地獄巡り 貪食の罪 1

●地獄巡り 貪食の罪 1



「なんだいここは?」


 ブクブクと太った男が発した言葉だった。

 あたりは薄暗い。

 ゴツゴツとした砂と岩の地面に、時間を経て乾き、変色した血溜まりがいくつもいくつもあった。

 そして、この場所に立ってるのは自分だけでないことに気づく。

 数人の男女がいた。

 みんな何が起きたのか把握できず、周囲をキョロキョロしていた。

 そのうちの一人の女性と目が合った。


「さ……さあ、ど……どこなんでしょうね」


 知らない私を見て緊張してるのか、こちらを見て縮こまりながら話していた。

 そんな彼女に私はニコリと微笑んだ。


「はてさて、困りましたねぇ。急にこんなところに来てしまうなんて驚いて腰が抜けそうですよ」

「はは、そうっ、ですよね!」


 この女性は言葉がタドタドしかったものの、僕に対して安堵を感じているようだった。

 僕のこの丸い体型と朗らかな言葉遣いは、弱気な人にとって話しやすいらしい。

 僕自身は太ってることを気にしてはいるものの、こういった面で役に立つのはとても有益に感じる。


 どすん。どすん。


 突然大きな足音が鳴り響いた。


「おいこらぁ! 人間どもぉ!! 暴食を貪った哀れなクズどもぉ!!」


 その声の方向を見ると、真っ黒い人と、3つ首の獣が近づいてきた。


「ひぃ!! 何だ! この化け物!!」


 この場にいた人々(自分を除いて)は皆、目の前の対象に震え上がった。

 真っ黒い方の人影はともかく、横にいた大型の獣はあまりにも常識はずれの【恐怖】を身にまとっていた。


「わあい! 餌だ! 餌だ!」


 その恐ろしき姿形に反して、あまりにも無邪気な声だった。

 そして、随分と偉そうな態度をとっていた真っ黒い人は自分たちを見定めた。


「うーん、とはいえざっと見た感じじゃ肥えてるのはたったの一人ぐらいで後は痩せてんなあ……。まあいいか……最近の中ではまだましか。さあ、ケルベロス様! あいつら罪人を食べてください!」


 そして真っ黒い人はケルベロスにへこへこ頭を下げた。

 どうやら真っ黒い人より、横のケルベロスのほうが格が上のようだ。


「わあい! いただきま~す!」


 ケルベロスと呼ばれた獣は走り出した。


「え、こっちに向かって……きゃあ!」


 どうやら位置的に目の前にいた自分とこの女性をターゲットにしたようだった。

 僕は彼女を抱きかかえた後、横に飛んだ。


「大丈夫かい?」

「ぁ……はい……」


 なんとか獣の大顎から身をかわすことが出来た。

 自分の体型にしちゃよく出来たなと自分を褒めたいぐらいだ。


「あー! 避けちゃ駄目なんだ!」


 獣は大声を出して怒っている。

 一回目は避けられたけど、そう何度も避けられるものじゃないし、たとえ真後ろに走って逃げても追いつかれるのは目にみえていた。

 ならば、この方法はどうだろうか?


