第5話 人魚族の国へ
普段は開閉するたびにギィギィと鳴る部屋の扉が、音もなく静かに開いた。
おそらく、何かしらの薬品で蝶番の滑りをよくしたんだと思う。
それだけで、相手がこういう行為に慣れているのがわかる。
部屋の中に入ってきたのは三人。足音も立てず、衣擦れの音もさせないで入ってきた。
外には二人残っているようね。万が一の事態に備えた後方支援ってとこかしら?
どうやら相手は、こういう隠密行動に長けた連中らしい。暗殺者とかその手の類いかもしれない。
その三人は明かりのない暗い室内でも見えているのか、ざっと視線を走らせると、毛布がこんもりと盛り上がっているベッドに目を向けた。
その数も三つ。あたしとティア、ジョルナそれぞれのベッドだ。
三人の侵入者は目配せをすると、ナイフを手にそれぞれのベッドへ向かい──。
カッ! と。
真昼の太陽もかくやという強烈に過ぎる閃光が奔る。
「がっ!」
その眩さに、さしもの侵入者たちも目を焼かれて苦悶の声を上げた。
その瞬間を見逃さず、あたしは潜り込んでいたベッドから飛び出した。
ノックもなしにレディの部屋に忍び込んで来るような連中だからね、遠慮なんて必要ない。目が眩んで悶絶している隙を逃さず、一撃を入れて立て続けに意識を奪っていく。
「ふっ、他愛もない……」
まぁ、目を潰してたからね。素手で相手の意識を奪う方法はヴィーリアや義兄のルシェッドさんから教わってたので、どちらかというと得意な方だ。
目眩ましの閃光は、床に仕込んでおいた閃光の刻印詠唱が発動したから。踏めばその人の魔力を媒介にして発動するわけだから、ある意味、自滅したとも言えるでしょう。言えない?
「ジョルナ、もう大丈夫よ」
昏倒させた三人の侵入者をロープで縛りあげながら声をかけると、ジョルナが恐る恐るといった体でベッドから顔を出した。
「い、いったい何事なんでしょうか……? この人たちは……」
何事も何も、どう考えたってジョルナを狙ってた荒くれ者──手口や行おうとしていた行動から考えて、暗殺者の類いだと思うんだけどね。
そういうのに狙われてるっていう自覚が、ジョルナにはまだないのかしら?
「契約者殿、戻ったぞ」
そこへ、外に残っていた残り二人の暗殺者をつつがなく捕縛してティアが戻ってきた。室内のベッドの残り一つは、ティアがいるように見せかけておいたのだ。
襲われるまで相手の詳しい技能がわかってなかったからね、あたしがこっそり外に出ても相手によってはバレるだろうと思い、聖獣でもあるティアの方が人の目を欺くのに適してると思って任せたわけだけど、首尾よくいったらしい。
「ご苦労様。そっちはどうだった?」
「どう……と言われてもな。人の子相手に、思うところなどありゃせんよ」
ま、ティアにしてみりゃそんなもんか。
「しかし、気になることもあったぞ」
そう言って、ティアは外で捕獲してきた暗殺者の一人を指さした。
「そやつ、上手く隠しているつもりかもしれんが人魚族だ」
「……へぇ?」
ということは、この暗殺者連中の目的は、やっぱり──。
あたしはティアが指さした暗殺者の覆面を剥ぎ取った。
覆面の下に隠されていた素顔は、ティアが言うように人魚族特有の、陸上の人類種では見られない緑の髪の色。性別は男だ。
今は意識を失っているので静かなものだけど、なんとなく気難しそうな印象を受けるのはなんでなのかしらね? あんま融通が利かなさそうっていうか、洒落が通じない感じがする。
「ジョルナ、こいつの顔に見覚えはある?」
念のためを思って聞いてみれば、ジョルナは怯えながらも人魚族の男の顔を覗き込むように確かめ……「あっ」と息を飲んだ。
「知り合い?」
「いえ……名前までは存じておりませんけれど、厳格主義派の中でお見かけしたことがあります。似ているだけかもしれませんが」
なるほどね。
そうなると、やっぱりこの暗殺者集団は海神教の宝珠絡みでジョルナの命を狙った──と考えるのが妥当なとこか。
「それで、契約者殿。こやつらはどうする? 起こして尋問でもするか?」
「んー……」
それをやってもいいんだけど、こいつらは闇に紛れて忍び寄る暗殺者まがいの連中だ。そういう連中の口を無理に割らせようとしても、その前に自決しちゃうかもしれない。
仮にそうならなかったとしても、どうせ末端の連中だしなぁ。ある程度、相手の思惑が読めている状況でその確認をする必要なんてあるのかしら?
