第6話 エオル・ラッド
ヤルン・グレイプ商会とは、前線都市において冒険者のみならずその家族の生活をも支える大商会である。
それは何も、あたしが拠点にしている第三前線都市だけの話じゃない。ここ、第七前線都市を含めたすべての前線都市に、かの商会は商売の手を広げているのだ。
まさに大商会と呼ぶに相応しい規模と言えるでしょう。
そんな規模の商会を取り仕切っているのが、あたしの制作使役の師匠であるダラカブ・ラッドってわけだ。
あの人、商業ギルドの長なんてやってるだけあって、制作技術だけでなく商才の方も半端ないのよね……。
それはともかく。
そんな師匠の商会が、海を潜る船を作り上げていたとは知らなかった。
だったら、なんとかして借りる──借りるのは無理でも、マリナードに行くときに乗せてもらうってことはできないかしら?
うーん……どうだろう。
師匠と直接交渉できるならできそうだけど、ここは第七前線都市。師匠はいないし、商会にはあたしのことを知ってる人がいる可能性も低い。
けど、水中を自在に動けるらしい刻印詠唱を体に入れない以上、他に手はないし、ここはひとつ、ダメ元で掛け合ってみるしかないでしょう。
かくしてあたしは、昨晩のうちに暗殺者もどきの襲撃者を冒険者ギルドに引き渡し、そのまま宿で一夜を明かしてから、第七前線都市のヤルン・グレイブ商会第七前線都市支店へ訪れてみることにしたのである。
ちなみにティアとジョルナは宿に残してきた。
ティアはともかく、ジョルナは目をつけられている。あまり表をうろうろさせるのは得策ではないと判断したためだ。
なので、ティアは万が一のときの護衛である。そのくらいはちゃんと出来てくれなきゃ困るわよ。
「海に潜る船を貸してほしい……ですか? ……あー、潜水艇のことか。そりゃ貸してほしいと言うのなら、こちらも商売です、お貸ししますとも」
突然押しかけて無理難題とも言うべき申し出だったにもかかわらず、ヤルン・グレイブ商会第七前線都市支店を任されているらしいドワーフのグラナラ・ゴッシュ氏は、予想に反して感触の良い返答をしてくれた。
ちなみに、あたしは彼のことを知らない。彼もあたしの名前を聞いてもピンと来た様子はなかった。
姓は師匠と違うから、血縁ってわけじゃないと思う。それでも第七前線都市の支店を任されているわけだから、制作技術の腕前と商才はある人なんじゃないかしら?
「ただねぇ~……」
そんなグラナゴ氏は、どこか奥歯に物が挟まっているような態度だ。
「貸してる間の補填も含めますと、かなりの金額になってしまいますよ」
そう言ってあたしに提示してきた貸出料は、ちょっと桁を二桁ほど間違ってんじゃないの? って疑問に思うほどの金額だった。
ぶっちゃけ、前線都市の一等地にお城みたいな豪邸が建てられるくらいの金額よ。
「いくらなんでも高すぎない!?」
「いえいえ、これが適正価格です。潜水艇を貸すということは、その間、マリナード国から商品が仕入れられなくなるということ。その分を賃貸料に上乗せさせていただくことには、ご理解いただかねばなりません」
「んぐっ……ぐぬぬ……っ」
あまりにも正論過ぎて、こっちはぐうの音も出ないほどですよ。
まぁね、そりゃね? これが逆の立場だったら、あたしも同じように計算して賃貸料を請求しますとも。
予想外だったのは、まさにその賃貸料だ。こんなに高いとは思わなかった。
マリナードからの輸入品から得られる利益って、こんなにするんだ……って、正直ちょっと引いてる。
「そ、それだったら、次回マリナードに行くときに乗せてくれるようにしてもらうってのはどう? それでも十分、ありがたいんだけど」
「うーん……次回と言われましても、前回の航行は一昨日に戻ってきたばかり。次は月をまたぐことになってしまいますが」
「それだったら、来月までの返却を条件に貸してくれてもいいじゃない。できれば……もうちょい、お値段控えめで」
そんな感じで食い下がってみたけれど、グラナゴ氏の反応は冷ややかだ。
「それでしたら確かに先ほどの提示額よりお安くできますが、潜水艇も整備しなけりゃなりません。早くても一週間後の貸出しになってしまいますよ? なので、実質お貸しできるのは、二〇日ほどになってしまいますが」
んぐぐ……っ! それは……ちょっと、厳しいなぁ。
