第8話 深い海の底にて
三日じゃ終わりませんでした!
いやホント、無理だって三日で終わらすなんて。どこのどいつだ、三日なんて無茶な納期を決めたヤツ!
はい、あたしです。
原因はまぁ、わかっちゃいるの。ジョルナの負担があまりにも大きすぎたってこと。
ドワーフ文字を共通文字に変換するのは楽なのよ。ドワーフがいっぱいいるからね。
でも、その共通文字から人魚語に訳せるのはジョルナしかいない。それがどんだけの重労働なのか、言うまでもないことでしょう。
加えて、ジョルナが予想以上に生真面目だったのと、地頭が良かったのも、今回は悪い方向に働いちゃったってのもある。
今回の作業をお願いするにあたって事前に説明したことと、実際にお願いした公用語での刻印詠唱を見たジョルナが「これなら人魚族にこういう魔法が──」と別案を出してくれちゃったりしたから、さあ大変。
どうやらエオル──いや、ドワーフにとって、魔法というものは刻印詠唱のおかげでひとつの〝技術〟になってしまったようだ。
そうなるとジョルナからもたらされる人魚族の魔法は、自分たちが知らない新技術に見えてしまうらしい。「ほうほう、なるほど……」と議論に花を咲かせちゃってさ、肝心の作業がなかなか進まなくなたってわけよ。
それでも!
ええ、それでも、あたしたちはやってやりましたとも!
ジョルナの負担を減らすため、人魚文字の辞書を何処からともなく取り寄せて、なんとかかんとか成し遂げてやったわよ!
幸いだったのは、潜水艇の製造方法が各区域ごとに分かれて作れるようになっていたことね。動力部、操縦室などなどを個別に作って、最後にくっつけるって作り方をしてたの。場所によっては、すぐに完成まで持って行けるところもあったからね。
そういう作り方をしていたおかげもあって、刻印詠唱の翻訳に時間は取られはしたものの、そこを乗り切ればあとはスムーズに完成までこぎ着けることができた。
「怒濤の日々でしたねぇ……」
完成した新型の小型潜水艇を前に、エオルが感慨深く呟いた。
それはあたしの台詞だよ……。
「さっ、エオル。完成した潜水艇で、早速マリナードへ向かうわよ」
「えっ? いや待ってくだせぇ、姐さん。まずは近場で試運転をしましょうや」
「試運転なら、それこそマリナードに行ってみればいいでしょ」
「マリナードはそんな近場じゃねぇっすよ」
「こっちは潜水艇を作るので五日間も足止め喰らってんのよ。これ以上、のんびりしてらんないんだから!」
「強引っすねぇ……じゃあ、そうしますけども、後から文句は言わんでくださいよ」
別に無理強いしたわけじゃないのに、ちゃんと〝お願い〟を聞いてくれるなんて、やっさしぃ~っ!
……してないわよね?
「じゃ、早速行きましょう!」
あたしたちが作り上げた小型潜水艇は、なんとかかんとか詰め込んで四人乗れるかどうかというサイズ。まぁ、今回は潜水艇を操縦するエオルとあたしの二人だけだから、ちょっとした食糧を詰め込んでも余裕がありそうね。
「って、ちょっとティア! なんであんたが乗ろうとしてんの!?」
なんで何もしてないティアが、エオルやあたしを差し置いて真っ先に乗り込もうとしてるかなぁ?