あまり荒事に慣れていなさそうなジョルナの前で、人の生き死にに関わるようなシチュエーションを見せるのもよくない気がする。
「口を割らせるのも一苦労だから、ふん縛って冒険者ギルドにでも放り込んどきましょ」
ここも前線都市だからね。都市の治安は冒険者ギルドが担っているはず。この暗殺者もどきの連中も、事情を話して突き出せば、しかるべき処分を下してくれるでしょう。
それよりも、問題は──。
「なんでここにジョルナがいることがわかったのかしら……?」
林道で荒くれ者連中がジョルナを襲っていたあの場に、この暗殺者もどきがいた──と考えるのが妥当かしら。
……あり得そう。
荒くれ者連中がちゃんとジョルナを始末できたら、この暗殺者連中があいつらを始末する手筈になっていたり?
けど、そこにあたしらが遭遇してジョルナを助けたもんだから、予定を変更して自分たちが出張り、ここで襲ってきた……か。
だとすれば、その間の時間的猶予はかなりある。あたしとティアがジョルナと一緒にいることは、いわゆる〝黒幕〟って感じの奴にも伝わっていることでしょう。この暗殺者もどきが黒幕なわけがないもんね。
ふむ……。
それならコソコソしたって仕方ないわね。
むしろ堂々と、それこそ「ジョルナは無事でここにいるぞ!」って感じに海神教全体にアピールした方が、むしろ安全かもしれない。
そのためには、やっぱり人魚の国マリナードへさっさと行くしかないわね。
「ねぇ、ジョルナ。あなたはどうする?」
そんなあたしの考えをもとに、ジョルナの考えを聞いてみた。
仮にジョルナが「地上に残る」と言っても、あたしとティアは異界断絶の要石を探すために人魚の国マリナードに行かなきゃいけない。
でも、あたしたち一緒に「戻る」と言うのなら、ここまで関わっちゃったんだもの、ちゃんと最後まで責任を取るつもりはあるわよ。
果たしてジョルナは──。
「……戻りたいです」
──そう、決断した。
「陸地に来て、私が襲われたこと。そのこと自体が、やはり異常なことだと思うんです。何か良くないことが起きようとしているような……だからそれを、私を陸地に避難させてくれた枢機卿にお伝えしなければなりません」
「……わかった」
ジョルナがそう決断したのなら、あたしもそれでいいと思う。
「それなら、ここまでの縁もあるし、安全な状況になるまであたしたちが付きそうわ」
「ありがとうございます」
「お礼なんていいわよ。こっちにも下心があるわけだしね」
「……え?」
そんな、「なんのことですか!?」みたいな顔をしないでもらいたいわね。
どこの世界に、無条件の無報酬で宗教の派閥争いみたいなクッソ面倒臭そうな厄介事に首を突っ込むような、お人好しがいるっていうのよ。
「あ、あの……手持ちの現金はこのくらいしか……」
「いや待って? なんでお財布出してるの?」
人のことをそんな、カツアゲするチンピラみたいに思われるのは心外だわ。
「そうじゃなくて! あたしが求めているのは、人魚の国マリナードでの身元保証人っていうか、後見人になってほしいってこと。しばらくの間、滞在できる場所とか提供してほしいなって話なんだけど……どう?」
「ああ、そういうことでしたら。マリナードでの滞在期間中は、精一杯、おもてなしをさせていただきます」
「ありがと。じゃ、契約完了ってことで……早速でなんだけど、マリナードって陸地の人はどう行けばいいの?」
さすがに陸地の人は人魚の国に行けません──ってことはないと思うのよね。けど、行くための具体的な方法ってのは聞いたことがない。
けど、人魚族のジョルナならそのあたりの方法を知ってると睨んでる。
「陸地の人がマリナードへ行く方法……ですか? 昔は人魚族が陸地の方々をお招きしなければ行くことはできなかったのですが、最近では海を潜る船を完成させたようで、それを使って行き来する人もいるようです」
「海を潜る船!?」
ほほう、それはなかなか興味をそそられる話ですなぁ……って、今は関係ないわね。そういう船が本当にあったとしても、今から借りたり乗せてもらう交渉をするにも時間がない。
それだったら、ジョルナの言う〝人魚族が陸地の方々をお招きする〟って方法の方が確実だ。
「その〝招く〟って、具体的にはどうするの?」
「人魚族には代々伝わる文様がありまして、その文様を招きたい方へお教えするんです。それは海神様から授かった守護の図と言われておりまして……」
海神様から授かった……?
