第1話「祭りの夜、後の初夜」
あの日は本当にバタバタした。多分一生忘れられない長い一日だっただろう。なんせ、逮捕されたり、釈放されたり、墓前で死んだはずの師匠とバトったり、恭子に押し倒されたり……結婚したりと、なんとも嬉し恥ずかしおっかない32歳最後の日だった。
それから数日後に恭子が自分が社会人になるまで結婚式は挙げたくないというかわりに、マンションでちょっとしたパーティーが開かれて、恭子がネットの皆にお礼も兼ねたダンスを踊ったり、ギャラリーの前で俺たちが誓いあったりと、それはそれで楽しくもあり嬉しくもあったが、あの日と同様に相当疲れた。
そしてその夜、つまり今晩――今現在なんだが、先も言ったようにパーティーに疲れ果てて今晩はぐっすり眠れそうだと自室のベッドに潜り込んだ時の事。ノックの音に布団で寝ている状態の俺は上半身を起こす。
コンコン……ガチャ。
「……おじさん」
俺の部屋の扉の前にはパジャマ姿で枕を持って立っている恭子の姿。
「おじさん、私たち夫婦になったんですよね?」
「ああ、そうだ」
俺がそう答えると、恭子は少し顔を赤らめさせて俺の部屋に一歩踏み入れてからゆっくりと扉を閉めた。
「あの……おじさん……ふっ、夫婦だったら……寝室くらい共にするべきだと思います」
いっ、一緒に寝るということか!?
いや、まあ、夫婦なんだから、自然な事かも知れないが……それは、わかってはいるんだが、流石に。
静かにこちらへ歩みながら顔を伏せて問う恭子。
「駄目……ですか?」
「いやっ、別に、構わんが」
ベッド際まで近寄った恭子が俺が入っている布団をゆっくりと捲った。
「失礼、します」
恭子が何を考えているか、わかるようでわからない。俺たちは狭いシングルベッドに枕を二つ並べて、お互い天井を向き肩と腕と足の側面だけが布団の中でくっついている。
俺に恭子のバクバクとした高鳴る胸の鼓動がわかるように、恭子にも俺の極度な緊張感がバレていることだろう。
二人とも無言のままその状態でどれくらいの時間が経っただろう。ふと、恭子が布団の中で手をもぞもぞしているのに気づく。
そして、それは恭子が自分の寝間着のボタンをひとつづつ外している動作なのだと気づいた。
「恭子」
「おじさん……私たち夫婦、なんです」
ここまでくれば恭子が今、何を考えているのかくらいわかる。俺だって馬鹿じゃないんだ。
半分くらいボタンを外したところだろうか、俺は左手で恭子の右手を握った。
「無理はしなくていい」
「無理なんてしてません」
まだ恭子は片手でモゾモゾしていることから、ボタンを最後まで外そうとしているのだろうが、緊張もあってか恐らく左手だけでは上手くいかないのだろう。必死さのようなものも感じられる。
「怖いんじゃないのか、初めてなんだろう?もし初めてだったとしたら誰だって怖いに決まっている」
中学生時代に彼氏がいて、恭子が既に経験済みという可能性も無くは無いが、10年以上も俺のことだけをずっと好きでいてくれたことが本当なのであれば、確率的に初めての可能性が高い。
「初めて、ですけど……怖くないですよ、全然怖くなんてありませんから」
え? いや、絶対に無理して言ってるだろう。女の子が初めてで全く怖くないなんてあるわけがない。
多分、多分だが、恭子は結婚というものが紙切れ一枚でしか証明されていないことに不安になって、他の形で実感したいと、安心したいと思っているのではないだろうか。
だから、初体験の不安や怖さを誤魔化してでも突っ走っているのではないか。
散々、恭子の覚悟や決意の深さや性格といったその人となりをずっと知らされてきたんだ、それくらいの想いは容易に想像できる。
それに、俺が握っている恭子の手は……ずっと……
「だってさ、震えているじゃないか……無理しなくても、急がなくても良いさ。俺は小さいころから恭子を見て来たんだ、お前が意地っ張りなことくらい解っているつもりさ」
俺がそう言うと、恭子はちょっと呆れたような、寂しそうな顔をした。
「おじさんは私の事をちっともわかっていませんよ」
すると恭子は顔を真っ赤に染め上げて、蚊の鳴くようなか細い声で話す。
「こっ、怖いのは……バレちゃうことなんですっ」
「えっ? 何が?」
「……あの、その、……私が、その、エッチな子だっていうのが……」
へ?
