地獄巡り 愛欲の罪 4


●地獄巡り 愛欲の罪 4



「手羽先ビンタ!」

「いてっ!」

「はい次! 手羽先ビンタ!」

「いてっ!」


 リョコウバトは次々とビンタを放つ。


「なんなんだよあんた!」

「まあまあ……」


 憤る人々に旦那はなだめて回った。

 ビンタの相手は荒れ狂う暴風の中にいたせいで気絶していた人々だった。


「あなた! もう一度他の人がいないか見ていきますわ!」


 洞窟に運んだ人全員をビンタし終わったリョコウバトはまた洞窟の外へと向かった。


 リョコウバトと旦那は第二圏に降りた後、荒れ狂う暴風の中にいる人々を助けて回っていた。

 リョコウバトは暴風の中を突っ切り、人々を救出して旦那がいる洞窟まで運んだ。

 しかし、自分たちで動いてもらわないと手が回らなくなるので、今こうして、リョコウバトは、自分の頭に生えた羽で人々の頬をビンタして回っていたのだった。

 そして旦那は助けた人々に、必要あらば鎮痛剤(お香)を使い、辺獄までの道のりを案内して、移動してもらった。


 今の時点で、例の人影に見つからなかったのは奇跡的だった。

 そして、周辺を見渡した限りで、助けが必要な人々はもういなかった。


「もうすぐで自分たちの仕事は終わりそうか……?」

「あなた!」


 リョコウバトの手には意識を失った少年がいた。

 リョコウバトがまた誰かを救出したようだ。

 洞窟の中にその少年を横たわらせた。


「それじゃあ行きますわ! 手羽先び――」


「う……うぅ……うぅん……」


 その少年はゆっくりと起き上がる。


「起きましたか?」

(リョコウバトさん……即座に羽を引っ込めたな……)


 リョコウバトの言葉に、その少年は反応を返す。


「俺は……確か、強風で飛ばされて……それで……お前は誰だ?」


 夫婦は自己紹介した。


「貴方のお名前は?」


 今度はリョコウバトが尋ねる


「俺は颯真。エゾオオカミの颯真だ」


 颯真をよく見ると、人間の耳以外にも頭の頂点からフサフサの三角形の耳が出ていた。


「颯真さんですか」

「颯真で良い。それより、なんでこんな所に居たんだ……?」


 なんでこんな所に?

 颯真の聞き方は妙であった。

 まるでここがどこなのかを最初から理解していたかのようであった。


「それが……分かりません」


 リョコウバトは正直に答えた。


「分からない……?」

「えぇ……旦那が久々の休日で、飛行機で海外に旅行しようと乗りました。すると、飛行機の窓が突然割れてしまったところで……」


 颯真は一瞬だけ思案した。


「飛行機の窓が割れたから、急に酸素が薄くなり低酸素脳症を発症して気絶…その後は覚えていない……か」

「低酸素脳症って何ですか?」

「低酸素脳症は脳に必要な液体が流れて行かない灌流低下や、血液中の酸素の割合が著しく低くなる低酸素血症によって脳の全体的な障害がおこる状態の事を指すんだ。恐らく空気が台風並みの速度で抜けるから、成人男性でも耐えられんな」

