第5話「ワクワクの動物園、長い経緯史上最高のイチャラブ💛」

 ご機嫌過ぎて怖い。こういったものは普段キツイ性格をしている人、つまりツンな人だけに当てはまる言葉だと思っている人も多いのではないだろうか。かく言う俺もそうだった。


 しかし、そうではない。そうじゃないんだ。


 ゲンちゃんの助手席に座っている、普段からおしとやかな性格の恭子がご機嫌過ぎる。ノリノリだ、ノリノリ過ぎて逆に怖い。


「ん~、んんん~、んっ、ん~んん~ん~♪」


 体を左右に揺らしながら鼻歌を歌っている。ああ、これはアレだ、九州のヨシオくんが踊っていたジグマリって曲だ。


「恭子よ、朝から偉くご機嫌じゃないか」


 鼻歌を止めた恭子がキュッと顔をこちらに向けた。


「んん~―――そうですかぁ? やっぱり、おじさんそう見えちゃいますかぁ? そうです、私はご機嫌です。とってもご機嫌なお嫁さん彼女ですっ♪」


 昨日は寝室でも再び俺の体調の心配をぶり返したり、本当に『良いのかなぁ』なんて確実に思っている節もかなり見受けられたが、やはり恭子とて一人の女の子なんだ。いざ当日の朝になってみると明らかにワクワクやウキウキが優先している。そんな恭子はフロントガラスの先に目を戻すと、再び小刻みに体を揺らして鼻で歌う。


「ん~、んんん~、んっ、ん~んん~ん~♪」


 ランチバックは膝の上。


 ああ、そうか。幸せってのは、つまりはこういうものなんだ。




 街からちょっと離れた少し自然豊かな郊外にある動物園に到着したのは開園5分前。いつも車高の高いゲンちゃんからは後ろ向きに降りる恭子も本日ばかりはピョンと前から地面へ飛び跳ねて門へ走る。


「おじさ~んっ! 早くっ、早く来て下さ~いっ!」


 そんな姿を俺がゲンちゃんの側から眺めていると恭子が振り向いて手を振る。上に伸ばした右手をブンブン振るもんだからつられてランチバックを持つ左手も大きく揺れた。


「おいおい、そんなに振り回すと弁当の中身がぐちゃぐちゃになっちまわないか?」


 すると恭子は『あっ!』と声を上げて、心配そうにランチバックへ目をやった後にまるで自分の所為ではないと言わんばかりに非難の声をあげる。


「おじさんが早く来ないからですよ~っ!! おじさんの所為です~っ!!」


 そんなに急がんでも、まだ開園まで5分もあるじゃないか。俺は大人だ、落ち着いてゆっくりと―――と思わせておいて恭子の横を抜き去ってチケット売り場まで猛ダッシュした。


「あっ、あっ、あっ! 待って、待ってください~! おじさんの意地悪~っ!!」


 これ以上ランチバックを揺らしてなるものかと、恭子は両手でお腹に抱え込み微妙な速度で俺の後に続く。



「早く開いて欲しいですっ。あと何秒くらいでしょうか?」


 流石に休日なので一番乗りではなかったが、それでも俺たちの前にはそれほど人が並んでおらずゲートが開くまでの数秒を園内を覗き込むようにしてじれったく待つ恭子の姿がいじらしい。


 そして、空いたと思った瞬間には既に走り出していた。うん、もう昼飯の荷崩れは諦めてしまおう。


「ペンギンさんですっ! 職員の方がお魚あげてますよっ! すっごく可愛いっ! あ~っ! やだっ、可愛いですっ! 朝ご飯ですかね? ね、おじさんっ」


「美味そうに食うもんだなあ」


「ぱくって丸飲みしてますよっ! ぱくぱくって!」


 俺の左手を魚に見立てて、ペンギンが丸飲みする仕草を真似するように恭子が俺の指を咥え込む。恭子の柔らかい唇の感触が中指と人差し指に伝わってちょっとイケナイ気持ちになってしまった。



