第16話 おじさん、メイド喫茶にいく

 上野から、歩いて20分ほどした場所に、秋葉原がある。

 電光掲示板や、ドローンが映すホログラム映像から、キャラクターが僕らに話しかけ、PRしてくる。すこし歩いているだけで、お店からアニメのオープニングソングが聞こえてきたり、街中を走る静かな自動車たちが、大きな音で推しの曲を垂れ流す。その車の後ろでは、アニメの映像を荷台のサイドパネルで放映している宣伝トラックが、走っていたり、騒がしさには困らない。

 秋葉原、いつぶりだろうか。

 いつ来ても、この場所からサブカルチャーが消えることはない。すべてを受け入れられる街並みだった。

 そんな街にうまくなじめず、道に迷う、おじさんがひとり。もちろん、僕だ。

 ダンジョン内は変わらないのに、現実の街並みは変わりすぎる。

 ウィザードから場所を聞いて、知り合いの冒険者が経営しているメイド喫茶を探していた。秋葉原の目印になる高層ビルのちかく、メインストリートから一本裏へ行ったところ。ビルの2階にあって、建物の前に看板が立っているらしい。

「うーん」

 雑居ビルに囲まれたコンクリートダンジョンで、ぽつんとひとり、道に迷う。

「ここら、なんだけどなあ」

 僕のつぶやきは、そっと流れる。吐き捨てるように「わかんないなあ」と言ったところだった。

「あのーっ、お困りですか?」

 拾う神、いや、女神だ。

 艶やかに光る、黒曜石のような美しい黒髪を耳にかけるしぐさをしながら、僕に声をかける女の子がいてくれた。

 声を掛けられ、胸をなでおろすより先に息がつまった。

 赤い瞳に射抜かれる。

 端正な顔立ち、印象的な赤い瞳、雪のような透明感のある肌色。息も忘れる3秒で、顔をまじまじと見てしまっていた。

 僕が魅入っていたことを、彼女は気付いている。まったく、気にしない様子で、柔らかい笑顔をつくって場を和ませる。

 魔性。

 女性にしては高い身長、溢れる存在感、流れる優し気な空気、魅力的な雰囲気を、僕は魔性と捉えた。

 女は、なだめるように、右手で左手首を撫でていた。

「えっと、道に迷って」

 僕は、ウィザードが書いてくれた店名の書いてあるメモをポケットから取り出す。かろうじて指で挟んでいたそれを、掴み損ねて落とした。ひらひらと舞い落ちてしまう。紙切れを、目の前の女性は大事そうに拾い上げる。

「あら。こちらのお店に行かれるのですか?」

 一度、目を開いてから、メモに落としていた視線を僕に結び、その子は言った。よく通る声。静かで理知的な話し方だった。

 僕は、うなずく。

「お兄さん、こっちです。いまの時間だと、看板がないんです。たしかに、わかりにくいかもしれませんね?」

 彼女は、モノトーンカラーのシャツワンピースを揺らし、しなやかな長い脚で歩き始める。グレンチェックのウェストベルトが腰のラインをつくり、その付近を黒髪が優美に揺れていた。

 上品で、清楚な美女。姿勢もよく、育ちもよさげで真面目そう。僕とは、一生関りの無さそうな女性だった。

 そんな美女が、道案内のため、ふり返り、僕を見て優し気な目を配る。

 困ったときの、ヒゲを触るクセがでた。僕よ、困っているのか。仕方ない。とりあえず、ついていこう。

 そう言って僕は、美女の尻を追った。

 すぐ近くのビルへと入っていく。古いビルだ。1Fがエレベーターになっていた。入っているテナントを確認すると、ようやく探していた店が見つかる。「グレイス・ハーツ」この店を探していた。

「あれ、そういえば、お兄さん。はじめましてですよね。お客さんですか?」

「は、はじめまして。ピンクで口の悪いロリいる? 友達なんだ」

「うふふ、店長ですね。わかりました」

 女の子は、そう言うと、いっしょにエレベーターに乗る。すぐに2Fへ着いた。

 エレベーターを降りると、べつの世界のよう。

 白と淡いピンクのファンシーな空間が広がっている。白いテーブルに、丸椅子が並ぶカウンター。ふかふかのクッションの置かれたソファーテーブル席。二人掛けの席は、白いテーブルに、高そうな椅子が置いてある。

