第13話 勇者の資質
地下第三十一階層、俗に〝暗闇の階層〟と呼ばれるところを、フェンリルに任せてどこをどんな風に駆け抜けたのか、はっきり言ってちゃんと把握はできていない。
もしかして、あたしも道に迷った? けど、フェンリルがいる状況でそんなことになるわけが……いや、それよりも今は──。
「おいっ! おい、ディーガ! しっかりしろ!」
「ぐっ、うう……」
あたしを盾でかばってくれた人が、もう一人の冒険者──フェンリルがくわえて運んだ人──に向かって必死に呼びかけている。
フェンリルにくわえて運ばれた人は、一目でわかる大怪我を負っていた。左腕の肘から先がなくなり、今もドクドクとおびただしい血が流れ出ている。
「ちょっと、ポーションは!?」
「あれば使ってる! キミこそ持ってないか!?」
あたしだってそんなもの……あ、いや待てよ?
「ちょっと待ってて」
あたしは持ってないけど、確かあの子なら……。
「来たれ、我と契約せし者。汝の力は我とともにあらん!」
呪文を唱え、この怪我を治す術を持ってる聖獣を喚び出す。
「マスタースライム!」
あたしが喚び出したのはマスタースライム。この子の中に、傷を治す道具があったはず。
「ヴォイド・ドラゴンの生き血を出して!」
あたしがそう言えば、マスタースライムがプルルっと震えて小瓶を吐き出した。
ヴォイド・ドラゴンでも、その体組織はダンジョンの外にいるドラゴン系の聖獣と同じ。ならば、その生き血だってあらゆる傷や病気を癒やす効果がある。
ただ……これは原液。使用量が多すぎれば毒にもなる。
丁度良い量は……たぶん、一滴。
あたしは小瓶から垂れる一滴を、冒険者の失われた左腕の傷口に落とした。
「ぐっ! う、うぅ……」
一瞬、激痛に耐えるように表情を歪めたけれど、すぐに穏やかな表情となり、呼吸も落ち着いたものになった。
見れば、傷口は無事に塞がったみたい。
「これで、ひとまずは大丈夫だけど……」
傷口は塞がった。
けど、この冒険者は腕を失っていたの。
「失った腕を生やすのは、さすがに無理ね……」
正直なところ、欠損した部位を元に戻すことは魔法でもできない。もしここに失われた腕だったり、実は失ってなくて見るも無残にぐちゃぐちゃにされているのであれば、治癒術士だったりポーションだったり、それこそドラゴンの生き血で元に戻すことはできたけど……残念ながら、ディーガさんの傷はそうじゃない。
見たところ、噛み千切られたって感じで失われている。
これだともう、傷を塞ぐのが精一杯で、失った腕の再生なんて不可能だわ。
「それでも、キミが助けてくれなければ彼は命そのものを失っていたかもしれない。本当にありがとう」
「……ど、どういたしまして……」
そこまで真っ直ぐに素直な感謝とお礼を言われると、なんだかとっても面映ゆいわ……。
でも、まぁ、そこまで素直で純粋な態度になれるってことは、なんとなくこの人がそうなんだってわかった。
「あなたが、ハーキュリー?」
そう尋ねると、彼は一瞬驚いたように目を丸くしてから頷いた。
「確かに僕がハーキュリー・オルダナスだが……」
やっぱりね。
なんていうか、〝勇者〟って称号を与えられるような人って、こういう『他人のことでも我がことのように感じる人』って性格してるのよ。
「そういうキミは? こんな深い階層で、偶然通りかかった……とも思えないが?」
「あたしはイリアス。冒険者ギルドからの依頼で、あなたの救助に来たの」
「僕の救助に!? それは──いや、しかし……?」
まぁ、そこで戸惑うのもわかる。
救助と言って現れたのは、あたし一人。それも、名の知れた冒険者でさえない。彼にとってはどこの馬の骨とも知れぬ相手だしね。
「あたしは調教士なの。一人だけど、この子みたい聖獣と数多く契約してる。ギルドの方も大勢で救助に向かわせるよりは、あたし一人に任せた方が万が一の二次被害も少なく済むと判断したのよ」
「ああ……なるほど。確かに、その聖獣は見事なものだ。けど……どうして冒険者ギルドが、僕の救助をキミに依頼したんだ?」
「あれ、聞いてない? ギルドはあなたに、勇者の称号を与えるつもりみたいよ? だから、こんなところで倒れて欲しくなくって救助依頼をあたしに出したのね」
「僕に勇者の称号を!?」
あたしの話に、ハーキュリーは「初めて聞いた」とばかりに驚いてる。
「それは本当なのかい?」
「え、ええ、ギルド長から直々に伝えられたことだし」
もしかして、ギルドの方からはまだなんにも伝えてないのかしら? まぁ、ギルド長からは口止めも何もされてないし、教えてダメってことはないわよね。
「そうか……それはとても光栄なことだけど……僕が勇者の称号を賜るのは時期尚早だ。とてもあの人みたいになれるとは思えない」
あの人……?
