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2020年10月12日 21:08
野生の世界だと遊びで殺されるのも食われて殺されるのも獲物が取れず餓死するのも厄介な病気や植物に中り死ぬのも運が無かったで済ませるしかないです。自分がそうならずに済んでよかったと安心する究極の個人主義です。リョコウバトさんもフレンズ(ヒト)化しなければ自身が生きる事で精一杯、同胞の報復は思い付かなかった気がします。由木はリョコウバトさんに野生を教育されそう。
作者からの返信
>リョコウバトさんもフレンズ(ヒト)化しなければ自身が生きる事で精一杯、同胞の報復は思い付かなかった気がしますこれは自分自身勘違いしてたんですが、動物は人間と違い、生きるための殺しだけしかしないイメージがありました。しかし、動物を調べると、子供のカラスを人間に殺された(と勘違いした)親のカラスが徹底的にその人間を付け狙うケースや、イルカが仲間内で、特定の個体をいじめて楽しむケースがあるそうです。知能がある動物ほど、人間に近しい感情を持つように思います。ここで、人と動物の決定的な違いの一つとして上げられるのは【嘘をつく】という能力の有無があります。本小説では信念という言葉で飾ってますが、ひどい言葉で言い換えれば、自分に対して嘘をつくことにほかなりません。例えば、必ずスポーツで世界を取る、という信念を持って練習する、とかですね。(追記、言葉のニュアンス間違ってそう……例えば練習で辛い、苦しいという感情に対して、世界を取る、といった目的意識で理由付けすること、という意味あいで、【嘘をつく】としております……)しかし、だからこそ、信念とは【知能を人間的に使いこなした結果、形作られた心の有り様】であると考えます。ということは、・知能が低い動物(虫とか) →報復を考えない。・かなり知能のある動物(人間含む) →報復を考える。という行動原理に反し、違った行動を選択できるが人間ではないかなと思います。(無論、報復出来ないほど敵が驚異的な場合は逃げたりするとは思いますが……)まあ、どちらにしても由木は、生きるためではない、快楽のための殺しをしているので、リョコウバトに色々教育(物理)されそうですね
野生の世界だと遊びで殺されるのも食われて殺されるのも獲物が取れず餓死するのも厄介な病気や植物に中り死ぬのも運が無かったで済ませるしかないです。自分がそうならずに済んでよかったと安心する究極の個人主義です。リョコウバトさんもフレンズ(ヒト)化しなければ自身が生きる事で精一杯、同胞の報復は思い付かなかった気がします。
由木はリョコウバトさんに野生を教育されそう。
作者からの返信
>リョコウバトさんもフレンズ(ヒト)化しなければ自身が生きる事で精一杯、同胞の報復は思い付かなかった気がします
これは自分自身勘違いしてたんですが、動物は人間と違い、生きるための殺しだけしかしないイメージがありました。
しかし、動物を調べると、子供のカラスを人間に殺された(と勘違いした)親のカラスが徹底的にその人間を付け狙うケースや、イルカが仲間内で、特定の個体をいじめて楽しむケースがあるそうです。
知能がある動物ほど、人間に近しい感情を持つように思います。
ここで、人と動物の決定的な違いの一つとして上げられるのは【嘘をつく】という能力の有無があります。
本小説では信念という言葉で飾ってますが、ひどい言葉で言い換えれば、自分に対して嘘をつくことにほかなりません。例えば、必ずスポーツで世界を取る、という信念を持って練習する、とかですね。
(追記、言葉のニュアンス間違ってそう……例えば練習で辛い、苦しいという感情に対して、世界を取る、といった目的意識で理由付けすること、という意味あいで、【嘘をつく】としております……)
しかし、だからこそ、信念とは【知能を人間的に使いこなした結果、形作られた心の有り様】であると考えます。
ということは、
・知能が低い動物(虫とか)
→報復を考えない。
・かなり知能のある動物(人間含む)
→報復を考える。
という行動原理に反し、違った行動を選択できるが人間ではないかなと思います。(無論、報復出来ないほど敵が驚異的な場合は逃げたりするとは思いますが……)
まあ、どちらにしても由木は、生きるためではない、快楽のための殺しをしているので、リョコウバトに色々教育(物理)されそうですね