貸出し期間が二〇日程度になるのは、たぶん問題ないのよ。そんな長く時間をかけるつもりはないから。
ただ、出発が今から一週間後っていうのが、ちょっと……ねぇ? そんなのんびりしてられないって事情もある。
それはジョルナの置かれた状況がそうだし、何よりあたしが、自分の店をほったらかしてこんなところに連行されていることが問題だ。
これ、帰ったとき絶対にルティから怒られるんだろうなぁ……。
それはもう確定的に明らかな事実なので、少しでも怒りの度合いを下げるためにも、ここで時間を無駄にしてらんないのよ。
「そこをなんとか、今日明日中に借りることはできない?」
「うーん……」
こっちも引くに引けない状況だから食い下がってみた。それでも『無理なものは無理!』ってことはわかっているけれど、グラナゴ氏は腕を組んで唸った後、「わかりました」と頷いた。
「お客の要望に首を横に振ってばかりじゃ、ヤルン・グレイプ商会の名折れ。会長に知られりゃ怒鳴られるってもんです。そちらも何やら切羽詰まったご様子。最大限の配慮はさせていただきましょう」
「それじゃ──」
「おっと、安心されるのはまだ早うございますよ」
首を盾に振ってはくれたものの、けれどそれは、あたしの要望を受け入れたわけじゃなさそうね。
「私としては、これも商売です、払うものをお支払いいただけるのであれば、お貸しするのに否応もございません。しかし、ここで枷となるのは潜水艇の整備主任の担当技師です。その技師を説得できれば、お貸しいたしましょう」
「技師の……説得?」
「これがなかなか頑固でして。商売よりも商品、自分が手をかけた商品に妥協を許さないタイプでして……。なので、整備が済むまではお貸しできない事情もあるのです」
「なるほどね」
つまり、その整備士を説得できれば貸してやる──ってことね。
それは……うーん、難しいとこね。
あたしもさ、これでも自分で作った商品を売って生計を立てている職人なわけですよ。そういう立場から考えると、やっぱお客に売る商品は手を抜けないじゃない?
潜水艇の整備を担当している技師って人も、そういう職人気質なところが強そうだし、これは一筋縄じゃいかないかもしれないわね。
けど!
それでも話をしてみないことには、本当に無理なのかどうかなんて何も言えない。
「わかったわ。それじゃ、その整備主任って人と話をさせてもらえる?」
「では、ご案内いたしましょう」
グラナゴ氏に案内されて向かったのは、第七前線都市の沿岸部に建築された造船所だった。これもヤルン・グレイプ商会が所有しているらしい。
いやあ……こうやって改めて目の当たりにすると、師匠ってばホント手広く商売やってんのね。
あたしもいずれは、このくらいの規模の商会に! と思う野心はあるけれど、かといってガツガツと前のめりで自分の店を大きくしたいとは思わないなぁ。
だって、ここまで自分の店が大きくなっちゃうと、その分、いろんな雑事が増えて物作りができなくなりそうだし。
やっぱあたしとしては、人を使って商品を作るより、自分の手で作って売っていきたいのよね──なぁんて。
そんな個人的な将来の展望を抱かせる造船所の中へ──ではなく、その脇を通り過ぎて港へと向かう。
そりゃね、もうね、潜水艇は完成して運用してるわけだから、よっぽど大がかりな修理や改修でもしない限り、海から引き上げて造船所の中に持ってかないわよね。
さすが港町でもある第七前線都市だけあって、大小さまざまな船が停泊してる。
もしかして……ヤルン・グレイプ紹介の造船所近くに停泊してるってことは、全部商会の船だったりするのかしら?
「お~い、お嬢ぉ~っ!」
そんなあたしの疑問を他所に、グラナゴ氏は桟橋に立っていた一人のドワーフに声をかけたは……ん? お嬢ってことは、整備主任は女の人?
ドワーフって、髭になんらかのこだわりっていうか意味があるのか、女性でもわざわざ付け髭をつけてるのよ。だから、パッと見ただけじゃ男か女かよくわからないのよね。
「ちょいと支店長、その〝お嬢〟ってぇ呼び方は勘弁してくれって毎度言ってるじゃねぇっすか」
「それよりも、大事な話があるんだ」
振り返った整備主任らしいドワーフの少女の苦言を、グラナゴ氏は右から左に聞き流す。
その様子から、二人の間でそういうやりとりが日常茶飯事で行われているのがよくわかる……って、あれ?