「私は小さい頃からおじさんに大人の女として見て欲しかったですから……」
「それに……あそこの家では……あのプレハブではずっと妄想していたんです」
植松の家。心身共に衰弱した闇の世界。
「あの世界では、夫婦になったおじさんが私に色々してくれました。私もおじさんに色々させてくれました」
「それこそ、おじさんが引いちゃうくらいなことも色んなことをしたんです」
恭子の独白に俺は悲しみや切なさといった様々な感情が込みあげてきて、それは一気に罪悪感に変わっていった。
知っているつもりで、気づかなかった罪。己の愚かさ。
「ひっ、引かないっ! 恭子があの深い闇の世界で俺を求めてくれていたことを引くわけなんかないじゃないかっ! それにそれだけあの時が極限状態だったってことなんだよっ! 俺はそんなことで恭子をエッチな子だなんて絶対に思わない! 普通だ、普通の女の子だっ」
俺が両手で恭子の手を思いっきり握って小さな声で叫ぶが、それでも恭子はフルフルと首を振った。
「やっぱり、わかっていませんよおじさんは。私がおませさんだったのは、小さい頃からですし、それに……その、あの、おじさんが九州に行った時も、おじさんとのメッセージを見ながら、その寂しくなって、ひとりで―――って、女の子に何を言わせるんですかぁ」
いやいやいやいやいや、知らんし、言わせてねえしっ。
恭子の独白の最後がちょっとした八つ当たりみたいになってくれたおかげで俺も本音で話すことができるようになった。
「恭子は俺に自分のことをちっとも解ってないって言うけど、お前だって俺の事を何だってわかっているわけじゃないだろうがっ」
「私はおじさんのことで知らない事なんて微塵もありません」
言い切りやがった。
「おじさんは奥手ですし、私の事をずっと妹みたいに思っていたでしょうから、おじさんから求めて来ないことくらいはわかっていました。実際に結婚してから何日も経っているのに一向に私のお部屋には来てくれませんし……だから、私は今日、踊りの後にネットの皆さんに宣言したんです。今晩は私がおじさんの部屋に行きますって」
カ、カメラの近くで何か呟いていたと思ったらこのことだったのか!
って、違う、そうじゃない。やっぱりわかってないんだよ恭子も俺の事を。男だって不安さ、怖いさ、上手くできなかったらどうしよう、恭子を傷つけてしまったらどうしようって。
俺は思い切って恭子に告げてみた。
「やっぱり解ってねえよ……確かに俺は奥手だけど、それに今までは恭子のことを妹みたいに思っていたことも違いないかも知れん。でも、今はお前の事を一人の女として見ている。だから重要なことはそんなことじゃないんだよ」
「あのさ……恭子、……あのな、……あのぅ……俺、実は魔法使いなんだ」
「え? 魔法、使い……ですか?」
ちょっと気恥ずかしくてネットの隠語で遠まわしに言ってみたがやはり伝わらなかったようだ。だって、この年で童貞だとかハッキリ言えねえじゃん。
いや、仕方ないのさ。だって俺、高校は男子高だったし、大学は学費を稼ぐのにバイトで必死だったし、就職してからは更に忙しくて恋愛する余裕なんて皆無だったし。
経験と言えば、社会人になってから先輩や上司に連れて行ってもらった夜のお店で本番ナシのチョメチョメくらいで。
「あー、あのな。魔法使いってのはちょっとした隠語で、意味は……30歳まで純潔を保つって言うか、経験がない男に授与される不名誉な称号なんだ……つまり、俺も初めてで不安というか……」
ガバッ。
それはもう凄い勢いで恭子が布団から身を起こす。そしてこれでもか、というくらいに目をおっ広げている。
