第6話「無知と無力」

「姫ちゃん……これは一体どういうことなんだ!?」


 俺は恭子と雑貨屋で買った結婚指輪を送り合った後、映画館に行く途中に寄ったコンビニで『女帝が元吉沢社員の人員整理を進言』という週刊誌の表紙を見て、恭子をマンションに送り届けながら急遽姫ちゃんが滞在する新しい事務所に足を運んだ。


「やられたわ、完全に」


 姫ちゃんは両肘を机についた状態で両手を顔に覆っていた。


「今、相手方が管理団体のTOPに指名してきた甲本理事長を呼び出しているところです」


 休日で学園が休みなこともあり、樋本さんが今までサポートをしてくれていたようだ。


「この間の会合で会ったあの銀行屋ですか」


「私はまだ会っていないのですが、相当な策略家と聞いておりますので、週刊誌の情報の出所に関して彼が関わっていることはほぼ間違いないでしょう」


 樋本さんがコクリと頷いてそう答える。


「情報っつったって、こっちにとっては寝耳に水、事実無根じゃないですか!?」


 いや、俺が開き直って樋本さんに怒鳴るのは筋違いだろう。なんせ、樋本さんは殆ど姫ちゃんの代わりに学園の教師を務め、この件に関してほぼ全て俺が一人で進めてきたようなものだ。


「この際、事実かどうかは重要ではありません。相手にとってはこちらに対して効果があればそれで十分なのです」


「効果、ですか。それじゃあ相手の狙いは……」


 俺の疑問に答えたのは、樋本さんではなく覆っていた両手から顔を離した姫ちゃんだった。


「私は幼いころに元当主の気まぐれで少しだけ帝王学を学びました。資本主義と民主主義の社会で力を発揮するのは前者が資金で後者が人。起業家は資金で力を蓄え、政治家は人を操ることで自身の存在を示す。金の力と人の力の双方を持つ私を彼らは許せなかったのでしょう。つまり―――」


「管理団体を設立することで金の力を封じ、今回の件で元吉沢社員の反感を全て姫ちゃんにぶつけることで人の力を封じるというワケか」


 樋本さんは俺を見てコクリと頷く。


『人を疑うことはとても簡単、でも人を信じることって、とても難しいものなのよ』


 俺がアドレスに入社したての頃に真希先輩が教えてくれたことが頭をよぎる。


「仮に私がそれを否定する声明を出したところで一度撒かれた疑心暗鬼の種は消えないでしょうね」


 確かに、慌てて火消しに走ったなどと思われて逆効果になる可能性も十分にありそうだ。



 俺たち三人が何の打開策も見いだせないまま沈黙に陥っていると、事務所の扉からノックの音が聞こえた。


「入りなさい」


「これは会長、いや総帥とお呼びするべきですかな? ところで今回の急な呼び立て、如何なされましたか。 当方と致しましても理事の人選に忙しく、このように度々呼び出されますと業務に支障が出るというもの―――」


「戯言は後にしなさい。それよりも知らないとは言わせないわよ、一体何が目的なの?」


 姫ちゃんはそう言って、入室した甲本理事長に例の週刊誌を投げつけた。


「ふむ……リークですか。何が目的と申されましても、私には一向に身に覚えがありませんな」


 週刊誌の表紙を見た彼はペラペラとその雑誌を捲りながらしれっとそう答えた。


「身に覚えがないのね……それなら結構。ではこちらとしては事実無根の記事を書いた出版社を訴えますけれど問題ないわね?」


 姫ちゃんが理事長をギロリと睨みつけながらそう言うと、彼は雑誌から目を離して姫ちゃんの目を見据えた。


「ええ、勿論です。しかし私が身に覚えがないと言ったのは飽く迄も週刊誌に情報を流したという一点。その内容に関しては発足する吉沢資産管理団体の理事会で決議を取ろうと思っております。もちろん我々の間で交わした契約を元に私の権限においてそうするつもりです」


「なんだって!? 吉沢の元社員たちをリストラするつもりかっ!?」


 俺は当初暫く静観しておこうと思っていたが、彼の発言に思わず声を上げてしまうが、奴は俺の事など露ほども気にせず視線は姫ちゃんに向けたままだった。


「ほざくな、そして秘書風情がいちいちトップ同士の話に割り込むな」


 ほざいているのはそっちの方だろう。会長は姫ちゃんでそっちは理事長、序列は姫ちゃんが上にも関わらず自分のことをトップ同士の同列だと抜かしている。


「秘書でも彼は私の代理人よ。きちんと質問に答えなさい」


 バンと机を叩いた姫ちゃんがそう言って、ようやく奴がこちらにチラと目を向けた。


「先も申したように私には理事の人選で時間がない。なので私は話が通じるだけの知識がある人間としか話すつもりはない。だから貴様に一つ問おう、吉沢という大企業が潰れ、各セクションは競合の大企業に吸収された。これにより一つの非生産的な問題が生まれる。それは何か?」


