side:ヨルムンガンド
めっちゃ空気が重いです……。
何が──って、そりゃイリアス・フォルトナー雑貨店の空気が、ですよ。
主様がいなくなって、早一週間。
いやまぁ、あの方がなんの前触れもなくフラッといなくなることなんて日常茶飯事ですから、そんな心配はしていません。
していない……の、ですが……。
さすがに一週間近く音沙汰がないのは初めてのことなので、何かと問題が発生しちゃっております。
お店の方はまぁ、アレですし? 閑古鳥がピーヒョロロ~と鳴いておりますので、主様がいてもいなくても問題が発生する余地などないのです。
ああでも、義肢に使うスライムの樽漬けが大変……ってことはありましたか。
でもでも! 優秀なわたくしにかれば、その程度のことなどなんとでもなります。実際なんとかしました。
問題なのはね、はルティーヤー様の方なんですよ。
表面上はね? いつも通りです。
食堂に来店するお客様にも笑顔で明るく接客なさっていますけれど……わかるのです。
ええ、ええ、わたくしにはわかってしまうのです。
あれは絶対に怒ってる。〝怒る〟と言っても、顔を真っ赤にして感情を爆発させるような怒り方ではなく、笑顔を顔面に貼り付けて、深く静かに怒ってる感じです。大噴火が起きる前兆のように感じます。
ハッキリ言って、居心地が悪いったらありゃしません。
食堂へご来店頂いているお客様たちは、ルティーヤー様の静かな怒りに気づかないのでしょうか? いくらなんでも鈍感すぎですよ人間さん!
はぁ~……これがあれですか、平和ぼけってヤツですか。万物の霊長なんて自称しちゃう生物っていうのは、危機察知能力が低すぎじゃないですかね?
そんな驕りを抱かぬよう、わたくしは気を引き締めていきたいと思います。
息を殺し、存在感も消してジッとしています。
言っちゃなんですが主様の雑貨店は、ご来店頂くお客様がほとんどいません。
もうね、あれですよ。
わたくしは岩です、岩なのですと念じながら、身じろぎ一つせず、静かに時間が過ぎていくことを待つばかりです。
動かず騒がずジッとしてるのは、割と得意な方ですからね。
何しろ大地を司る神龍ですからね。大地は数百年、数千年の時間をかけてゆっくり動くもの。
……え? 地震?
それはジャーキングみたいなもんですよ。寝てるときに体がビクッとしちゃうヤツ。あれと同じです。
とにもかくにも、こうして息を殺している間に主様が帰ってきてくれるのが一番なんですが……てか、ホントにどこ行ってんですかね、あの人。
探し出すのは簡単ですよ。
この大陸に立っているのなら、どこに誰がいるのか探ろうと思えば一瞬で探ることができますから。
けど、わたくしにでできることは、ルティーヤー様にもできること。
そのルティーヤー様が何もせずにおられると言うのであれば、わたくしも下手なことをせずにジッとしているのが吉でございましょう。
そうです。
わたくしは岩、わたくしは岩……何も考えず、何も思わず、何もせずにジッとしているだけの存在。嵐が来ようと津波に呑まれようとも、天変地異の災いが過ぎ去るのをただ待つだけの存在……。
「──ガンド、ちょっとヨルムンガンド」
「ふぁえっ!?」
びっ、びっ、びっ、びっくりしました……! いきなり耳元で声がして、体が跳ね上がっちゃいました。
だって目の前に、わたくしを睨むルティーヤー様のお顔があるんですもの。ジッと静かに岩のフリをしていたことが、アダとなったようです。
「し、失礼しました……」
「仕事中にぼーっとするのはダメよ」
いやあ……仕事中と言っても、こっちにはお客様なんて──。
「客なんて来ない──と思っていても、気を抜きすぎてはいけません」
うぐぐ……こっちの考えもお見通しですね。
けれど、それを言ったらルティーヤー様もなのでは? こちらの雑貨やと違い、飲食店の方は斑状してますからね。わたくしの様子など見ている余裕もないはずなのですが……。
「って、もう夜ですか」
ちょっと気合いを入れて岩になりきっちゃっていたようです。気がつけば、雑貨店の方はもちろん、ルティーヤー様の飲食エリアの方にも人はおらず、窓の外はすっかり暗くなっていました。
「それではルティーヤー様、わたくしは住居の方で休ませていただきます。お疲れ様でした」
ここで迂闊なことは言いません。主様の話題など、今この場で触れていい話題じゃないことくらい、重々承知しておりますとも。
「ちょっと待ちなさい」
えぇ~……呼び止められちゃいましたよ? なんでー……?
「悪いけれど、ヨルムンガンド。明日から数日の間、私の食堂もお願いするわ。ちょっと出かけてくるから」
「……は?」
え、ちょ……なんですって? 任せる? わたくしに? 食堂を!?
「なっ、何を仰ってるんですかルティーヤー様!? わたくし、ほら、こんなナリですし、食堂で料理なんて無理です!」
「もう一体くらい幻体を作ればいいでしょ」
「今さら双子設定はどうかと思いますけど!」
「成人の幻体にすれば、問題ないわね」
「中身はわたくし一人なんですが!?」
「あなたなら、一国家くらいの幻体を生み出せるし同時に操れるわよね?」
「そんなこと……できるできないの話で言えば、できますけど! できますけれどもっ!」
でも、結局動かすのはわたくし単体なんですけどね!
「で、出かけると申しましたけれど、いったいどちらへ……?」
「決まっているでしょう。店長を連れ戻してくるのよ」
「あー……」
これはびっくりです。
ルティーヤー様が自ら率先して動かれるとは……。
どうやらわたくし、思い違いをしておりました。
怒ってるなぁとは思っていましたが、想像以上に根に持ってる……。
もはや引き留めるとか言える段階じゃございません。わたくしにできることなど、ただひとつ。
幻体をもう一体作るのが面倒とか言ってる場合じゃありません。世界存続の危機じゃないですか。
「……行ってらっしゃいませ……」
どうか世界が終わりませんように……と、胸の内で祈りながら、ルティーヤー様を見送らせていただきました。
主様、どうかご無事で……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます