運動会練習

 春の遠足も無事に終わり、次のビッグイベントである春の運動会へ向けて青葉小学校の一同は練習に燃えていた。


そして、三年一組の体育会系担任、若林も例外ならずしっかりと燃えていた。


「ピーーーーーーーーー!!! ピッピッピッピッ!!!」


 午後二時の日差しは極めて高く、温度も湿度も高く、連日の練習で溜まった疲れが、生徒たちの表情から容易に見て取れた。


 本日は、三年生全四クラスでの合同練習だ。


「暑いからってダラダラしない! ダラダラしてると、リレーの練習が出来なくなるぞ! きちんと前の人の後頭部を見て、右足から、イチッ! ニッ! イチッ! ニッ! ピッ! ピッ! ピッ! ピッ!」

 

入場行進の練習の後は、待ちに待ったリレーの練習が始まる。疲れているはずの皆のテンションも自然と上がっていく。


 今回は全四クラスでの合同練習なので、本番さながらの練習となる。生徒たちの先程までのダラダラとした動きは、嘘のようにキビキビしたものへと変わる。


 クラスの皆で考えたリレーの順番に並び替えた後、生徒たちの何人かは靴を脱いで裸足になっている。


 仁栄もまた、履き古したスニーカーを脱いで裸足になった。


「リョウちゃんも男子みたいに裸足で走るの?」


「もちろん! サキも裸足になったら? 速いよ」


 仁栄はふと、リョウちゃんと呼ばれた子の方に目を遣った。


 女子の列の後列で、髪を斜め横で結んだ女子が、手を使わずに足だけで器用に靴を脱いでいた。彼は無意識に少しだけ顔をしかめた。その瞬間、運悪くその女子と眼が合ってしまった。


「ちょっとー! 何ジロジロ見てんのよー! やらしいわねー!」  


「え? あ?」


 仁栄は自分が非難されていることに気が付かなかった。


「ちょっとリョウちゃん!」


 傍にいたポニーテールの子が、仁栄を睨んでいるりょうをなだめる。


 仁栄はポニーテールのその女子のことをよく覚えていた。


 石川いしかわ咲子さきこ、同じクラスの子で、髪をお下げにしていて、いつも笑顔で明るく、クラスの皆に人気があった。


 当然、彼はもうひとりの「リョウ」と呼ばれた子のことも知っていた。仁栄は以前、彼女が男子と喧嘩しているところを見たことがあったのだ。


 それはまるで江戸時代の喧嘩屋のようだと、彼は思った。実際の江戸時代の喧嘩屋がどんなものか、もちろん彼は詳しく知らなかったが、社会の教科書に載っていた江戸時代の祭りの絵を思い出し、祭りと喧嘩のイメージと、丁髷とりょうとを勝手にくっつけて、勝手に納得していたのだ。


「何ぃ? お、おまえなんか見てねーよ! バカじゃねーのか!」


 仁栄はムキになって言い返した。別にムキになることではなかったと、分かるのはいつも家に帰ってからのことだ。


「なっ! 何よぉー! 人のことおまえって! まるで女房みたいにぃー! それにバカですってぇー!!」


 りょうは目を吊り上げて激怒している。肩を怒らせて仁栄の方へ近づいてくる。あと一歩で手が届くというところで、笛が鳴った。


「ピーーッ!! こらー!! おまえら何やってるんだー! 喧嘩の時間じゃないぞぉ! さっさと列に並んで! リレーの練習が始められんだろうが!!」


 若林の怒声が飛んでくる。


「たった何人かのうちのクラスの生徒が、こうやってモタモタしていると、きちんと並んでいる他のクラスの生徒は、何も出来ずにずっと待っているだけなんだぞ? 悪いとは思わんのか?」