「えっ!? でもっ、おじさんも初めてって……凄いモテるじゃないですかっ! 私がこっちに来てからも色んな女の方に人気があって、九州でも言い寄られたりしてたじゃないですかっ!」
「いや、そんなの知らんし。子供の頃は苦学生だったし、就職してからは恋愛どころじゃなかったし」
「私が初めての女になれるんですかっ!? 神様……ありがとうございますっ! 今日と言う日に私は本当に感謝致しますっ!」
恭子の体の震えが今日イチで最高に高まり、どこぞの神にお礼まで言い出してしまった。若干壊れつつあるかもしれん。
「おじさんっ、私頑張りますっ! お互い初めてなんですから、だったら失敗しても良いじゃないですかっ! それにきっと私の方がちゃんと
あっ、何か今、解った気がした。暴走気味の恭子のおかげでそれまで俺が感じていた違和感のようなものが解った気がした。
「落ち着け恭子」
「落ち着いてなんていられませんっ、おじさんっ」
「とにかく聞いてくれよ……俺だってそりゃ、したいと言えばしたいさ。でもさ、俺たちいきなり夫婦になって、恋人とか恋愛期間とか色々すっ飛ばしちゃっているじゃんか」
「恭子だって結婚式は自分が社会人になってからにしたいって言ってたよな。それと同じで良いと思うんだ。確かに俺たちは夫婦になったけれど、何から何までキチンと他みたいな夫婦らしくしなくても良いと思うんだよ」
「最近になって初めてお互いがお互いの気持ちを伝え合えられたんだ。だからさ、夫婦になったからって、初々しい恋人のような恋愛期間の色々を無しにするだなんて勿体ないと思わないか?」
「おじさんっ……」
恭子は目をキラキラさせながら俺の想いをちゃんと聞いてくれていた。
「だからさ、俺たちは夫婦だけれども、こういうことも急がず焦らず、一歩ずつゆっくり進んで、恭子が社会人になるまで取っておくくらいの方が、俺たちにとってはピッタリだと思うんだ」
「そんな恋愛から始める夫婦生活も良いんじゃないかな」
「おじさんっ!!」
と、まあ、いい感じなことは言えたんだけど……恭子が抱き着いてきた瞬間に俺のある部分がバレてしまった。そりゃギンギンだよ、そりゃ仕方ねえよ。それに恭子が体を起こす際に思いっきり布団を捲ってくれたので見た目から既にバレバレだった。
恭子が口をポカンと開けながら、俺の股間を凝視している。
「あっ、あはは……あのさ、一緒に寝るにしてもこのままじゃ寝られねえから、今日の所は、トイレでコイツを大人しくさせてきます―――」
それは乾いた声で笑いながらそう言ってベッドから出ようとすると、恭子が俺の腕を思いっきり掴んで離さない。
「えと、おじさんの言う通り、さっ、最後まではお預けでも……キスとかは恋人でも普通にしますよねっ?」
いや、どっちでもいいけど、先にトイレに行かせてくれ。このまま暴発したら目も当てられん。
「あと、恋人ならBとかまでなら普通にしちゃいますよねっ!?」
知らんよっ。BってどこまでがBなのか俺は知らんよっ!
「すまんっ、良いからっ、とにかくトイレに行かせてくれっ」
パンツクラッシャーのような、俺に惨めな思いをさせないでくれっ!そう願うが、俺の腕を握る恭子の手の力は更に高まり、ついには再びベッドまで引き込まれてしまった。
「わっ、私はお嫁さん彼女ですからっ、それくらいのお手伝いはさせてくださいっ!!!」
その後の事はどうか聞かないで欲しい。ただ一つ言えるのは恭子に手伝われることさえ必要なかったこと、そして俺が自分のパンツをクラッシュさせた後の恭子はとても優しかったということ。
その優しさが、死ぬほど辛かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます