第2話 人生は終わり、受験は難しい

 ところが、である。春の陽気にソメイヨシノの蕾もほころび始める頃、僕は多摩川の水も凍るような冷気に見舞われた。

 不合格……。

 薄っぺらい封筒に入っていたのは、それだけは見たくはなかった三文字だった。

 予想はしていたが。

 実際にその無機質な文字を見たら、不細工な同級生の彼女自慢を延々と聞かされる以上の絶望感が襲ってきた。

 いきなりゲームオーバー。

 まだ一歩も踏み出してないというのに。

 はああああああああ……。

 終わった。僕の人生は終わった。下らない一生だった。いっそ人面魚に生まれた方がマシだった。

 私立ファンタジア学園に入学出来なければ、僕の未来はないというのに、人生には思わぬところに壁がある。

 まさか落ちるとは思わなかった。

 僕は中学三年間、漫画やゲームなどには目もくれず、ひたすら教科書だけを読んできた。

 いや、小学校に入学して以来、ずっとそうして過ごしてきた。

 それは何故かと言えば、ウチが超貧乏で、一人息子なのに両親から一滴の愛情もかけられずに育ったことによる。

 漫画本はお金がかかる。そんなものに使うお金があったら、パンの耳でも買ってくる。

 それに引き換え、教科書は国から支給してもらえるから、ありがたい。

 同級生の中には、教科書は読まないが、漫画だけは読んでいるという輩もいる。

 其奴は、授業中に教師の目を盗んで、週間少年ナンチャラなどという、非常に高価な書物を熱心に貪り読んでおったが、彼の成績は惨憺たるものであった。

 毎週数百円という大金を注ぎ込んで、彼は一体何を得たというのだろう。

 テレビだって見ない。僕の実家にはそんなものはない。そもそも電気が通っていない。

 だからクラスメイトとテレビ番組や芸能人の話で盛り上がることもない。

 アイドルなんてものも、48人いようが108人いようが、666人いようが、三千大世界に遍く存在していようが、一人も知らないのだから同じことだ。

 ラジオは一応拾ったものがある。でも何故だろう?世の中には電池を入れたままラジオを落とす人がいない。防災は野生の勘が頼りだ。

 当然、スマホなんていうものは所持していないし、正直どんなものなのかも良く分からない。固定電話すらないのだから。

 これらの前提条件から必然的に導き出される結論は、ニホンイノシシ並みの理性の持ち主にとってすら、基本的人権よりも明白である。

 それは、友達がいないということだ。

 クラスメイトの話題についていけない。

 お小遣いなんて貰ったことがないから、コンビニの店内にも入ったことすらない。

 僕はコンビニに憧れている。あそこは夢の国だ。何でも揃っている。いつも贅沢な蛍光灯がついている。

 イスファハーンは世界の半分だが、残りの半分はコンビニだ。世界の富の半分はコンビニに集まっている。

 その夢の国に行くためには宝くじに当たるしかないと、宝くじ売り場に行ってみたことがあったが、くじを買うにもお金がいると知って、絶望のどん底に突き落とされた。

 お金がないと、夢見ることすら許されない。夢を見るのは有料なのである。

 一度小学生の頃、ガチャガチャをやってみたくて木の葉を入れてみたが、木の葉は100円玉に変わることなく、係員のおじさんにこっぴどく怒られただけだった。

 新聞も取っていないから、僕には学校の授業だけが、世の中のことを知る全てである。

 だから僕は真面目に授業を受けていたし、テストの点だけはいつも良かったのだ。

 都立の一番下よりも低い偏差値の学校など、たとえ電車に乗るお金がなくて、家から3時間かけて徒歩で受験会場に行こうと楽勝だと思っていた。

 正直、東京湾でトライアスロンをした直後でも余裕で受かると思っていた。

 それなのに、僕は問題を見た途端、面食らってしまった。

 第一問。竜納言物語でアヴィの元にムンファがやってきた目的は何か?

 よし、最初は古典の問題だな。竜納言物語か。えーと、源氏物語、伊勢物語、竹取物語…っと。古典で何々物語というタイトルは多いけど、竜納言物語ってのはどんな物語だったかな。

 えーと、…いや、ないよな?そんな物語。

 頭の中で、小学校一年生にまで遡って、国語の教科書を1ページ目から再生してみる。

 どこにもない。やっぱりない。

 だいたい、アヴィ?ムンファ?誰だ?もしかして歴史の問題か?西域の方から伝わってきたなんらかの物語か?

 竜納言物語、竜納言物語、竜納言物語。大納言、中納言、少納言、竜納言?律令制にそんな官位あったかな?いや、令外官ということも考えられる。

 作者は何式部だろう?

 目的?

 タイトルからして、源氏物語のような王朝物の可能性は高い。だとしたら目的は一つしかない。夜這いだ。

 気をとりなおして次に進もう。

 第二問。ロンダの浮遊大陸に関する問題である。フンメルス帝国が浮遊エネルギーの独占を防ぐために採った政策の特徴について、以下の用語を全て用いて述べよ。

(ラユーキン2世 動的平準法 イチュアの大穴)

 これは、歴史の問題、かな?

 ロンダの浮遊大陸…。地理の教科書には、そんな記述はなかったと思ったが。あ、でも浮遊大陸だから地図には載っていないか。確か教科書を開くと10センチぐらい上に立体映像で…、って、どんな未来の教科書だ!?

 中学の歴史は基本的に日本史だから、外国に関する記述は日本と関わりのある場合に限られる。浮遊大陸でエネルギー問題なんだから、きっと技術革新によって長距離飛行が可能になり、日本にやってきて…、って、そんなもんがやってきたら大事件だわ!絶対太字で書いてあるわ!それよりラユーキン2世って誰だ?

 先に解ける問題から解いてしまおう。

 第三問。エリクサーにオリハルコンを入れて、フレイムタイガーのブレスで熱すると、ある気体が生じる。この気体の名称と用途、並びに置換方法を答えよ。

 …これは理科の問題でしょうか?

 一見すると普通の問題のようだが。エリクサー?オリハルコン?そんな物質、習ったかな?置換方法は水上置換か上方置換か下方置換のどれかだと思うのだが。フレイムタイガーってのがちょっと気になる。アルコールランプは使わないのだろうか?

 こんな感じで、受験問題は予想を遥かに超えた難問奇問の連続であった。今まで真面目に勉強してきたのは、何だったんだろう?

 とりあえず無学勇者むがくゆうしゃと、名前だけは書き漏れのないようにして提出した。

 弱々しい冬の太陽の下を、僕は重い足と心を引きずりながら、都心の会場から、多摩川沿いのバラック小屋まで歩いて帰ったのであった。

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