第19話 デミウルゴス
もし、あたしに何らかのミスがあったとすれば、それはミュールに王城の中を任せたことだったのかもしれない。
外で暴れていた暴走ゴーレムは
とは言っても、あたしやフェニックスが強いからとか、相手が弱すぎたからってことだけが理由じゃない。
そこには、都民の避難を優先させ、暴走ゴーレムとの戦闘を極力回避した警備隊の英断と協力があったからだ。
そうして外の暴走ゴーレムが残り三体ほどになった頃だろうか。
御神木の中からゾッとするような気配が、一瞬だけ爆風のように広がって消えるのを感じ取った。なんて言えばいいのか、それは全身に鳥肌が立つようなおぞましさを感じるものだった。
あたしその気配に尋常ならざるものを感じ、残りの暴走ゴーレムはフェニックスに任せて急いで駆けつけた。
そしたらこの有様だ。
騎士の多くは命を落とし、王様を含めて重傷者も数しれず。
ミュールは立場的なものもあってなのか、皆に守られて比較的軽症だったのは幸いだった。けど、逆にそのせいで化物に目をつけられ、殺されかかっていたという体たらく。
ああ、もうホントに、自分の迂闊さが嫌になる。
そもそもあたしは、冒険者ギルドからミュールの護衛依頼を受けてここにいる。それを踏まえて考えれば、戦闘状況が発生している中でミュールと別れたのは判断ミスだったと言わざるを得ない。
やっぱりあたしは、つくづく冒険者ってのには向いてないなぁと思う。
「おまえは……ハハ、これはなんと僥倖なことか。おまえのことは知っているぞ。ルティーヤーが言っていた〝あの方〟じゃないか」
ルティーヤー……? こいつ、ルティのことを知ってる? 〝あの方〟って何のこと?
てか、暴走ゴーレムが言葉を喋ってることに驚きなんだけど……まぁ、いいか。
ふー……っと息を吐いて、意識を切り替える。
容赦はしない。遠慮もしない。
相手がなんであれ、あたしがやるべきことは決まっている。
「僕はね、キミにだけはちょっと興味があったんだ。あのルティーヤーが何故──」
「うるさいな」
何かキャンキャン喚いているけど、耳を傾けるつもりなんて欠片もない。
トン、と地を蹴って駆け出すあたしの速度は、フェンリルの獣装宝術を纏ったままの今、音を置き去りにするほどに速い。
すれ違いざまに繰り出したフェンリルの爪は、いとも容易く化物の右腕を斬り落とした。
「今さらなんの話がしたいって言うの? 散々壊し、傷つけ、殺したくせに。おまえに出来る残されたことは、惨めに、無様に、あたしに引き千切られて破壊されるだけよ」
「ハハ、これは凄い。あまりに速くて反応できなかったよ。でもね、この程度はなんら問題にならないんだ」
そう言うや否や、あたしに切られた腕の切断面からにょきにょきと枝のようなものが生えてきたかと思えば、瞬く間に元の腕の形に戻ってしまった。
「このように、どれだけ切り裂かれようと痛みは感じないし再生もすぐにできる。ハハハ、随分と便利なものだね」
「再生するのか……」
あたしがこぼした言葉に何を思ったのか、化物が深い笑みを浮かべた。
「これでわかっただろう? 聖獣を従えるキミはなかなかどうして厄介だが、こんな玩具の体を拾った僕にさえ傷一つ付けることはできない」
「……昔から、気になってたことがあるのよ」
なんだか余裕綽々って感じの化物だけど、それよりもあたしは、斬り落とした奴の腕を見ていた。
腕は腕のまま、そこから体がにょきにょき生えてくることもなければ動くこともない。完全に死んで──機能を停止している。
「再生する奴をちょうど真ん中から半分に切ったら、どっちが再生するのかなって」
「ハハ、怖いことを考える奴だなぁ!」
なんとでも言えばいい。
それにね、再生持ちに対して思うことは他にもあるのよ?
例えば砂粒ほどに全身くまなく擦り潰してやったら、どれが再生するのかな──とかね。
そもそも、そこまで細かくしても再生できるのかしら? できないわよね?
