地獄巡り 貪食の罪 2

●地獄巡り 貪食の罪 2



◆◆◆


 この男、藤 由木は人当たりがよく、賢いと評判のいい人物だった。

 仕事も程よくこなし、ムードメーカー気質で、特に年下から愛される人柄が長所だ。

 敷いて欠点をあげるならば、ここ数年の間にとても太りだしたり、痩せたりしていた。

 彼が不健康な生活習慣を送っていることを誰もが知っている。

 その理由は、彼の恋人に不幸があったショックによるものだと誰もが察していた。

 しかし、彼も塞ぎ込むだけの人間ではない。

 ようやく新たに異性として付き合える女性が出来たのだ。


「藤さん……いいのですか、私と……」

「ええ、あなたがいいのです。恋人を亡くしてから私は食べすぎでこんな体型になってしまったが、あなたと一緒なら悲しみを乗り越えられそうだ」

「うれしい……」


 しかし、それらは彼の表の仮面でしかなかった。

 もし、彼のその所業を知れば、誰もが怒り、憎悪を覚えることだろう。


「僕がいいところを知ってるからそこに行こう」

「はい……うれしい……」


 その恋人を殺したのは彼自身。

 自身が抱えたストレスのはけ口として、恋人への暴力を毎日行っていたからだ。

 彼はその恋人が死んだ時、その自身の暴力したいという欲求を必死に抑えるべく、過食に走った。

 そして、新たな暴力のはけ口を見つけた時、彼はまた徐々に体型を戻すことが出来た。

 もし、その行為が明るみに出そうになると、その悪知恵を駆使して、何度も捜査の手を退けた。

 住所を変え、職場を変え、しかし、どこにいてもその悪行を何度も何度も繰り返し続けた。


 警察に射殺されるその瞬間まで――



◆◆◆



「なぜ、そんなことをしてるのですか?」

「なぜ? 愚問ですね。いいでしょう。その愚問に答えましょう」


 由木はリョコウバトに語る。


「心は宝の地図……僕はそう思っている。心という広大な世界の中には、限りなく価値のある金銀財宝の山がひっそり隠れているものさ。例えば、その宝物は初めて食べた食べ物の中に見つかるかもしれない、スポーツに情熱を燃やした時に見つかるかもしれない、もしかしたら初めてのマスターベーションやSEXで見つかるかもしれない。人は自分のことをよく知っているようで、実は自身の心という世界を何も知らないに等しい。どんな生き方をしたとしても、自分の本当の宝物と呼べるような経験や喜びを見つけられないままその人生を終えるのなんて珍しくもない」


 そう簡単にその宝物は見つからないのが普通、といった物言いだった。


「だが、僕は見つけたんだ。本当の宝物をね」


 キラキラとした純粋な瞳だった。

 それはまるで、プレゼントをもらった子供のようだった。


「――それは暴力。暴力だ。

 それに出会う以前、僕は苦しんでいた。悲しみ、憎しみ、怒り――それらをひとくくりに言い換えるなら……【渇望】。僕はずっと渇望し続けていた。

 初めての相手は、周囲を明るくしてくれるようなフレンドリーな女性だった。そんな彼女を、僕は、彼女が死ぬまでの何週間、休まず痛めつづけた。なぜかって? 僕がどれだけ苦しんでるのかもしらず、幸せそうに生きている彼女に対し、激情を覚えたからだ。そしてその時僕は初めて誰かに暴力を振るったんだ。無意識的で……反射的に……だ。彼女の顔を殴りつけ、倒れた所に何度も何度も踏みつけていると、なんだか僕の中にずっと渦巻き続けていた渇望が、すうっと消えて、満たされた心地になるんだ……この日感じた心の自由さを今でも思い出せる」


 その日を思い出し、うっとりしていた由木だった。


「社会は僕の存在は認めなかったし、殺されて仕方ないとも思うよ。だって犯罪だからね。でも地獄<ここ>は違う。ここは何をやっても自由だ。悪魔も人も、僕は好きなだけ誰かを力で虐げ、跪かせることができる。あえて言うなら天国だ。ぼくにとってのね」


 それが今のこの惨状の理由――

 この男のとってのパラダイスがここだったからだと。


「じゃあ、とっとと終わりにしよう。言っとくけど、ただの動物や人間ごときが僕にかなうとは思わないで。僕の体には、このあたりにはびこっていた雑魚悪魔を666体ほど取り込んでいるんだ。力ではもう、誰にも負ける気がしない。そしてもう一つ理由がある。

