崩壊

 父さまが言うには、母さまは美しい女の人だったのだそうだ。色白で目がぱちりと大きくて、エキゾティック(この異国の言葉の意味を、わたしは知らない)な顔した美人だったらしい。


「お前は母さまに似た美人になるよ。だってぱちりとした大きな目が、こんなに似ているんだから」


 父さまはよく、そんなことを言っていた。わたしはよく、お転婆娘なんて人に言われるが、きっと美人になると言われて、嬉しくない訳もないわたしはやっぱり女の子だ。父さまがそれを言うときわたしは大体にこにことはにかむのだった。


 あの夏の日から一年後の長月の月見の日だった。杜宇吉が、いつも家で宮さんとふたりで過ごしているわたしを気遣ってか


「ひなのちゃん、お団子を作り過ぎたから、遊びにきて頂戴」


 と言うので杜宇吉の家に遊びに行って、お団子をご馳走になった。白くて丸くてもちもちと柔らかい、美味しいお団子だった。杜宇吉とふたり広い縁側にすわって、団子と同じくまんまるに輝く月を眺めた。残暑も夜風が連れ去ったような、空の色が濃くて涼しい夜だった。


「死んだら生まれ変わるんだッて、ぼく、お坊さんに聞いたよ」


「あら、死んだらお星さまになるッて、わたしは聞いたのだけど」


「空で見下ろしてるだけなんてつまんないや。ねえ、きっと生まれ変わるんだよ」


「わからないわよ」


 わたしはその年頃あたりから、背のびして大人の女の人の真似事のような言葉を遣っていた。まだ八つばかりの童には過ぎなかったのだが、そういう年頃だったのだと思う。


 わたしは、甘い楽しい気持ちで家に帰ってきた。そうしたら、わたしの家は変に静かだった。玄関の扉を開けると、引き戸の音に気付いた宮さんが、わたしを見るなり走り寄ってきて


「旦那さまがお倒れになりました」


 そんなことを言った。今までの色めいた景色が一瞬で崩れ落ちた。頭が真白になるというのはこういうことなのだろう、わたしは下駄を脱いでいないのにも気付かず、父さまの部屋に走った。父さまは仕事の疲れが出ただけだからと笑ったが、わたしはただとりとめもなく、いやな予感をおぼえていた。


 母さまがいないことはわたしの当たり前だった。父さまがいたから淋しくなんて無かった。


 父さまは三日あとから仕事に向かったけれど、体が良くなったからではなさそうに見えた。わたしは如何どうすれば良かったのだろう、なにも思いつかないまま、秋が終わる前に、父さまはあっけなく死んでしまった。


 なにかが壊れる、そんな気がした。


 そのあとしばらくのことはほとんど覚えていない。ただ流されるように漂うように、心にぽっかり穴が空いたような気持ちだった。


 父さまが星になったのか、将又はたまた生まれ変わったのか、わたしには知れないことだった。

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