狂犬花田

「……だからー、おめー青葉だろ? ここ学区外だろーが? あ?」


「何してんだ、こんなところでよ?」


「迷子にでもなったのかな? ひゃははは!」


 サングラスを額に引っ掛けた少年が、花田の方へ一歩近づいた。そして、花田が提げている紙袋を睨んだ。  


「何買ったんだよ? 見せろよ」


「うわーっ、ト・シ・オ・くーん、それってカ・ツ・ア・ゲ? イヤーン!」


 大きめの赤いスマイルくんの印字されたTシャツを着た大柄な少年が、身体をくねらせながら怯えた振りをする。


「ひゃははは! ウッチー、その動き超キモイしー」


 その横で小柄なオカッパ頭の少年が大笑いしている。


 花田はまだ一言も発していない。


「おいおい? 人が話してる時に、無視すんなよな。気ぃ悪りぃな」   サングラスの少年、トシオが花田の提げている紙袋に手を伸ばしたそのとき、花田は怒声とともにトシオの顔面に力いっぱい頭突きを放った。


「触んなよぉお!」


「ぐわっ!!」  


 鈍い音と共に、頭突きはトシオの鼻っ柱に命中した。短い悲鳴を上げてトシオはふらふらと二、三歩後ずさった後、ドサッと尻餅をついた。


「い、痛ってぇえ……」


 鼻からダラダラと流れ出る血を手で押さえながら、トシオは涙目で花田の方を睨みつける。


「おめえ、トシくんをよくも! 殺したらぁ!」


 赤いスマイルくんのTシャツを着た少年、赤シャツは顔を真っ赤にして花田に飛びついた。行き成り横から飛びつかれた花田は、バランスを崩してそのまま赤シャツを上にしたまま倒れ込んだ。持っていた紙袋が彼の手を離れてバニラ色のタイルの上を勢いよく滑っていく。


