転校

 三学期が始まって暫く経ったある日、二人はいつものように一緒に帰っていた。


「ジンエー……」


 冬馬は空き缶でドリブルしながら先を歩く仁栄に声をかけた。


「え? 何だよ、トーマ」


 仁栄は立ち停まる。空き缶はカラカラと音を立てて溝へ落ちていった。


「新しく来る転校生には優しくしろよ」


「え? なんだよ突然。それって、いつ来るんだよ?」


「おまえが、四年生になる年の四月。で、このクラスからは吉田さんとオレが転校するから、クラスの人数が一気に二人減る」


「何言ってるんだよ? 来年度にはクラスが変わるから……」


「バーカ、二年、四年、六年はこの学校ではクラス替えしないだろ」


 仁栄は一瞬、首を傾げる。


「え? あ! そうか! でも吉田が転校するって? 何のことだよ?」


「そうか、吉田さんはまだ誰にも言ってなかったのか……」


 冬馬は空を見上げながら何か考えているようだった。曇った冬の空は、何処となく悲し気な冷たい空気を漂わせていた。


「おい! それ本当かよ?」


 初めて聞く話に驚いた仁栄は、冬馬のところまで駆け寄ってくる。


「ああ……だから、新しく来る転校生が今のオレの席に来る」


「な、何でそんなの分かるんだよ? 四年になったら席は元の順に戻るんじゃないか?」


「ああ、普通はな。ただ担任が持ち越しされて、皆の希望もあってか、特別に席はそのままでって……いいんだよ、兎に角、転校生が今のオレの席に来る」


「なっ!? 担任が持ち越されるって、また若林先生ってことかよ? 何でわかるんだよ?」


 唐突に始まったこの話に付いていけない仁栄は、目をパチクリさせながら何度も冬馬に聞き返した。それに対して冬馬は、淡々と冷静に質問に答えていく。


「ただの予知能力だよ。それから……」


「え!? ヨ、ヨチノウリョク? ヘイヘイ、ははは!」


 仁栄は、冬馬が時々可笑しなことを言うこと癖があることを知っていた。彼には超能力があるとか、未来から来たとか、精神年齢が二十六歳だとか三十六歳だとか……。


 冬馬は、他の同い年のクラスメイトたちと比べると、かなり大人びていた。やけに難しい言葉を知っていたり、物事をよく知っているようにみえた。


 例えば、春の遠足のお菓子を買いに行ったとき、花田に妹がいて人形を買っていたことを推理したり、クラスの女の子の気持ちに詳しかったり。りょうが仁栄のことを好きで、仁栄も好きになるとか。それについて仁栄は一切信じてはいなかったのだが。


 しかし、彼のそういった超能力だとか、未来から来たとかいう話を嘘だとわかっていながらも、仁栄はいつもワクワクしながら聞いていた。


 そんな嘘を、信じたくなるような、信じてさせてしまうような不思議な魅力が冬馬にはあったからだ。実を言えば、仁栄は冬馬が近々転校することを、本人から少し前に聞かされていて既に知っていた。転校の話を初めて聞いたとき、仁栄は信じられなかった。また冬馬の冗談か、嘘だと思っていたのだ。


 それでも、その理由が家庭の事情ということを聞き、また冬馬の説明を何度か聞いているうちに、転校することが真実だと受け入れることが出来た。そして、仁栄はとても酷く、酷く寂しい気持ちになっていた。


 ただ、たった今聞いた由希子の転校の話は、彼には全くの初耳だった。


 仁栄は何だか周りの酸素が薄くなり、ひとりだけ取り残されていくような、すべてが遠くなっていく、そんな心境だった。


「それから……」


 冬馬は真剣な表情で何かを言いかけたが、すぐに口をつぐんだ。


「それから……なんだよ?」


「いや、何でもない……」


 食い入るように冬馬の顔を見る仁栄に、冬馬はあっさりと目を逸らした。


「え?」


 冬馬が真剣な表情の割にすぐに諦めたので、仁栄は拍子抜けした。


「なんだよ! ちゃんと全部言えよ! 気になるじゃんかよ!」


「バーカ! ミライのことはあまり言わない方がいいんだよ! それが鉄則だろ!」


「な? ミライ? テッサク? 鉄柵ってなんだよ? 鉄柵デスマッチのことか!?」


「……はは。おまえは本当に耳掃除するの忘れんなよ。それから……あんまり……無茶、するなよ」


 冬馬は優しい表情を浮かべながら、仁栄の肩に手を乗せた。


「え? ああ、おまえこそな……」


「……」


 不思議な間があった。


 仁栄にはそのとき、冬馬が妙に大人びて見えた。同じ小学生ではなく、ずっとずっと、年上の大人の男性に見えた。そして、時間にして数秒経ったあと、冬馬は「じゃあな」と言って微笑むと、仁栄に背を向けてゆっくりと歩き出した。


 二人の眼前には、いつの間にか水無し川が広がっていた。

 ここまでだった。いつも二人は、ここで別れていた。ただ、今日は、この橋でいつものようにトーマと別れたら、彼とは二度会うことは出来ない、仁栄は漠然とそんな気がしていた。


「じゃあまた明日な!!」


 去り行く冬馬の後ろ姿に向かって、仁栄はわざと大声を張り上げた。背を向けて歩いていた冬馬は、立ち止まって振り返る。


 仁栄は言葉を続けた。


「オレたち、また会えるよな? 明日また学校で! 今までみたいに!」


 冬馬は仁栄の方を向いたまま少しの間黙っていたが、やがて小さな声でこう言った。


「いや、無理だろう……」


「な! 何でそんなこと言うんだよ! 嘘でもいいから、また会えるよって言えよ!」


「……」 


 冬馬はニヤリと微笑む。


「……ワカッタ、ウソ、ダケド、マタ、アエルヨ」


「な! 何でロボット風なんだよ! それに嘘だって!」


 いつもなら笑っている仁栄だったが、今日は笑えなかった。


「バーカ、明日は学校休みだろ。オレ、休みの日まで学校行くほど、学校好きじゃねーよ」


「あ! そうだった、明日休みだ……」


 苦笑いする仁栄に、冬馬は真面目な声で続けた。


「ジンエー、何でオレが転校してきたと思う?」


「え?」


 二人の距離は、約五メートル離れていた。太陽は冬馬の背後で既に沈みかかっていて、仁栄からは彼の表情がよく見えない。


「オレは……」


 冬馬が何か言いかけた丁度そのとき、数人の小学生たちが騒ぎながら彼らの横を通り過ぎて行った。


「え? 何だって? 何って言ったんだ?」


 仁栄はその場に立ったままで冬馬に聞き返した。冬馬の方に駆けて行って近くで聞けばいいものを、彼には何故だかそれが出来ないでいた。


「何でもねーよ! じゃーな!」


 いつもの口調で彼はそう言うと、橋の向こうに沈みかかっている太陽に向かって駆け出した。


「おい! 待てよ!」 


 冬馬を追いかけようとする自分の身体を仁栄は必死で抑えた。今彼を追いかけていくことは、何となくルール違反な気がしたのだ。


 実際にそんなルールなど誰も決めていないし、当の冬馬も言ったわけではないのだが、いつもここで冬馬と別れていた仁栄にとっては、それが自然と「暗黙のルール」のようなものになっていた。


「絶対にまた会おうなーーー!!!」 


 仁栄は冬馬が見えなくなるまで、ひとり大きく手を振り続けた。

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