第17話 おじさんと悪魔

 ダンジョンの10Fには、ボスがいる。

 上野ダンジョンの10Fには、ひと際デカイ芋虫が出現する。クイーン・クロウラーと呼ばれるボスは、体当たりが強烈で、のしかかられて死にそうになる初心者がいるぐらい。命に危険は無いぐらいのボスだ。今日は、それに挑む。

 昨日のことだった。

 ユノとクロウラーの巣へ潜った。僕が寝ていると、ユノは耳にイヤホンを付け、草原を駆けまわる。

 風の音、鳥の鳴き声、モンスターの断末魔、ユノの走る音、目を閉じると、そんな音を聞きながら、平和だなあと思っていた。

 ユノが適度な時間になると、起こしてくる。

「おじさーんっ、終わるよー」

 そんな声がかかり、体を揺すられ、僕は起きる。起きたら横に大量の絹糸があり、マジックバックにしまう。ドロップした装備品なんかも、まとめて、ギルドのカウンターへ持ち込む。

 この一連の流れに、僕もユノもすっかり慣れてしまった。

 ギルドのロビーでユノの冒険者カードを見つめる。レベルが25に上がっている。クロウラーの巣に籠る日々を続けたおかげで、レベルはすんなりあがってくれた。ステータスの伸びも悪くない。むしろ、レベルにしては、ステータスが伸びている。

 ユノは、ほかの冒険者と比べると、レベルの上がる速度が早い。しかし、僕の中では逆の思いがあった。なんでユノは、レベルの上がり方が悪いんだろう。

 入手している経験値は多い。ふつうの冒険者なら30レベルは軽く超える経験値を手に入れている。

 ユノは、にこにこと機嫌よくレベルが上がっていることを喜んでいた。

 ユノだけ、経験値テーブルがちがう?

 そんな疑惑を抱えたまま、今日を迎えた。

 僕は、さきほどまで、いつも通りダンジョン内で寝ていた。

 起きると良い時間だったので、ギルドでシャワーを浴びてから、適度にストレッチをする。

 更衣室を出ると、コンビニから出てくるユノを見つけた。

 ペットボトルの水を入れた袋をぶら下げて、歩いてくる。

「おはよ」

 僕が先ほどまで寝ていたのを知っているユノは、昼下がりにそんなあいさつをしてくる。

「おはよう、ユノ。ボスいけそう?」

「うん、ばっちり。やっとボスだよー。倒せるかなあ」

 ユノの新調した装備が届いた。軽装ながら、付与魔法のかかった装備だ。マジックアーマーと呼ばれる、強化魔法がある。それをかけた布は、ナイフの一撃を通さなかったりするため、バリスティック・ベストも顔負けの性能をしていた。