「こっちのお客が潜水艇をどうしても使いたいと仰っているんだ。なんとか工面できないかね?」
「あぁん?」
じろりとあたしを睨む整備主任。というか、この人ってもしかして……。
「あれ? もしやおめぇさん、イリアスの姐さんじゃねぇですか?」
「やっぱりエオル? うわぁ、久しぶりじゃない!」
まさかとは思ったけど、やっぱり知り合いのドワーフだった。
彼女の名は、エオル・ラッド。あたしの制作技術の師匠、ダラカブ・ラッドの孫娘だ。
孫娘ということは彼女も師匠から指導を受けており、言うなればあたしの姉弟子だ。
そう、姉弟子なのである。なのにエオルは、どういうわけかあたしのことを〝姐さん〟と呼んで慕ってくれている。
「しばらく姿を見ないと思っていたけど、ここにいたのね! まさか整備主任なんて役職に就いてるとは思わなかったわ」
「そういう姐さんこそ、あんだって第七前線都市にいるんでやすか? しかも、潜水艇を借りたいって話でやしょう?」
「ああ、それは──」
「おや、なんだい」
和気藹々と話を弾ませるあたしとエオルを見て、グラナゴ氏が驚き半分、呆れ半分の声で割って入ってきた。
「お客さんは、うちのエオルと顔見知りでございましたか」
「何を言ってやがるんですかぃ。こちらのイリアス・フォルトナー女史は、我が商会の会長、ダラカブ爺様最後の徒弟ですぜ」
「なんだって!? そういうことなら早く言ってくれよ」
エオルの一言で、グラナゴ氏の態度が一気に砕けた感じになった。
「じゃあ、潜水艇の話はお嬢と二人で詰めてくれ。そこで話がまとまるなら、俺っちの方にゃ否応もねぇからよ。じゃ」
そう言って、グラナゴ氏は早々と去って行ってしまった。
うーむ、なんというか〝師匠の弟子〟って立場は、ヤルン・グレイプ商会内でも身内扱いになるのかしらね。いやまぁ、いいんだけどさ。
「すいやせんね、姐さん。支店長は職人よりも商人の方に才のある人なんですが、どうにも身内にゃダレるところがあるんすよ。ちゃんと客が相手ならシャキっとするんでやすがね。うちの爺様も、そこんとこで頭を悩ましてんでさぁ」
「別にそこはいいんだけどさ。それよりも……」
「潜水艇を借りたいでありやしょう? けどねぇ、姐さんの頼みでも整備がまだ済んでねぇもんを外に出すのは、あっしの矜持が許さねぇんですよ。そこんとこ、わかってくださるでしょう?」
「まぁ……気持ちはわからなくもないけど」
エオルは根っからの職人だ。自分の手がけた作品には──商品でも──妥協を許さないタイプである。ここであたしが「言い値を払う!」と言っても、首を縦に振ることはないでしょうね。
顔見知りがいたことで話は早いけど、性格を理解している分、こりゃ無理かもしれないって気持ちが強くなってきた。
「ですが、姐さんが相手とあっちゃあ無碍にもできねぇっすね」
……おっ?
「じゃあ──」
「まずは事情をお聞かせ願えませんかね?」
「ああ、うん。実はね──」
確かにエオルが相手なら説明は必要よね──と思って、あたしはジョルナとの出会いから人魚の国マリナードの宗教絡みのゴタゴタなど、話せることは包み隠さず話した。
ただ、ティアが件の国教で奉られている神様だった──とか、異界断絶の要石を取り戻さないと世界がヤバい──なんてことは内緒にしておいた。
だって恥ずかしいじゃん、そういうのを真面目に語るのってさ。
「……なるほど、だから人魚の国に行くために潜水艇を使いたいってわけですか」
それでもエオルは、あたしがマリナードに行きたがっている理由は待っとくしてくれたらしい。
「事情はわかりやした。そりゃ確かに潜水艇が必要っすね」
「なんとかならない?」
「……ひとつだけ、手はありやすぜ」
お……? それはちょっと予想外の発言だぞ。あたしはてっきり、「無理なもんは無理っ!」って言われて断られると思ってたのに。
今の状況で、「手がある」と言われたら〝乗らない〟って選択肢はないわね。
「話を聞かせてもらえる?」
「ちょいとこっちに来てくだせぇ」
そう言って場所を移すエオルの後を、あたしは頷きつつ付いていくことにした。
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