第3話 お兄ちゃんはシスコンであるべきだと思いませんか?③

 昼食時。

 俺は疲労感マックスの状態でダイニングテーブルに着き、お母さん特製のカレーを頬張っていた。

 先ほどの出来事についてはもう忘れたい……。なんとか理性を保つことができて、無事に洗面所から脱出できたとはいえ、妹の裸体を覗いてしまうなんて……兄として最低だし、男としても最低。もう死にたい……。

 そんなことを思っているせいか、先ほどからカレーの味がほとんどしない。


「春樹くん、まだおかわりはたくさんあるからいっぱい食べてね」

「あ、うん……」


 久しぶりのお母さんの味だというのに味がしないのはちょっと寂しいものを感じてしまう。

 かといって、残すわけにもいかないし、なんとか食べられる分だけ食べよう。

 ちなみに俺の前に座っている奈々はというと、ずっとムスッとした顔をしている。時折、俺をちらちらと見たりしているが、一体何を伝えたいのだろうか……よくわからん。

 ひと通り食べ終えたところで、スプーンを皿の上に置く。


「春樹くん、少し話があるのだけど、いいかしら?」

「あ、はい……なんでしょうか?」


 食べ終えたところを見越してなのか、お母さんはまだカレーが残っている皿の上にスプーンを置くと、神妙な面持ちでゆっくりと口を開く。


「あの人はまだ元気?」


 言葉にどことなくトゲを感じる。

 あの人とは間違いなく親父のことだろう。


「ま、まぁ元気だけど……」

「そう。ならよかった」


 お母さんは微笑んで見せるが、目が笑っていない。

 それもそうだ。両親は話によると、意見のすれ違いで離婚したとは聞いていたけど、実際はそうじゃないことくらいわかる。

 ただのすれ違いだけであれば、俺たち子どものことも考え、少なくとも成人を迎えるまでは〜とかにするはずだし、離婚したとしてもその後は何度か会う機会を設けるはずだ。

 それなのに離婚して、その後は互いに連絡を取り合わないのは不自然極まりないだろう。

 その本当の原因がなんなのかは正直気になるところではあるが、子どもとはいえ、二人の関係に割って入るような真似をするのもなんと言うか……気が引けてしまう。

 少し場の空気が悪くなってしまった。

 俺はこの状況を変える意味でもお母さんに皿を突き出す。


「おかわり……お願いしてもいい?」


 そう言うと、お母さんは今度こそ優しい微笑みを向けてくれた。


「はいはい、ちょっと待っててね」


 もし親父とお母さんが離婚せずに今なお家族でいられてたら、俺は一体どうなっていただろうか……。やはり他のところと同じくして、反抗期を迎えて、両親に迷惑ばかりかけてただろうか……。ふと、そんな光景が頭に浮かんだ。



 夕方。

 そろそろ日も落ちてきた頃、俺は帰ろうと玄関で靴に履き替えていた。

 その場には奈々とお母さんもいる。


「もう帰っちゃうの? まだいればいいのに……。あ、なんならウチに泊まってもいいのよ? 奈々から聞いているけど、家に帰ったところで春樹くん一人なんでしょ?」


 お母さんが少し寂しそうな表情を浮かべてそう言う。


「まぁそうだけど……」

「じゃあ、ウチに泊まりなさいよ! 部屋は……奈々と一緒になるけどいいよね?」

「私は全然いいよっ! むしろ一緒のベッドに寝て初夜を迎えましょお兄ちゃん!」

「いや、お母さんの前で何口走ってんだよ! 奈々とは何があってもそういった行為はいたしません! それに……お母さんの誘いは嬉しいけど、俺家に帰ったら洗濯物とかを取り入れないといけないんだよね。親父がほとんど家にいない代わりに俺が家事全般をしなくちゃいけないからさ……」


 そう言うと、お母さんは俺の頭にポンっと手を乗せてきた。


「そう……。ちょっぴり寂しいけど、私たちと離れている間に随分と成長したのね……。えらいえらい」


 ほんわかとした顔で俺の頭を優しく撫でるお母さん。

 俺はそれに対し、なんとも言えない感情が込み上げてきた。お母さんに頭を撫でられているという恥ずかしさもあるけど、それと同時に褒められたという嬉しさもあり、また離れてしまうという寂しさもある。

 無数の感情が一気に出てきたせいか、俺は今どんな顔をしているのか自分でもわからない。


「またいつでもいらっしゃい。歓迎するから」

「うん……」

「じゃあ、奈々送ってあげたら?」

「え、そこまでしなくていいよ。第一俺は男だし送られる必要は――」

「わかりました! お兄ちゃんを家まで無事に送り届けてあげます!」

 奈々が警察官みたいにビシッと敬礼をする。

「いや、そうしたら奈々をまた俺が送らなくては――」

「え? もう遅いって? そうなってしまうと、夜道が心配ねぇ〜。あ、奈々、今日は春樹くんの家に泊まったらどう? ちょうどお泊まりセット用意してるし」


 お母さんはどこからかリュックを取り出し、奈々に手渡す。


「この中にある程度必要なものは入れてあるから。それと、ゴムもね」


 ――ゴム? ヘアゴムのことか?


「さすがママ! これで安心して迎えることができるね♡」


 さっきからなんの話をしているのかまったくついていけてない。

 ひとまず俺はコホンと咳払いをして会話に割って入る。


「ちょっと待って。俺は別に奈々を泊めてあげるとは言ってないよ?」

「え? じゃあ奈々は外で野宿しろとでも言うのかしら?」

「い、いや、そういうことではないんだけど……第一、俺一人でも帰れるし、奈々が泊まったところで部屋がないというか……」

「部屋なら大丈夫! 私、お兄ちゃんと一緒に寝るつもりだから!」

「あら、そう。微笑ましくていいじゃない」

「微笑ましいって……」


 思わず苦笑してしまった。

 まだ小学生の中学年くらいならそう思えたかもしれないが、思春期真っ只中の男女が二人一緒に寝ている光景は果たして微笑ましいと言えるのだろうか……。

 俺は深いため息をしつつ、奈々の方に視線を向ける。


「今日だけだぞ? それと一緒には寝ない。別々の布団で寝る。わかった?」

「ええー。一緒でいいじゃん! そしたら布団もいちいち洗濯せずに済むし、ちょっとした手間省きになるでしょ?」

「そんな手間省きはいらないし、むしろ喜んで手間をかけさせてもらいたいよ。それともなんだ? 泊まらないならそれでもいいんだけど?」

「と、泊まります! 別々の布団で寝ますから!」


 奈々は少し涙目になりながらも靴に履き替える。


「というわけなんで、奈々は明日送ります」

「うん、わかったわ。じゃあ、二人とも気をつけてね」


 なぜこうなってしまったのかはわからないけど、久しぶりに兄妹で一泊するのもいいだろう。どうせ親父はまた会社だしな。

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