第12話 終業式の後①

 今日で一学期が終わり、明日から夏休みに入る。

 終業式を終え、昼頃に家へ帰宅すると、珍しく玄関には親父の靴があった。

 外は今季最高気温となる三十九度を超え、とても蒸し暑い。暑さのため、在宅ワークにでも切り替わったのだろうかと思っていると、あることに気がついた。

 玄関には親父の靴の他に女性用のパンプスが置かれてある。

 たぶん親父のものではないと思うから、来客だとは思うけど、一体誰なんだろうか? 普通に考えれば会社の人だとは思うけど……。

 とりあえず靴を脱ぎ、自室にカバンを置いてからリビングの方へと向かう。

 そこにはダイニングテーブルの席に着いた親父がいて、とても険しい表情を浮かべていた。額にはクーラーが効いているというのに汗を滲ませ、俺の存在に気がついてもなお言葉を発しようとしない。

 一方で親父の対面側には見知らぬ綺麗な女性が座っていた。

 見た目的には三十代くらいだろうか。さらさらな茶髪の長い髪に少し切長な目をした整った顔。服装は上下スーツ姿である。

 その女性は親父とは裏腹でどこか余裕がある表情をし、俺の存在に気がつくと、愛想のいい笑みを見せる。


「初めまして……」


 ひとまず挨拶をしながら、誰なのか親父の方に視線で問いかける。

 親父は言いにくいのか、一瞬渋い顔をしたものの、覚悟を決めたかのように重々しい口をゆっくりと開いた。


「この人はな……春樹の実母、なんだ……」

「……」


 俺はいきなりの告白に言葉を発することができず、そのまま女性の方に視線を向ける。


「久しぶりね春樹……と言っても覚えてはいないよね。一緒に暮らしてたのって十四年も前だから……」


 この人が俺の実母……? 嘘だろ?

 今まで奈々の母さんが俺の本当の母さんだとばかり思っていた。

 なのにこの歳になって、目の前にいる女性が本当の母さんだなんて……。

 奈々と血の繋がった兄妹ではないということもこの時点でわかり、驚愕で頭の中が整理できていない中、俺は親父に問い詰める。


「一体どういうことなんだよ……。この人が本当の母さんって……。俺が小さい頃に何があったんだよ……」


 親父は表情を曇らせつつも、俺の瞳を捉える。


「春樹が小さい頃、私とこの人は離婚したんだよ……」

「離婚? なんで? 普通、離婚した後でも実母とは何かしらで会う機会くらい設けるだろ?」


 これまで実母のことを隠していたことには何かしら理由があるということは容易にわかる。

 親父が言いにくそうにしている中で代わりに実母が割って入ってきた。


「私とこの人はそれぞれ不倫していたのよ。主な原因はそこかしらね」

「不倫……?」


 自分でも言うのもなんだが、幼い子どもがいるというのに不倫していたというのか? そんなのおかしいだろ……。


「そう。それで互いにすれ違いの日々が続いて離婚することにしたのよ」


 実母は悪びれることもなく、淡々と話す一方で親父の表情には申し訳ないという色が浮かんでいた。

 ひとまず離婚に対する経緯は理解できたけど、それじゃあ実母は今さら何しに訪れたというのが次に疑問として上がってくる。

 実母は俺の心を読んだかのように続けて口を開く。


「それで今日この家に訪れた理由は春樹を取り戻しに来たのよ」

「何都合のいいことを言っているんだ! その件についてはきっぱりと断ったはずだッ!」


 それまでずっと黙っていた親父が口を開いた。

 親父の剣幕とした表情……滅多に見ることがない。


「第一、お前は離婚する際に春樹を引き取ろうとしなかった! 違うか!?」

「あの時はお金がなかったからよ。仕方がないじゃない」

「仕方がなくないだろ! 母親ならお金がなくたって引き取ろうとする意思を見せるのが普通だろうが!」

「……」


 実母は言い返せないのか表情を歪めながら黙ってしまった。


「そもそも今になって引き取りたいっていう理由はなんだ?」

「……実は、私の旦那が企業に成功して、社長をしているのよ。あなたも聞いたことがない? カノンっていう会社」


 カノンと言えば、今ではテレビCMも毎日流れているくらい有名な大企業だったはずだ。主にコンピューター関係を取り扱っていたはず。

 あの会社の社長が実母の旦那さんとは……これまた驚きである。


「知ってはいるが、そこの会社と何か関係があるのか?」

「ええ、実は私と旦那の間には子どもがいないのよ。旦那の原因でね。今は会社がどんどんと急成長をしている。そんな中で跡取りがいないなんてマズいでしょ?」

「お前は会社のために春樹を引き取りたいと本気で言っているのか?」

「……でも、今はちゃんとお金はあるからしっかり育てられるし、あなたにだってこれまでの養育費も含めて、ちゃんとした金額を支払うつもりだわ」

「問題は金の方じゃないんだ……。いくら支払うと言われても私は春樹の親権を一切譲るつもりもない。悪いが、もう帰ってくれないか? お前と話すことなどない」

「……」


 実母はどのくらいか押し黙った末、カバンを手に席を立つ。


「今日のところは引き下がります。この話はまた近いうちに」


 そう言うと、実母は俺をちらりとひと目見ると、玄関の方に去って行った。

 やがてドアが開き、閉まった音がしたところで親父はぐでーとテーブルの上に突っ伏しる。


「だ、大丈夫か?」

「あ、うん……しばらくの間こうさせてくれ。春樹も聞きたいことがあると思うが、後からでもいいか?」

「あ、ああ……。ちゃんと説明してくれるなら……」

「悪いな……」


 久しぶりの元妻と話して、とても緊張したんだろう。

 親父が言う通り、聞きたいことは山積みではあるが、今は気力が回復するまでそっとしてあげよ。

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