「……」


 旦那は息を呑んだ。

 ここに来るまでのことは考えないようにしていたからこそ、今まで突き進んでられた。

 しかし、もしここが本当に地獄だとしたら現実の自分達はどうなってしまったのだろうか、と思わずにはいられなかった。


「さて……どうしようか……ん?」


 颯真は洞窟の外を見る。

 外の強風が止んでいた。

 それはなんの前触れすらなかった。


「よし……今の内に階段に向かおう。急ぐぞ!」

「分かりました」

「は……はい!」


 考える余裕はなかった。

 颯真の言う通りに従い、三人は階段に向けて走り出した。




「やぁやぁ…君達の行動が気になると思ったらこんな所で何をしているんだい?」




 ピンク色の風が、地を這う様に流れる。

 3人の眼前に立ちはだかるは黒いフェネックだった。

 その右目には黒く召喚陣が描かれている。


「だっ……誰……?」


 旦那とリョコウバトは目の前に突然現れた存在に呆気にとられる。

 すると、隣りにいた颯真が相手の姿を見て、相手の名をつぶやいた


「アスモ……デウス……。色欲の罪だ、お前達は逃げろ!」


 颯真はすでに戦闘態勢だ。


「貴方はどうするんですか!?」


 リョコウバトが必死に問いかける。


「ここでアスモデウスを食い止める!」

「できるかな??」


 颯真とアスモデウスが互いをにらみ合う。

 まさに一触即発。

 命がけの戦いが始まろうとしていた。


「早く逃げろッ!」


 その言葉に二人は逡巡した。


――この場にいては自分たちの身が危うい


 判断は一瞬だった。

 すぐに身を翻し「分かりました」といって逃げていった。



◆◆◆



 二人は走り続けた。

 ずっと走り続けてばかりだった。

 リョコウバトですら疲れがにじみ出ていた程だった。

 そんな二人が走り続けた先に、2つの人影が見えた。


「大丈夫か?」

「!?」


 相手の顔を見た瞬間、リョコウバト夫妻に緊張が走る。

(真っ黒い体に、目に模様……あのアスモデウスと同じ?!)


「身構えなくて良い。とりあえず聞きたいが……君達は、ここの者じゃないな?」


 リョコウバトは相手に敵意がないと判断した。


「えぇ……貴方達は……?」


「私はソロモン72柱…番号72番アンドロマリウスだ」

「私はソロモン72柱…番号29番アスタロスだ」


 ソロモン72柱

 古代イスラエルの王であり、魔術師だったソロモン

 その王は72柱の悪魔を従えたと伝えられている。


「私はリョコウバトです」

「その旦那です」


 二人は悪魔だと名乗った。

 あのアスモデウスと同じ存在だと。

 しかし敵かどうか疑っても拉致があかない。

 逃げ道は特に考えつかないので、話を合わせながらどうするか見極めるのが妥当だった。


「それにしても、右目の模様……それは一体……?」


 リョコウバトの疑問にアンドロマリウスが答える。


「あぁ、これは私達ソロモン72柱にだけある模様だ。この世界に置ける私達悪魔は、生物学に分類される所の黒変色種と呼ばれるメラニズムと言われている動物のフレンズだ」

「……?」

「簡単に説明すると、人間は普通、ペールオレンジや焦げ茶色の肌だ。それに対して日焼けもしていないのに、茶や黒色、白色の肌になるのがメラニズムだ。フレンズでは色によってその呼び方が変わる。私達悪魔は黒く、対して天使達は白い。それだけの認識で十分だ」

「……??」

(そもそもフレンズって? 友達って意味じゃないの?)


 旦那とリョコウバトはあまり話の内容を理解できなかった。

 その理由はリョコウバトと旦那が生きてきた中で、フレンズという言葉はただの【友達】としての意味でしかなかったからだ。

 二人は後に、アンドロマリウスたちが言ってる【フレンズ】とは、人と話せる動物のことだと察することになる。


「それで……あなた達はどこに向かっていたんでしょうか……?」




「――地獄の最下層。コキュートスと呼ばれる極寒地獄だ。私たちはサタンに会いに行く」




 地獄の最下層

 コキュートス

 アンドロマリウスは確かにそう答えた。


「おっ! 居たッ!」

「あれは、颯真さん?!」


 声の主は颯真だった。

 (どうやってるのか全く分からないが、)ホバー移動していた。


「颯真を知っていたのか?」


 アスタルトが尋ねた。


「えぇ、風で流されていた所を助けたのですわ」

「そうか、助かった。運悪くはぐれていたのでな」


 アスタルトに感謝された。

 どうやらこの二柱の悪魔達は颯真の仲間のようであった。


「颯真でいいと……まあいいや。さっきアスモデウスと戦ったけど逃げられた」


 アンドロマリウスたちは「そうか」とだけ言った。


(颯真さんはあんな強い存在を相手に追い返せるだけの力の持ち主……)


 颯真たちが仲間かどうか判断しかねる今、リョコウバトは油断ならないと感じた。

 その一方で、颯真はリョコウバト夫妻をちらりと見た後、「よし」と言った。


「一旦地上に上がるか」

「そうだな」


 アスタロトもそれに同調した。


「え……?」


 地上に上がる……?

 ここから出られるということだろうか?