「なんでって、これに乗って人魚の国に行くのだろ?」
「そうだけど、あんたは乗る必要ないじゃん。海の聖獣なんだし、そうでなくても向こうについてからあたしが呼び出せばいいだけだし」
あたしの指摘に、ティアはなんだか凄くショックを受けたような表情をしてみせた。なんでだ。
「いいではないか、我が乗っても!」
「え、乗りたいの?」
「そりゃ乗ってみたいわ」
「えぇ~……」
まさかティアがそんな風に思うとは……意外と好奇心あるのね。
「まぁ、そこまで言うなら一緒に乗ってもいいけど──」
「さすが契約者殿」
許可を出した途端、最後まで話を聞かずに乗り込みやがった。どんだけ興味津々なのよ。
「それでは、私がマリナードまでご案内いたしますね」
ジョルナが、そんな風に申し出てくれた。
■□■
造船所から海に放たれた潜水艇は、そのまま普通の船のように海上を進む。沖合に出たところでエオルが声をあげた。
「これから潜行を開始しやす」
エオルがそう宣言してゆっくり操作レバーを引き下ろすと、潜水艇は潜行を開始した。
もともと窓がなかった潜水艇だけど、あたしの強い要望で無理矢理くっつけたから外の様子もよくわかる。
なんで窓をつけようって言い出したのかと言えば、ジョルナがいるからよ。せっかく道案内をしてくれる人魚がいるんだから、その姿を見ないでどうするって話じゃない?
いやあ、水圧に耐えうるガラスを作るのは苦労したわ。
ある程度は魔法で耐久力を上げることはできるけど、深海なんて何が起きるかわからないからね。ガラスそのものを厚くして、魔法がなくても水圧に耐えられるようにもしておいた。
一番難しかったのはガラスの透明度を保つことで……って、そんな話はまぁいいか。
「いやあ、外が見えるってぇのはいいですね」
「マリナードと貿易してる潜水艇はどうしてんの? 外が見えなくちゃ危ないじゃない」
「探知魔法を応用した〝目〟をつけてんでさぁ。数値で大きさやら距離やらを示してくれるだけですが、それでもなんとかなるもんですぜ」
「風情がないなぁ」
そんな話をしながらも、潜水艇は潜行を続けて行く。薄暗くなってきたなと思ったら、あっという間に真っ暗になった。
「真っ暗ね……これでどんくらい潜ったの?」
「まだ水深二百メートルくらいですぜ。まぁ、百メートルも潜ると真っ暗ってぇ話はマリナードの人魚族から聞いたことがありやすね。明かりを点けやす」
窓を付けたことで必然的に明かりが必要となったこの新型潜水艇には、前方を照らす光源がある。魔導ランタンの応用で作ったヤツだけど、まぁまぁ遠くまで見えるわね。水中を自在に泳ぐジョルナの姿もよく見えるわ。
泳ぐ──と言っても、手足で水を掻いてる感じはしない。意識を向けた方向に流れているような……そうね、魔法使いが魔法で空を飛んでる姿に近いかもしれない。
……そういえば、潜水艇を作ってる最中に改良した船体に刻んだ刻印詠唱も、空を飛ぶ魔法の術式に似ていたような……ふむむ。
これはもしかすると、使い方によっては面白いことができるかもしれないわね。
「ふーむ……陸地の人間は、方法はどうあれ、再びここまで来られるようになったんだのぉ」
人魚族の水中移動術についてあれこれ考えていると、窓にへばりついていたティアがそんな風に声を弾ませた。
「前時代の人間も同じようなことをしていたが、それは失われて久しいと聞く。けれど、人は一度失ったものでもこうして取り戻すことができるのだな。主様の仰ってたことはこういうことか」
なんか一人で納得してるわね。よくわからんけど、長く生きてればそれだけ思うところがあるってことかしら?
「それはそうと、なんかジョルナが窓にへばりついとるが?」
「は?」
何のこっちゃと窓に目を向ければ、なるほど、確かにジョルナが窓をバンバン叩いてる。ただまぁ分厚いガラスだから、中には全然響いてなくて気づかなかったけども。
「何してんのかしら?」
しまったなぁ……こういう時にジョルナと話ができる方法とか考えてなかったわ。
なんだか、すっごく焦ってるような……あれ? なんか凄い勢いでどっか行っちゃったぞ──と、思った直後。
「うわっ!」
ドンッ! という強い衝撃とともに、潜水艇がひっくり返りそうな勢いで大きく揺れたんですけど!?
「エオル、何事!?」
「なんか、でっけぇのがいるっぽいっす!」
「はぁあああ?」
でっけぇのってなんだ、でっけぇのって! そこはもっと正確に──。
「………………」
一瞬言葉を失っちゃったわ。だって窓から見えたんですもの。窓の全面を覆ってあまりある巨大な胴体が横切って行くのを!
