side:ハーキュリー

 実に不思議な人だ。


 それが、イリアス嬢に対して僕が率直に抱いた印象だった。


 そんな風に僕が思ったのは、彼女の態度が関係しているかもしれない。

 実に自然なのだ。気負った雰囲気などかけらも感じない。


 それがどれだけ奇異なことか、よく考えてほしい。


 ここはダンジョン──それも地上階層より難易度が高いと言われる地下階層の三十一階層だ。

 僕のようなAランク冒険者でも、ここに挑むときはそれ相応に身構えてしまうものなのに。


 なのにイリアス嬢は、まるで馴染みの商店街を散歩しているかのように気負ったところがない。自然体だった。実際にどうなのかは別としても、そういう風に見える。


 彼女はいったい、どういう人なんだろう。

 こんな場所に一人で、それもギルドからの要請で僕の救助に来るということは、かなりの実力者であることは間違いない。


 もしかして、Lランクの冒険者?

 いやでも、Lランクの冒険者は世界でも片手で数えるくらいしかいないはずだ。そこに、〝イリアス〟という名の冒険者はいない。

 そもそも僕は、今まで一度も彼女の名前を聞いたことがなかった。

 彼女は本当に、何者なんだ……?


「あ、そうだ」


 僕がイリアス嬢の正体に思いを馳せていると、当の本人から声をかけられた。


「ハーキュリーは剣術士って聞いてるんだけど、武器は? 見たところ、何も持ってないようだけど」

「ああ……あのバケモノに襲われた際に壊されてしまってね。盾も……まぁ、一緒に」

「あー、あたしを守ってくれたときに壊されちゃってたわね……」


 その時のことを思い出して、イリアス嬢は納得してくれた。


「そういうことなら……」


 そう言うと、イリアス嬢は契約している聖獣の……マスタースライムだったかな? それを再び喚び出し、剣と盾を取り出した。


「ずっと前にダンジョンのどっかで拾ったものだけど、よかったら使って」

「ああ、それはありがた、い……」


 渡された剣と盾を手にして、すぐにわかった。

 これは、かなりの業物だ。使ってる素材からして、ただの金属ではない。


「これ……もしかして、アダマンタイトの……?」


 思わず口を割ってこぼれた僕の呟きが聞こえたのか、イリアス嬢はマスタースライムを帰還させながら「ええ、そうよ」と、こともなげに頷いた。


「再利用できないかなって思って取っておいたんだけど、そもそもアダマンタイトは加工するには最上級精霊との契約が必要らしくって。あの子たち、使役するだけでも相応の対価を取るから面倒でさ。そのまま放置しておいたものだから、好きに使っていいわよ」

「か、加工……? いや、そもそもアダマンタイト製の武具はそれだけで貴重なもので──」


「剣術士が武器も防具もなくて、あのバケモノの相手ができる? 行方不明の仲間を探したいって言い出したのはあんたなんだから、武器くらい持って戦う準備くらいしないとね。どんな貴重なものでも、命には変えられないでしょ」

「……そ、そうだね。すまない」


 なかなか辛辣な意見だが、彼女の言うことはもっともだ。

 仲間を助けると決めたのは僕だ。なのに武器も防具もなく、見たこともないようなバケモノが徘徊する地下三十一階層を動き回ろうとしていたなんて、自殺行為も甚だしい。


「それで、行方不明の仲間を探す手立てはあるの?」

「ん? ギルドカードがあるだろう?」

「……ん?」

「いやだから、ギルドカードでだいたいの居場所は把握できるじゃないか」

「え、そうなの?」


 イリアス嬢は「初めて聞いた」とばかりに驚いている。

 むしろ、僕の方がびっくりだ。


「ギルドカードにはパーティを組んだ仲間の居場所を知らせる機能がついてるじゃないか。知らないのか?」

「ごめん……知らなかった」


 知らなかったって、そんなことがあり得るものなんだろうか? 


「イリアス嬢、あなたは本当に冒険者なんだよな……?」

「違うわよ。あたしは自分の店を持つ商人なの」

「えっ!?」


 商人? 冒険者じゃなくて商人だって!? 商人が、ダンジョンの地下階層三十一階まで一人で来られるわけないじゃないか。


「や、その、今は商人だけど、少し前までは冒険者だったのよ。その頃は単独探索で潜ってたから、パーティを組む機会もそんなになかったし、組んでもギルドカードの基本なんて聞いたことないし。そういう便利機能がついてるなんて考えたこともなかったのよね……」


 ギルドカードの性能なんて、手に入れた時にギルド職員から教えてもらうものだと思うんだが……僕が困惑した表情を浮かべていたからだろうか、イリアス嬢はそんなセリフで言い訳した。


