第3話 陸の上を歩く魚

 人魚族と言えば、その名が示すように人の姿を持ちながら魚のように水中でも活動できる人類種族のことだ。

 見た目としては、あたしみたいなヒューマンとさほど変わらない。ただ、髪の色がちょっとカラフルかな? と思うくらい。

 それ以外だと……いちおう、エラがあるのかしら? でも、パッと見た姿じゃほとんど気づかない程度って記憶している。


 記憶している──というのは、人魚族とは滅多に出会わないからだ。

 だって、彼ら彼女らの生活圏は水の中だもの。

 対してあたしや他の人類種族は陸上で生活している。

 生活圏そのものが違うのよね。人種の坩堝と言われている前線都市やダンジョン内でも滅多に見ない。


 そんな人魚族が、国教として定めているのが海神教ってわけですよ。

 国教っていうのは、その国が公認した宗教のことで、その国の価値観や道徳観の根本原理になってるものなの。

 第三前線都市やその他の前線都市はどこの国にも属さない中立地帯で、いろんな人種が混じり合ってることもあり、あまり宗教ってのに馴染みがない。かくいうあたしも無神論者だ。


 けど、人魚族の国では海神教がある。

 その教義に則って法律とかが決まっており……簡単に言えば、価値観や善悪の基準が宗教で決まってるってわけね。言うなれば、人魚族のアイデンティティになってるのが海神教ってわけだ。


「そんな国教の主神があんたとか、人魚族って大丈夫なの……?」

「今までやってこれておるんだから、大丈夫であろう? って、何故に斯様なほど絶望的な面持ちでおるのだ、契約者殿!?」

「いやぁ……だって、ねぇ?」


 あたしはあんまり人魚族のことはわかってないんだけど、ティアのことならそれなりにわかってるつもりよ。だって契約してるしね。

 そんなあたしのティアに対する印象からすれば……この子を主神に祭り上げている人魚族って、ちょっと──いや、かなり……アレなんじゃない? ホント大丈夫?


「さすがの我でも、一言くらい反論したくもあるが……そもそも、人魚族が我を崇め奉っておるのは彼奴らが勝手にやっていることである。その思想や考え方に干渉したことなど一度もないのだ。なので……ふむ、そうか。確かにそうなると、勝手に我の名を使って好き勝手やっておるのだ、とんでもないことになってるやもしれんな?」


 なんというポジティブ思考。その心意気、嫌いじゃないわ。

 それに、あたしは今の話で逆にちょっと安心したからね。

 海神教は単にティアを主神として奉ってるだけで、この子の性格や思想には染まってないってことでしょ? だったら、割とまともな宗教なんじゃないかなって。


「なんであれ、ここで考えてたって仕方ないか。というか……そもそも今ここってどこなの?」

「人魚の国の近くであるぞ」

「えっと……いやちょっと待って?」


 あたしは人魚族の国がどこにあるのか知らない。もともと陸上人類種とは疎遠な人種だから、知ってる人の方こそ少ないと……いやいや、そうじゃない。


 問題にすべきはそこじゃない。


〝人魚〟って言うくらいだから、その国ともなれば……もしかしなくても水の中だ。人魚族が淡水に適してるのか、それとも海水なのかは知らないけれど、少なくとも陸の上に国があるなんて聞いたことがない。


「確認するけど……人魚族の国って、陸上じゃないわよね?」

「何を呆けたことを言っておるのだ、契約者殿。人魚族の国は我が腕(かいな)の中──すなわち海の中に決まっておろう」

「じゃあ、今のこの場所は? どっかの……森の中?」

「さすがの我でも、分体では契約者殿の住居から人魚の国まで跳ぶのは難しくてな。その手前の……人類種で言うところの……第七前線都市と第八前線都市を繋ぐ街道脇の森が現在の場所であるぞ」

「第八前線都市と第七前線都市を繋ぐ街道脇の森!?」


 え? ちょっ……えっ!? 待って待って待って。思わず一字一句違わずに復唱しちゃったけど、あんた何言ってんの!?

