第31話 おじさんと悪魔と契約と
僕は、なにをやっているんだろう。
石造りの壁と床。見慣れた上野ダンジョンのなか。
そこを再現したような世界に、僕はいた。
ダンジョンの壁に、映像が映る。上野レイド中に飛んでいるドローンカメラが、映す映像を見ていた。
ただ拳を握って、痛いほど唇を噛むことしかできない。
現実では、ユノが上級魔人と戦っている。
「まだか、ミラー」
「もうすこし、もうすこしです」
心象世界で、僕と悪魔は待機する。心の中までダンジョンに住み着いてしまっている、僕の世界。ひとりだった世界に、血のつながりができて、侵入者がいた。
きれいな黒髪を揺らしながら、魔術めいた魔法を繰り出している同居人。いくつもの魔方陣を同時に展開し、僕になんらかの干渉をしているよう。
彼女もまた、悪魔だ。
ミラーが、悪魔と敵対している悪魔であることは知っている。
僕は、悪魔を倒すために、悪魔と手を組んだ。
それなのに。目の前の敵に手出しできず、ただ眺めることしかできない。
上野レイドは、なんどもギリギリの場面があった。そのたびに、ユノやホーネットが救い、戦況をひっくり返している。
ユノは、いまも戦っている。上級魔人という悪魔に近い存在を相手に、一歩も引かない戦いをしている。
大きく恐ろしいモンスターを相手に、小さなユノが立ち回る。
互いに、相手に一撃を与えられない膠着状態。
ユノの攻撃は、悪魔のバリアに防がれてしまっている。
上級魔人の攻撃は、ユノに見切られ、当たる気配がない。
悪魔よりはユノのほうが、攻撃範囲が広いようだ。にらみ合いながら、じりじりと距離をつめたがる悪魔を、ユノは、体を揺らしながら距離を見極めていた。
「グレーターデーモンは、知性があります。人間のように、意思を持ち、言葉を使う。人間より強靭な肉体と、人間より強力な魔力を持つ、強敵です。あれがダンジョン内や、レイドに出現すると人間の勝ち目は一気に薄くなる。あの少女が『勇者』なのでしょう。それでも『聖剣』なしでは、勝つのは難しいかと思います」
「もう、剣はユノに渡してある。なんとなく、僕が抜けって言わないと抜かない気がするんだ」
かつて、雷帝が使っていた愛剣。美しい青銀色で、切れ味の鋭い魔剣だと思っていた。
「『聖剣』は『勇者』のクラスが使わないと、真価を発揮しません。ふたつが揃うのは、本当に奇跡のような確率です。ただの人間が使うと、切れ味の鋭い剣ですが、『勇者』が振るう『聖剣』は、悪魔を滅ぼせる剣です」
ミラーが、静かにつぶやいていた。青い魔方陣に照らされた顔が、冷たい目をしている。どのような表情でも、精巧なつくりの顔は美しいと思った。
「あーっ、いま見惚れましたね? これでも、わたし、真剣なんですよ?」
顔をほころばせた悪魔が言う。
「気のせいだよ、きっと」
「ひとつ、良い事を教えておきます。悪魔は人間の心の動きには敏感なんです。人間のように、他人の顔色で気持ちを読み取るなんて芸当は、まねできませんけどね」
口を動かしながらも、それ以上に手を動かす。
僕は肩を落としてみせた。それだけで、ミラーには伝わるらしい。
『あっ、あんっ。っん』
いきなりのことで、驚いた。上野レイドの様子を見ていたら、女の嬌声がした。耳からでなく、体の中から聞こえてくるような、奇妙な声だった。
『なーんて。聞こえましたね。ほかの人には聞こえない2人だけの秘密の会話方法です。私の声は、あなたにこのように聞こえますが、あなたは思うだけで、わたしと会話できます』
僕の胸の内が、すべて筒抜けということだろうか。それは、困る。
『いえ、聞こうと思ったときだけです。わたしも、常に聞くほど暇ではないので、ご安心を。必要時、最低限のみにします』
ばっさりと、興味がないと言い切られる。
『あと30秒ほどで、現実に意識を戻します。カウントダウンしますので、最後は目を閉じていてください。想定よりも、血の拒絶反応が強くて時間がかかりました』
悪魔の謝罪が聞こえてくる。これでようやく、僕と悪魔の契約のスタートラインに立てる。
レイドの悪魔を倒すこと。それを目的に、僕らは共闘する。
上野レイドの様子を確認しようと思ったときだった。
テレビの画面が、切り替わる。
大きな駅の映像だった。レイドが終わり、賑わいと活気を取り戻した駅内の映像だ。大阪駅のなかで、ひとりの男を映している。
よく知った男だった。東京にくるための金を借してくれた仲間。色んな意味で、恩人だった。
「こちら、大阪・影虎。上野、持ちこたえろ。倒れた奴は、立ち上がれ。全員で力を振り絞れ。勝つぞ、上野。ウィザード、殺戮の女王(キラー・クイーン)、それに、隠者(ハーミット)。お前らなら、勝てる。信じているぞ」
影虎は、テレビに映るのが嫌いな男だった。どうしてもイヤで、レイド中にカメラをつけたドローンを何度もたたき壊していた。もちろん、弁償させられていた。
一緒に戦ったことがある。それだけで、戦友のような絆が生まれている相手だ。自然と、胸に響いた。
また、画面が変わる。
赤い鳥居がいくつもある神社のような敷地内。ストレートの髪が揺れる。紅葉のように、鮮やかで、光が当たると鮮血のようにも見える赤色だった。
「うっ、玉藻」
久しぶりに見たその姿に、声が出る。僕のなかで、姿がトラウマな女だった。
「京都・玉藻です。上野は、イレギュラーな敵と交戦していると聞いています。上野・ウィザードと新宿・幻夜が倒れ、残った冒険者が奮闘しています。近くの冒険者も、みんな駆けつけているような状態です」
テレビに映るときは、普段と真逆の顔をしている玉藻だった。分厚い面の皮のしたで「あんたら全員、弱っちいのよ。情けない」と、声が聞こえてくるようだ。
「いま強敵と対峙している冒険者を、尊敬します。いまが正念場です。いまが、みんな苦しいときです。私を含め、全国にいる冒険者も、全国のひとたちも、上野レイドの勝利を願っています。がんばって、負けないでッ」
玉藻は一度、目を閉じた。
「最後に、私用で申し訳ありません。上野レイドに、大切な友人が参加していると聞きました。LV99隠者(ハーミット)、いるのでしょう。さっさと……こほんっ。いるのならば、助力を」
テレビ越しに挑発的な流し目をする玉藻が映って、画面が上野レイドに変わった。
玉藻のやつ、僕もテレビが嫌いと知っておいて、この発言。明らかに、いつもの嫌がらせだった。
「うふふっ、ずいぶんと信頼されているのですね」
「おかげで、腹をくくったよ。ミラー、頼む」
ゆっくりと目を閉じる。
「行きます。9・8・7・6・5・4・3・2・1」
ミラーが放つ大きな光に飲み込まれて、目の前が明るさを取り戻す。
目を開ける前に、右手の人差し指がわずかに動いたような感触があった。自分の身体の、自分だけの感覚だ。
「いま、いくよ」
僕は、目を開けた。
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