 疑わずにはいられなかった。


「お前らはここに居ちゃ行けない。お前らまで辛さを味わう必要はない。それに、今の内に行けば地上に出られる」


 颯真はリョコウバトたちの身を案じていた。

 そして、出るまで自分たちが協力するとまで言っていた。


「リョコウバトさん。これはチャンスじゃないかな。あの子供たちのことを伝えればみんなたすけ――」


 旦那は小声で言った。

 それを遮ったのはリョコウバトだった。


(もしここで颯真たちが敵だった場合、あの子供達と避難してきた人たちはかなりの危険に晒されますわ。そして、たとえその危険を犯して助けを求めたとして、実際にここから出してもらえるかどうかも定かではありませんわ)


 リョコウバトは颯真たちに問うた。


「何故私達を逃がすんですか?」

「逃がしたいから……それ以外に何かあるのか?」

「……」


 颯真たちを信じるのであれば、他意はないのだろう。

 答えあぐねたリョコウバトたちに対して、颯真が言った。


「俺達はこのまま最下層目指して下る。お前らがついてくるのは自由だ、、但し悔いのない方を選べ…お前達が危険な目遭っても俺は完全に擁護する事が出来ないぞ……?自分の身は自分で守れ」


 続けて、アンドロマリウス、アスタロトもリョコウバトたちに選択を委ねた。


「中々に厳しい事を言ったがこの人の言う通りだ。地獄は何が起こるか、私にも分からない。重荷になる様なら地上に帰って普通の人生を悦楽した方が良い」

「二人の言う通りだ。この地獄は君達に取って精神との戦いであると同時に、自身との戦いでもある……自らの意思で、この選択をすると良い。私からは以上だ」


 そうして選択は夫妻に委ねられた。

 数分間、考える時間をくれた上で。



◆◆◆



「なあ、俺達はやっぱり……」


 旦那は膝から崩れおちた。

 ずっと、考えないようにしていた。

 地獄、なんてものは夢かなにかの冗談だと思っていた。

 しかし、あまりにもリアリティがありすぎる。

 走るときの辛さも、抱えた子どもたちの人肌も、バカバカしい悪魔の存在感も。


「死んでしまったのかな……?!」


 残したものはあまりにも大きすぎた。

 両親、友人、近所の人たち、これまで自分たちに関わってきたすべての人達。

 ハト丸とハト音。

 すべてを失った――その事実を意識した瞬間、とめどない悲しみが溢れ出た。

 できることなら生き返りたい。

 今すぐ何もかもを放って、みんなの場所に戻りたい。


 そうすれば楽……


 ……でも



「ねえ、あなた」



 リョコウバトは旦那に胸を貸す。

 優しい包容だった。



「悲しくて、苦しいですわよね。今すぐにでも生き返ってハト丸とハト音達の元へ帰りたいですわよね」

「……」


 リョコウバトは旦那の弱さも含めて、肯定してくれた。


「でも、たとえ死に別れてしまっても、私達は家族ですわ。今だってハト丸たちと繋がってますわ」

「……リョコウバトさん」


 それはかつて、リョコウバトの父が残した言葉だった。


「私がここまで生きてこれたのも、私の父やその仲間たちが死んだ後の世界でも相変わらず旅行を続けてきたって信じてたからですわ。そして、私やあなたが死んでもそれは変わらないと今でも信じてますわ。だから――」


 それはリョコウバトの信念だった。


「今、こうして地獄がおかしなことになっていると言うならば、今苦しんでる子どもたちのため、これから死にゆくハト丸とハト音たちのため、私はこの先どんな地獄が待っていたとしてもそれを正して見せますわ」


 旦那は静かに目を閉じる。

 自分たちに子どもたちを託した江口。

 任せて行ってくださいと言った優也。

 なぜこの二人とリョコウバトが強いのか、旦那には少しだけ分かった。


――死んだ人間は強い


 そして、生きてる自分はこんなにも弱い。

 それでもなお、それを自覚してもなお、未だに死から逃げたがってる惨めな心が自分の中にあった。



「あなたはどうしますか?」



 リョコウバトはただ問いかけた。

 旦那の答えはすでに決まっていた。



◆◆◆



「私は皆さんの様に強くはありませんが、行きます」


 リョコウバトはそういった。


「私もです……確かに私の様な者が、ここに居ちゃいけないのはわかってます。でも……それでも……私は見てみたいんです……何故貴方達が強いのかを」


 自分に何ができるのかは分からない。

 足手まといかもしれない。

 それでも自分だけおめおめと逃げ帰るわけにはいかない。

 それだけの決意が旦那にはあった。


「分かった。言ったからには……最後までやり通せ。何かあったら最大限協力する。着いて来い。そして案内しよう……最下層コキュートスまで……ッ!」


「分かりました……」

「頑張ります……ッ!」


 アンドロマリウスの言葉に二人は答えた。

 そして、5人の仲間とともに、下層に向けて階段を下るのであった。

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