――立ち上がれ僕のおもちゃ達!」


 由木が命令を下す。

 すると、そのフロアの中で倒れ込んでいた傷だらけの人たちが起き上がる。

 ただし、目には正気は宿っておらず、苦痛に歪んだ表情のまま体だけが動いていた。


「彼らには僕の一部を取り込ませた。彼らはもうただの人間じゃないし、僕は彼らを好きなだけ言いなりにできる」


 お人好しのリョコウバトには彼らを傷つけられまい。

 そのまま彼らに、たっぷりと痛めつけさせてから、殺してやろう。

 由木はそう考える。


「さあ! あのリョコウバトを殺――」

「バト――」

「!!」


 由木はその命令を最後まで口には出せなかった。

 なぜなら、絶対的な死を直感したからだ。

 リョコウバトの口元から強大なエネルギーが収束する。

 それを見た瞬間、全身が敗北を察した。

 完全な不意打ち。

 回避不能。

 予測不可能。

 ただし、死の未来だけがわかる絶望。


「ビーーーーーム!!!」


 閃光がリョコウバトの口から放たれた。

 その閃光が通り過ぎた後には何も残らないことだけは確かだった。



◆◆◆



 その時、旦那と優子はフロアから動いていなかった。

 うずくまる優子に旦那は寄り添い続けた。


「あの由木という男は……」


 優子が口を開く。

 その口から、由木がここに来て行った悪行について述べられた。


「……」


 旦那は相槌をはさみながら静かに聞いた。

 そして、由木という男の残忍なまでの性質と人間ではかなわないほどの強力な力を持つことも知った。


「ああ……なんてことを……あなたの奥様一人では、あの男からみんなを助けることが出来ないのを知ってたのに……助けを求めてしまった……」

「いいんだ」

「でもぉ……!」

「……」


 旦那は静かに首を横に振る。


「君は怖くて口を開くことすら恐ろしかったはずなのに、僕たちに助けを求めた。素晴らしい勇気じゃないか。それに――」


 子供を安心させるかのような口調でもあり、確固たる自信を含んだ口調でも合った。


「リョコウバトさんはそんな奴に絶対に負けない」


 優子はなぜ、と言いたげな表情だった。


「リョコウバトさんはその昔――。

 人間に、リョコウバトの仲間たちを殺されたんだ。残されたのは父親だけだった」


 その事実に、優子は驚きを隠せなかった。


「でも彼女たちは最後まで生き延びた。なぜなら彼女は突然謎の力を得たんだ。突然変異かもしれないし、神様がくれたのかもしれない、【ビームを撃つ】という力に」

「……そのビーム? を撃てるから大丈夫……てこと?」


 旦那は首を振った。

 「確かにそれもあるけど……」と付け加えた上で旦那は語る。


「ほんとにリョコウバトさんがすごいのはね、その力の使い道なんだ。人間に憎悪を燃やして、そのビームで誰を彼をも焼き払いたかったはず……でも彼女はその力を、怒りと憎しみで人に向けなかった。生きるためかお仕置きのためには使ったけどね。そして、彼女は今日までずっと誰も殺さなかったんだ。それどころか、人である私と結婚して、子供まで授かった。リョコウバトさんはその手に幸せを掴むことが出来た……」


 旦那には由木とリョコウバトの格の違いがわかっていた。


「リョコウバトさんは、リョコウバトの信念のために怒りと憎しみを誰かに向けることを止めたんだ。それに対して、由木は、自分のために自身の悪感情を誰かに向け続けて、暴力を振るった。……どっちがすごいか、もうわかるんじゃないかな?」


 優子はこくりとうなずく。


「だからね。もっとはっきり言うよ。

――リョコウバトさんはそんな奴に、負ける理由すらない。ってね」



◆◆◆



 由木の手から、悪魔の首が滑り落ちた。


「がはっ! ごほっ!」


 悪魔は咳き込む。生きてるようだった。

 由木は自分の手を見る。

 動いている。

 どこも怪我していない。

 リョコウバトが放った閃光は、自分の真横をかすめただけだった。

 ただし、自分をかすめた先には、建物の壁である巨大な岩盤があり、そして、そこに巨大な穴が空いていた。


「なぜ……生きてる……?」

「なぜ? 愚問ですわ。いいでしょう、その愚問に答えて差し上げますわ」


 リョコウバトの表情は晴れやかだった。


「あなたの息の根を止めて差し上げたいほど、とっっってもムカついたからですわ!」

「……は?」

「ですが、いまのでスッキリしましたわ!!」


 リョコウバトはいつもどおりの余裕さ、優雅さを見せる。

 そして、その大きな鳩胸を張って宣言する。


「さあ、かかっていらっしゃいませ! あなたのような悪い子にはちょっときついお仕置きが必要ですわ!」


 構えを取ったリョコウバトは、爛々と輝きを放つ。

 正義でも悪でもない、生命そのものが持つ純粋な輝きだった。


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