「くそっ!」


 タイルの上を滑っていた紙袋が、傍で静観していたオカッパの手前で止まった。オカッパは意地悪な笑みを浮かべながら、紙袋へ手を伸ばした。


「それに触んなぁあああ!!」


 赤シャツと揉み合いになりながらも、花田は必死の声を絞り出した。


「なんだこりゃ? 超キモイ趣味じゃん!」


 オカッパは紙袋から透明ケースの箱を取り出すと首を傾げた。奇麗にドレスアップされた着せ替え人形がケースの中でポーズを取っている。


「いらねーし、こんなの」


 オカッパは人形をケースごとタイルにそのまま叩きつけようと、両手を更に高く持ち上げてモーションに入った。


「やめろぉおおお!!」


 突然、アーケードセンター内に誰かが叫び声が響いた。


 その声に一瞬皆の動きが止まる。オカッパも人形を両手で抱え上げたまま止まっている。


「なんだてめぇ?」


 オカッパは声の方を睨みつけた。


 そこには怒りを露にした仁栄と、その隣で笑みを浮かべている冬馬の姿があった。


「花田! 三対一じゃ分が悪りいだろ? 加勢してやるよ!」


 そう言い放つと、冬馬は動作の止まっているオカッパに素早く近づくと人形のケースを奪い取った。


「あ! てめぇ! 返せよ、コラァ!」


 オカッパは眉毛を吊り上げて冬馬の方へ掴み掛かる。その時だった。


「おまえら、何やってるんだー!!」


 大人の怒鳴り声が何処か遠くから聞こえてきた。警備員が騒ぎを聞きつけてやって来たのだ。


「やっべ、逃げるぞ! トシくん! ショウちゃん!」


 花田と組み合っていた赤シャツは、さっさとひとり立ち上がって駆け出した。


「行こうぜ、トシくん!」


 オカッパも赤シャツの後ろを追いかける。


「おめーら死んだぜ、この次、ぺっ!」


 鼻を抑えながらトシオは、花田へ向けて捨て台詞と唾を吐いてから、仲間の後を追いかけて行った。


「オレたちも行こうぜ。学校に通報されると面倒だろ?」


 冬馬は小声でそう言うと、二人に合図する。


「おい、待てー!」


 警備員が走り去るオカッパたちの方へ気を引かれている間に、仁栄たちはゆっくりとその場を離れた。




「ここからならすぐに脱出も可能だ。とりあえずは大丈夫だろ」


 冬馬たちは一階トイレ近くの自販機の所まで戻ってきていた。数十メートル先には、駐輪場へと繋がる出口が見えている。皆、ベンチに腰掛けて休むことにした。


「大丈夫か、花田?」


 仁栄は花田の隣に腰を下ろすと、声をかけた。


「ああ、大丈夫だ。すまねえ……」


 花田は痣になっている腕や顔を軽く抑えながら答えた。その声はいくらか明るかった。


「おっ、そうだ。忘れるところだった」


 冬馬はくしゃくしゃになった紙袋を花田に渡した。あのドサクサの中、冬馬はしっかり紙袋も回収していたようだ。


「おう、サンキュー……」


 花田は軽く頭を下げた。


 仁栄は初めて見る花田のそんな姿に、何か違和感を感じていた。


「で、これからどうする?」


 冬馬は、自販機にコインを放り込みながら皆に質問を投げかけた。 


「今日のところは諦めてこのまま帰るか、それとも地下のお菓子コーナーへ行くか。でもさっきのやつらと鉢合わせするかもしれないし、最悪警備員に見つかるかも……」


「そうだなぁ、うーん……」


 仁栄は腕を組んで唸った。


「意外と、さっさと菓子買っちまえばいいんじゃねえか? たぶんバレねーし、やつらとも遭わねーよ。おっ、サンキュー」


 花田は冬馬が投げた栄養ドリンクを右手で上手く受け取るとそう言った。


「え?」


「ははっ! 花田、おまえって意外と楽観主義なんだな……そうだな、そうするか? ほらよっ」


 冬馬はもう一本の栄養ドリンクを再び花田へ投げた。


「あ? ラッカンシュギ? 何だよ、それ?」


 花田は受け取った栄養ドリンクを隣の仁栄に手渡しながら、冬馬に不思議そうな顔を向ける。


「テッカンスギ? 誰だそりゃ? 社会の時間に出て来た杉田鉄幹のことか? あっ、ありがと」


 仁栄の方もチンプンカンプンな返答と表情を冬馬に向ける。


「なんだよ、人の名前かよ。だったらそれって、仮面ライダーとか改造した人じゃねえか?」


「え? マジかよ、花田?」


「ああ、間違いねえよ、なあ、遠山?」


「……」


 冬馬は何も答えず、栄養ドリンクの蓋を開けた。




 三人は花田の提案通りに、地下のお菓子コーナーへと来ていた。


 流石にお菓子の品揃えは近所の駄菓子屋とは比べ物にならなかった。何人かの小学生がお菓子を選んでいる姿が見えた。しかし、その中に先程の少年たちや、警備員は見当たらなかった。


 冬馬と花田は既に何を買うか決めて来ていたかのように、次々とお菓子を籠の中に放り込んでいた。 


「急げよ、ジンエー!」


「ああ」


 本当はゆっくりと色々物色したかった仁栄だったが、またあの少年たちや警備員と遭遇するかもしれないと思うと、自然と駆け足になっていた。


 あっという間に、三人は買い物を終えて駐輪場へ戻った。


「なんか、運動会の練習みたいだったな」


「はははっ!」


 仁栄がそう言うと、花田は楽しそうに笑った。


 先程一緒に栄養ドリンクを飲んでいたときもそうだったが、そんな花田の姿は始業式のときの彼とは別人に見えた。


 仁栄が感じていた違和感は嘘のように消えていた。恐らく今の花田が、本当の花田の姿なのだろうと、彼は思った。


「オレ、これからちょっと用事があるから先に帰るな。また学校でな、深水、遠山」 


「そうか、じゃあな」


「また明日学校でな」


 自転車の籠に遠足のおやつと紙袋を乱暴に突っ込むと、花田は自転車の変速機をいじりながらペダルをこぎ出した。


 途中で、何かを思い出したかのように彼は自転車を止めると、後ろを振り返った。


「さっきは、ありがとな……」


 花田はそう短く告げると、再び自転車を走らせて沈みかかる太陽の方へ消えていった。


「……あいつの切り替え、かっこいいな」


 自分の古い自転車を睨みながら冬馬は言った。


「え? トーマのだって切り替え付いてるじゃん」


「ああ、でもこれ、壊れてんだよ」


 冬馬が切り替えのレバーを軽く叩くと、レバーは、カラカラと音を立てながら振り子のように暫く揺れた。


「あっ、あはははっ!」


「へへ、ったくダセーな」


 冬馬は自嘲気味に笑いながら、自転車に跨る。


「トーマ?」


「あ?」


 冬馬が顔を上げると、照れくさそうに笑う仁栄と目が合った。


「あ、ありがとな」


「何が?」


「さっき、アーケードセンターで、オレが花田を助けようかと迷ってた時、 あの時トーマがトイレから戻って来てくれなかったら……トーマが行くぞって言ってくれてなかったら……」


 申し訳なさそうに仁栄は表情を歪ませた。 


「バーカ、オレがいなくても、おまえはひとりで飛び出してたよ……。あんまり、無茶するなよ。それにしても、あの花田ってやつは狂犬みてえなやつだな、マジで」


 冬馬はカラカラと声を出して笑った。仁栄も笑顔になった。


 その後ふたりはしばらくの間、無言で自転車をこぎ続けた。 


「……そういや、何で花田のやつ着せ替え人形なんか持ってたんだろう? あれで遊ぶのかなぁ?」


 橋の手前に差し掛かった時、思い出したように仁栄が冬馬に言った。


「バーカ! あれは、妹への見舞いのプレゼントか何かに決まってんだろー!」


 風で声がかき消されないように冬馬は大声で叫んだ。


「えー!? あいつ妹いるんだ? でもトーマ、何でそんなこと知ってるんだよー?」


「何でもねーよ! オレの家、こっちだからもう行くぜー! カラスも鳴いてるしな」


 冬馬の視線の先を見やると、オレンジ色に染まったキャンパスの上を、黒い影たちが鳴きながらゆっくりと線を描く様に飛んでいた。


「あっ! 本当だ!」


 橋の向こうに見える、眩しいほど真っ赤な夕焼け空と、カラスたちに魅せられた仁栄は、一瞬で着せ替え人形の疑問などすっかり忘れてしまっていた。それよりも、今日出来た冬馬や、花田という新しい仲間に大きな喜びを感じていた。 

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