「まるで、先代の勇者と会ったことがあるみたいな口振りね」
「ああ、一度だけね。僕がまだ子供の頃さ。今でも彼の背中は覚えている。あれほど頼もしく、安心できる背中はなかった。あれこそが僕の理想だ。けど……どれほど成長しても、彼のような存在になれるとは思えない」
そう言って、ハーキュリーは悔しそうに片腕を失った冒険者に視線を送った。
「……そう」
先代の勇者が亡くなったのは、今から十五年前。十代のハーキュリーが『子供のころ』と言うのなら、辛うじて覚えていてもおかしくない。
なるほどね。
彼の……ハーキュリーの冒険者としての原点は、そこにあるのね。ギルド長から聞いた話で、ずいぶんなお人好しだと思ったけど……納得したわ。
「そういうキミも、先代の勇者を知っているのかい?」
「……なんで?」
「いや、なんとなくキミが勇者のことを話すとき……どこか少し、過去を懐かしむというか……寂しそうにも見えたから」
寂しそう? 寂しそう、か……そんな顔してたのね、あたし。
「……まぁ」
いつまでも、こんなところで長居をしてる場合じゃないわね。あの棘のバケモノがいつまた襲ってくるかわかったもんじゃない。
「あなたが勇者の称号をもらうのももらわないのも、まずは無事に帰還できなきゃね。すぐにここから──」
「ま……待って、くれ……」
腰を上げたあたしを、そんな絞り出すような声が引き留めてきた。
「ま、まだ仲間が……どこかに……! たっ、頼む! どうか……!」
ギルドで聞いた、行方不明だった冒険者の数はハーキュリーも加えて四人。けど、今ここにいるのは二人。
つまり、二人足りない。
そんなことは、あたしにもわかってる。
わかってるんだけど……でも、この状況じゃあ……。
「大丈夫だ、何も心配するな。後のことは僕に任せてくれ」
って、あたしが答える前になんでハーキュリーが勝手に応えちゃってるの!?
