第14話 イリアスの戦い
たぶん……だけど、あのままハーキュリーが戦闘を続けていれば、ちゃんとヴォイド・デーモンに堕ちた仲間を倒すことはできたと思う。
けど、その時にはハーキュリーもかなりボロボロになっていたでしょう。それこそ、ダンジョンから脱出する体力が残っていないほどに。
というのも、ハーキュリーは仲間だった双剣士のヴォイド・デーモンが人語を喋ったことに動揺していたからだ。もしかすると、まだ助ける手段があるんじゃないかって思ったかもしれない。
それじゃ駄目だ。そんな迷いを抱えたまま、あの二体のヴォイド・デーモンに勝つことは難しい。最終的には克服して気持ちに整理をつけたとしても、その頃にはボロボロになる。
それに……残念だけど、あの二人は確実に死んでいるのよ。
なんでそれがわかるのかって?
それはあたしが調教士だから。
そもそも調教士は、〝命があるもの〟と契約して隷属させる技能を持ってる人のことを言うわけよ。
つまり最低限、相手が〝生きてるか死んでるか〟を見極めることができる。そこから交渉して隷属させられるかはまた別の話だけどね。
そんなあたしの目から見ても、ハーキュリーの仲間って人たち二人は、確実に死んでいた。
それならば、一刻も早く弔ってあげるのが、ダンジョンに挑む者へ対する同じ冒険者として最後にできること。
なにより、死者の亡骸をいいように利用してるのは──かなり気分が悪い。
ダンジョンに肉親を奪われたあたしとしてはね。
「来たれ、我と契約せし者。汝の力は我とともにあらん!」
自分の手で決着をつけたかったハーキュリーには悪いけど、あたしが早々に終わらせてもらうわ。
「ヴァルキュリア!」
あたしの呼びかけに応じて現れたのは、バトルドレスを身にまとい、自身の身の丈に匹敵するほど長大なランスを傍らの地面に突き刺して腕を組む女騎士。
だからと言って本当に女でもなければヒューマンでさえない。あたしが使役してる時点で、そもそも人間じゃない。ヒューマンに似た姿をした聖獣だ。
ヴァルキュリアは、言うなれば死を司る聖獣──死神だ。
この状況で、これほど相応しい聖獣はいないでしょう。
「お願い」
あたしからの短い一言に、ヴァルキュリアは静かに目を開く。
『……承ろう』
直後、ランスを手に取ったヴァルキュリアの姿が消えた──いや、消えたかのような速度でヴォイド・デーモンに迫る。
ガギィン! と金属がぶつかり合う音が響く。
『ほう……』
思わず、といったようにヴァルキュリアの口から感嘆の声が漏れる。確かに、あたしもヴァルキュリアの立場だったら、同じような反応を示していたかもしれない。
よもや重量級のランスを、二本の短剣でいなせるとは思わなかった。ヴォイド・デーモンに堕ちたからというのもあるだろうけど、そもそも母体となったコルテオって人が、かなりの実力者だったんだと思う。
それを証明するかのように、先手こそヴァルキュリアに取られたヴォイド・デーモンだったが、たちまち立場が逆転している。
もともと身のこなしが軽い双剣士が、その技能である《写し身》を使って多方向から間断なく攻め立ている。
対して、ヴァルキュリアは巨大なランスを小枝のように振り回す見事な膂力を見せつけているが、それは主に防御に使われていた。
これはまずい。
「ヴァル──」
『実に、見事である』
あたしが指示を出そうとした直前、ヴァルキュリアが猛獣の如き声で感嘆し、猛禽類の如き笑みを浮かべた。
防戦一方だったヴァルキュリアは、それまでが嘘だったかのように反撃に転じる。
《写し身》で九つに気配を分裂させていたヴォイド・デーモンの攻撃から、迷う素振りなく本命の攻撃を見抜き、ランスで防御するどころか短剣の一撃を素手でいなした上で相手の手首を掴み、その驚異的な膂力を存分に発揮させて地面に叩きつけた。
地面を陥没させるほどの衝撃を受けたヴォイド・デーモンは、まるでゴム毬のように跳ねた。
そのヴォイド・デーモンの胸にランスが突き刺さる。
それも、ただ突き刺したんじゃない。
投擲したランスで貫いたのだ。
その勢いはとどまることを知らず、狙ってなのか偶然なのか、双剣士のヴォイド・デーモンを貫いたランスはその勢いを殺すことなく、直線上にいた治癒術士のヴォイド・デーモンをも巻き込んだ。