どういうことなの? と思ってティアを見てみれば、あいつったら腕を組んで首をひねってる。
どうやら記憶にないらしい。
「その文様って、どういうものなの?」
「あー……えっと……」
何故か躊躇う素振りを見せたジョルナは、しばし逡巡した後、くるりとあたしに背を見せて、楚々とした仕草で上着を脱ぎだした。
急に脱ぎだして、いったいどうした──と思ったが、上着を脱ぎ去った彼女の背中には何かの図形が刻み込まれている。
これ……刺青ね。人魚族に刺青文化があったなんで知らなかったわ。
「この文様を体に刻むことで、水中でも自在に、圧にも負けずに動けるようになるんです」
「……なるほど」
実際に見て、なんとなくわかった。
これ、刻印詠唱だ。意味はわからないけど、ジョルナの話から察するに、水中でも陸地と変らない動きができるようになるものっぽい。
「人魚族は男女を問わず、七歳を迎えると背中にこの文様を刻みます」
「七歳……って、それまではどうしてるの? 水圧に負けちゃうんじゃない?」
「いえ、陸地の方々はよく勘違いされているんですけれど、マリナードは水中にある巨大気泡の中に造られているんです。七歳になるまではその中で暮らし、背中に文様を刻んでようやく一人前と言いますか、国の外に出ることもできるようになるんです」
「へぇ~」
知られざる人魚族の生態が、次々と明らかになっていくわね。や、知らないのはあたしだけかもしれないけれど。
「従来、人魚族は陸上の方々を自分の国に招く際には、この文様を同じように背に刻ませていただくんです。それを受け入れてくれた方のみ、マリナードへご招待するのが慣わしなんですよ」
「え、つまりその刺青をあたしも背中に刻めってこと?」
「そういうことになります」
えー……それは、うーん、ちょっとなぁ……。
いや、別に文化として刺青を入れるのは否定しないし、そういうのは大事にしてくれて全然いいんだけど、あたしはその文化圏の人じゃないからね。自分の体に入れるってなると、ちょっと抵抗があるのよね。
「ティア、この文様って解読できる?」
なので、別案がひねり出せないかとティアに話を振ってみた。
「解読とは?」
「これ、たぶん人魚族の古語かなんかだと思うんだけど、あたしたち陸地の人たちが使ってる一般公用語の文字に変換して呪文にできる? って話」
そうすれば、もしかすると別の形で流用できるかもしれない。
こういう用途がきっちり決まってる刻印詠唱って、まったく同じ刻印を別の素材に写しても、上手く発動しないことがあるの。だから解読が必要なのよ。
それが上手くできれば……そうね、たとえば全身を覆う服を作って、解読した人魚族の文様を刻印詠唱にして刻むとか? そうすれば、わざわざ刺青として肉体に直接書き込まなくても良くなるかも知れない。
「そうさのう……」
ティアはジョルナの背中に視線を注ぐ。
いくら同性とはいえ、赤の他人に素肌の背中を凝視されているからなのか、ジョルナはなんとなく居心地が悪そうだ。
「んー……魔力の流れや仕組みは理解できるが、そもそも我は人魚族のみならず、人類種族が使ってる文字なぞわからんのだが?」
「あんたホントにダメダメね!?」
解読以前の話だった。ホントこいつは……こいつったら、もぉ~っ!
「こうなったら……仕方ない。その〝海を潜る船〟ってのを完成させたっていうとこを探して、交渉するしかないわね……」
そんな船を造るくらいだから、海がある第七前線都市に製作所があるのよね? 話が通じる相手だったらいいんだけど。
「ねぇ、ジョルナ。さっき話に出てた、〝海を潜る船〟ってのを使って、マリナードを行き来してる人がいるのよね? それって、どこの誰か知ってる?」
「え? えーと……私も噂で聞いただけなので、直接見知っているわけじゃないんです。なんでも、陸地の商品を売りに来つつ、マリナードの特産品を陸地に持ち帰って販売しているような商人とのことで……」
「商人?」
商人が、海に潜れるような船を持ってる……?
それってもしかして──。
「確か……ヤルン・グレイプ商会と名乗るドワーフ族の方々だった気がします」
「師匠の商会じゃん!」
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