「……すいません」


 俯きながら周りを見ると、仁栄たち以外全てにクラスが既にきちんと整列して座っていた。


 仁栄はこの上なく恥ずかしい気持ちでいっぱいなって、素早く自分の列へ戻り座り込んだ。


「へへ、災難だったな」


 真後ろで冬馬が意地悪い笑みを浮かべて仁栄を待っていた。


「……ったく。あいつが突っかかってくるから……」


「佐々木さんに石川さん、いつも仲良しだな。あと吉田さんも」 


「え? ああ……石川はいいけど、佐々木っていうのか? あいつは……吉田? 誰? ってか、トーマ、よく名前覚えてるな」


 仁栄は冬馬の記憶力に感心しながら、自然とまた女子の列の方に目がいく。先程の女子二人も仁栄の方をみて何か話しているようだった。


 しかし、すぐにクラス対抗のリレーが始まると、仁栄たちは最早それどころではなかった。


「いけー!!」


「勝てるぞー!」


「いける、いけるー!」


「速い速いってぇ!!」


「ゴーゴー!! ヤマちゃーん!! ゴーゴー!!」


「うわっ! コケんなよっ!」


「全然っ、余裕だからー! 全然っ!」


「バトンパス、ミスるなよぉー!」


「このまま一気に逃げ切るぞー!!」


 四クラス全員の声が一斉に応援の雄たけびを上げる。ものすごい熱気と興奮と騒音がグラウンドを包み込んだ。たちまちに、仁栄は自分の声すら聞こえなくなった。


「……やっぱ三組は早いな……最初っから飛ばしてきやがった」


 アンカーの深澤ふかさわたけると花田たちが仁栄たちのすぐ後ろで話している。


「ああ、でもぜってータケルが、最後にゴボウ抜きだろ?」


「でも、二組には『疾風のヒデ』がいるし、四組のツカサも結構早いからな、それに三組には……」


 花田の隣で「ワッシー」こと、鷲尾が腕を組んで唸っている。


「ああ? 関係ねーよ、ワッシー! オレたちならぜってーいけるよ、なあ? おまえらもそう思うだろ?」


 花田は前列に座っている仁栄たちに気づいて、声をかけてきた。


 スーパーヨシムラでの一件以来、花田は仁栄や冬馬と時々話すようになっていた。


「おい、深水! 次の次、おまえだぞ。頼むぜ」


 武は無邪気な笑顔を見せると、親指を立てた。彼はクラスで一番の俊足、野球が得意で、よく放課後に他のクラスの男子たちと一緒に草野球をしていた。仁栄も何度か、一緒に野球の仲間に入れてもらったことがあった。明るくて人懐っこい性格の彼は、いつも多くの仲間に囲まれていた。


「ああ!」


 仁栄も親指を立てる。


「おい、しっかり頼むぜ! 石川さんが見てるんだから!」 


 後ろの冬馬が楽しそうに彼をからかう。


「なっ! 何言ってんだよ?」


「じゃあ、佐々木さんが睨んでるぜ!」 


「え?」


 仁栄が女子の列の方を見ると、一番後ろで座っているりょうと偶然目が合った。


 彼女は本当に仁栄の方を睨んでいた。


本気まじかよ……」


 りょうは額に赤い鉢巻を巻いていた。頭が小さいからか、鉢巻が他の生徒たちよりも長く垂れている。


「……」


 仁栄はいつかテレビで見た時代劇スペシャルを思い出していた。


「何、見とれてんだよ?」


 冬馬が後ろから仁栄の肩を肘で押した。


「うわっ! 違うよ!」


 仁栄は頭を横に振ると、気を取り直してリレーに意識を集中させる。


 彼の前の走者が走り出す。三組、二組、一組、四組の順で走者が次々と帰って来る。素早く順番通りのスタート位置へつく。二位を走る二組との差はそれほど開いていなかった。


 仁栄は手際よくバトンを受け取ると、ペースを乱さないように走り出した。素足が、ローラーの駆けられた真っ平らな土の上を何度も何度も力強く蹴った。


 バトンを握った手と握っていない手を交互にリズムよく振る。周りの声援、自分の鼓動と土を蹴る足音。ただ目の前を走る者に追いつこう、追い越そうと、そのことだけを考えて走った。


 やがて、前走者についに追いつき、外側から追い越そうと迫った瞬間、次の走者である冬馬の背中が前方に現れた。


「トーマ!」


 仁栄は必死の想いで、バトンを冬馬の手に叩きつける。


「任せとけ!」


 バシッと短く力強い音をさせてバトンを受け取ると、冬馬は駆け出した。


 殆ど二組と同時のスタートだったが、冬馬は破竹の勢いで二組の走者を引き離していった。


「おおー!! すげーぞ、遠山ぁー!!」


 冬馬の頑張りで一組は二位に浮上した。あとは、鷲尾、木崎、花田、本城そしてアンカーの武を残すのみとなった。


 練習とはいえ、リレーは一組の作戦通り、順調に進んでいた。


「よしっ! いい感じだー!」


「ぜってーいけるよ!」 


「やっぱ、この順番最強だな!」


 一組の応援が一層盛り上がっていく中、鷲尾、木崎、花田の健闘もあって、一組は一位である三組に、あと二人分の差まで追いついてきていた。一組の作戦は、現在走っている本城に、できる限り逃げ切ってもらい、アンカーの武で、一気に巻き返す作戦だった。


 本城一は眼鏡をかけた体の細い少年で、勉強は得意としていたが運動は全くの苦手としていた。一組の男子は、その本城をリレーで何番目に配置するかが、勝利の鍵となると信じていた。


「しっかり走れよーー!! はじめぇーー!! 名前に負けるなー!!」


「タケル、あとは頼むぜ!」


 男子全員の期待が武にかかる。


「深澤くん、頑張ってー!!」


 女子からも声援が上がる。


 武はスタート位置につくと、アンカー用の赤い鉢巻が地面に付きそうなほど、腰を低くして本城の帰りを待つ。


「ほんじょぉおおーーー!!」


「うわぁぁああ!!」


 本城は足元をフラフラさせながら、倒れこむように武にバトンを渡した。そしてそのまま、転がるように地面へ倒れ込んだ。


「はじめぇーー!!」


「本城ぉーー!!」


「保健いいーーーん!!」


 クラスの皆に引きずられながら列へと戻されていく。


 遠くから保健委員たちが救急箱を持って駆け寄ってくる。


「……ったくよー! 何でリレーごときで倒れるんだよぉ……ハジメガネくんはよぉ!」


 木崎は眉を吊り上げて本城を睨みつけると、わざと皆に聞こえるような大きな声で不満をぶちまけた。


 本城からバトンを受け取った武は、三位に落ちていた。


 少し顎を突き出して前屈みになる癖のある走り方で、彼はグングンと二組に追いついていく。その光景はまさに芸術だった。


 しかし、結局最後まで二組を追い抜くことは出来ず、武は無念の三位でゴールインした。

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