それはつまり、腕とか足とか再生できちゃうような奴でも、斃す方法はいくらでもあるってこと。
再生するなら再生すればいい。
その分、壊し続けてやるわ!
「参ったな、僕は少しキミのことを教えてもらいたいだけなんだが……仕方がない。手足の一本でももいだら、大人しくなるかな?」
完膚無きまでに叩き潰してやろうという、あたしの本気度がしっかり伝わったのか、醸し出す雰囲気が変わった。
ゴゴゴゴゴ、と地鳴りが急に鳴り響く。まるで地震が起きる前触れのような音とともに地面が揺らいだ──いや、これ地面じゃない。
根だ。
ここは巨大な御神木の内部。その足元に地面のように広がっていたのは、土じゃない。すっかり踏まれて均されて地面のように見えていたけれど、それは御神木の根が絡まり踏まれて真っ平らになった、木の根の集合体だった。
蠢き出した地面──木の根は、まるでそれ自体が意思を持っているかのように激しく波打つ。立っていることさえままならない。
「この──ッ!」
狙っているわけじゃないんだろうけど、ぶつかってきそうな木の根を交わし、あるいはフェンリルの爪で切り裂きながら、あたしは強制的に動かされていた。立ち止まってどうこう出来る状況じゃない。
「きゃあ!」
そこへ響くミュールの悲鳴。この状況に、彼女も例外なく巻き込まれている。
「ミュール!」
「他所を心配している場合かい?」
驚くほど近くから化物の声が聞こえた。
木の根の乱舞に紛れて接近を許してしまったみたい。
距離から化物が放とうとしているのは……魔導粒子砲? さすがにアレが直撃しちゃうのはマズイ。
──直撃すれば、だけどね。
「外で試してきたわよ、そんなもの!」
目の前で放たれた魔導粒子砲は、しかしあたしに届くまえにかき消えた。フェンリルの権能である〝吸収〟によって、余すことなく喰らい尽くしたのだ。
最初に魔導粒子砲を受けようとした時は、喰えるかどうか不安だった。けど、外で二〇体ほどの暴走ゴーレムの相手をしてる時、どうしても受けざるを得ない状況に追い込まれて受けてしまったのだ。そうしたら、心配してたのが馬鹿みたいにあっさり喰えたのよ。
ホントにフェンリルはなんでも喰う。それも、口からじゃなくて全身どこからでも吸収してしまうのは反則だと思う。
そんな権能を使えている今のあたしは、物理的干渉を伴う物質ならなんでもかんでも吸収して消してしまえる、絶対防御の鎧を身にまとっているようなものなのだ。
「これは驚いた。フェンリルとは、そこまでのものだったか!」
「弱点はあるけどね!」
この権能、あたしが使うと全身からくまなく吸収してしまう。
全身──つまり、足の裏からも吸収するってことだ。
つまり、どこかに立ったまま使おうものなら足場の地面さえ吸収し、地中に落ちていくことになっちゃうわけだ。フェンリルだったら吸収する場所を上手く制御できるっぽいけど、あたしだとそうなってしまう。
だから、常時発動させておくなんて無理。今みたいに空中くらいでしか使えないんだよね。
でもまぁ、そんなことを化物に説明してやるつもりはない。せいぜい驚き、警戒すればいい。
そして、それを知らずにこうして迂闊に近づいてきた自分の浅はかさを悔やめ。
「りゃああっ!」
至近距離で魔導粒子砲を当てようとしたってことは、こっちからも手を伸ばせば掴めるということ。
そして今のあたしは、触れただけで相手を喰うフェンリルの権能が働いている。
振り抜いた腕は、なんの抵抗もなく化物の胸から首に掛けて削り取った。
「……驚いた。いったいキミは──」
「あっそ」
皆まで言わせることなく、続けて繰り出す蹴りが化物の側頭部を捉え、これまたなんの抵抗もなく頭部が消失する。ペラペラとよく回る口も、これで使えなくなったわね。
それとも、すぐに再生するのかしら? あるいは、頭部がなくなったら流石に再生できなくなる?