『異形に魅入られし魂魄なれど、その実力は紛うことなき強者のもの。誇れ、戦士よ。うぬらの御霊、必ずや冥府へと導こう』
……あ~あ。
ヴァルキュリアが防戦一方に陥ったときから、こうなる気がしてたんだ。
思いの外、ヴォイド・デーモンに堕ちた双剣士に実力があり、さらにその力を底上げしていた治癒術士の能力も高かったことから、ヴァルキュリアがやりすぎてしまうんじゃないかって。
だから『まずい』と思って、やりすぎないように窘めようと思ったんだけど……遅かった。思った以上に張り切りすぎでしょ、あの子。
本番はこれからだっていうのに。
「ヴァルキュリア」
『心得ておる』
どうやらヴァルキュリアも気づいていたようだ。
そりゃ、勇敢な戦士の魂を導く聖獣だもんね。そこに邪なものが混じっていれば、気づいていてもおかしくない。
「ク、クク……クカ、カカカ……!」
喉をつまらせたような笑い声が響く。
その声は、ヴァルキュリアのランスで貫かれた二体のヴォイド・デーモンから聞こえてきた。
なんの声かなんて、考えるまでもない。
魂も何もかも抜け落ちた肉体から、黒くて暗くて形も定かではない何かがズルリと地面の上に落ちてきた。
それはまるでスライムのようにグニャリグニャリと蠢いて、やがてひとつの形を成していく。
あれは……なんて言えばいいんだろ?
狼? いや、犬かしら?
フェンリルほど大きくないけど、素のフォルムはそれに近い。けれど、全身に棘が生えていて……犬の形をしたハリネズミって表現するのが最も適しているかもしれないわね。
「所詮、古き器ノ肉塊か。実に脆弱なモのよ……」
「……自己紹介をお願いしても?」
あたしがそう問えば、棘のバケモノは笑いを堪えるかのように喉を鳴らした。
「もハや滅びは免れヌならば、我が名を黄泉路の路銀とスるがイい。我が名はグリゴリ……この世ノ新たな支配種でアる!」
グリゴリの全身を覆う棘が爆発的に膨れる。いや、伸びる──と言った方がいいんだろうか? 一本一本が自らの意思を持っているかのように、獲物を狙う蛇が飛びかかるかのように、あたしに襲いかかってきた。
『失礼仕る』
反応の遅れたあたしと違い、ヴァルキュリアが棘の襲撃に見舞われそうだったあたしを寸前のところで拾ってくれた。
けれど、棘は地面を穿ったところで止まることもなく、執拗に執念深くあたしを追いかけてくる。
「このままじゃ埒が明かない。ヴァルキュリア、いいわね?」
『是非もあろうか。主殿の思うがままになさるが良い』
そう言ってくれるのはとても有り難い。
それなら、その全幅の信頼に甘えちゃおうじゃないの。
「
暗闇の階層に閃光が奔る。直後、あたしを追いかけ回していた棘がことごとく弾け飛んだ。いやまぁ、あたし自身がすべて粉砕したんだけどね。
「ほウ……」
自分の棘が尽く粉砕されたって言うのに、グリゴリは興味深そうな声を上げた。
そのくらいの反応を見せてもらわなきゃ割に合わない。なんせ、あたしの奥の手の一つだからね。
今のあたしはヴァルキュリアと融合した姿だ。ヴァルキュリアの装束であるバトルドレスを身にまとっているけど、それは格好だけじゃない。ヴァルキュリア自身の能力を数十倍に引き上げて放出することができる融合状態だ。
そのためにも、武器も最適化されていた。
ヴァルキュリアはランスだったが、融合した今、トゥハンドソードに変わっている。大剣ほど大きくないが、両手で取り回すのに丁度いいサイズの剣だ。
盾はいらない。むしろ、グレゴリを相手に防衛装備は邪魔になりそう。
攻撃特化。相手の攻撃はすべて迎撃する。
これが最善だ。
「覚悟してもらうわよ」
「クッ、カカ……! 我に如何様ナ覚悟が必要だト言うのダ!」
再び、グリゴリの棘が伸びる。
速いな。ちょっとした弩弓の矢に匹敵する速度かもしれない。
けど、だからと言って、今のあたしをただのヒューマンと思ってもらっちゃ困る。伊達にヴァルキュリアと融合してるわけじゃない。
動体視力、反射速度、そして膂力といった身体機能のすべてが、ヒューマンはもとより通常状態のヴァルキュリアをも大きく上回ってるんだから!