「さあ僕と楽しく遊ぼうじゃないか! ケルベロス!」


 僕はケルベロスに大きく手を振った後、彼女から距離を離した。


「わんわん! まてぇー!」


 喜んで追いかけてくるケルベロス。

 当然距離はすぐに縮まり、私の背に肉薄する。


「今度こそ、いただきまぁ――」

「え?」


 素っ頓狂な声をあげたのは、ケルベロスの横にいた真っ黒い人だった。

 私は彼のそばに近づいた後、彼をケルベロスに喰わせたのだ。


「ぎゃああああ!!! いてぇ!!! いてぇ!!!」

「……ああ! 大丈夫?? 大丈夫?? すぐにぺってするね!」


 ケルベロスは口の中のものを吐き出した。


「……痛ぇ痛ぇよ……」


 食べられていた真っ黒い人は血だらけで大きな歯型が体に付いていた。そしてあまりの痛みに泣き出していた。


「ごめんよ! ごめんよ!」


 そう言って、ケルベロスはペロペロと傷をなめた。


「グッドボーイ、ケルベロス。さてと」


 私は目を凝らし、逃げ込める場所がないか探す。

 ……あった。数階建ての建物が見える。


「さあ、今のうちに逃げましょう! あっちの方向に建物があります!」


 私はその場にいた人々に向けて叫んだ。

 そして、人々は自分のいう方向を見た後、すぐさま全員がその建物を目指して走り出した。


 そうして、ケルベロスが冷静になった頃にはすでに餌である人々全員に逃げられていた。


◆◆◆



「まてまてー!」

「何時まで追って来るの!?」


 リョコウバト夫妻は全力で走り抜ける。

 彼らはなんとケルベロスに追いかけられているのだ。


「どうしてこんなことに……!」


 ことの始まりとして、颯真・アンドロマリウス・アスタロト、そしてリョコウバト夫妻の5人は階段を下り、第3圏である貪食の罪の地獄へと降りた。

 そこで待ち構えていたのは、地獄の番犬ケルベロスと、暴食の大罪と恐れられし大悪魔、ベルゼバブだった。

 「逃げろッ!」と颯真は叫んだ。

 夫婦は即座に逃げ出した。

 それをケルベロスが追いかける。


 そうして二手に分かれることになった。

 颯真達はベルゼバブと対峙し――

 一方夫婦はケルベロスから逃亡をし続けることに――


「はあ、はあ!」


 もう追いつかれる……!

 旦那がそう思った矢先に、リョコウバトが手をのばす。


「私に捕まって!」

「分かった!」


 旦那はリョコウバトの手を取った。

 そして、二人は空へと羽ばたく。


「まァてェェェッ!」


 ケルベロスは全力でジャンプした。

 そして、その爪が旦那の足元を掠める。

 間一髪で旦那は怪我せずに済んだ。


「ぐぬぬ……覚えてろ! 主が来たら必ず捕まえてやるからな!」


 ケルベロスはそう言い、ベルゼバブの所へ走り去っていった。


「ふぅ……何とかなりましたね。」

「そうだね……って……うわァァァッ! 高いッ! 高いッ!」

「あら、今下ろしますわ」


 地面に降り、周囲を見渡した。


「あれは、建物か……?」


 石造りで数階建て(6階以上はあるだろうか)の建物がそびえ立つ。

 周囲にその建物しかないため、身を隠すにはちょうど良さそうに思える。

 しかし、明らかに怪しい。


「あそこの建物に隠れましょうか」

「ほ、本気……?」


 リョコウバトの提案に、旦那は躊躇した。


「ええ、どうやら人の気配があります」

「え、もしかしてここにも誰か堕ちてきたっていうの?」


 もし、第2圏と同じようにここに人々が堕ちてるというのなら、助けが必要かもしれない。


「それを確かめに行きましょう。それに下手に外にいたらまたケルベロスに襲われますわ」


 そうする他ないようだった。

 そうして、二人は建物の中へ入るのだった。



◆◆◆



 二人は表口と思われる大きなドアから入った。

 建物の内装は石造りで洋館を思わせる広いエントランスのようだった。

 ただ、それ以外に大きな特徴のない殺風景な建物だった。


「おや、君たちは?」


 上の階段からから出てきたのは、二人組だった。

 一人はスラリと痩せた端正な顔立ちの男。

 そして、もう一人は若い女性だった。

 夫婦に話しかけたのは男の方で、階段からこちらまで降りて近づいてくる。


「私はリョコウバト、そしてこちらが夫ですわ。失礼ですがあなた達のことも紹介頂いてよろしいですか?」

「ああ、失礼したね。僕は藤 由木<よしき>。よろしくね」


 藤は朗らかな笑みを浮かべており、親しみやすさを感じさせた。


「あなたはここがどこかご存知ですか?」

「ええ、地獄……ですよね」


 物知り顔で由木は語る。


「第3圏、貪食の罪を犯した者が堕ちる地獄。堕ちた罪人は怪物ケルベロスに食われては再生を繰り返す。我々はここから逃げてきたのさ」

「我々とは、あなたと……」


 リョコウバト夫婦は一点に目を向けた。

 階段の奥の方から一歩も動いてない女性を、である。

 こちらの話に割ることもなく、ただひたすらにうつむいていた。


「ああ、すみません。彼女と他にも数名がここに逃げ込んでいます。彼女は優子といいます。ですが彼女はここで恐ろしい目にあい、あまりの恐怖から話すことが出来なくなってしまいました」