どっちだろうと思っていれば、蠢く木の根が次第に緩慢になり、そして動かなくなった。どうやら終わったらしい。
呆気ない?
実際の戦いなんて、どんな強敵が相手でも、決着が付くときはあっさり終わることもよくあるのよ。
それよりも、今は。
「ミュール、どこ!? どこにいるの!」
根が蠢いたことで、平坦な広場みたいな地下墓所は、障害物だらけの運動場みたいな有様になっていた。命を落とした騎士たちや傷ついた王様、それにミュールの姿もどこにあるのかさっぱりわからない。
「こ……ここです……」
辺りをキョロキョロ見渡していると、割と近くからか細いミュールの声が聞こえてきた。根と根の隙間に挟まっていたようで、それでもなんとか自力で這い出てくることができたらしい。
「良かった、無事だったのね」
「運が良かっただけです。一歩間違えれば、根と根の間に挟まれて潰されていたかもしれません……」
ミュールは表情を暗くしてそう言うけれど、それでも無事だったのは喜ぶべきことだろうとあたしは思う。
でも、違うんだろうな。
ミュールが表情を暗くしている本当の理由は、木の根の蠢きで下に呑まれてしまった死んだ騎士たちの亡骸や、重症を追って動けなかった生きていた騎士や王様の安否だと思う。
「他にも生存者がいるかもしれない。すぐに探そう?」
「はい……すみません、イリアスさん」
「謝ることなんてないわよ」
「いえ、あの怪物のことです。結局、イリアスさんにすべて任せてしまいました。少しでもお力添えできればと思っていたんですけど、結局、何もできずに見ているだけで……」
「ああ。いいのよ、そんなこと。何事にも適材適所ってのがあるでしょ。本当に大変なのはこれからの──」
「イリアスさん!」
突然、ミュールにあたしは突き飛ばされた。
えっ!? と思う暇もない。
青い閃光が視界を横切り、あたしを突き飛ばすために伸びたミュールの腕を消し飛ばしていた。
今のは魔導粒子砲? でもなんで? いや、それよりも!
「ミュール!」
崩れるように倒れるミュールを、既のところで抱きとめた。
その顔色は悪い。もともと白く透き通るような肌をしているけれど、今は血の気が失せてより一層白い。真っ青だ。
ともすれば、それは死相と呼ぶのかもしれない。
「ミュール! しっかりして、ミュール!」
「……ぅ、あ……あぁ…………」
ダメだ。いけない。あたしの呼びかけにも、ミュールははっきりと答えられない。
彼女の命が、血とともに流れ出してる……!
「やれやれ……せっかくの好機だったのに、邪魔をされてしまったな。まったくキミは運がいい。ハハハ」
響く空虚な笑い声に振り向けば、そこには彼の化物が変わらず姿で立っていた。
これは……まさかこいつ、頭部を消滅させても再生できる?
外で暴れていた暴走ゴーレムは首を飛ばせば死ぬ──動かなくなることを、本能的に〝そういうものだ〟と認識していたから動かなくなったけれど、こいつの場合は個性とも言うべき自我がすでにある。
〝首が落ちても死なない〟という〝認識〟、自力で取っ払っているから、こうして蘇った?
なんであれ、こいつがミュールの腕を……!
「いったい何が起きたかわからない、と言った顔をしているね。裏をかけたのなら幸いだが、いいところをそこのエルフに邪魔をされ──」
「ああああああああああああああああああっ!」
気がつけば、あたしは喉を震わせて化物にフェンリルの爪を突き立てていた。
縦に真っ二つに切り裂き、バランスを失って崩れる化物の体を踏みつける。そしてそのまま〝吸収〟の権能を使って欠片すら残さず消滅させた。
──しかし。
「まったくキミは、本当に僕の話を聞かないな。ハハハ」
その時、あたしは見た。
この化物が現れ出る瞬間を。
奴は、この巨大な御神木の木の根の中から、まるで卵を割って生まれる雛のようにズルリと這い出てきたのだ。
「おまえ、は……かつての王族が使っていたゴーレムじゃないの……?」
「ハハ、やっと僕と言葉を交わす気になってくれたのかい?」
化物のくせに、嫌味ったらしいことを言う。
あたしとしても、こんな化物と言葉を交わすつもりなんて欠片もない。けど、こいつを確実に仕留めるには情報が必要だということを、今さらながらに思い知った。
ああ、本当にあたしは迂闊だ。迂闊に過ぎる。
最初から相手を甘くみないで、万全を期す心持ちで挑めばよかったんだ。そうすればミュールの腕を消し飛ばされるようなことも……なかったかもしれないのに!