 はしゃぐユノは、かわいらしい。

 女子高生が、こんなにも懐いてくれていると、悪い気はしなかった。

 かといって、僕はもういい年なので、深入りする関係にはならないが。

 無意識に若さをひがんでしまうの、よくないねえ。

「おじさん、新しい装備どう?」

 黒色で統一した、新しい装備を見せてくる。丈の長いコートが、僕っぽい。グローブやブーツまで、黒色のものを購入していた。

「大人っぽいね。なにより、振る舞いが冒険者として一人前だよ。どこのダンジョンでも行けちゃいそう」

 下手をすると、ホーネットより大人びている。口にしかけて、やめておく。本人の前で言おう。

「ふふーっ、おじさんのおかげだよー」

 そう、胸を張るユノ。

 僕たちは連れ立って、ダンジョンへと潜った。

 8Fからスタートして10Fへ。

 クロウラーを、道中で見つけると倒しながら進む。ユノは、最小限の動きで首を落としていた。ボスの前のウォーミングアップにもならない。

 ダンジョンの10Fへ降りると、細長く、暗い通路のさきに扉がある。ダンジョンの入り口のゲートよりは小さく、8Fの狩場へ続く扉よりは、大きな扉だ。

 ボスフロアの薄暗い通路を歩くと、ビリビリと緊張する。消えない炎の燭台が、炎にゆられ、影を不気味に動かしていた。

 ボスがいる空間へと続く扉を見上げながら、ユノが息をのむのがわかった。

 細く華奢な肩に、手を乗せる。

「大丈夫。ユノは強い。僕もいる。勝てるよ」

「よーっし。ありがと、おじさん。行くよ」

 ユノが意気込んで、扉に触れる。

 ダンジョンは挑戦者を歓迎する。扉が内に向きに開いた。

 ユノが暗闇に飛び込み、僕はそれについていった。

「えっ?」

 声をあげたのは僕だった。

 ありえない。

 ダンジョンのボスフロア。広い空間に、特別大きな芋虫がいて、戦うはずだった。

 モンスターは、いない。

 ただし、異変が起こっている。

 赤い空間。夕日に照らされているように、赤みの強い色に空間が塗りつぶされている。

 黄昏どきの風景。

 全身の血液が熱く滾る。

 目の前の現象に、過去がフラッシュバックする。忌々しい過去が、思い起こされる。

「やっと、か。ユノ、下がりなさい」

 ユノをかばうように、僕はユノの一歩前に出る。

加速ヘイスト身体強化エンハンス重力強化G・アンプ重力障壁G・ウォール反重力鎧G・アーマー対魔障壁マジック・バリア超人強化スーパーアーマー

 ユノと僕へと強化魔法を2回繰り返す。

 両手に、重さをまとう。

付与重力G・オーラ

 強化された両手が、濃い黒色の魔力を帯びる。この手は重く、拳で殴れば、トラックを破壊する威力になっている。

 全身が凶器になり、精神も極限まで研ぎ澄ます。

「おじさん? いったい、どうしたの」

「マズい敵とエンカウントした可能性があるんだ」

 左手を目の位置、右手を腰に構えた臨戦態勢で、周りを見回す。赤みを帯びた世界では、視界が正常に機能しているかどうか、わからない。

 なにがあっても対応できるように、構えていた。

「また、笑い声がした。女の人の、笑い声」

 ユノが頭をふるような動作をしている。僕には、そんな声は聞こえなかった。

 遠くに人影が動いた。

 いつから立っていたかは、わからない。

 立っている人のような姿が、見える。

 頭からすっぽりローブをかぶった、人間大のシルエットがいた。

「おーいっ、一応聞いておくけどさあー」

 大きな声で、僕は呼びかけた。

「悪魔で、間違いないよね?」

 それだけ聞くと、目の前の等身大のモンスターは、あざけるような態度をとる。

 悪魔は、大きく右手をあげた。

「友好的な握手でも、したいところなのにねえ」

 遠くで右手が振り下ろされる。

 それと同時に、フロアが黒い闇に覆われた。

 目に見える範囲が、黒く染まる。闇が形をつくり、モンスターになる。

 黒い大きな狼のモンスター。二足歩行の巨漢で、角と翼の生えたヤギのようなモンスター。それに加えて、魔法使いのローブを着た骸骨のようなモンスターもいる。

 シャドウウルフに、下級の獣型デーモン、上級の死霊使いレイスか。どこのダンジョンでも、なかなかお目にかかれないような、豪華なモンスターたち。

 見たところ、ダンジョンで観測できるモンスターのレベル至上、最高レベルの個体たちだ。ここまでのレベルは、そうそういない。

 ここが、この世の地獄か。

 火ぶたを切る前に、ユノに言わなくちゃ。

「ごめん、ユノ。先に帰ったほうがいいかもしれない」

「そうだね。うん。ここで戦いたいっていえるほど、私は強くない。力が無いって、悔しいね。すこし強くなったと思ったら、すぐ、これだもん」

 ユノは判断と聞き分けの良い子だった。

「おじさん、絶対帰ってきて。だめだよ。おじさんと私は、パーティーを組んでる仲間なんだから。絶対に、帰ってこないとだめなの」

「わかったよ」

 そう言うとユノは帰還の魔法具を使用した。

 名残惜しそうに、この場面を見つめ、帰還する。

「うそっ、帰還リターンっ、帰還リターンッ」

 何度唱えても、帰れない。

 悪魔から逃走はかなわなかった。

 目の前の強敵たちで、一度。

 逃げられない空間で、二度。

 何度、僕らの心を折ろうとしてくるのだろう。

 ユノを守りながら、この強敵たちを相手にして生き残れる自信は、無かった。生き残れる可能性としても、数パーセント以下しかない。

 悪魔討伐は僕の悲願であり、目的であった。それに付き合わせる同行者は不要と思い、ソロを貫いた。今回、ユノがいるのは僕の甘さだ。

 焦るユノに、僕は言った。

「ユノ、一緒に生き残ろう。僕を信じてくれる?」

 どんなときでも諦めない光を、知っていた。

 そいつからもらった勇気を、いま、ここで使う。

 血が沸きあがり、肉が一片でも残っていれば、最後まで敵に抗って見せる。

 決意を胸に放り込み、戦い続ける原動力を大炎にして燃えあげた。

「信じる。おじさん、私も、戦うよ。ごめんね、おじさん。私、不幸を呼び寄せるのかも」

 悲しそうにユノはいう。ダンジョンで不測の事態によく陥る子だった。

「ユノ、ダンジョンは楽しい?」

「へっ? う、うん。楽しいよ。すっごく、たのしい」

 そう思う人がいる限り、冒険者は増える。

「おじさんがね、死んでも、守ってあげる」

 ユノも、剣を構える。

 悪魔は手を伸ばし、魔物の大群が僕たちに襲いかかる。

 僕とユノは、たったふたりで、誰も経験したことがないレベルのモンスターの大群と、戦闘を開始した。


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