第12話 とある受付嬢の物語

 ミュール・ユグラーヴァという名は、偽名である。

 正しくは、ミュルリアナ・ヴァーチェ・アルフヘイム・エルヴィン。エルフ森林王国のエルヴィン王家レゴリアス国王の第一王女ミュルリアナ姫と言うのが、彼女の持つ正しい肩書だ。


 兄弟姉妹はいない。母である王妃は近年になって病を患い、王国東方にある直轄領で療養中だという。


 そんな王家の第一王女が、どうして世界各国の不可侵領域であるダンジョン中立地帯の近隣にある第三前線都市で、冒険者ギルドの受付嬢などという雑務に従事していたのか。

 それは、王家の慣例に則った務めを果たすためという理由があった。


 エルフというのは、今さらだが長命種である。


 千年、二千年と生きるのは当たり前、特に王家に連なるエルフはハイエルフであり、その寿命は平均して三千年。記録では、五千年もの時を生きたことが確認されている。

 そんな気の遠くなるような時間を、エルフは──特に王家に連なるハイエルフの一族は、国家のために縛られ続けねばならないのか。


 それは違う──と、時の王は考えた。


 国を思い、守り、臣民を健やかに育むためには、より広い世界を知らねばならない。長い時を生きるのであれば、それだけ多くのものを見て、学び、得た知識を国家のために役立てることができる。そうしなければならない。

 故に、王家に連なる者は幼少の頃に諸外国へと旅立ち、多くのことを学ぶべしと定められたのである。


 ミュルリアナ姫もその慣例に則って国を出た。六〇歳の頃だ。


 彼女が心惹かれた場所は、ダンジョンだった。

 王を持たず栄えた国──厳密には国ではないが、拝すべき王もなく、集う種族もバラバラで、ともすれば〝世界の縮図〟と呼ばれる場所がどういうものなのか知りたい、と思ったのが最初の動機だった。


 そこで彼女は本名を隠し、〝ミュール・ユグラーヴァ〟と名乗って冒険者になった。ちなみに、ユグラーヴァというのは王家で語り継がれる伝説に名を記す最初の御神木のことであり、世界樹とも呼ばれていた神木の名でもある。

 エルフならば誰もが知ってる──というほど有名ではないが、王家に関わりがある者であれば、一度くらいは耳にする名だ。


 そして冒険者になったミュルリアナ──ミュールは、ダンジョンで様々なことを学んだ。


 エルフだけではない、ヒューマンやドワーフ、獣人各種族、魔族の優しさ、狡猾さ、尊さ、卑劣さ、賢さ、愚かさ。

 種を超えた友愛もあれば、同族で繰り広げられる凄惨な謀略も見た。

 そんな中でミュールは逞しさを身に着け、正しく善悪を見抜く目を持ち、冷徹に可不可を決断する意思を育んだ。

 そんな日々の中で、ミュールはとある冒険者と出会った。

 世の善悪を正しく学び、「この人ならば」と、真に同道できる者を見つけたのだ。


 その冒険者の名は、アイン・フォルトナー。


 後に冒険者ギルドから勇者の称号を与えられる者であるが、しかしそんな肩書などなかった頃から、ミュールはアインの姿に真の〝勇者〟の姿を感じ取っていた。

 そしてその想いは、いつしか深い情の念を抱くようになっていた。


 それは恋慕の情だったのかもしれない。

 あるいは、種族は違えど一人の人間として敬仰していただけかもしれない。


 ともあれ、ミュールは長命種であり王家の者。

 そしてアインは、どれほど清廉で高潔だろうとヒューマンである。いずれはミュールより先に、この世を去ることになるだろう。

 ならばミュールは、勇者アインの人生という長い旅路が幕を下ろすその時まで共にあろうと、固く心に誓った──が、その日は思ったよりも早く訪れた。


 勇者アイン・フォルトナーが、ダンジョンで消息を絶った。


 十日が過ぎ、百日が過ぎても帰って来なかった。一年待っても、なんの音沙汰もない。結果、誰もが認めてしまったのだ。

 アイン・フォルトナーはダンジョンで息絶えたのだ──と。


 それが確定的になって、ミュールは三日三晩泣き伏せた。文字通り、涙が乾くことなく泣き続けた。これほどまでの涙が自分の中にあったのかと呆れてしまうほど、ミュールは涙を流し続けた。

 そして涙が枯れ果て、自分が外の世界で成すべきことはこれで終わった──そう考えた時に、「そういえば」とミュールはあることを思い出した。


 それがいつのことかは覚えてないが、何かの折にアインは言ったのだ。「もしよければ、うちの娘を見守ってくれないか」と。

 ミュールも、その頃にはアインも妻を娶り、子が一人いることを知っていた。その子のことかと思ったのだが、どうやら違うらしい。


「ちょっと理由ありで俺が育てることになった娘がいるんだが、これが実に危うい。お目付け役は他にいるが、そいつもあまり世の習いに詳しいわけじゃないんだ。いずれおまえも祖国に帰る日が来るだろうが、それまででいい、正しき世の理を踏み外さないように見守ってくれないか?」