「まぁ、僕に興味を持ってもらえるのならなんでも答えようじゃないか。この不出来な人間モドキは、確かにこの場に安置されていたゴーレムさ。世の理に反して動き出そうとしていたところを偶然にも見つけてね、拾ってみたら面白い特性も持っていることに気づいたんだよ」
面白い特性……?
「このゴーレムは元の所有者の魔力波形と同期しているが、魔力そのものの質はアールヴの樹のままなのだよ。そして、その魔力はさらに僕の魔力波形へと塗り替えられつつある。そうすると……こういうこともできるようになるんだ」
次々に、御神木の樹壁を割いて、化物と同じ姿をしたゴーレムが生み出されていく。
ボトリ、ボトリ、ボトリ──あちこちから音が響く。
「そして僕にとって幸運だったのは、ここが森の中と言うことさ。いくらでも〝
そういえば、エルフ森林王国の領土内に足を踏み入れた時、フェンリルがそんあことを言っていた。普段はフェアリーやピクシーたちの羽音でうるさいくらいだと。
「奴らは生命力よりも魔力に重きを置く生物でね。どちらかと言えばアールヴの樹に近い性質を持っているんだよ。この森の王であるアールヴの樹が僕とすり替わった今、ダンジョンに封印されている僕でも、この器を通して奴らを作り変えることは容易かったさ」
作り……変える……っって、まさか!
「この、次々に生み出されているおまえそっくりのゴーレムは……元はこの森に住んでいた妖精たちなの!?」
「奴らは肉の形にさほど執着がないからね。如何様にも帰ることができるというわけさ」
こ、いつ……こいつは……冗談じゃない! ここまでイカれてる奴なんて、他にあたしは知らない。
だからこそこいつは今ここで、この場所で、確実に消し去ってしまわないと駄目だ。
そうしなければ、こいつは今後どこでどんな厄災を振りまくかわからない。
「ハハハ、今のおまえは凄い顔をしているぞ。視線だけで近寄るものをすべからく殺してしまいそうだ。だが、出来るかね? 僕を倒したければ、《代わり》ともどもこの巨大なアールヴの樹すら一気に消滅させる他ない」
それは……できるかできないかで言えば、できる。フェンリルの兵仗顕現を使えば、周囲一面まるごと更地にすることさえ可能でしょう。
けれどそれは、エルフ森林王国の消滅をも意味する。この騒ぎで避難している都民は元より、王都から離れた地方都市で今も平穏に暮らしている人々にも被害が及ぶ。
なんだってこんな化物のために、何も知らず、なんの関わりもない人々まで犠牲を強いるようなことをしなくちゃならないのよ。
だから、それはできない。
できない……けど、他に方法がある?
化物がアールヴの樹そのものを支配したというのなら、どっちにしろ樹そのものを消滅させるしかない。
それに、あたしの側には腕を失い、命の灯火さえきえてしまいそうなミュールがいる。彼女の治療をするためにも、一刻も早く化物を倒さなければならない。
それなら、あたしは──ッ!