「ハッ!」
両手に力を込めて、剣を振る。
猛烈な速度で迫る棘を尽く叩き落とす。
それはさながら剣の結界。トゥハンドソードの間合いから内側には、そうそう簡単に入り込めると思わないでもらいたい。
けど、これ──。
「硬い……!」
これは予想外。
さっきはあっさり砕くことができたけど、今はいなして反らすだけで精一杯だよ。よもやヴァルキュリアと融合した状態で断ち切れないとは、夢にも思わなかった。
あの棘は、グリゴリにとって武器であり盾であるってことか。さながら攻防一体の甲冑ね。
……大丈夫。
相手の攻撃は見えている。
あとは、この剣の切っ先を棘の合間を縫って肉に食い込ませるだけだ。
「ハァッ!」
ちょっと気合を入れて、バラバラのタイミングで迫る棘をすべて同時に捌いてグリゴリへの道を開く。
直後、奴が下がった。闇の中に溶け込むつもりでしょう──けど、闇に紛れるタイミングが遅かったわね。そのくらいじゃ見失わないわよ!
地を蹴って、一気に距離を縮める。
その速さはまさに神速。瞬き一つにも満たない時間で、間合いに踏み込むことができた。
相手の反応は遅い。
もらっ──。
「っ!?」
トゥハンドソードの切っ先が密集している棘の隙間を掻い潜り、グリゴリの肉を裂く完璧なタイミングと思っていた。
なのに、その剣先はグリゴリの肉を貫くどころか、薄皮一枚斬ることもできなかった。あたし自身が「嘘でしょ!?」と思う反射速度で、グリゴリの体表を覆う棘がガードしたのだ。
こんなの、予測してたとかじゃなきゃ絶対無理でしょ!
「きゃっ!」
あたしにとって最高のタイミングで攻撃を仕掛けたけど、防がれてしまえば途端に立場は逆転する。防御した棘とは別の棘が、至近距離からあたしに襲いかかってきた。
あまりの距離の近さに、剣で捌くこともできやしない。
幸いだったのはバトルドレスの防御力が思ったよりも高かったこと。ビリビリのボロボロにされたけど、生身の体はかすり傷程度で済んでよかった。
それよりも……なんなんだ、あいつの反射速度。どう考えてもおかしいでしょ? なんであのタイミングで防御できるかな!? 理不尽極まりないわね!
《主殿》
一人憤慨していると、頭の中にヴァルキュリアの声が響いた。融合してるときに聖獣が話しかけてくるってのは、ちょっと珍しい。
《我が魔眼と視界を共有せよ。魂の輝きが見えるであろう。許可を》
え、視界? を、共有? なんかよくわかんないけど、まぁ許可してって言うなら許可しますとも。
そんなあたしの思考を読み取ったのか、途端に視えてる景色が変わった。
もともとここは暗闇の階層。明かりがなければ手を伸ばした程度の距離で、明かりがあっても一〇メートルくらい先しか見えない階層だ。
けれど、ヴァルキュリアの魔眼とやらと視界を共有したことで、見えないものでも視えるようになったみたい。
それは、グリゴリの輪郭をなぞるように薄ぼんやりと輝く赤白い光。
《あの輝きが〝魂の輝き〟ぞ。彼の化生の輝きは実に穢れておる。あんなものは早々に滅するべきぞ》
なるほどね。勇敢な戦士の御霊を冥府へ誘う
そんなヴァルキュリアの魔眼を通して視たグリゴリは……なんというか、赤白い光がいくつも寄り集まったように視える。
「こいつ……もしかして群体?」
ヴァルキュリアの魔眼を通して視たグリゴリの姿は、赤白い光が何十、何百と集まって一つの形を象っているように視えた。棘そのものはグリゴリの肉と繋がってるけど、棘の一本一本に事細かく本体とは別種の魂があるってことだ。
「ほんっと、なんなのよあんた! 別の世界から迷い込んだ怪物とか言わないでしょうね!?」
「我はグリゴリ……創造主バハムート様の御技で育まれシ新たな支配種デある」
「バハムート……って、そういやさっきも言ってたわね。そいつがおまえの親玉ってわけ?」
「クックククク……下等な旧世代種め、自らノ創造主すら忘レた無知の者ナど、存在する価値もナい」
自らの……創造主? もしかしてそれ、始祖龍のこと? てか、そんなお伽噺の存在が実在するなんて知らないわよ。そもそも、名前だって伝わってないんだから!
「疾く滅ぶがいイ!」
再び蠢き出す棘の群れ。それはグリゴリと別の生物なのはすでにわかってる。
となると、この状況は一対多ってこと? むっちゃ不利な状況で頑張ってたんじゃない、あたし。
「んぐっ!」
ヤバイ。
ヤバイヤバイヤバイ。
これって、割とピンチじゃない?