「店舗、工場……そして人の余剰」


 奴の言いたいことはわかっているつもりだ。俺もアドレスで部署の統合を経験しているだ。小さな組織が大きくなればそれだけ作業が合理化され、今まで10人づつ必要だった作業が統合されれば17人で済んだりする。


 それを企業に置き換えれば、今まで同じ地域で争っていたライバル店が同じ会社になるとその地域に店舗が2つ必要になるか? という問題がでる。工場もそうだ、同じ生産ラインに乗せられるものなら減らすだけ減らして、5つあった工場を4つにすることだってできる。


 合理化とはそういうものなのだ。


「そうだ。実際に吉沢の吸収した各企業には余剰人員が大量に発生している。これを整理することが、吉沢という大企業が崩壊して混乱し崩落した日本経済を復活させ、この管理団体が管理する大量の株の価値を高める最大の方策だと確信している」


 更に奴は姫ちゃんの方へ視線を戻してこう付け加えた。


「総理は会長の記者会見を見て、悲惨な過去を負っておられた貴女ともう一人の学生のことを酷く悲しんでおられた。しかし、それ以上に吉沢が潰れた後に押し寄せた混乱の波に攫われて低下した国民全体の生活を痛く心配しておられるのです。貴女も日本最大の筆頭株主として二百万人、その家族も含めると5百万人の人の上に立つ身ならどうかそれを良くお考え下さい」


 気がつけば完全に論点をすり替えられていた。当初こちらが問題視していたのはこちらにとって事実無根な週刊誌にリークされた情報なのに、今現在机上に残っているのは社会経済復活の論理だ。


「正論を並べて誤魔化すな銀行屋。まるで社会経済が混乱したのが姫ちゃ―――吉沢会長に全責任があるみたいな言い方だな。吉沢が崩壊したのは元当主とそれらの取り巻き、そしてそれに呼応して甘い汁を吸ってきた関連企業と役人の責任だろう。それに社会経済の復活に際して痛みを伴うならそれは社会全体で共有すべきだ。吉沢の元社員にだけ首を切らせるのはおかしいじゃないか」


 俺は頭をフル回転させて言い返したつもりだったが、結局、俺と奴との知識と経験の差と今回の件に関する準備の差が表に出てしまった。


「そこに書かれているのは飽く迄も大量に流れ込んで来た元吉沢社員によって発生した余剰人員の人員整理だ。決してリストラではない、その記事を書いた記者もそのつもりだろう。実際に再契約を停止されるのは派遣社員と契約社員であって、吸収された元吉沢の社員は正規社員としてその業務を受け持つだけだ。違法性は全くない」


 完全にやられた。


 確かに記事には明確に吉沢の元社員をリストラするとか首を切るなどは一切書かれていない。しかし、『人員整理』と『吉沢元社員』という2つのワードが色濃く書かれたこの文面を読むと大半の人は勘違いをしてしまう。俺たちがそうだったように。


 俺は誰かの為にとか正義とかそんなのじゃなくて、ただ奴に言い包められたことが悔しくてこんな余計な発言までしてしまったのかもしれない。そしてそれは今までの俺がその立場だったから故にだろう。


「社会経済を発展させるのも復活させるのも雲の上に立つ少数の人間の力ではない! 派遣社員も契約社員も含めて一人一人の社員の努力と、創意と工夫によって成されるんだ!」


 何が正論なのかは計算式のようには誰も証明できない。ただ言葉としての根拠があるかどうかは別だった。



「貴様はいち技術者として、人に使われる小規模な組織のリーダーとしては優秀なのだろう。しかし、清濁合わせ持たねば覇業を成せぬ仕事には向いておらん。秘書遊びなどは今すぐに止めて元の会社へ戻ることが貴様と若い奥方の為になるだろう」


 奴は俺の言葉を全て否定したが、俺は奴の言葉を否定できなかった。



「且つての日本が一つの国と成り得たのは一人一人の足軽や農民の努力ではない。織田信長という雲の上に立つ存在があったが故のことだ。それは歴史が証明している。それが解らぬと言うのならこれから私が貴様と話すことは一切ない」



 俺はこの後、自宅に帰るべきではなかった。姫ちゃんが勧めるように事務所に泊まるべきだった。


 この日の俺は俺じゃなかった。


 恭子はきっとそんな俺に失望したに違いない。

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