 そんなことを頼むアインの意図がまったくわからなかった。

 そもそも、正しき世の理を踏み外さないように育てるなら、アインこそが最適だとさえ思っていた。


 しかしアインが言うには「俺より確実に長く生きるエルフにお願いしておきたいんだよ」と言う。

 それはつまり、その子が死ぬまで見守ってほしいということだろうか。長命種に頼む理由としては、そのくらいしか思い浮かばない。


 そんな難のある子なのかと、その時のミュールはそう思った。


 だが、ことが敬愛するアインの頼みだ。「わかりました」と了承したのである。

 そんな約束を不意に思い出したミュールは、祖国に帰るのを止め、同じアインのパーティメンバーだったレイヴが冒険者ギルドのギルド長になったこともあり、冒険者ギルドの受付嬢として働くことにしたのである。


 アインとの最後の約束を守るために。


■□■


「ちょっと待って?」


 滔々とこれまでの経緯を語るミュールに、あたしは待ったを掛けた。


「はい?」

「なんだか情報過多で言いたいことはいろいろあるんだけど……」

「あー、そうですよね。イリアスさんでも混乱するのは無理もありません」


 や、そうなんだけど。

 そうなんだけど、そうじゃなくて……ええっと、なんて言えばいいのかな。


「これだけは確認したいんだけど」

「はい」

「ミュールって……父さんの愛人だったの!?」

「……人の話を中断させてまで聞くことが、それですか?」


 なんだかすっごいゴミクズを見るような目を向けられて、深いため息を吐かれたんですけど?

 まぁ、うん。ミュールがエルフ森林王国のお姫様だったとか、義父さんとパーティを組んでいたとか、あたしのことを頼まれてたとか、気になることはいっぱいあるけど。


 あるけど!


 義娘として、義父さんの素行が一番気になるのは仕方ないでしょ!


「アイン様とどうこうなんて、起こりようがありません。何より、アイン様は奥方一筋でしたし」

「へぇ~、ほぉ~、ふぅ~ん」

「……イリアスさん? 今のあなたは、まだ拘束中の身であることを忘れていませんか? 私が冗談でも『あの娘の首、落としといて』って言えば、実際にそうなるんですよ?」

「すみませんでした!」


 でもまぁ、真面目な話、ミュールが義父さんとパーティを組んでいたとはねぇ。


 ……あ、ということはミュールって、冒険者ギルドのギルマスともパーティメンバーだったってことよね?

 ということは、ミュールがかなりの腕前だってことを、ギルマスは知ってたわけだ。だからロアとかギルド職員がミュールのことを心配していても、ギルマスはそんなに心配してなかったんだ。

 そもそも、ミュールの正体──エルフ森林王国のお姫様ってことも知ってたんだ。


「てかさ、義父さんがミュールに頼んだ娘って、ヴィーリアじゃなくてあたしのことだよね? なんか散々な言われ方なんだけど?」

「そのままの意味じゃないですか? 私も実際にイリアスさんと初めてお会いした時に、深く納得しましたもの。『これはダメだ、放置しちゃいけない』って」

「ちょっと!?」


 いくらんでもひどくない? 正しき世の理を踏み外す──って、あたし、子供の頃からそんな破天荒なことしてないと思うんだけどなぁ。

 もちろん、大人になってからもしてないよ?

 ……ホントだよ?


「………………」

「待って待って。ミュール、ちょっとまって。そんな剣呑な目であたしを見ないで? あたしはまだ、人道に外れるようなことしてないよ?」

「私がいつ、人道を説いたと言うんですか」

「へ? いやだって──」

「……ま、そういうことにしておきましょう。見守っていた私も、そう思いたいです。ちょっと手遅れかもしれませんが」


 それってもちろん冗談だよね?

 義父さんとのことをからかった意趣返しってヤツだよね?

 そうじゃなかったら泣くよ? さすがのあたしでも。


「でも、ミュールが義父さんとそんな約束してたって言うなら、なんで冒険者ギルドの受付嬢になったの? 義父さんがいなくなった後、直接あたしのところに来れば良かったじゃない」

「アイン様がおっしゃってたんです。『あいつは冒険者にしかなれない。他の生き方を選んでも、結局ここに戻ってくる』って。だから私は、ギルドの受付嬢になってイリアスさんの担当管になったんです。それに……冒険者として一緒に行動するのはちょっと……」

「義父さん以外は嫌ってこと?」

「そういうのは、わかっていても口にしないものですよ」


 頬を染めてそっぽを向かれても、あたしはどういう感情を持てばいいんだろうね? なんなの、この乙女。


「それよりもイリアスさん、まだ話は終わってないですよ」

「え? なんだっけ?」

「私が国に戻ってきた理由です。というか、それが本題でしょう? イリアスさんが拘束された理由もまだなんですから、話の腰を折らないでください」

「あ、はい」


 ええっと……つまりミュールは、敬愛していたあたしの義父さんとの約束で、あたしのことを陰から見守ってくれていたってことだよね?

 それはたぶん、あたしが死ぬまでってことだ。


 なのにミュールは、今になって急に帰国した。

 それは一時的なものだったはずだ。でなけりゃギルドに休暇届けなんて出しはしない。

 けれど、結果として当初予定していた休暇期間を過ぎても帰れなかった。


 それにはもちろん、理由があるってことだよね?

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