「ピュイィィィィィィィィィィィッ!」
その時、耳をつんざくようなけたたましい嘶きとともに、空から綿雪のような火の粉がふわりふわりと舞い落ちてきた。
『生者に祝福を。死者に安寧を。偽りの愚者に破滅をもたらさん!』
見上げれば、そこにあったのは火の粉を撒き散らしながら羽ばたく聖鳥の姿。
「フェニックス!?」
「──────────ッッッ!」
それはもはや鳴き声とも呼べない嘶きだった。
あたしでさえも思わず両手で耳を塞いでしまう嘶きと響き合うように、舞い散る火の粉がぶわりと広がり。あたり一面、敵味方お構いなしに飲み込んだ。
「あっ……つく、ない?」
フェニックスの炎は、確かにあたしをも飲み込んで燃え盛っている。
けれど、熱を感じない。あたし自身には何も起きていない。
なのに、周囲を見渡せば化物が妖精を材料にアールヴの樹から作り出した《代わり》は激しく燃え盛り、そしてミュールは──。
「腕が……再生してる!?」
ミュールも炎に包まれているが、それで苦しんでいる様子もない。ただ、失った腕が見ているあたしの目の前で再生されていく。
それはまるで、噂で聞く霊薬の効果を見ているようだった。
正しく世の理に則った生者には欠損部位をも復元させる〝再生〟を行い、偽りの命で生者と偽る《代わり》には〝破壊〟をもたらす。
生と死、再生と破壊。
これこそが、フェニックスの権能。
契約を結んだことで理解はしていたけれど、まさかこれほどのものだったなんて……!
「浄化の炎か……ハハ、参ったね。フェニックスがいると《代わり》を生み出せないじゃないか」
そんな炎にまかれているのは、化物も同じだった。
けれど奴は、あたしと同じようにフェニックスの炎がまるで意味を成していなかった。
それどころか、フェニックスを狙って何か攻撃を仕掛けようとしている。
「させないわよ!」
「おっと」
飛びかかったあたしの一撃は化物の攻撃を中断させることに成功したが、それは腕の一本を切り落とすだけだった。すぐに飛び退き、追撃を許してくれない。
「なんでおまえは無事なのよ。まがい物のくせに!」
「いいや、違うね」
あたしの疑問を、怪物はきっぱりと否定する。
「フェニックスの権能は自動的でね、僕を一個の〝生物〟と認めているようだ。一部とは言え僕自身の生命と魔力を宿しているのだから当然だね。そしてアールヴの樹は、僕の魔力で塗り替えられた姿が〝正常〟だと判断されたらしい。《代わり》は生み出しても中身が空っぽだから焼かれてしまうが、それだけだ。依然、僕を斃すには僕自身とアールヴの樹を同時に破壊するしかない」
言外に「そんなことは不可能だろう?」とばかりに化物が言う。
けれど、あたしはそれをハッタリと踏んだ。
「フェニックスの権能を使えば、あんたを〝破壊〟して、アールヴの樹を〝再生〟できるんじゃない?」
「無駄と断言するが……ハハハ、ならば試してみるかい?」
化物の手があたしに向けられる──と思った瞬間、魔導粒子砲が放たれた。
かわすことはできない。だってここには、まだミュールがいる。
それに、かわす必要もない。
「シッ!」
一瞬だけフェンリルの権能を発動させ、魔導粒子砲の光を喰らう。わずかに足元も抉れたけれど、行動するのに支障はない。
しかし、魔導粒子砲の青い光が消えた時、目の前にいるはずの化物が消えていた。
「こっちだよ」
声は、真横から聞こえた。
反応が遅れる。直後、鈍い衝撃を脇に感じて、あたしの体は吹っ飛んでいた。
「どうもキミは、僕と話がしたくないようだ。それなら仕方がない。キミがどうしてルティーヤーに気に入られたのか、肉をバラして調べてみることにするよ」
そう聞こえた瞬間、見えたのは奔る雷霆。ここに来て魔法を使うのか!
「そんなもの!」
さすがに魔法を使ってきたのには驚いたけど、今のあたしにはフェンリルの
「足場は無事かな?」
化物の声があたしの耳に届いた途端、足場が消失したような浮遊感に襲われた。
「なっ!?」
消えている。わずか一瞬だけフェンリルの権能を使ったつもりだったのに、足場はあたしが姿勢を崩すには十分な穴がぽっかりと空いていた。
そうか、ここはアールヴの樹の中。
言い換えれば、化物の腹の中。
足場はアールヴの樹の根でできている。穴を開けるくらい、造作もない。戦場の地形すら奴の思うがままだ。
「フェンリルの権能が仇になったね」
覆いかぶさるように、アールヴの樹の根が何十本とあたしに絡みついてくる。
これを断ち切るのは簡単だ。フェンリルの権能を使えばいい。
けれどそうすれば、あたしは落ちていく。這い上がるためには権能を解除するしかないが、そうすれば怒涛の勢いで襲ってくる根を捌ききれない。権能を使わずに爪だけで切り裂くには、数があまりにも多すぎる。
ヤバい、詰んだ!?