「僕も固定パーティを組まない単独冒険者だけど……知ってたよ?」

「そんなことはいいから、ギルドカードで居場所がわかるなら早く仲間の居場所を調べてよ」


 なんだか話をはぐらかされた気分だけど、彼女の言うことももっともだ。ここに魔獣とは違うバケモノが棲息している以上、再び遭遇する前に仲間を見つけ、脱出した方がいいに決まっている。


 僕はギルドカードを取り出した。

 表面には自分の名前やランクが記されている。仲間の居場所を探知できるのは、裏面の方だ。

カードをひっくり返し、仲間の居場所をサーチすると──。


「えっ!?」


 表示された位置情報に、僕は驚きの声を上げた。

 ギルドカードに表示された仲間の位置。自分を中心に、どのくらい離れた場所にいるのかを大雑把に表示されるだけで高低差とかはわからないけれど、距離だけはかなり正確に測定することができる。


 その距離は、五メートル。

 いくらここが〝暗闇の階層〟と呼ばれる場所でも、さすがに五メートルの距離なら見えるはずだ。


 なのに、見えない。どこにもいない。

 どういうことだと僕が困惑していると──。


「うおっ!?」


 突然イリアス嬢に突き飛ばされて、たたらを踏んだ。

 いったいなんのつもり──と、文句を言う暇もなかった。


 僕が直前まで立っていた地面から、強襲を仕掛けられた。幸いにしてランタンを飛ばされただけで手痛い傷を負うこともなかった。イリアス嬢に突き飛ばされていなければ危なかった。


「ごめん、ランタンが……」

「いや、大丈夫」


 ここは地下三十一階層。暗闇の階層と呼ばれるくらい明かりはアテにならない。そもそも、この階層に挑もうと言うのなら、明かりがない場所でも十全に立ち回れることが大前提になる。

 だから、明かりを失ったことはそこまでの痛手じゃない。

 それよりも、僕が度肝を抜かれたのは、地中から強襲してきた相手のことだ。


「コルテオ! エルティナ!」


 その姿は、紛れもなく僕が探していた仲間の二人、双剣士のコルテオと治癒術士のエルティナだった。


「二人とも……」


 無事だったのか──そう言葉を続けようとして、飲み込んだ。

 無事だった?

 バカな。

 いきなり地面から這い出てきたんだぞ。

 そんな異常な行動を見て、誰が無事だったと思うものか。

 なんてことだ……ああ、まったくなんていうことだ!

 この二人はもうすでに──。


「ヴォイド・デーモンになってるわね」


 イリアス嬢が、二人の様子を見て断言する。


 やはり……そうか。僕自身も、二人の様子を見て同じ結論に至っている。

 ヴォイド・デーモンは素体のヴォイドが聖獣を模した魔獣にならず、ダンジョン内で命を落とした冒険者に取り憑き、肉体を奪うことで誕生する。


 その際、本来であれば肉体を生成するエネルギーを残すことになり、死体を使っているため、より強力になる。

 つまり、取り憑いた死体の基礎能力によるが、魔獣よりも強力な存在に成り果ててしまうこともあるのだ。


 そして、コルテオとエルティナの二人はBランク冒険者で、Aランク目前まで実力を伸ばしていた。

 ヴォイド・デーモンになったことで、その力はヴォイド・グリフォンに匹敵する驚異となっているはずだ。


「わかってると思うけど、二人はもう死んでいるわよ。助けられない。ここで倒すしかないわ」

「承知している。あなたは下がっていてくれ」

「大丈夫?」

「……無論。僕がやらなくちゃいけないことだ」


 そう……これは僕がやらなければならないことなんだ。

 たとえ今回限りの仲間とはいえ、パーティを組んでいた仲間が命を落とし、さらにはヴォイド・デーモンに成り果てたというのなら、せめてこの手で引導を渡してやらねばならない。


 そう思った矢先、コルテオが動いた。双剣士だった彼の武器は、ヴォイド・デーモンになっても変わらない。ダガーと言うには大きく、普通の片手剣よりも取り回しが利く短剣だ。

 それを片手に一本ずつ。

 二刀流だからこその双剣士。


「くっ」


 やはり、速い。

 双剣士の真骨頂は、その攻撃速度の速さと体幹バランスの良さだ。両手で次々に繰り出す攻撃はまるで踊っているかのようであり、軽くはない短剣を操る膂力は決して侮れない。


「ぐっ!」


 コルテオの攻撃を盾で凌ぐが、一撃一撃が予想以上に重かった。重すぎる。使っているのがアダマンタイトの盾であることが幸いした。そうでなければ、一度か二度の攻撃で割られていたかもしれない。