 だってさ、前線都市は全部で八つあって、一番最初に誕生した第一前線都市はダンジョンを中心にして東にあるのよ。そこから反時計回りに第二、第三──と続いていく感じでダンジョンを取り囲むように配置されているの。

 それで言うと、第七前線都市はダンジョンから見て南にある。第八前線都市は南東ね。

 で、あたしが拠点にしている第三前線都市は北なのよ。

 つまりティアは、あたしを抱えてダンジョンを飛び越えたってこと?


 嘘でしょ!?


 正確に言えば、ダンジョンの塔を避ける感じでジャンプしたんだと思うけど……なんであれ、あたしってばよく生きてるわね!?


「どーりで妙に長い滑空だと思った……」

「人魚の国は、第七前線都市から近いのだ」


 ティアが言うように、第七前線都市は沿岸に作られた都市で、海がある。聞いた話では海路を渡って別の大陸と貿易してるとかなんとか。

 ちなみに、あたしが住んでる第三前線都市は大陸の内側なので、海はないの。森や山はあるんだけどね。外の国だと、エルフ森林王国が近いのかな。


「第七前線都市から海に入れば、人魚の国までだいたい一時間ほどで着くと思うぞ」

「……ん?」


 海に入る……? 一時間!?


「いろいろ言いたいことはあるんだけど……一番肝心なこと聞いていい?」

「なんだ?」

「第七前線都市から人魚の国まで一時間って……それ、海の中を潜って一時間?」

「そりゃ人魚の国であるからな、潜って一時間に決まっておろう」

「アホか!」


 遠慮会釈なく言い放ってやったわ。そりゃ言い放つってもんよ。


「うぅ~……アホかぁっ!」


 堪らずもう一回繰り返しちゃったあたしの気持ちも、わかってもらいたい。言わずにはいられなかったのよ。


「いいですかぁ、ティアマトくぅん。陸地で生活している人類種はねぇ、基本的に一時間も水の中に潜ってらんないのよ! 溺れ死ぬわっ!」

「なん……だと……?」


 なんで、自分の必殺技が直撃したのに無傷の敵を目の当たりにしたような顔してんのかしらね!? あたしの方が「なん……だと……?」って言いたいわ!


「人魚族はいくらでも水の中で活動しておるが?」

「だから〝人魚〟族って言うの!」


 はぁ~……ダメだ。こいつがここまで人類種族のことを理解してないとは思わなかった。

 それもこれも、もしやあたしが長らく放置していたせいなのかしら……?

 だとしたら、なんかちょっと責任を感じちゃうわ。せっかくの機会だし、あたしと一緒にいる間に人類種族の多様性とかいろいろ覚えてもらいたいもんよね。


「とにかく、あたしは水の中で一時間も潜れないのよ」

「いや、人魚族の国は海中にあるのだが、そこは気泡で包まれておるのでな。陸地と同じように活動できるぞ?」

「そこまで行く話をしてんのよ!」

「ぬぅ……」


 そんなあんた、「こいつ文句多いな?」みたいな顔されても。

 こっちが文句言う立場なんじゃないですかねぇ?


「ともかく──」


 これからの方針をあたしが口にしようとした、その時だった。


「──ッ!」


 突然なんの前触れもなく、あたしたちの目の前の藪を突き破って、乱れた着衣と長い浅葱色の髪を振り乱した女の人が息せき切って飛び込んできた。


「たっ、助けてください!」


 そして、突然そんなことを口走ったのである。

 あまりに突然すぎて、まったく意味がわからなかったけど、それも一瞬のこと。すぐにおおよその事情を理解することができた。


「もう逃げられ──」

「女の敵だーっ!」

「ごふっ!?」


 女性の後にやってきた男たちの一人に、あたしは皆まで言わせずに顔面を蹴り飛ばしてやった。

 だってほら、剣とか棍棒みたいな武器を手に持って、衣服の乱れた女性を追いかけている奴らよ? しかも女性の第一声が「助けて」なんだから、これはもう考えるまでもないことでしょ。


