぁ!」


 周りの人々はそんな夫婦喧嘩を見て、緊張の糸がほぐれたかのように顔が緩む。

 周りの人々の中のひとりがリョコウバトに「その女性も俺たちと同じように操られているんじゃ」と言った。


「まあ! そうでしたの……びっくりしましたわ!」

「うう……ひどいよリョコウバトさん」

「よしよし」


 誤解が解けた後、リョコウバトは旦那にスリスリと甘えるのでした。



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