 ここまで力を伸ばすなんて、普通はありえない……そうか! コルテオと一緒にヴォイド・デーモンになった治癒術士、エルティナの補助魔法による強化が加わっているんだ。


「だが!」


 タイミングを見計らい、コルテオの攻撃を盾で受けると同時に突き飛ばす。体勢を崩したところへ剣を横薙ぎに繰り出した。

 しかし、その一撃は空を切る。コルテオの反応速度は以前から優れていたが、ヴォイド・デーモンになったこととエルティナの補助もあって、生前より速くなっている。


 そんな一連の攻防を経て、確信した。

 それでも僕の方に分がる。


 これはそもそも、相性の問題なのだ。

 僕は片手剣と盾を使用し、どちらかと言うと攻撃より防御に重きをおいている。

 攻撃にしたって、先手を取るより相手の攻撃を受けてからの反撃──いわゆるカウンター狙いが僕のスタイルだ。


 対して、コルテオは一撃離脱を繰り返すヒット・アンド・アウェイを得意とする前衛職。そしてその攻撃は、先にも体験したようにヴォイド・デーモンになって、かつエルティナの補助を受けても受け止められる。


 そして何より、僕には剣術士としての技能がある。


 調教士が〝聖獣と契約を結ぶ〟という技能があるように、剣術士には多彩な剣技と敵の居場所を察知する探知能力があるのだ。この場所のような視界が不明瞭な場所でも、襲ってくる対象の居場所なら感覚でわかる。


「ふ──ッ!」


 暗闇の中に感じた気配に剣を振り抜けば、そこに手応えは──なかった。

 僕がしくじったのか?


 いや、違う。

 僕が剣術士としての技能があるように、コルテオにも双剣士としての技能がある。

 それが、今ここで僕に見せた技だ。《写し身》という技だ。自身の気配を──殺気も含めて──分裂させる技である。


 もちろんそこに実体はない。けれど、気配で探る僕のような冒険者や、ダンジョンに棲息する魔物にしてみれば厄介な技だ。ただでさえ素早い双剣士を相手に、《写し身》に騙されて一手遅れてしまうのは致命的だ。


 しかし、それでも僕の優位は変わらない。


 なぜなら、僕は剣術士。パーティにおいて、敵の攻撃を一手に引き受ける壁役であるからだ。

 どれほど気配を増やし、四方八方から攻撃を繰り出してこようとも、その全てに対応して防ぐことができなければ、数多の魔物が徘徊するダンジョンで壁役などやっていられない。


 その時、僕に向かってくる気配を感じた。

 その数、五つ。


「《重厚なる防壁ランパート》!」


 それは、一面でしか防げない盾の防御を全面に展開する技能。防御能力は、その時に装備している盾の強度で決まる。

 そして、僕が装備している今の盾は、比類なき強度を誇るアダマンタイト製だ。

 ガギンッ! と響く金属音が、僕の左後方から聞こえた。反射的に、僕は一撃を繰り出す。


「……た──」


 声が聞こえた。


「──すけ、て……くれ……ハーキュリー……!」

「ッ!?」


 その声に、思わず剣を振るう腕が鈍る。


 それが悪かった。


 必殺のタイミングで繰り出した僕の一撃をコルテオは寸前で回避し、逆に短剣の一撃が僕の首筋をかすった。

 刃に毒の類が塗られていれば致命傷になる一撃だった。幸いにしてコルテオは武器にその手のものは使っていなかったはず。


 それよりも、何よりも……今、コルテオは言葉を発した。

 もしかして、まだ意識があるのか? 完全にヴォイド・デーモンへと成り果てているわけじゃないのか?


「コルテオ! 意識があるのか!?」


 僕の呼びかけに、しかしコルテオからの返事はない。代わりに返ってきたのは、遠慮や容赦のない苛烈な攻撃だった。

 再びコルテオから繰り出される《写し身》を駆使した連続攻撃。鋭さを増す攻撃を受ければ、僕としても守りを固めるしかない。


 どうすればいい? 僕はどうすればいいんだ!?


「ぐっ!」


 パーティで壁役として壁役を担う者として防御に自信はあるものの、絶え間ない連続攻撃をノーダメージで防ぎ切ることなどできやしない。

 致命傷こそ受けないものの、浅い傷がどんどん僕の体に刻まれていく。

 だが、反撃を繰り出すのはためらわれた。


 もし、コルテオにまだ意識があるのなら──ヴォイド・デーモンに成り果てていないのならば、まだ救えるのではないか? まだ、間に合うんじゃないのか!?

 そんな考えから、反撃に転じることができない。


「ハーキュリー……ああ……ハァキュリィィィィィィ……!」

「っ! エルティナ!?」


 今の声は、間違いなく治癒術士であるエルティナの声だ。

 エルティナにも意識があるのか? 彼女もまた、救うことができる可能性が残されているのか?


