第11話「英雄の凱旋、九州の鬼」

「渡辺さん、もうすぐ我が社に着きますよ……ほら、見てください、あそこいる皆を」


「ん? 皆って?―――え」


 リムジンの中で顔を伏せて佐々木専務にお願いをする言葉を考えていた俺は、佐々木さんが俺の肩をポンポンと叩きながらそう言ったので、窓の向こうを眺めていると、信じられないようなとんでもない光景が目に映る。

 

 数えきれないほどの社員が九州支社の正門付近にビッシリ並んでいた。


「さあ、渡辺さんも手を振り返してあげてください」


「いや、えっ? いや、なんで、、、だよ……」


 驚くとかじゃない、本当に訳が解らなくてそんな言葉しか口から漏れなかった。


「それはもちろん、アドレス九州支社を救った英雄の凱旋だからですよ」


 空港でもそんなことを言われたが、俺は本当に何もやっていない。多少真希先輩や平野の手伝いで自職場の奴らの尻を軽く叩いてやっただけで、あくまでもイチ部署内でのサポートしかしていない。むしろ、真希先輩と平野が組んだ大日程を終える前に本社に帰ったので、本来は途中リタイアと思われてもおかしくないのに。


「俺は英雄と呼ばれることなんて何一つやっていない」


「本気でそう思っているのは渡辺さんだけですよ」


 リムジンが正門に近づくにつれ車の速度が徐行に変わり、集まっていた人の波を割って進む。


 そして、防音になっているはずのリムジンの車内にまで聞こえる歓声と拍手の音。


「渡辺さんは一番崩壊していた職場を立て直しました。そして渡辺さんが他のチーフや役員の人たちに言って回った『残業はキッチリつける、用事のある者は帰す。その分勤務中はキッチリ集中して全力の仕事をする。それが人件費的にも作業効率的にも今よりずっと良くなる』という言葉が、九州支社全体をガラリと変えたんです」


 確かに平野に現場作業から外されて暇だったから、お偉いさんとかに呼ばれたときや、連携部署回りをしていたときにそんなことを言ったけれど。


 そんなのは言うは易しで、実行するのが難しいことであって。


「そんな安っぽい台詞、当たり前のこと、今までだって誰かしらは言っていただろう?」


「渡辺さんが言ったから、皆が一斉に動いたんですよ。有言だけなら誰でもできます。でも渡辺さんは実行を伴いました。そして実際に崩壊以前より強い職場に生まれ変わらせました。そんな姿を見て皆、心が動かないわけがないじゃないですか」


 そっか……そうだったんだ。


 俺は窓を少しだけ開けて、集まってくれた皆に対して車のシートに座ったままお辞儀をした。


「キャー、歓声がうるさいから早く窓をしめてくださーい!!」




 そして、役員用の出入り口前で車を降りた俺たちは早速佐々木専務のいる役員室へ向かい、俺の先を歩いていた佐々木さんがその扉をノックする。


「お父さ―――じゃなかった、佐々木専務。渡辺部長をお連れしました」


「入れ」


 その声と共に俺たちは入室したのだが、相変わらず佐々木専務の声はドスが利いていた。


 入室した俺は佐々木専務の前に立って、深く頭を下げる。


「佐々木専務、今の自分は我が社の社員ではありません。そしてこれは我が社とは関係のないことであり、非常識であることは十分承知しておりますが、折り入ってお願いがあります」


 そう言い終えたあと、恐る恐る頭を上げて佐々木専務の顏色を確認しようと思ったのだが、佐々木専務は彼の横にいる自分の娘である佐々木さんの方へ顔を向けていた。


「恵、例の場所は手配してあるな?」


「勿論です、おと―――佐々木専務♪」


 佐々木さんが父親にそう告げると、佐々木専務は俺の方に視線を戻してスッと立ち上がった。


「では、行くとするか。渡辺部長」


「え……一体、どちらに向かわれるので、、、しょうか」


「私は九州支社の立ち上げに関わった中心メンバーの一人だ。九州という土地に人脈的に何の繋がりもなかったアドレスがデカい会社をおっ立てるには、まず一番最初にしなければならないのは裏社会を牛耳る者たちを説き伏せることだ。当時の私はその任を負っていた。今から向かうのは裏社会の者たちと絶対に漏れてはいけない話をするときに使っていた場所だ」


 

 佐々木さん(娘)の運転で30分くらい経っただろうか、俺は密会の場所と聞いて、姫ちゃんや関久の社長と初めてあった例のバーや、会長が良く使う料亭などを想像していたが、実際に辿り着いたのは観光街道にある時代劇などでよく団子を食っているイメージにぴったりな平凡な茶店だったので、少し戸惑ってしまった。


「バーや料亭などはこんな朝っぱらから店を開け取らんわ。それにだ、、、閑散とした平日の観光街というのは特に人の目をさせられるのだ。これからは渡辺部長もこのような小手先が必要になるだろうから覚えておけ」


「は、はぁ……」


 そんな知識、俺に必要なのだろうか?


「女将、奥は開いているか?」


「はい、既にご予約いただいておりますので、準備は整っております。奥へどうぞ」


 ふと隣をみると、佐々木さんが自分の目の隣で横にピースサインを出して舌のペロってしていた。まるで『私が予約したの!偉い?偉い』と言わんばかりだ。


 はいはい、偉いから、そのドヤ顔は要らん。シリアスな雰囲気が台無しだ。



 そんなこんなで、通された奥の部屋は、和風のすだれを抜けると店の雰囲気にそぐわないガッチリとした扉があって、まさに密会の場所という感じだった。


 そこには高そうなテーブルに高級過ぎて逆に座り心地の悪いソファー、そしてカウンターテーブルにはソフトドリンクから色々なアルコール類、ツマミになる軽食やら色々なものが取り揃えてあった。


 恐らくは、不必要に店員が入って来なくても良いように、あらかじめ自分たちで出来るようにと配慮しているのだろう。


「では、渡辺部長っ、お飲み物を♪おビールでよろしいですか?私は霧島が好きですけどっ」


「へっ、、、?いや、いやいやいや、勤務中だし、こんな朝から、、っていうか、俺は、いや、私は佐々木専務にお願いに来た立場だし、、、というか、先に専務に!!」


 困る!この娘さん本当に困るから!!


「つまんないです」


 ぷくぅと口を膨らませた佐々木さんは、佐々木専務のテーブルにグラスにも注がずにペットボトルの水をドンとおいてから、再び俺の隣に座って全身を預けるように密着してビールを俺のグラスに注ごうとしていた。


「いや、吞めないから!!」


 っていうか、マジで佐々木専務、睨んでんだけど……。マジでおっかねえから佐々木さんやめてほしい。


 佐々木専務のペットボトルを持つ手がプルプル震えて、さっきから水がビチャビチャ零れてるんだけど。

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