第27話 おじさんとレイドと契約と

 上野公園には、野外ステージがある。

 悪魔を追い、そこまで来てしまった。レイド中に、こんなところまで来るのは初めてだ。静かなステージの建物のなかに、悪魔が逃げ込んだ。

 悪魔と同じルートで壁を飛び越え、階段を昇り、なかへと忍び込んだ。

 照明はなく、暗い。足音を消す歩き方で、背を壁につけてステージの建物内を見回す。

 見つけた。

 人影は、大胆にもステージの上で、背後を向けて立っている。

 無観客のステージ。たったひとり壇上に立つ悪魔のもとへ、僕は飛んだ。

「強襲転移(アサルト)」

 右腕を引いた状態で、悪魔のすぐ傍へと瞬間移動する。空手の正拳突きを放った。

 拳が、途中で止まる。

 悪魔から数センチ離れたところで、オレンジ色の障壁に拒まれた。

 頭への手刀、右の横腹への肘撃ち、前蹴り、後ろ回し蹴り。流れるような4連撃でも、悪魔は一歩も動くことなく、反則的なバリアで防がれた。

 この、悪魔の障壁を攻略する方法が、僕らにはなかった。悪魔の気が許すだけの間、攻撃の時間を持ち、破滅までのカウントダウンを自分で刻む。

 試しに、ユノのように腕を掴もうとしても、つかめなかった。障壁が邪魔で、掴む形にすらならない。

 ユノだけが特別なのかもしれない。勇者のクラスか、悪魔殺しのスキルか、どちらかがないと悪魔に触れることもできないのかもしれない。もっとも、それが戦いを諦める理由にはならない。

 持てる魔法を撃ち、人間で言う急所を執拗に殴打しようとしても、一切の攻撃は通らなかった。それでも、攻撃の手は止めない。障壁にもろい位置があるかもしれない。この悪魔のバリアにも、限界があるかもしれない。

 悪魔に、どこまでも食らいついていたとき、悪魔が、はじめてアクションを起こした。

 悪魔の右手があがる。いやな予感がした。瞬時に、距離を取った。

「神出鬼没(ジャンプ・ドライブ)」

 結局、はじめの位置に戻った。

 息があがり、心臓の音が激しい。3秒だけ回復して、また挑むつもりだった。

 パチ、パチ、パチ。

 ステージ上の悪魔は、観客席の僕へと喝采を送る。

 悪魔の意図は読めないが、なにかしらの意思を感じた。

「ずいぶんな、守りだね。悪魔ってのは、みんなそんなに固いのかい」

 悪魔は、全身を隠すように着ていたローブから、手を出す。

 ぱちん。指を鳴らした。

 黒い霧が溢れる。とっさに、体が構えた。モンスターの召喚風景と、よく似ていた。

 霧は広く立ち込め、この建物を覆った。オレンジ色の光が遮断される。いきなり、真っ暗になった。

 目がつぶされた。レイドのオレンジ色に光るドームのおかげで、ある程度の明るさがあった。野外ステージの建物は、屋根はあるものの、外とつながっている。そこから入る光があったおかげで、目で悪魔を見つけられたが、いきなり暗くされ、何も見えなくなった。

 光源はない。静かに目を閉じて、感覚だけを鋭敏にする。

 ぱちん。また、指が鳴らす音がした。

 ライトがつく。観客席の後ろにある照明室から、大きな強い光が伸びている。ステージの上で悪魔が、スポットライトを浴びていた。

「うふふ。一体、どこからお話しましょうか。ねえ、おじさん?」

 悪魔から、聞き覚えのある声だった。

 その声は最近聞いた覚えがあった。つまり、知っている人間の声だった。

 誰の声か、わかったとき、僕には例えようのない恐怖があふれ出ていた。

 この悪魔は、人間と共生している。僕は、普通の生活を過ごしていた中で、こいつと出会っていた。

 悪魔が、いや、悪魔だと思っていた存在は、全身を覆っていたローブを脱いだ。

 人間の、女の形をしている。見覚えのある顔と姿だった。

「ミラー」

 ちいさく名前をよんだ。

 嬉しそうに、綺麗な顔で笑いかけられる。

 ホーネットの店で働く、メイド。ミラーとよばれる、美人メイド。僕を道案内してくれる優しさや、お客さんに愛想よく接している姿を覚えている。

 ミラーは、煽情的な黒いドレスを着て、ステージの上で、それは上品に笑みを浮かべている。大きく空いた胸元や、女性らしい腰のくびれ、なまめかしく露出された太ももなんかも、思い浮かべる清楚で気品のあったミラーの姿とは異なっていた。

 僕と敵対しているはずの悪魔は、指をならす。

 視界がぶれ、内臓がゆれた。引き寄せの魔法をくらった感覚。強い力でステージ上にひっぱりあげられる。ミラーの前で、僕は前のめりに倒れかけた。

 僕の首に、腕が回る。細く、やわらかい女性の腕。悪魔の抱擁を受けた。

「これは、魅了(チャーム)か」

 頭をふり、唇を噛む。ミラーに目を奪われ、ぼうっとするような頭が晴れた。

「かかっては、くれませんのね。でも、だめですよ。簡単に悪魔に心を許しては」

 わざとらしく、耳元でささやかれる。

 体から力が抜ける。

 それを危険と判断し、大きく腰を落として腕を振り払ってから、地面を転がり距離を取った。

 膝立ちで、ミラーを睨みつける。

 悪魔は、うれしそうに、笑っていた。

「答えろ、いったいっ」

 荒げた言葉を使おうとしたときだった。

「レイド、負けますよ」

 発言に重ねられ、冷たい言葉が喉元に突きつけられる。

「このレイド、このままでは負けますよ。わたしが手を出したのは、関係なく。最後のウェーブで一体、悪魔が出ます。試験的な戦力調査です。それに敗れると、全世界各地のレイドに悪魔が出てきますよ。いいんですか?」