「ちょっ、待ちなさい!」
勝手なことを言い出したハーキュリーの腕を引っ張って、あたしは声を荒らげた。
「任せてくれ……って、いったいどうするつもり!? あの棘のバケモノに襲われてたのはあなたたちでしょ! あれがどれだけヤバイ相手か、身をもって理解したんじゃないの!?」
そう言うと、ハーキュリーはあたしの腕を引っ張って、片腕を失った男から引き離されてしまった。どうやら彼──ディーガとか言う冒険者には聞かせたくないらしい。
「キミの言いたいことはわかる。僕らを襲ったバケモノは、あまりに異質だ。とてもじゃないが、今の僕では太刀打ちできない。キミがいてもそうだ。だが、だからと言って仲間を見捨てる理由にはならない」
「冷静に考えなさい。あの棘のバケモノが徘徊してる中、安全に仲間を探せると思ってるの? 見つかったら、今度は逃げられないかもしれない。そもそも、仲間って言ってもあんた、普段は単独冒険者でしょ。今回たまたまパーティを組んだだけの他人を命がけで探すなんて、お人好しもいい加減にして!」
「そのお人好しに、僕は命を救われたんだ」
「……は?」
「あの人は、見ず知らずの僕を救うために数多の魔物を相手に戦ってくれた。僕自身も、そうありたいと思う」
勇者のことか……。
そうだった。この人の行動指針になってるのは、今は亡き先代勇者の考え方や行動だ。我が身を省みず、他者に手を差し伸べずにはいられない性分なのね。
「それに、キミは彼らを『今回組んだだけの他人』と言うが、それは違う。僕は全員の名前を知っている。であれば、少なくとも〝知り合い〟という関係だ。彼の勇者が名前も知らないであろう僕を無条件で助けてくれたのなら、名を知る彼らを救うのに、僕が命のひとつも賭けないのは釣り合いが取れない。だろ?」
「だろ? じゃないわよ……」
これはダメだ。もう何を言ってもダメっぽい。
勇者になろうって奴は、こんなんばっかりなの!?
「不明者の探索は僕がする。キミはディーガを連れて地上に戻ってくれ」
「……フェンリル」
あたしが声を掛けると、香箱を作って丸くなってたフェンリルが顔を上げた。
『何用か』
「片腕を失った冒険者を、先に地上まで連れてってくれる?」
『我が背に乗せて運べということか。主の命ならば否応もない──が、〝先に〟とは如何様なことか』
「あたしは、彼と一緒に残って行方不明の冒険者を探すから」
「えっ!?」
『承服しかねる!』
あたしの言葉に、ハーキュリーは驚きの声を上げ、フェンリルは断固拒否の態度を示した。
気持ちはわかる。
けど、仕方ないじゃない?
「あたしはハーキュリーの救助を冒険者ギルドから依頼されたの。その救助対象が『ダンジョンに残って仲間を探す』って言うのなら、あたしだけ帰るわけにはいかないでしょ」
「いや、でも──」
ハーキュリーが何か言いたそうにしてるけど、今は無視。『残って仲間を探す』と口にしたんだから、救助に来たあたしがどういう行動に出るのか、予想くらいしときなさいっての、まったく……。
「それにフェンリル。片腕を失った彼は、ヴォイド・ドラゴンの生き血で傷を塞いだと言っても戦力にはならない。一刻も早く地上に戻すべきでしょ。そのためには、俊足のあなたが運ぶしかない」
『理屈はわかる。が、主の護衛はなんとする? 我がおらんでは──』
「大丈夫。戦力で言えば他の子がいるから。けど、彼を運ぶのは俊足のあなたが何よりの適任なのよ」
『しかし……』
「これは命令です!」
『ぬ、ぬぅ……』
あんまり〝命令〟ってのはしたくないけど、こうでも言わなくちゃフェンリルは聞き入れてくれなさそうだし……今回ばかりは仕方ない。
『主からの厳命とあれば致し方ない……が、これだけは忘れるでないぞ。あの異形は違うモノだ。並大抵の聖獣などでは盾にも矛にもならん。神域に属する同胞を頼るのだ』
「わかってる。アレのヤバさは肌で感じたから」
心配そうにすり寄るフェンリルを優しくなでて、あたしはうなずく。
たぶん……だけど、あたしたちは泳がされてる。気配はないけど、それでも背筋がぞわぞわするような視線はずっと感じてる。
きっと、奴はどこかであたしたちを見ている。それで襲ってこないのは、機を伺ってるのかそれとも別の理由か……ともかく、相手が手を出してこないなら、その間にあたしたちは行動を起こすのみ。
「それじゃ、行きましょう」
ディーガさんを背に乗せたフェンリルを見送り、あたしはハーキュリーと二人で不明者を探索することになった。
ここに来る前に「嫌な予感がする」って言ってたけど、まさかこんなことになるなんてねぇ……あたしの勘も、バカにできないもんだわ。
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