第20話 体育祭の準備⑥

 六限目の終了を知らせるチャイムが鳴り響いた後。

 長きに渡る草むしり地獄からやっと解放されたことにクラスメイトたちは歓喜していた。

 みんな泥だらけになりながら、互いの顔を見やっては笑い合っている。

 俺のせいで体育祭前に相当な労力を使わせてしまい、土下座しても足りないくらいに申し訳なく思っているが、それでもこの草むしりをしたことによりクラスの団結力が高まったような気がする。むしろ草むしりして良かったのでは……? と、心の奥底で思ってしまっているくらいだ。

 グラウンドのあっちこっちに残された草の残骸を一輪車に乗せ、処理した後俺もクラスの方へと向かう。

 今日は終礼も何もない。よって、終わればそのまま帰っていいことになっている。

 靴からシューズに履き替え、教室の方へと向かうと、すでにクラスメイトの大半はいなくなっていた。教室にいるのは女子のグループが数名と……


「まだいたのか」


 ジャージに着替えたらしい奈々が俺の席に座ってくつろいでいた。


「あ、やっと帰ってきましたね」


 奈々は待ち侘びていたかのような反応をすると、俺の席から立つ。


「どうしたんだよ。いつもは友だちと帰ってるだろ?」

「はい、そうなんですけど、今日はお兄ちゃんとなんだか一緒に帰りたいなぁと思いまして……」


 ふ〜ん……と思いながら隣の席を見ると、明日香の姿がない。ついでにカバンもないということは先に帰ったのだろうか? 一応、雪の席にも目を通すが同じく姿とカバンがない。

 とりあえず帰りの準備をぱぱっと済ませ、二人して教室を出る。

 廊下の窓から差し込む日差しは優しい橙色となり、校舎内が静かになったこともあってかどこかでひぐらしの鳴き声が微かに聞こえてくる。

 二人の歩く音だけがずっと続き、会話の一つや二つがまったくない。

 俺自身何を話せばいいのか、よくわからないし、今日が花火大会の騒動以来初めての二人っきりの時間だ。

 ――奈々は何か話すことがあって、俺を待っていたんじゃないのか?

 探るように時々奈々の様子を伺うものの、話しかけてくる動作は何一つ見受けられない。

 やがて靴箱に差し掛かってしまう。

 そこで靴に履き替えた後、俺たちはまた二人で校舎を出た。

 淡い日差しが俺たちを照らし、微かな風が肌を掠める。

 グラウンドや辺りを見渡すと、雑草はほとんどなく、代わりと言ってはなんだが、テントや長机、コーンなどが配置されている。

 その様子を見ながら校門まで歩き……とうとう校外へと出てしまった。

 奈々は一向に話しかけてくる気配がない。

 もしかしたら俺と同じようにどう切り出せばいいのかわからないのか?

 奈々にとっては俺と実の兄妹ではないということを花火大会の日に知ってしまった。あれからまだ一ヶ月も経っておらず、半月ほどだ。動揺など残っていてもおかしくはない。

 仕方なくという表現は少し違うが、俺から話を切り出してみることにした。


「今日はその、ありがとな」

「え?」


 奈々が反応し、俺の方に顔を向ける。


「草むしりだよ。俺のせいでめんどくさいやつになってしまって本当にごめんな。肌とか焼けてないか?」

「それは別に大丈夫ですし、仕方のないことだと思いますけど……もし肌が焼けていたら責任でもとってくれたんですか?」

「責任? なんのだ?」

「なんのって肌ですよ。乙女にとって肌は命と同等くらいに大切なものです。紫外線を受けてしまえばシミのもとにもなりますし、何かと日焼けはよくありません」

「それはたしかにそうだけど……どう責任を取ればいいんだ?」


 シミ除去の治療費か? それとも日焼けをしたことによる健康的な被害の懸念があるとして損害賠償でも請求されちゃうのだろうか? そんなバナナ。


「簡単なことですよ。お兄ちゃんが私のことをお嫁さんにしてくれればいいんです。そして未来永劫私だけを見て、ちゃんと愛してください。そうすれば肌が原因で結婚できないっていうこともなくなりますし、私としてはそちらの方がとても嬉しいです」


 さらっとなんかすごいことを言い出してきた奈々。

 正気? 正気なのねぇ?


「ま、まぁそれは……うん。でも、奈々をぱっと見た感じだと日焼けしているようには見えないからその必要性はないよね」

「何を言ってるんですか? これからですよお兄ちゃん♡」


 奈々は頬に手を当て、「グヘヘ♡」と笑みを溢す。

 なんか……以前の奈々に戻った?

 そんな気がしてならないけど気のせいかな?

 けど、ついさっきまでどこか固かった雰囲気も今となっては柔らかくなっている。

 話を聞くんだったら今のうちかもしれない。

 俺はコホンと咳払いをする。


「奈々、何か話があって今日は一緒に帰ることにしたんじゃないのか?」


 そう問うと、奈々は表情を曇らせ、俯いてしまう。

 ちょっとまだマズかったか?

 そう思ったが、奈々は再び顔を上げると、どこか不安げな視線を俺にぶつけた。


「お兄ちゃん……」

「ん? なんだ?」


 俺はできるだけ優しく対応する。

 奈々の瞳には涙がどんどん溜まっていっているのがよくわかった。


「私……まだお兄ちゃんの妹としていたいです。赤の他人になるなんて……やだ」


 その瞬間、まるで結界が崩れたかのように涙がポロポロと流れ始めた。

 奈々は心の中でずっと不安になっていたんだろう。俺と実の兄妹ではないし、今となっては親が離婚しているため、義理の兄妹でもない。いわば他人だ。このままでは関係が崩れてしまうんじゃないか? なくなってしまうんじゃないか? 俺はそう思っていたところもあったけど、奈々も同じくして思っていたんだろう。

 俺は足を止めると、奈々を優しく腕の中に引き寄せた。

 頭をぽんぽんと撫でてやる。

 ――やっぱり奈々は妹だよな……。というか、それ以外考えられない。

 俺があやすたびに夕暮れ時の空間には奈々の泣く声が響き渡った。


“大丈夫だ。奈々は他人なんかじゃない。本当の兄妹だ”


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