だんだんこっちの対応が追いつかなくなってきたぞ。このままじゃ押し込まれる。
かと言って、無理に反撃に転じたところで、あの棘を斬り裂くなんてことは……いや、待て。
待て待て、あたし。
何か見落としてないか?
そうじゃないわね……うん、そうじゃない。
だから──そういうことか。それでここ、三十一階層にあいつはいるのね。
「……お遊びはここまでにしておきましょう」
「ホぉう……」
やるべきことは決まった。たぶん、倒せる……けど、それには少し準備に時間がかかる。
それまでの時間を稼ぐ手段は……あるわね。
「なんであんたの相手をするのにヴァルキュリアを選んだのか……その理由を思い知るといいわ」
棘の追撃をすべて置き去りにするように大きく後ろに飛び、あたしはトゥハンドソードを片手で空に向かって掲げた。
そんな隙だらけの様子に、グリゴリが警戒の色を浮かべる。
確かに、こんな戦闘中に──それもかなりの高速戦闘とも言える状況の中、無意味に剣を掲げるなんて理解不能でしょう。警戒するのも当然だ。
あるいは。
あいつはあたしのことをナメてるみたいだからね。どんな奥の手があろうと無駄だと思って、「無駄なあがきをすればいい」とか思ってるのかもしれない。
なんであれ、余裕ぶっこいてるなら好都合だ。
「全軍……かかれぇっ!」
号令一下、あたしの背後から飛び出す数多の影。
そう、影である。
輪郭だけ見ればヴァルキュリアの格好をした影々が、各々剣や槍などを手に、グリゴリに向かって襲いかかった。
幻術や分身とは違うわよ。
文字通り、実体を持った影だ。
しかしその影は、あくまでも見た目が影っぽいというだけで影じゃない。
すべて、ヴァルキュリアたちだ。
そもそも〝ヴァルキュリア〟というのは個人名じゃない。戦死者を運ぶ〝軍団〟のことを指している。
そしてあたしが喚び出したのは、〝ヴァルキュリア〟だ。本来であれば、軍団まるごと喚び出すはずだった。
けど、あたしの調教士としての力がちょっと足りなくてね。神域に属する軍団をまるごと喚び出すなんて、やっぱり無理だった。完全形態で喚び出せるのは一人が限界だったみたい。
それならどうして今になって他のヴァルキュリアたちが出てきたのかというと、あたしと融合しているヴァルキュリアのお陰ってことなのよ。あたしが喚んだヴァルキュリアがこの世との経路となって、他のヴァルキュリアを喚んだってこと。
ただそれは、あまりにもイレギュラーな手段である。かなりブラック寄りでグレーゾーンの裏技だ。
だから、影のような不完全な形になっている。現世にとどまり続けることができるのは長くて五分、短くて一分保てればいい方でしょう。
その間に決着をつけなくちゃならない。
「たかダが二〇前後の数で……我を屠レると思うテか!」
棘が疾駆する。
集団で襲いかかるヴァルキュリアの影を尽く弾き飛ばす。
これは……思ったよりもヴァルキュリアたちが本来の力を出せていない。思ったよりも早くにグリゴリの包囲網は崩れ、その間から何本かの棘が……まずいッ!
「させるかっ!」
最悪の結末を覚悟したその時、迫りくる棘とあたしの間に滑り込んだのは──。
「ハーキュリー!?」
まさかハーキュリーがここに飛び込んで来るなんて!
いくらアダマンタイトの盾を持たせているからって、ヴァルキュリアと融合してるあたしの一撃でも傷一つつけることができなかったグリゴリの棘を防ごうとは、無茶がすぎる!
でも。
いや──だからこそ、か。
「僕は……もう、あなたに守られるだけの子供じゃない!」
「まったく……!」
盾は貫かれ、ハーキュリーも多少貫かれてしまったが、軌道を反らすことができている。致命傷も免れている。
ちゃんと計算してた? それとも偶然?
なんであれ、彼は捨て身で飛び込んできたわけじゃない。自身を守り、そしてあたしをも守るという確固たる決意を持ってここに飛び込んだ。
そんなハーキュリーの気概と覚悟、そしてその勇気を認めないんじゃ女が廃る。
「あんたは、紛れもなく勇者ね!」
準備はまだ……いや、いける? いけるか!? 行くしかない!