「苦しい……痛い……眩しいのよ、ハーキュリー……」

「エルティナ……!」

「あなたの……あなたの命が眩しい。その輝きが私たちを苦しめる。だから……死んでちょうだい、ハーキュリー! あなたの命を、ここで散らせば私たちは救われるのよぉぉぉぉぉっ!」

「ぐぅっ!」


 ぞくんっ! と、全身に重しをつけられたかのように動きが鈍る。手や足の先から、徐々に体温が奪われていくような感覚に見舞われる。

 これは……なんだ。まるで命が吸い取られていくようだ。


 死ぬ?


 僕は死ぬのか? 僕が死ねば……二人は救われる。助けられる。

 そう言っていた。エルティナはそう言っていなかったか?

 なら僕は……僕は、このまま……。


「ハーキュリーッ!」


 まるで空気を切り裂くような鋭い声が僕の耳朶を打つ。

 ハッとして顔を上げれば、そこに見えるのはイリアス嬢の姿。


 そうだ……そうだった。

 ここにいるのは僕だけじゃない。イリアス嬢がいる。僕に付き合ってこんなことに巻き込んでしまった彼女を残し、ここで死ぬわけにはいかない。

 なのに僕は、なんで勝手に死のうとしていたんだ?


 ……魔法か?

 地癒術士が使う、精神汚染系の弱体魔法だ。


「ハーキュリー、来るよ!」


 再び響くイリアス嬢の声。目の前に迫るのは、双剣を手に迫るコルテオ──いや、ヴォイド・デーモンの姿。


「うおおおっ!」


 迎え撃つ。迎え撃たねばならない。

 二人はもちろん助けたい。そのために僕の命が本当に必要だと言うのなら喜んで差し出そう。

 けれど、僕はイリアス嬢も守らなければならないんだ。

 剣閃が疾走る。

 鮮血が舞う。


「ぐっ……」


 受けた衝撃に、僕は思わず膝をつく。鎧の接合部分を巧く狙われ、脇腹を抉られた。

 と同時に、ボトッと地面に転がるのは短剣を握ったままの腕だった。

 僕だって、やすやすと斬られたわけじゃない。僕の一撃は、ヴォイド・デーモンの腕を斬り落としていた──が。


「なっ!?」


 僕が見ている目の前で、ヴォイド・デーモンの腕が再生される。まるで何事もなかったかのように元通りになった。

 まるでダメージを与えられてない……?

 そう思った途端、カクンと膝から力が抜けた。

 まずい、力が抜け……!


「ふ──ッ!」


 響く、裂帛の呼気。

 そこに見えたのは、あの日を彷彿させる一人の背中。

 コルテオを牽制し、僕の前に立っているのは……イリアス嬢だった。


「ハーキュリー、あんたはここまで。これ以上は、あんたがヤバイ。後はあたしがやるわ」

「いや、しかし──ッ!」

「あんたは立派に戦ったわよ」

「……え?」


 そんな彼女の言葉に、僕は思わず呆けた声を出す。


「自分の命を諦めず、よくぞ戦い、踏み止まって守り続けたわ。大丈夫、安心して。あんたはちゃんと守りきった。その手からこぼれ落ちたものもあるけれど、それでもあんたは、一番大切なものをちゃんと守り通したのよ」

「その……言葉……」


 忘れない。

 忘れもしない──あの日の言葉。

 今から十五年前、迷宮狂宴が発生してダンジョンから溢れた魔物によって実の父母が僕をかばって命を落とし、僕自身も命を落としかけたあの日、あわやというところを助けてくれた勇者も、似たような言葉を口にした。


 ──立派に戦ったな……と。


 僕をかばって命を落とした母の側から離れらずにいたところに駆けつけてくれて、彼は言ったんだ。


『今まで諦めず、よくぞ戦い、踏み止まって守ろうとしたな。守れなかったものもあるが、それでもボウズは一番大切なものを守ってるぞ』

「あんたは、まだ生きてる。自分自身を守ることができたじゃない」

『ボウズが生きていればこそ、おまえを守って散った命も救われる。だから──』


 重なる。

 否が応でも、あの日の彼とイリアス嬢の姿が重なって見えてしまう。


「あんたは死んじゃダメよ。あんたの代わりに散った命のためにも、ここで膝をつくのは許されない」

『なぁに、これ以上は心配するこたぁねぇさ。あとは──』

「『あたしに任せなさい』」


 ああ……ああ、どうしてだろう。


 どうしてこれほどまでに、イリアス嬢の背中に彼の姿が重なるんだ。

 彼女の背中は、あの日見た彼の背中とは違う。


 当然だ、彼は男で、イリアス嬢は女なのだから。

 なのに僕は、彼女の背中に彼の姿を重ねて見てしまう。


 僕が追い求め、目標と掲げた彼の勇者──。


「アイン・……?」


 その姿を、僕はイリアス嬢の背中に重ね見てしまった。

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