第4話 厳格主義派と自由穏健派

「わたしの名前は、ジョルナ・シャトーと言います」


 あたしとティアが森の中で助けた人魚族の女性は、自らをそう名乗った。


「危ないところを助けていただき、大変感謝いたしております」


 胸の前で両手を組み、まるで祈るようにジョルナは感謝の言葉を口にした。


 今、あたしたちは無事に第七前線都市までたどり着き、宿を取って腰を落ち着けている。日もすっかり暮れてしまった。

 ここならジョルナを追ってたならず者たちが、突然やってくることもないでしょう。ひとまず安心だとは思う。


 ただ、あたしとしてはやっぱり、海の中で暮らす人魚族がなんで第七前線都市から離れた森の中にいたのか? って方が気になるのよね。


「うむ。人魚族と出会えたのは僥倖である。我らは人魚の国へ赴きたいのだが、我が契約者殿は水中で一時間も活動できないと言うのでな。陸地の人族が人魚の国へ赴く方法はないか?」


 直球でこちらの言いたいことを言い放ったティアに、あたしは内心で吹き出した。実際にお茶でも飲んでいたら、現実でも吹き出していたかもしれない。

 そりゃ確かに、あたしとしてもせっかく人魚族の人と知り合えたんだから人魚の国へ行く相談はしたい。


 けど、ジョルナは荒くれ者に追われていた身。


 その不安を抱えたまま、こっちの都合に付き合ってくれって言うのは、なんだか気が引けちゃうでしょ。そういうもんじゃない?


「人魚の国へ……ですか? それは……あの、理由をお聞きしても……?」

「うむ。我が預けた、異界──」

「うわわわわっとぉ!」


 いきなり何を言い出そうとしてるのかな!? おねぇさん、びっくりしすぎて奇声を上げちゃったじゃないのよ!

 ジョルナが気を失ってる間に、ティアが海神教の神様扱いされてることとや異界断絶の要石のこと等は黙っておくようにって約束したの、もう忘れてるのかしらね? ニワトリだってもうちょっと物覚えはいいと思うわよ!


「いやそのあのね? あたしたちはアレなの、探求者ってヤツ! 冒険者じゃないの。探求者、知ってる? あちこち世界を旅して世界を広げる仕事をしてるってわけなのよ!」


 ティアに余計なことを喋らせないように、息せき切るように言い放ったけど、内容としては事前に決めてあったとおりのことを話している。


 実際、世の中には冒険者の他に〝探求者〟という仕事もある。


 冒険者の目的がダンジョンを踏破することならば、探求者の目的はまだ見ぬ世界の果ての果てを白日の下に晒すこと。

 人類未到の地へ向かって突き進むことを生業としている人たちのことだ。


「あたしたちは、その、なんていうのかなぁ! 世の中のすべてを自分たちの目で見たいっていうか、だからまだ行ったことのない人魚の国へ行きたいなって思って、この第七前線都市を訪れたのよ!」

「まぁ、そうだったのですか。陸上の人々が我が祖国に興味を持ち、訪れようと思ってくださるとは、大変喜ばしいことです」


 あたしの話にジョルナは納得してくれたらしい。ふわりと柔らかな笑みを浮かべてそんなことを言う。


「ですが……」


 その笑顔が、不意に曇った。


「今は……お止めになった方がよろしいかと思います……」


 俯き気味にそんなことを言った。

 これは何やら面倒なことになってるんだなぁと、その表情だけで察することができる。

 そういう面倒事が嫌ならここでさっさと話題を変えるべきなんだろうけど、ジョルナを相手にできる話題の引き出しは、荒くれ者どもに追われていた理由を聞くことくらいなのよね。


 こっちも、まぁ、面倒事だわ。


 それなら、人魚の国に訪れない方がいい理由を聞いておくのも悪くない。

 何しろあたしたち、人魚の国がどんな状況であれ、異界断絶の要石を手に入れるために行かなくちゃいけないからね。


「理由を聞いてもいいかしら?」

「それは、その……今は、あまり……国の治安がよくないもので……」


 治安……?

 ああ、そういえばティアが言ってたっけ。海神教の御神体になってる異界断絶の要石を巡って、教団内が派閥争いをしてるとかなんとか。

 それが単なる一宗教の内輪揉めなら世間の大事にはならないんだろうけど、海神教は人魚族の国教だ。宗教のゴタゴタが、そのまま国内情勢にも関係しちゃうってことなのかな。


 ただ、人魚族でもなんでもないあたしが、国の内情をそこまで詳しく知ってるのは、ジョルナにしてみれば違和感を覚えるかもしれない。


「治安が悪い……っていうことが、もしかしてジョルナが陸上に居る理由なの?」


 なので、ジョルナと共有している情報を交えてアプローチしてみることにした。


「え、ええ……まぁ……」


 するとジョルナは、案の定、どこか言いにくそうに頷いた。


「もし差し支えなければ、あたしたちに人魚の国がどういう状況なのか教えてもらえないかしら? ほら、あたしたちって人魚の国に行くつもりだったから、治安が悪いなんて言われたら気になるじゃない?」

「そう……ですよね。でも……」

「もしかして、荒くれ者たちに追われていたのも何か関係がある?」

「……助けていただいたご恩もあります。祖国の恥を晒すのも心苦しいですが……お話させていただきます」


 なんともなしに出会った経緯のことを口にすれば、どうやらあながち的外れな話でもなかったみたい。荒くれ者どもに襲われていた理由も含め、ジョルナは重い口を静かに開いてくれた。