「ケエェェェェェェェェェェェッ!」
絶望に思考が塗りつぶされそうなったその時、フェニックスが嘶きとともに炎の槍を放った。あたしに襲いかかってきていた根にことごとく突き刺さり、炎を上げて燃え盛る。
「うぅん、邪魔をしないでもらいたい」
化物の狙いが、あたしからフェニックスに移った。
雷霆が奔る。
対してフェニックスは、羽ばたきによる突風に炎を混ぜて迎え撃つ。
ぶつかり合う雷霆と炎舞。
爆発が巻き起こり煙幕が舞う。その隙を、今度はあたしは見逃さない。
フェンリルの速度を使って化物へ肉薄する。今は、拳を握るよりも爪を突き立てた方が相手に効くでしょう。
「りゃあああっ!」
突き立てたあたしの爪は、見事に化物の胸に穴を穿った。
「フェニックス!」
「────────ッ!」
加えて、フェニックスの浄化の炎。嘶きとは呼べない超高音の咆哮とともに、化物はあたしに穿たれた穴から炎を噴き上がらせた。
「ハハ、いい連携じゃな、い……か──」
そんな言葉を残し、化物が燃えカスとなって崩れた──が。
「でも、無駄だよ」
すぐに化物は復活を果たす。アールヴの樹の幹がぷくりと膨らみ、蕾が割れるように五体満足の姿を現した。
『我が君、奴はもはやあの姿が自然の姿。私の炎で如何に破壊し、再生しようとも、還る姿は変わりません』
「ハハ、そういうことだよ」
化物がカラカラと嘲笑う。
「フェニックスは輪廻を司る聖獣だ。どれだけ破壊し、再生させたところで本質まで変える力はないんだよ。残念だったね、ハハハ」
……そうか、そういうことか。
そういうことならば。
まだ、試してみる手は残されている。
「我と契約せし者、汝、その真名を以て神威を示せ!」
どうせこのままだとジリ貧だ。成功するかどうかなんてわからないけれど、何もやらないで後悔するのは性に合わない。
「
だからあたしは、自らに〝禁じ手〟と科した力も厭わず行使する。
全身を覆っていたフェンリルの衣は一振りの武器へと姿を変えた。
それは剣の柄。
あたしの手ではもちろん、前衛バリバリの屈強な戦士でも手に余りそうな、刀身が付いていればグレートソードに分類されるであろう大きさがある。
「ハハ、破れかぶれになったかい? アーヴルの樹をまるごと消滅させれば──」
「違う」
あたしは否定する。
いくら化物を消滅させるためとは言っても、国一つを犠牲にするなんて馬鹿な真似はしない。化物ごときの価値に、そこまでのものはないもの。
「叩き切るのは、おまえだけだ」
「そのフェンリルで? ハハハ、何を期待しているのか知らないが、フェンリルが狙ったものだけを喰えるはずないだろう。喰らうならば一切合切だ」
「……そうね。だから──
フェニックスの力も借りる。フェンリルだけじゃない、フェニックスも兵仗顕現させた上で、二つの力を繋ぎ合わせて新たな力を生み出してみせる!