「でかくない!?」
「でっけぇっつったでしょ!」
そりゃダンジョンでドラゴンだのキマイラだの、そこそこ大きな魔獣は見たことあるけれど! それに負けず劣らずの巨体だったわよ!? ダンジョンの外にも、あんなのがいるんだ! って、妙な感動を覚えている場合じゃない。
「エオル、反撃!」
「そんなん、あるわきゃねぇですよ!」
「なんで!?」
「この船は攻撃船じゃねぇからです! てぇか、すぐに攻撃とか言い出すのはどうかと思いやすぜ?」
「攻撃されてんだから反撃するのは当然でしょ!」
「もっと穏便にいけませんかねぇ!?!」
そりゃあたしだって穏便にいきたいよ!
けどね、初手から攻撃してきた相手に、笑顔でコミュニケーションを取ろうってのは無理があるってもんなの!
「うわわっ!」
そんなことをしてる間にも、再び潜水艇が大きく揺れる。また体当たりされたんじゃないの、これ?
「このままじゃ沈められちゃうわ! ティア、なんとかしなさい!」
「急に我に振られてもな!?」
急も何も、この子ったら今のところまるで役に立ってないじゃん!? 海の中なんて生身で行ける場所じゃないし、せめてこういう時に役立つところを見せてもらわないと!
「そんな慌てんでも。ま、大丈夫であろう」
と、ティアが脳天気なことを言った直後、三度巨大生物が潜水艇に体当たりしてきた。
ぜんっっっっっぜん大丈夫じゃないんですけどねぇ!
「姐さん、ヤベェっす」
「すでにヤバいわよ! 何っ!?」
「駆動系が破損しちまったみたいです」
「はああああああ!?」
壊れた? なんで!? 刻印詠唱で刻まれた部品は、衝撃でダメになることなんてあるはずが……って、そうか! 刻印詠唱が刻まれた場所が欠ければ、それはもう〝詠唱〟としては不完全。ダメになっちゃうってことか!
「うぉあっ!」
そんな刻印詠唱の欠点に気づくや否や、エオルが悲鳴を上げた。潜水艇の正面ガラス窓全面を覆うほどに巨大な目が、中を覗き込んでいた。
「ちょっ──」
やっばい、これは詰んだか? あたし一人なら、海中でもなんとかできるけど、エオルを保護するのは無理だ。
かといって見捨てることなんて、できるわけもない。
どうするどうするどうする……?
「契約者殿、大丈夫だと言うておろうに」
この期に及んで、ティアがまだ吞気なことを言っている。
いやもうこれ、どっからどう見ても大丈夫じゃないわよ。だって潜水艇の中を覗き込んでた巨大生物が、ぐるっと旋回したかと思えば大きく口を開けて迫ってきているんだもの。
これ、喰われ──。
「うわっ!」
──る、と思ったら、なんらかの衝撃が巨大生物の顔面が何かに殴られたかのように横へ弾かれた。
「え、何?」
何が起きたかわからずに混乱していると、窓の外に人の姿が見えた。
ジョルナじゃない。首や胸など、急所になりそうなところだけを守る軽量鎧みたいなヤツを着込んだ兵士みたいな人影だ。
そんな人影が十人……二十人……もうちょいいるか? とにかく、それだけの兵士が巨大生物に挑みかかっている。
「人魚族の兵士だな。マリナード近海の海であの手の海獣退治をしておる連中だ。だから大丈夫と言ったであろ?」
目の前で巨大生物と戦う兵士たちの正体を、ティアが教えてくれた。
「彼らが来てたことに、あんた気づいてたの?」
「海の中のことなら、大概はわかるぞ」
「異界断絶の要石の行方はわからないのに?」
「そんなイジワル言わんでも……」
しょげないでよ。ごめんて。
そんなティアを横目に窓の外を見ると、ジョルナが窓をバンバン叩いていた。
何やってんのかしら? と思っていたら、あたしの視線に気づくと、潜水艇の入り口方向を指さした。中に入りたいのかしら?