「なっ、なんだてめぇら!」


 あたしの一撃で一人昏倒させられて、仲間らしき荒くれ者が声を荒らげる。その数は、ぶっ倒した一人も含めて五人。

 が、そんなん知ったこっちゃない。


「ティア、あとよろしく」

「我はあまり、人族の諍いに関わりたくないのだがなぁ。ルティーヤー様からもキツく命じられておるし」

「ティア?」

「ま、まぁ契約者殿の頼みだ。仕方あるまいな。うん、これは仕方がない」


 何度も「仕方ない」と繰り返し、ティアが前に進み出る。その様子に、荒くれ者どもは面食らったみたいに目を白黒させていた。

 そりゃまぁ、森の中でチューブドレスの艶やかな女が、武器を持っている殺気立った自分たちの前へ無防備に進み出てきたら、あたしでも面食らうわ。


「しばらく眠っとれ」


 直後、一瞬だけティアの姿がブレた──かと思った次の瞬間には、並み居る荒くれ者たちがバタバタと倒れて動かなくなった。


「……何したの?」

「軽く小突いて血流を乱し、失神させただけである。しばらく気絶しとるだろうが、ま、すぐ起きるであろ」

「お、おう」


 そういやティアは、水──というか、液体を操れるんだっけね。

 以前、スイレンが言ってたけど、生き物の体は血液が滞りなく流れることが大事とかなんとか。その流れが乱れると、体によくないらしい。

 液体を操れるティアは、その血液の流れを乱すことも容易いってわけね。

 なんだかんだ言っても、ティアはヨルの姉妹。単純な戦力で言えば……協力を仰ぐのも躊躇っちゃうような過剰戦力なのよねぇ。


 それはともかく──。


「それで……あら?」


 改めて事情を聞こうと、逃げ込んできた女性に目を向ければ……なんかこっちも気絶してるんですけど?


「……ティア?」

「いや、知らんぞ? 我は何もしとらんがな。単純に、安心して気が緩んだだけではないか?」


 そんなもんかしら?

 まぁでも、さすがのティアでも気絶させる相手の分別くらいは付くわよね。……付くよね?


「それよりも契約者殿、これは僥倖であるやもしれんぞ」

「ん?」

「そこな女子、なんとびっくり人魚族だ」

「えっ?」


 そうなの? あたし、全然わからないんだけど。


「首元を見てみぃ。エラがあるではないか」

「えー……?」


 言われて確認してみると……なるほど、確かに喉元にいくつも深い切れ込みのようなものがある。一見すると傷のように見えるけど、規則正しく左右対称に入ってるし、血も流れていない。

 これが人魚族の証ともいえるエラなのか。


「でも、なんでこんな森の中に人魚族がいるの? 彼らって水の中で生活してるんでしょ?」

「それはその通りだが、そこの女子の事情まではわからんな」


 ま、そりゃそうか。


「しかし、人魚族は確か、陸地ではそんな長く活動できんのではなかったかな? 適時水分を取ってなければ、半日かそこらで死ぬとか……?」

「早く言って!?」


 ヤバいじゃん。

 何度も言うけど、ここ、森の中だよ?

 おまけにあたしは、マスタースライムにある程度荷物を預けてあったとは言え、ティアに着の身着のまま連れ出されている。

 水なんて、どこを探しても出てこないわよ!


「もしかして……気絶したのって安心したからじゃなくて、水分を摂取してないからなんじゃないの?」

「あー、その可能性も否定できんの」


 ますますヤバい!


「ちょっ、ティア! こっちから近いのは第七? 第八? 早く都市まで行くわよ!」

「人魚の国へ行こうとしておるのだ。第七の方に決まっておるだろ」

「じゃあ、早く第七前線都市まで行くわよ! 駆け足!」


 あたしとティアは、気絶した人魚族の女性を担いで大急ぎで第七前線都市へと向かうのだった。

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