始まりの場所
暖かい太陽の光。小春日和。あの日と同じ……。
仁栄はひとり自転車を走らせ、水無川の土手へと急いだ。
春休みも終わりに近づいた一年前の今日、仁栄は初めて冬馬とあの土手で出会った。
由希子と行った冬馬の家で、銀色のポストに引っ掛かっていたゴーグルを見つけたあの日、仁栄が冬馬と初めて出会った日のことを思い出した。
デニムのハーフパンツに、野球帽にゴーグル、ザリガニ釣り。
仁栄は、今日のこの日が来るのをずっと待っていた。
彼は確信していた。冬馬が、二人が初めて出会ったあの場所にいることを。
「オレは、おまえを起こしに来たんだ。それと、お礼を言いに。ジンエー、助けてくれてほんとうにありがとう」
仁栄は、冬馬にあの言葉の意味を聞かなくてはいけなかった。
彼は自転車で器用に土手を滑り降りる。あの日のようにひとりでザリガニ釣りをしている冬馬に会えることを期待しながら……。目の前に人影が見えてくる。
デニムのハーフパンツに、野球帽にゴーグルを身に着けたひとりの少年が川辺に立っていた。
仁栄は自転車のブレーキを強く握りしめる。自転車は音を立てて少年の前で止まる。
「トーマ!」
呼ばれた少年は咄嗟に振り向いた。
「全然ダメだ! さっぱり釣れねー。この赤いモンスターは一体何が好きなんだ? 醤油センベイじゃあダメなのか?」
「え?」
あの時と同じ台詞が少年から発せられる。
「……なーんてな」
冬馬は悪戯っぽく微笑んだ。
「よく、オレがここにいるって分かったな、ジンエー」
冬馬の優しい眼差しが仁栄に投げかけられる。
「ト、トーマ! オレは……吉田と一緒にお前の家まで行って、そしたら花田が手紙を持ってて……それからゴーグルを見つけて……それから……」
言いたいこと、聞きたいことがたくさんありすぎて、仁栄の口から言葉が中々上手く出てこない。
彼のそんな様子を見ても、冬馬は相変わらず悪戯っぽい微笑みを浮かべたままでいた。その瞳に優しさを
「……分かってるよ、ジンエー。だけど、もう時間だ。いつまでも同じ場所にいちゃいけないんだ。いつかは前に進まなきゃいけないんだ……オレも、おまえも、それから由希子も……」
仁栄には、冬馬の口調がいつもと違って聞こえた。いつもの背伸びをした子供ではなく、まるで本当の大人が話しているような感覚。
「え? な、何言ってるんだよ、トーマ? だいたい何で、何でここで釣りをしてるんだよ? 一年前と全く同じじゃないか……それに、由希子って……」
「……」
冬馬は彼の質問には答えず、ただまっすぐに仁栄の方を見つめている。
「どうなってるんだよ!?」
仁栄は冬馬の肩を掴むと、強く揺さぶった。
「ジンエー、みんながおまえの帰りを待ってるんだ……」
冬馬はわざと視線を逸らすと、仁栄の後ろの方を見ながらポツリと言った。
「みんな? みんなって、どういうことだよ?」
冬馬の視線の先、仁栄が後ろを振り向いた瞬間、眩い白光が彼の身体を包み込んだ。
それは、温かくて優しい光だった。そして光はやがて感情と記憶の波動となって、仁栄の身体中の細胞を流水のように素早く駆け巡っていった。
身体の温度がぐんぐんと上昇していき、彼は軽い眩暈を覚える。目の前の映像が、ゆっくりと歪んでいく。
仁栄は急いで冬馬の方を振り返ろうとする。しかし目に見えない力が働いているのか、彼の身体はとても重かった。
仁栄がなんとか必死で後ろを振り返ったとき、そこに冬馬の姿はもうなかった。水無川の土手もなく、橋もなく、暖かい太陽の光もなかった。ただ、白い光が、彼を包み込んでいた。そして、彼の視覚は完全に失われた。
何処からか、音のようなものが聴こえて来た。
仁栄は、それを冬馬の最後の声として認識した。
「ジンエー、オレは、おまえに助けられた子犬のたましいなんだ。この世界はオレとおまえと、由希子でつくりあげたもうひとつの世界、パラレルワールド。ジンエー、命をかけてまでオレのことを助けてくれて本当にありがとう。そして、由希子のことも……。三年生の一年間、おまえと一緒に過ごせて本当に楽しかった。このことは一生忘れない。じゃあ、向こうで待ってるぜ。またな!」
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