 悪魔の言うことだ。信用には足らないはずなのに、どこか真実味がある。

「下級の悪魔(レッサーデーモン)かい?」

「それは、魔物。我々悪魔は魔人。たとえるなら、魔人は人間で、魔物は、言うことを聞く動物とでもいえば、わかりやすいですか?」

 ミラーは、指を鳴らす。

 姿と形を変えていった。

 黒い髪は、真っ白に変わり、肌の色も、さらに白くなる。赤い目だけが、輝きを増した。

 透明な白い長髪と、真っ白な肌を持つ、人外へと変化した。

「ごめんなさい。人間の姿のまま話してはだめね。想像が、つかなかったでしょう」

 ミラーと同じ表情で、目の前の悪魔は笑う。

「レイドの最後に、上級魔人といわれる、悪魔に近い存在が現れます。『悪魔の壁』を持ってます。ウィザードやあなたが、わたしを相手に歯が立たないバリアのことですよ。レイドの敵が、そのバリアを持って、出てきます」

 表情を曇らせる僕とは逆に、ミラーは子供のように笑った。

「人間、死んじゃいますけど、いいですか?」

 彼女は悪魔だ。子供のような無邪気さで、そんなことを言ってくる。

「手が、ない。悪魔の壁を、壊せない」

「ええ、そうです。ふつうの人間には壊せません。だって、人間は弱いもの」

 この悪魔は、なんて綺麗に笑うんだろう。事実を淡々と告げ、それに苦しむ僕を見て笑う。

「その話をしたってことは、あるんだろう。悪魔の壁を壊せる、なにかが。人間側に」

 悪魔は唇をなめる。目を細め、頬に手を当てながら、言ってくる。

「ありますよ。ほんとうに、ひとつだけ」

 細長い指を一本だけ立てて、悪魔は告げる。

「救いたいですか、人間を。一緒にパーティーを組んでる、少女やその家族を。そのために、あなたが犠牲になるとしても」

「その言い方は卑怯だね」

 ひとつ、息をしてから言った。

「ユノは、僕が守る。そのためなら手段すら選ばない。たとえ、悪魔と手を組むことになっても」

 死ぬ順番は、僕が先だ。かつて、雷帝に守られたように。次は、どんな敵からでも、どんな手段ででも、仲間を守るのは僕の番だ。

「わたしと地獄に落ちることになっても?」

 はじめて、悪魔が人間らしい表情を浮かべた。

「この先のことなんて、知ったことか。いま、目の前に迫る脅威を排除できればいい。たとえ僕ひとりが、みんなの知らないところで地獄に落ちたとしても、みんなが普通の暮らしをできるのなら、それでいい」

 目を閉じる。瞼にかつての雷帝の背中を浮かべた。

「自己犠牲じゃない。たったひとりでも、正義を貫く。そんな生き方に、僕は憧れた」

 悪魔に寄った。敵対でなく、好意をもって。

 この悪魔でも、こんな顔をするのか。年頃の少女のように、顔を緩ませていた。

「ありがとう」

 吐き捨てるように、悪魔が言った。小さなつぶやきだった。

 面を上げて、悪魔は向き直る。

「禁断の悪魔との契約。生きている限り、あなたを満足させて差し上げます。ただし、死後、あなたの大切なものを頂きます。覚悟は、よろしいですか?」

「死んだあとのことなんて、いちいち考えない。構わないよ。ミラーこそ、僕と契約して後悔すればいい。僕は、しぶといんだ」

「ええ。よく、知っています」

 悪魔は右手の親指を噛んだ。滴り落ちる赤い血を、唇に塗りつける。悪魔の紅い唇が、なまめかしく光る。

 自然に、悪魔は、僕の首に腕を回してくる。

 悪魔の瞳が大きく見える。濡れたように輝く、赤い瞳だった。

 そして。

「まず、わたしの血で死んでください」

 逃げようと思っても、遅かった。

 悪魔と口づけを交わした。

 柔らかい唇が当たった。すぐに舌が押し込まれてきて、鉄の味がする。

 ちゅぱっ。水音がして、体温が離れる。

 僕と悪魔の間を、粘性をもった、赤い糸が走った。

 悪魔の肌は熱く、赤くなっていた。

 心音が高鳴る。

 興奮しているわけじゃない。体が内側から熱くなる。

「っぐ、はあっ」

 すぐに息が苦しくなる。気管支が痙攣している。

「わたしが、見ていて差し上げます。血に慣れるまで、お眠りなさい。大事な、わたしの共犯者さん。地獄に落ちるときは、一緒ですよ」

 悪魔の優しい抱擁の中で、僕は目の前が暗くなった。

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