「おっ、ライオンだっ! 百獣の王のご登場だぞっ、恭子っ!」


 いくら大人の俺とて、何十年振りかに猛獣を見るとテンションが上がる。


「恭子は美味しそうだから、檻の中に入れられるとすぐに食べられちゃうな」


 ライオンが鬣を揺らすように首を上げると、恭子が俺の背中にスッと身を隠して、千切れんばかりに腕を掴んだ。


「だっ、大丈夫ですっ! 私が食べられそうになっても、絶対におじさんが助けてくれるって知ってますからっ!」


 無茶を言うでない。俺がライオンに勝てるとでも思っているのだろうか、助けに行って二人とも食べられるのがオチだろうよ。


「やっぱり怖いのよりも、可愛いのが良いですっ。おじさん、次行きましょうっ!」


 恭子がそう言ってグイグイと背中を押すのだが、気になったのは腕を掴んでいた恭子の手がちょっとづつ俺の手の方に動いたこと。


 そして、最終的に恭子の手が俺の指と絡む。つまり、恋人繋ぎってやつだ。突っ込むのは野暮だと思うが、俺は瞬間的に恭子の顔を見てしまう。


 目を逸らした恭子は実に見事に頬を染めていた。


「駄目……ですか?」


 ちなみに俺の顏も真っ赤に違いない。


「いや、いい、と思う。初めてのデートだもんな。恋人らしくいこう」


 俺は照れ隠しのように言葉を続ける。


「俺的には腕を組んで歩くのも憧れてたんだけどな~」


 すると恭子は手をつないだまま体を横向きにして腕も一緒に絡ませてきた。すなわち胸のポヨンとした感触も俺の腕に伝わるワケで。


「きょっ、恭子。……その、当たってるんだけど」


「当たっているんじゃありません。わざとくっつけているんですよー」


 左腕に伝わる感触が俺の息子にダイレクト信号を送っているので、まだ起きてはイケナイと脳内で説得するのに必死だった。



 それからキリンやゾウを見たり、ハシビロコウと一緒に首を振ったり、ウサギに人参を食べさせたりと、これでもかというくらい動物園を二人で満喫する。


「おじさん、どうですかっ? 可愛いですかっ?」


 ウサギコーナーの横にあった売店でウサギの耳の帽子を買ってやると、恭子がその場で嬉しそうに被る。スーパーなどで小洒落たものを買おうとすると、いつもは勿体ないって怒る彼女もテンション次第では許してくれるらしい。


 ちなみに帽子にくっついている紐を引っ張るとウサギの片耳がピョコピョコ動くんだ。わかるか? 満面の笑みの恭子がウサ耳をピョコピョコさせているんだぜ?


 恭子は悲しんでくれるだろうが、俺は今死んでも悔いは無い。



 そして、荷崩れを心配していたランチバッグの中身だったが、恭子がおにぎりやらサンドイッチやら唐揚げやらウインナーやら卵焼きやらをこれでもかという程にギュウギュウ詰めにしてくれていたおかげで全く被害が無かった。


 むしろこの状態を荷崩れさせる方がムズイんじゃねえか。


「おじさん、頬っぺたにご飯粒がついてますよ」


 それを摘まんで自分の口に入れてはもきゅもきゅする恭子。


 暖かな日差しの下、芝生の上に敷かれたランチシートの上で少し薄着の春コーデに身を包まれた彼女を横目で眺めながら俺はごろんと寝転がった。


「なあ、恭子」


「はい、何ですか、おじさん」


「俺と結婚してくれて、ありがとうな」



 恭子が泣いた。



「なんで、そんなこと……言うんですか。ズルいです。おじさんは絶対に私を泣かせようとしていますよね」


 寝転がった俺の胸に顔を埋めた恭子の声が布越しに響く。涙を浮かべた顔を見られたくないのだろう。


「粗方動物も見て回ったし、予定していた映画の時間にもまだ結構あるじゃん、さ」


「それでさ、今から買いにいかないか」


「恭子は結婚式も婚約指輪も社会人になってからって言ってたけど、やっぱり結婚指輪くらいは一緒に付けたいんだ。俺たちが夫婦という証を、恭子が俺の嫁だという証が欲しいんだ。……どうだろうか?」


 恭子が俺の胸から少しだけ顔を上げて、嗚咽交じりの声で答えてくれた。


「私もっ、私も、おじさんのお嫁さんっていう証が欲しいですっ! でも、今の私にはおじさんにおもちゃの指輪くらいしか買えないですけど、私が大人になって、ちゃんと自分で働いたお金で買った指輪をおじさんの薬指に付けて欲しいんですっ! ……だから、今は、今だけは、おもちゃの指輪でも我慢していただけますか?」


 そうか、そんなことを恭子は考えていたのか。


 確かに結婚指輪というのはお互いに送り合うと人が多いというのは聞いたことがある。俺は年の離れた恭子を養う感覚で、軽い気持ちで結婚してしまったが、恭子にとってはそうじゃないんだ。夫婦として対等の立場でありたいんだ。


 家事だって立派な仕事だろうにな。


「わかった。露店でも雑貨屋でもいい。とびきり素敵な結婚指輪を探しに行こう」



 その後動物園を後にした俺たちは、小さな雑貨屋で千円にも満たない値段の指輪を送り合ったのだが、将来数十万円するような本物の指輪を探したとしても、きっと、これ以上に美しいものはどこにも存在しないだろう。


 

 そして、結局映画は見なかった。


 見ることができなかった。


 俺が再三にわたる姫ちゃんからの電話に気づいていれば動物園も途中で退園しなければいけないことになっていたと思う。


 映画館に行く途中にトイレで立ち寄ったコンビニで、本棚に置いてあった週刊誌の表紙を見て俺は驚愕する。




『日本経済界に突如君臨した女帝、吉沢姫紀。筆頭株主の権力を振りかざして吸収合併された元吉沢社員たちの人員整理を進言』

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