第9話 私がお兄ちゃんに教えてあげてはいけませんか?①

 時間の流れは時として早く感じることがある。

 放課後、期末試験に向けて図書室にて勉強会を開いていた。

 大きなテーブルに左から奈々、俺、明日香。対面には豊が座っており、その隣にはなぜか委員長でもある冬井さんの姿もあった。


「な、なんで冬井さんもここにいるんだ?」


 俺は意を決する思いで話しかけてみた。

 すると、冬井さんはノートからこちらの方に視線を変える。


「悪いですか?」


 いつもの無表情と声のトーンが相まって、威圧感が増す。


「い、いや、別に悪くはないんだけど、どうしてなんだろうと思って……」

「上村くんたちをたまたま見かけたからですよ」


 そう言うと、冬井さんは視線を再びノートに移した。


「うわあああああ! もう訳わかんねぇええええ!」


 豊がいきなり頭を抱えて、叫び出した。


「うるせえよ。もう少し声を抑えろよ。ここ図書室だぞ?」

「あ、わりぃ。でも、こことかこことかもう全部がわかんないから仕方がないだろ……」


 豊が今やっているのは数学の問題集だ。

 一応テスト範囲であるところをやってはいるが、まぁ……もとが難しいからな。

 俺はなんとかできて、教えることはできなくもないが、座席的に少し教えづらい。


「冬井さんに教えてもらったらどうだ? 頭いいし」

「お、そうだな! 冬井さん! ここ教えてくれ!」


 豊が冬井さんの目の前に問題集を差し出す。

 冬井さんはどこか嫌そうな目をしながら、小さく口を開く。


「嫌です……」

「え? なんで?」

「まず人に教えを乞う時は命令形ではなく、もっとふさわしい口調があるはずです」

「め、命令形?」


 ダメだ……。豊のやつ命令形すらわかっちゃいない……。

 俺は呆れ半分といった感じのため息をつくと、豊に話しかける。


「とりあえずお願いしますとか言えばいいんだよ」

「なるほどな……じゃあ、教えろ! お願いします!」

「嫌です」


 冬井さんの口調が先ほどよりも強くなったような気がした。

 表情もいつもと変わらないはずなのに、どこか怒っている風にも見える。


「春樹! 話が違うじゃねぇーかよ!」

「当たり前だろ。教えろ! じゃなくて、教えてください! だろ……」

「わ、わかった……教えてください。お願いします」


 豊は深々と冬井さんに頭を下げる。

 冬井さんはほっと小さなため息をつくと、うんと咳払いをする。


「……わかりました。では、教えますのでもう少し近くに座っていただけますか?」

「……へ?」

「そうでないと、教えづらいです。距離的にも近い方がよく伝わると思いますが?」

「わ、わかった……」


 豊は少し戸惑いを見せつつも、少しずつ席を近づけていく。

 そして、完全に近づいたところで冬井さんは説明をし始め、豊はその通りに問題を解き始めた。



 勉強会を始めて数十分が経過した。

 豊は冬井さんにまだ教えてもらっている最中である。

 そんな中で俺にもわからないところが出てきてしまった。

 俺は今苦手としている英語を勉強しているのだが、妙に英単語や常用語が覚えられない。

 また辞書で引いて調べるしかないかと思ったが、それでは繰り返しである。

 いつもわからないところがあったら調べる。それは勉強にとっては当たり前のことだが、こういう英単語に関しては、普通に覚える人もいれば、何かしらのクセをつけて覚える人も中にはいる。

 そう言えば、明日香はどうやって覚えているのだろうか……。

 奈々はともかくとして、明日香は入学試験において全教科満点を取っている。普通で考えれば、ほぼ不可能に近いことなんだが、それだけ勉強を毎日欠かさずやっているという努力の現れなんだろう。

 俺は隣で同じく黙々と英語の勉強をしている明日香に声をかけた。


「明日香、少しいいか?」

「ん? どうしたんだい?」


 明日香は俺の方に視線を向けると、小さく首を傾げる。

 本当に白いなぁ……。

 窓から差し込む溢れ日が明日香の透明さをさらに引き立てる。もはやこのまま透けてしまうのではないかと不安になってしまうくらいだ。

 つい見惚れてしまっていたことに気がつき、俺は首を左右に振る。


「あ、あのさ、英単語とか覚える時っていつもどうしてるんだ?」

「英単語かい? ぼくの場合は一度読んだらだいたいは覚えてるからなぁ……」


 まさかの生まれつきの天才だった。


「もしかして覚え方について聞きたかったのかな?」

「まぁ、そうなんだけどさ……」

「なら、繰り返しノートに書いて、読むしかないと思うなぁ。ぼくだって覚えられない英単語もいくつかあるし、その時はいつもそうしてるよ」

「そうか……」

「うん! とはいえ、人間の記憶力というものには個人差があることははるくんも知ってるよね?」

「まぁな」

「だから、ぼくがこうやって覚えたと言ってもはるくんはそうなるとは限らない。ぼくと同じことを何度やっても覚えられないということが起きるかもしれないから、一応参考までに留めてくれないかな? 結局覚えられなかったと後から言われてもぼくとしては責任の取りようがないからね」

「あ、ああ……それはわかってる」

「どうすれば一番手っ取り早く覚えることができるのか……この際いろんな方法で試してみればいいんじゃないかな? 今後も暗記することが増えると思うし」

「たしかにそうだな……でも、いろんな方法って?」

「それはぼくに聞かれても困るよ。はるくんが一番覚えやすいことを実践するのみ。ただそれだけさ」


 明日香はそうアドバイスをすると、再び英語の教科書に目を移した。

 俺にとって覚えやすい方法か……。

 以前ネットで調べた時はいろいろとあったけど、それを試してみるのもいいかもしれないな。これが身につけば、確実に成績は上がるだろうし、今後にも役立つ。


「ねぇ、お兄ちゃん。もしかしてわからないところでもあるんですか?」


 奈々がいきなり話しかけてきた。


「ああ、そうだけど?」

「じゃあ、私が教えてあげましょうか?」


 奈々はにこにこしながらそう言った。

 が、奈々に教わるほど俺は落ちぶれちゃいない。


「いや、いいよ。どうせわからないだろうから」

「え?! なんでですか! 私に頼ってくれたっていいんですよ!?」

「頼りたい気持ちはあるけど、前回の成績から考えると、俺がわからないところ=奈々がわからないところでもあるだろ」


 そう言うと、奈々はしょぼんとしながらも自分の勉強に戻っていった。


「お兄ちゃんのバカ……」

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