 話を聞くと、どうやら人魚の国マリナード海教国は今、先の教皇──すなわち国のトップが崩御したのを機に、厳格主義派と自由穏健派の対立が激化しているらしい。


 厳格主義派は、その名が示すように海神教の教義を厳格に守る派閥。詳しい教義は横に置いておくとして、戒律や禁則行為やらを遵守することを重視している。

 対して自由穏健派は、海神教の根本原理を理解し、主神──たぶんティアのこと──を崇め奉る心さえ持っていれば、その他の細かい戒律やらの縛りはユルユルというものだ。


 それが単なる宗教観の違いなら、どういう姿勢で信仰をするのもご自由にって感じだけど、マリナード海教国ではそうじゃない。海神教をベースに成り立つ宗教国家である。

 前教皇が崩御した今、次の教皇になる者が厳格主義派と自由穏健派のどちらになるのかで、その後の国家運営が決まってしまうってわけだ。


「厳格主義派と自由穏健派の対立は激化の一途をたどり、ついには武力抗争にまで発展してしまったのです」

「それはまた……大変ね」


 まるで他人事のように聞こえるかもしれないけど、部外者であるあたしの立場からすれば、そうとしか言いようがない。


「でも……ええと、前の教皇が崩御したから対立が激化したって言っても、その前はどうだったの? 前々教皇が崩御して前教皇に決まった時には、そんな争いにはならなかったんでしょ?」


 それとも、厳格主義派と自由穏健派みたいに明確に分かれたのは、前教皇の時代だったのかしら?

 だとしたら、そんな事態を収められなかった前教皇がボンクラって話になるわね。


「今回は、前回と事情が違うのです」

「と言うと?」

「海神教における教皇様の指名は大神官様が候補者を数名選出し、前教皇様が選出された候補者の中から一人を選んで、海神様から授けられた聖遺物の宝珠を受け継がせて完了します。ですが……その宝珠が所在不明で、そのせいで正しく継承者が定められずに教皇様が崩御されてしまったのです」

「宝珠が……」


 行方不明ねぇ。

 まず間違いなく、その行方不明の宝珠が異界断絶の要石っぽいわね。


「で、その宝珠の行方とやらはまだわかっとらんのか?」


 話が宝珠──異界断絶の要石に関わってきたからなのか、今まであまり興味なさそうに話を聞いていたティアが口を挟んできた。


「残念ながら、はっきりした所在は判明していません。調査はしているんですが、まだ確実なことは何も言えない状況で……」

「そうなのね……ん?」


 調査は……している? ジョルナが? なんで?


「もしかして、人魚族のジョルナが陸上にいるのは宝珠を探すためなの?」

「えっ? な、何故そのようなことを……?」

「だって、自分で『調査はしている』って言ったじゃない」

「あ……」


 あれ? もしかして秘密だった?

 あたしの指摘に、ジョルナは自分の失言に気づいたのか、あからさまに「しまった」という表情を見せた。


「こっ、このことは……どうかご内密に……!」


 いやあなた、そんな顔を真っ赤にしながら言われましても。

 まぁ、言いふらしたりはしないけどさ。


「もしかして、ジョルナは海神教の極秘調査員(エージェント)とか、そういう立場の人?」

「ちっ、違います! 私は、単に自由穏健派に属する司祭です。国内情勢が混乱している現状を憂慮された枢機卿から『避難しておきなさい』と言われて、陸地に上がってきただけなんです。ただ──」


 自分を逃がしてくれた枢機卿のために、宝珠の在処を独自に探している──とのことらしい。

 それはまた、ずいぶん立派な志だとは思うけど、さすがに無茶が過ぎるってもんじゃないかしらね。


「宝珠って言うのは海神教の──ひいては人魚の国の国宝なんでしょう? 当然、国を挙げて所在を探してるわけじゃない? 国家の威信をかけて探してるようなものを、ジョルナ個人で探しても見つからないでしょ」

「それなんですが……」


 ここまで話したからなのか、ジョルナはもう全部ぶっちゃけちゃえと言わんばかりに話してくれた。


 あくまで噂の段階ではあるのだが、宝珠は厳格主義派が隠し持っているという話があるようだ。それは何も、ジョルナが自由穏健派だからそんなことを言っているわけでもない。

 というのも、次期教皇に選ばれたのは自由穏健派のジューダス・オルトー枢機卿であり、それを不服とした厳格主義派が宝珠を盗み出して隠した──なんて噂が、派閥関係なしに囁かれているという。


「私はその噂に対して半信半疑だったんです。でも、私を陸上に避難しておくようにと手配してくれた枢機卿のために、何もせずにいるのも心苦しくて……だから少し調べてみようと思ったんです。そうしたら──」

「荒くれ者に襲われた……と」


 その荒くれ者に襲われたところを助けたのが、あたしたちってわけだ。


「宝珠を探し始めて、すぐに悪漢たちに襲われて……もしかすると、噂は本当なんじゃないかと思えてならないんです」

「……確かに、そういう感じがするわよねぇ」


 そういうことなら、ノシた荒くれ者の誰か一人でもふん縛って尋問すればよかったかしらね。

 ……あ、今からでも遅くないかな?


「契約者殿」


 小さな声で、ティアがあたしに声をかける。まー、彼女も気づいてるよね。


「それじゃジョルナ、これからお客さんが何人か来るみたいだけど、見知った顔があったら教えてね」

「え?」


 首を傾げるジョルナを他所に、あたしは部屋の中を照らしていたロウソクの炎をフッと消した。

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