「喰らえっ!」
バンッ! とあたしが地面を叩くと、暗闇の階層に眩い光が灯る。
さすがに全域とはいかなかったけど、狙い通り、グリゴリを取り囲む光の〝檻〟は出来上がった。
「ゲエェェェェッ!」
余裕綽々の態度を一度も崩さなかったグリゴリが、驚愕に満ちた悲鳴を上げる。
やっぱりこいつ、光に弱い!
思い出してほしい。あたしは一度だけ、こいつの棘を粉々に砕いている。
それは、ヴァルキュリアと融合したときだ。あのとき、融合の余波であたしの周囲が光に包まれた中で、あたしは襲いかかってきた棘をことごとく砕いている。
だからと言って、それだけで確信を持ったわけじゃない。
順番は前後するけど、あたしがハーキュリーと片腕を失ったディーガさんを見つけたときにも、気づく要素はあったのだ。
あの時、グリゴリはあたしに向けて棘を伸ばしてきた。けれどその時は、今みたいにハーキュリーが間に割って入ってくれて難を逃れている。
考えてほしい。
なんであのとき、ハーキュリーは間に合った?
神速を誇るフェンリルを相手に、それを上回る速度で棘は襲いかかってきていたはずなのに、なんでハーキュリーは間に割って入ることができた?
今みたいに、守ること前提でタイミングを見計らっていたから?
違う。そんな余裕が、あの時あったわけがない。
なら、あの時と違うことは?
それは、あたしが魔導ランタンを持っていたことだ。光が手元にあったのよ。
だからグリゴリは、ハーキュリーが割って入れるくらいに弱体した。動きも遅くなったのよ。
「なンだ、これハ……! 何故こコにこれホどの光がァァァァッ!」
「刻印詠唱って知ってる?」
ヴァルキュリアたちは戦士で、魔法なんかに頼ることはない。けど、光を灯す刻印詠唱をあたしは知っている。
それを、影という不完全な形で出てきてくれたヴァルキュリアたちに地面に描いてもらった。
彼女たちはグリゴリと戦っていたのに、いつの間に──って?
ええ、そうよ。彼女たちは戦っていた。
けれど、その数は本来の半分。
いつ、ヴァルキュリアという軍団が二〇前後って言ったかしら?
彼女たちは、その倍はいる。
半数はグリゴリをその場から動かないように押さえつけてもらい、残り半分は地面に刻印詠唱を描いてもらった。
ただ、その光とて一〇メートルほどの範囲でしか届かない。
だから数が必要だった。約一〇メートル感覚で、グリゴリを取り囲むようにね!
「我と契約せし者、汝、その真名を以て神威を示せ!」
そしてあたしは、最後の一手を行使する。
ヴァルキュリアたちを全員喚び出すのは奥の手だった。
そしてこれからするのは、禁じ手だ。
「
あたしの全身を覆うバトルドレスが粒子となって消え、手に持つトゥハンドソードが螺旋を描くランスとなる。
兵仗顕現──喚び出し、融合した聖獣を武器にする調教士の秘奥義。
防具や意識の共有を切り捨てて、聖獣をただ一つの刃にする……んだけど、あたしとしては仲間を武器にしちゃうこの秘奥義は、できることなら使いたくなかった。
だから禁じ手。
でも、そんな禁じ手を行使しなければグリゴリは倒せそうにない。
光を浴びせて弱体させても、このくらいしないとあいつの棘は貫けない。
「穿て、ゲイルドリヴル!」
ランスへと形態変化させたヴァルキュリアを、その真名とともに投擲する。
ゲイルドリヴル──それは〝槍を投げる者〟を意味する、あたしと融合していたヴァルキュリアの真名でもある。
「!!」
このとき、初めてグリゴリの目に戦慄の色が浮かんだ。どれだけあるのかわからない全身を覆う棘が、迫るゲイルドリヴルを迎撃しようとする。
ある棘は真正面から受けようとして、またある棘は側面を狙い、または何十本の棘が一つに束なって盾になろうとする。
それを、貫く。
迎え撃とうが防ごうが、一切合切をたやすく貫き、粉砕し、突き進む。
何人たりとも、放たれたゲイルドリヴルを妨げることができない。光に囲まれて弱体しているグリゴリならば、なおのこと。
「ヒ──ッ!」
悲鳴は短く。
代わりに、耳をつんざく轟音が土砂を巻き上げ、ついでにあたしやハーキュリーも巻き添えにして周囲一体を吹き飛ばす。
これで、終わり。
文字通りの終焉だった。
「はー……疲れた」
目の前に底の見えない巨大な大穴を前にして、あたしはため息を付いた。
そこにはもう、グリゴリの気配は欠片も感じなかった。
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