「そんな……」


 どんなことをされればこうなるのだろうか

 リョコウバト夫婦は察する他ないと考えた。


「さあ、ここではなく上へ上がってください。座る場所がありますので」


 由木に案内され、2階へと上がった。

 2階には座るのにちょうどよい大きさの石がいくつか置いてある。

 座ろうとしない優子を除いた3人が石の上に座る。


「ここには恐ろしい敵がうじゃうじゃいます。ケルベロスと雑魚悪魔」

「雑魚悪魔?」


 旦那は尋ねた。


「ええ、ここには世にも恐ろしい大悪魔ベルゼバブがいるようですが、それ以外に手下となる悪魔が数多くここらにいます。それを僕が勝手に雑魚悪魔って呼んでるのです」


 アスモデウスにベルゼバブ。

 世にも恐ろしいあの悪魔の他にも手下の悪魔がいる。

 この男は雑魚とはいうものの、その事実に旦那は恐怖を覚える。


「よく逃れることが出来ましたね……」

「ええ、僕自身、奇跡と思ってますよ」

「そしてこの建物は……?」

「運良く雑魚悪魔も誰もいなかったので、勝手に使ってます。この建物が何なのかはよく知りません」


 由木のこの言い分は、怪しかったものの、現にここに人間がいる事実があるため、受け入れてしまう。


「由木さんが言ってた、他にも逃げ込んだ人がいるようですが……」

「ああ、ここより更に上の階にいますが、今近づいてはいけません」

「なぜ?」

「部屋に籠もったきり、誰にも会わないと言っているのです。彼らも弱い人間です。無理にこじ開ければ何をしでかすか分かりません」

「なるほど……」


 ここにいる優子といい、第2圏同様、もしくはそれ以上に恐ろしいことが起こっているようだった。

 夫婦は息を呑む。

 しかし、ここで恐れおののいても状況がかわるわけではなかった。

 旦那は質問を変えた


「そう言えば由木さんは貪食の地獄にいるのに、とてもやせてらっしゃいますよね」

「ああそうだね。前は太ってたってやつです」

「前は?」

「ええ、人というのは悲しいことがあれば太る生き物です」

「……ま、まあそうだね……」


 強烈なストレスにより過食につながり結果太る、というのが一般的な話じゃないか? と思うがツッコミはしなかった。


「恋人を亡くしてから、僕は悲しみに明け暮れ、恥ずかしい話ですがとても太ってしまったのです」

「……そうですか。失礼しました」


 聞いてはいけない話だったと謝罪した。


「気になさらないでください」


 そういって、男はにこやかに笑う。


「それではこちらの話はこれで全てです。何か他にはありますか?」

「ええ大丈夫です」

「ではそちらの話を聞かせてください」

「かしこまりました」


 そうして、夫妻のこれまでの話を伝えた。

 相手から信頼を得るためであった。

 伝え終わると、由木は「ふむ」と言った。


「では、あなた達のことを上の人達に伝えます。どうかここでお待ちしてください」

「分かりましたわ」


 そういって、由木は階段を上がっていった。

 2階に残ったのは、夫妻と優子の3人だった。


「……」

「……」


 優子は沈黙しており、お互いに静かな時間があった。

 口こそ動かさないものの、その目線だけはずっと夫婦に向けていた。


「……優子さん、あなたは――」

「……た……た……!」


 先に口を開いたのはリョコウバトだったが、優子が突然口を開く。

 目には大きな涙がボロボロと堕ちたが、それでも夫婦に何かを伝えようと口を動かした。


「助けて……ください……! みんなを……あの男……から……!」


 伝え終わると、優子はその場で泣き崩れた。


「あの男……? もしや……!」


 その言葉を聞いたリョコウバトはすぐに察した。


「あなた!」

「うん、優子さんのことは任せて、あとで向かうから」


 即座にリョコウバトは上の階へと上がっていった。



◆◆◆



「堕ちた人間はすべてここに運べと言っただろうがぁ!」


 大きな打撃音が響き渡る。


「すみませんすみません。普通に階段からやってきたため、見落としており……」

「知らないですよそんなこと」


 大きな打撃音が響き渡る。


「でも、ただでさえここ最近は罪人が非常に少なくなっています! もしこのまま罪人をここに運び続けたならば、ベルゼバブ様が魂を食べられず餓死してしまいます!!」


 大きな打撃音が響き渡る。


「口答えしてんの? 僕に?」


 男は表情が柔らかくなり、笑みを浮かべる。


「でも許すよ。僕は」

「え……?」


 かすかに希望の光が差し込んだその表情に、男の拳がめり込んだ。


「僕が満足するまでぇ、死なずにぃ! 耐えきったらぁ! 許すよぉお!」

「ひぃ! がっ! はっ……!」

「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ! あひゃ! ひぃー!」


 何度も何度も、耳をそむけたくなるような痛々しく鈍い音と下品な笑い声が響き渡る。


「そこまでですわ!」


 リョコウバトは扉を蹴飛ばした。


「おや、みつかりましたか。思ったより早いですね」

「う……! なんですかここは……!」


 中を見て騒然とする。

 人、人、人、それらが地面にうずくまっていた。

 あらぬ方向に曲がった腕や足、擦れて剥がれた肌、黒くなった痣がいくつもいくつもあった。

 拷問部屋、そんな言葉が頭をよぎる。


「大丈夫、みんな生きてますよ」


 目の前の男――傷だらけの悪魔の首を握る男――由木が言った。


「どうやらこの地獄では人は簡単には死なないようです。これだけ殴って痛めつけてもですよ。こんなに嬉しいことはない。だって人が死ぬのはとても悲しいじゃないですか。僕の亡くなってしまった恋人を思い出してしまって……だからあなたも黙って――」


 由木は優しい上っ面をはぎ、その本性を晒した。


「黙って死ねよ。いいところを邪魔しやがって」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る