「……なに?」
かくして、あたしの目論見は成功した。〝力ある言葉〟を受けたフェニックスは自身の体を光の粒子へと転じ、フェンリルが化身した大剣の柄に吸い込まれた。
直後、噴き出す漆黒の炎が刀身を象る。
「馬鹿な!」
その時、初めて化物が絶叫にも似た声を上げた。
目の前で起きた出来事が信じられないとばかりに、目を剥いた。
「なんでそんな真似が出来るんだ!? 出来るわけがない! そんなもの、滾る炎を氷の中に閉じ込めるようなものだ! そんな真似は、この世界で許されていない!」
知るか、そんなこと。
あたしは、これしかないと思ったから実行した。そして、フェンリルとフェニックスが応えてくれた。だから実現できた。
ただそれだけのことに、誰の許しがいるって言うのよ。
「おまえは……本当に何者なんだ? それは、そんな異なる法則を……こと、なる……ま、まさかおまえは──ッ!
「これが、最後の一撃」
噴き出す漆黒の炎が、まるで暴れ馬のように猛り狂う。押さえつけるだけでかなりの力と精神力が削られていく。
それでも、失敗は許されない。この一撃が通じなければ、もはやあたしに成す術はない。
「勝負よ」
あたしの言葉に、化物は──。
「……冗談じゃない。おまえの正体が知れた以上、相手などしていられるか!」
──あろうことか、踵を返して逃げ出そうとした。
「ふ……ふざけるなっ!」
エルフ森林王国を混乱させ、好き放題に暴れた挙げ句に逃げようだなんて、そんなの許せるわけがない。
大剣を斜に構え、あたしは発走する。しかし、フェンリルと同化していた時のような速度は流石に出せない。
今のあたしの身体能力は、一般人のそれと同じ。
対して化物の身体能力は、ダンジョンに出るヴォイドに比肩する。下手をすればそれ以上だ。逃げに注力するというのなら、追いつける道理もない。
このままじゃ逃げられる──そう思った、その時。
化物の下半身が、足元ごと氷漬けになった。
「なんだと!?」
予想すらしていなかったのだろう、驚倒する化物は視線を巡らせた。
「今さら逃がすとお思いですか」
化物が向ける視線の先にいたミュールが、毅然と言い放つ。
「ハハハ、まさかここで裏をかかれるとはね」
諦観したように力を抜く化物に、あたしは持てる力のすべてを振り絞り、上段から漆黒の炎が象る刃を叩きつけた。
「ラグナロク=サンサーラ!」
解き放つフェンリルとフェニックスの真名。
化物の体を容易く一刀で斬り伏せ、足元にあるアールヴの樹の根に食い込んだ刃を象っていた漆黒の炎が、猛り狂う竜巻のように溢れて踊る。
化物を足止めした氷棺は千々に砕け、静水に垂らした墨汁のように広がる漆黒の炎は、化物のみならず巨大なアールヴの樹をまるごと飲み込んだ。
そして──何も起こらない。
燃えたりしない。傷さえ付いていない。
けれどそれは、目で見える結果でしかない。
手応えは、確かにあった。
アールヴの樹は一秒にも満たない刹那の瞬間に一度は消滅し、消滅すると同時に再生を果たしていた。その中にもはや化物の魔力はなく、本来の無垢な魔力を宿す、正真正銘、エルフたちが信仰する聖なる樹木としての姿を取り戻していた。
そして、彼の化物は──。
「ハ……ハハ、ハ……」
──フェンリルとフェニックスの刃を受けてなお意地汚く、ゴーレムの中にしがみついていた。
「本当になんなんだ、おまえは……」
さすがのあたしでも、この化物のしぶとさには辟易する。ダンジョンの中でもあるまいし、規格外にもほどがあるでしょうよ。
「思わぬ……退屈……しのぎ、に……なったも、の……だ……。まさ、か……
「……なんですって?」
「ハハ……僕と、はな……し、をしたけ……れば……ダンジョン、へ来る……と、いい……。待って、い……る……」
その言葉を最後に。
化物はグシャリと音を立てて倒れ、そして動かなくなった。
「……二度と会いたくないわよ」
こっちは出来る限りの手を尽くし、相手は適当に遊んでいただけだった。あたしとしては、そういう印象が強い。
結局、いいように弄ばれたってわけよ。
あたしも。この国も。
「イリアスさーん!」
──でも、まぁ。
涙目で駆け寄ってくるミュールを見て、少しは報われていると思うくらいは、許されるわよね?
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