揺れる時間

 三月の末日、仁栄は体育館で校長先生の話を聞き流しながら、先月のことを思い出していた。




 あの日、仁栄と由希子は、仁栄の家で冬馬の住所を連絡簿で探し出したあと、すぐに冬馬の家へと向かった。しかし、折角突き止めた住所に冬馬の姿はなかった。冬馬はおろか、古い二階建ての家には誰もいなかったのだ。


 「遠山」と書かれた銀色のポストの横のインターホンを何回押しても、古いガラス戸の向こうで音が空しく響くだけだった。


「あれっ、誰もいない……」


「留守かな? でも遠山くんは風邪で寝てるんじゃ……誰もいないなんて……」


 誰もいないのはおかしいと仁栄も思ったが、あの日は結局、何回かインターホンを押して返事がなかったので、諦めて帰ることにした。


 帰ろうと踵を返そうとした瞬間、仁栄は何かに気が付いた。銀色のポストの横に、何かが引っ掛かっていたのだ。


 彼がそれに手を伸ばそうとしたとき……。


「おい! 深水!」


 背後で仁栄を呼ぶ声がした。ぎょっとして仁栄が振り向くと、花田が肩で呼吸をしながら立っていた。


「うわっ! 花田! 何やってんだよ、こんなところで?」


「やっぱりここだったか。おまえの家に行っても留守だし、おまえのお母さんも、行き先知らないって言うし……」


 花田は一度深呼吸して呼吸を整えると、ここへ来るまでの経緯を完結に説明しはじめた。 


 彼は仁栄の家の場所をクラスの皆に聞くと、すぐに仁栄の家へと向かった。そして、仁栄の母親から、仁栄と吉田が一緒に出掛けて行ったことを聞いた。

 二人が一緒に向かう場所といえば、遠山の家だろうと推測した花田は、予め用意していた学校の連絡簿を調べて、ここまでやって来たのだった。


「……花田くん、なんだか探偵さんみたいだね」


 由希子が感心しながら微笑んだ。


「う、うるせーよ!」


「ご、ごめん……」


 花田に怒鳴られた由希子は咄嗟に下を向いた。


「で、花田。おまえもトーマを探しに来たのか?」


 仁栄はポストを背にして花田の方を向いた。


「あ? いや、違うよ。これ、遠山から深水に……」


 花田は提げていた鞄から便箋を取り出すと、仁栄に手渡した。


「え? トーマから?」


「ああ、お前が休んでいる期間に、ゴミ箱の横に落ちてあったのを見つけたんだ……」


 花田は腑に落ちない表情を浮かべていたが、手紙を見つけた時の詳細は語らなかった。


「ゴミ箱の横?」


 仁栄は花田を一瞥したあと、すぐに手紙をその場で開いた。そこには、冬馬から仁栄宛てに、来年の秋の遠足には絶対に行くなと、書かれてあった。


「来年の秋の遠足……」


「まあ、来年の遠足に四年になったオレたちが何処へ行くは知らねーけど、今年度の四年生は、リバーサイドパークに行ってたな……ん? 吉田、何で笑ってるんだよ?」


 花田は仁栄の横でクスクスと笑っている由希子に気がついた。


「え? いや、花田くんて、深水くんと仲良かったんだなーって。こんなに喋る花田くん、初めて見たから……」


 由希子はまたクスっと微笑んだ。


「う、うるせーよ!」


「ご、ごめん……」


 由希子は再び下を向いた。しかし、顔はまだ少し笑ったままだった。


「……リバーサイドパーク?」


「ん? 深水行ったことあんのか?」


 仁栄は文面から目を離すと、二人の方を見た。彼の焦点は僅かに二人からずれていて、何処か遠くを見ているようだった。


「どうした? 深水?」


「……深水くん?」


 二人は心配そうに仁栄を見た。


 その瞬間、彼は後頭部の辺りに激しい電流のようなものを感じた。そして、はっきりと思い出した。あのとき橋の上で最後に冬馬が言った言葉を、小学生の話し声で仁栄に届くことのなかった言葉を。


 あのとき、冬馬は仁栄にこう言った。


「オレは、おまえを起こしに来たんだ。それと、お礼を言いに。ジンエー、助けてくれてほんとうにありがとう」


 仁栄は徐に銀色のポストに引っ掛かっているものに手を伸ばす。ポストの角に軽く引っ掛かっていただけのゴーグルは、仁栄の指先に当たると、ストっと音をたてて地面に落ちた。それはとても小さな音だった。




「……これで、三学期の終業式を終わります、気を付け! 礼!」


 仁栄は号令で我に返った。


 校長先生の話が終わり、生徒たちがクラスごとに順番に教室へ戻り始める。


 あれから仁栄は、何度か由希子と冬馬の家へ行ってみたが、いつも家は留守で結局冬馬には会えなかった。


 後から若林に聞いた話では、転校の手続き等は一月に終わっているので、恐らく一家は既に引っ越したのではないか、とのことだった。


 仁栄は辺りを見回し、無意識に由希子と花田の姿を探した。しかし、由希子も花田も見つからなかった。


 彼はふと、四月の始業式で花田の踵を踏みつけて、危うく喧嘩になりそうになったことを思い出した。


 あれから既に一年が経ってしまったとは、仁栄にはとても信じられなかった。


 殆ど生徒のいなくなった体育館で、彼はひとり時間の感覚のいい加減さに苦笑した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る