いちおう、入り口は二重構造にしてある。船内から外に出る時は、人が二人くらいしか入れないような小部屋を通ることになっていて、そこで海水の注入や排出を行うことで、水圧の調整ができたりする。
そこんとこの仕組みはエオルやヤルン・グレイプ商会の面々が行っていたので、詳しい仕様はさすがにちょっとわかんないなぁ。ただ、深海でも潜水艇に出入りはできるよってことらしい。
冷静に考えると、これって凄い技術なんじゃないかしら?
「エオル、ダメになったは駆動系だけよね? 出入りはできる?」
「そっちは問題ねぇっす」
「ジョルナが中に入りたいっぽいよ」
「了解っす」
エオルが何かスイッチをポチポチ押すと、ゴゴ……ン、と船内に鈍い音が響いた。無事に外扉が開いたらしい。
身振り手振りで船内に入れる旨をジョルナに伝えると、無事に伝わったのか、窓の前から姿を消した。
しばらく待っていると──。
「皆さん、ご無事でしたか!?」
息せき切ってジョルナが操縦室に入ってきた。あんま広くないところだから、それだけでぎゅうぎゅうである。
「中はぜんぜん大丈夫よ。ただ、駆動系が壊れちゃったみたいで動けなくなってるのよね」
「えぇっ!? それって一大事なのでは……?」
「う、うん、まぁ……」
巨大生物の脅威が去った今、深海というこの場所から動けないっていうのは死刑宣告に等しい。一難去ってまた一難とはこのことですな、がはは。
……笑い事じゃないわ、マジで。
「そういうことでしたら、我々でこの乗り物を曳航いたしましょう」
そう言ってくれたのは、ジョルナの後から入ってきた……たぶん、人魚族の兵士だ。
「あ、ご紹介いたします。こちら、マリナードの近海警備を担っております衛兵隊隊長のアウザーさんです」
ジョルナからの紹介に、アウザー隊長がビシッとした敬礼を見せてくれた。
エルフ森林王国といいこの国といい、衛兵の人たちってどこもパキッとした態度よね。ま、規律の厳しいところに所属してるから、当然っちゃ当然なんだろうけどさ。
「曳航していただけるの有り難いですけど、動かせます?」
「ははは。もちろん押したところで動きはしないでしょうが、座礁した船を動かすような魔法などが人魚族にはあるのです」
へぇ、そんな魔法があるんだ。いわゆる日常生活で使うような魔法ってことかな?
地上でも、魔法使いにはそういう日常魔法を使う人がいるって話は、小耳に挟んだことがある。部屋の掃除したり、衣服の洗濯ができたりね。
なので、魔法使いで「家事は得意」とか言う人は信用しちゃいけない。魔法が使えなくなっちゃったら何もできないからね。
「それではジョルナ様、私はこれで」
「あ、お願いします」
……ほう? ジョルナ〝様〟とな?
当のジョルナは、何度も何度もペコペコと頭を下げ衛兵隊長さんを見送っているけれど、アウザーさんの態度を見る感じでは、もしかして偉い人?
「えっ? いやいや、私はそんなたいした立場じゃありませんよ。ただ、その、穏健派でちょっとした肩書きがあるだけで……」
「ふーん?」
確か、ジョルナ自身が前に自分のことを〝司祭〟とか言ってたっけ。
あたしの感覚だと、司祭って肩書きはそこまで偉くないんだけどなぁ。
だからこそ、衛兵隊長さんがあそこまでかしこまるのはちょっと違和感を覚えちゃうんだけどね。
そんなあたしのとりとめも無い考えを他所に、潜水艇がゆっくりと動き出した。それほどスピードが出てるわけじゃないけど、ちゃんとしっかり動いてる。
水の中とはいえ、こんだけの質量があるものを動かせるだなんて凄いわね。
そうやってゆっくり移動していると、しばらくして深海の暗闇の中でほのかな光が見えてきた。
「おっ、あれですよ姐さん」
そんな明かりを指さして、エオルが声を上げた。
「あの明かりが点っているところが人魚の国、マリナードでさぁ」
それはまるで、真珠のように淡く光る深海の都市だった。
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