沖田邸でのひととせ

 沖田邸に来て暫く経ち、香枝さんがお爺さまを、少し変わったお人と言った理由が、わたしにもなんとなく分かってきた。


 お爺さまは、ものを集めることがとにかくお好きなところや、お料理がとても上手なところがあり、そしてとにかく、ものを言わない人で、わたしのことも自由にさせた。だからわたしは大体家にこもって本を読んで過ごした。


 お爺さまと話すときというのは、夜寝る前に、お爺さまがわたしをお膝に乗せて御話を話してくれるときだった。御伽噺とも昔話ともいえない無茶苦茶で出鱈目でたらめで、でも最後だけは綺麗に終わるそのたくさんのお話たちがわたしは大好きだ。


 秋風が木枯らしに変わる頃、生家から持ってきた去年まで着ていた羽織が小さくなっていることに気がついて、わたしとお爺さまと香枝さんとで街に行った。街の服屋には故郷の田舎町では見たことの無かったハイカラな感じのするオーバコートがあった。物珍しさに目を輝かせるわたしに、お爺さまは女の子だからと羽織やショオルを勧めるのでなく、ごく普通の顔でオーバコートを買ってくれたのだった。


 雪が舞い散る冬になれば、濃い青の松も白い帽子を被ったように冬に染まって、池は水色に凍てついた。わたしは例のオーバコートを羽織って縁側に坐り込み、霏霏と降りゆく六花を眺め、ときには本を読んだり、指先が冷えてかじかむまで雪うさぎをたくさん作ったり、香枝さんに頼んで縫いものを教わったりして過ごした。


 わたしはよく、香枝さんに頼まれてお使いに行くことがあった。正しく言うのならば、年相応に弱った香枝さんが、山を下って街まで買い物に歩くというのが心配だったのだ。わたしは香枝さんが羽織りを着出すのに気づくと


「香枝さん、わたし今暇なの。買い物に行って来ましょうか」


 などと言ってそれを代わるのだ。香枝さんはじゃあ頼まれてくれるかしらなんて微笑うこともあれば、今日は一緒に行きましょうと下履を履くこともあった。


 お爺さまはよく、甘味を作ってくださった。あの雪の日香枝さんと街から帰ってきたときなどは、小豆を炊いて待っていて


「雛乃、汁粉が出来ているぞ」


 と木のおたまでお椀に注いだお汁粉を差し出してくれた。

 そのほかのときでも、例えばわたしが物を書いているときなども、甘納豆やら団子やら煎餅やらを作って食べさせてくれた。香枝さんは


「旦那さまは雛乃さまと普通に話すのがきっと気恥ずかしくておられるんですよ。だから甘いものできっかけを作るのだわ」


 なんて笑っていた。お爺さまが普段なにをされているのかわたしはよくわからない。書斎に入ったら怒られてしまうし、普段はその書斎に籠りきりのことが多いのだ。香枝さんは旦那さまはお仕事をなさっているから、としか教えてくれなかったので、わたしは大体旦那さまのお仕事を勝手に想像したり空想したりしていた。


 お爺さまと香枝さんの家族になって初めて迎えた春、わたしたちは山桜の木立にお花見に行った。その淡い色の花は、冬の寒さを忘れるのには十分なほど美しく、花から落ちる花弁のひとひらは沢の流れに巻き込まれていく。

 桜木の下に風呂敷を敷いて香枝さんと作った弁当を食べた。香枝さんから料理を学んだわたしはもう、一通りのものは作れるようになっていた。お爺さまとは綺麗な桜の花を拾い集めた。砂糖漬けにするのだそうだ。木漏れ日の下で本を捲ってふと転寝をすると、春風はいつの間にか宵闇を連れてくる。


「雛乃さま、そろそろ帰りますよ」


 香枝さんの声で目を覚ますと、あたりはもう夜の匂いに満たされていて、わたしは慌てて立ち上がるのだった。

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