 乙女チックで、居心地のよさそうなメイド喫茶だった。これ、ほんとうにメイド喫茶なのか? 僕の思い描いていたイメージとは違った。

「相変わらず、はえーな。こっちだーっ」

 店の奥から声がする。甲高く、芯の通った声。怒られ慣れた声だった。

「よお、ホーネット。元気かい?」

 客のいない店内で、ずかずかとカウンター席を超え、奥のキッチンフロアへ行く。お互いに、細かいことは気にしない性格だ。

「はっ?」

「ああ~っ」

 僕の情けない声が響く。

 久しぶりの再会に、積もる話をしにきた。つもりだった。

 全然変わらないホーネットの姿を見て、喜ぶどころか背筋が凍る。

 白い。ひたすら、白い。白い下着に、白いガーターベルトが見える。ホワイトのハイソックスから、上へと視線を上げると、見慣れた女の顔。恥ずかしがれば、かわいいのに。

 相変わらず、胸は小さいくせに度胸が据わっている。

「おい」

 かわいい女の、おそろしいほど低い声が響いた。

「悪気はないんだ」

「そう言いながらガン見してんじゃねーよ。金取るぞ」

「はは、むしられるほど、金なんてないよ」

 下着を見られても気にしない。目の前の、ピンクの髪をツインテールにして巻いている女性がホーネット。冒険者のチーム【エンタープライズ】で殺戮の女王キラー・クイーンの名を取った、元冒険者だった。

「適当に座ってろ。まだ、オープン一時間前だ」

 ホーネットが軽くあしらい、畳んであるメイド服を手にしていた。

「はいよ」

「ふんっ」

 僕は厨房を出て、誰もいない店内でソファーに座っていた。

隠者ハーミット、待たせたな」

 メイド服を着たピンクツインテールのロリが、どかっと前のソファーに座って、足を組む。そんな姿でさえ、人形、それも精巧なアンティークドールのようだと思う。その口さえ動かなければ。

「懐かしい名前だなあ。いま、それ言うの少ないよ」

「冒険者が、お前を知らなさすぎるんだよ。相変わらず、ホームを持たないソロでの潜りを繰り返してるって聞いてるぜ。隠者ハーミット、影虎、銀狼フェンリルの3人だけ、ギルドの安全確認装置セーフティが外れてるらしいな。どいつもエンプラじゃねーか。勘弁してくれよ」

 嫌がるわりに、ホーネットは楽しそうに笑って言う。男勝りな口調は、表情と合っていた。

「それで、悪魔は見つかったのかよ?」

 ホーネットは、横顔を向けながら、僕の顔を見上げて言った。

「いんや。残念ながら一度もエンカウントしてないよ」

「京都には、行かないのか」

「まだ、近づく気にはなれないね」

「そうか。悪かったな、来てくれたのにこんなことばっか聞いて。最後に一つ聞かせてくれよ」

 わざとらしい顔を浮かべて、こいつは言った。

「パーティー組んだ女子高生とは、どうなのよ? 可愛いらしいじゃねーか。今度連れて来い。うちでバイトさせろよ」

「ほんとう、耳がはやいよねえ。やだよ、ユノにバイト勧めるにしてもメイド喫茶って」

「コンカフェやってりゃ、色んな話が聞こえるんだよ。アタシがいるから、冒険者もよく来るし。あとな、隠者ハーミット、コンカフェはバイト代高いぞ。それに、かわいい子のメイド服って、よくねーか?」

 ホーネットの趣味が全開だった。この少女ロリ、この見た目で20代半ばの年齢詐称。中身は僕のようなおじさん寄りなのに、ギャップが激しい。

「ホーネットのメイド服は可愛いと思う。ただ、それ意外はわからないね。僕は、メイドカフェなんて場所、はじめてだから」

 可愛いという言葉に、口の端を上げて「くひひ」と笑いあげる。

「もっと言えー? ただな、ほら見てみ。あいつのほうが似合うんだ。ミラー」

「はぁーい」

 ミラーとよばれて、返事をしたのは先ほど僕を案内してくれた女の子だった。今では、この店のコンセプトに染まりメイド服を着ている。ふわふわで、ヒラヒラしたスカートが広がるメイド服。胸元にリボン、腰にはふりふりのミニエプロンを付けた、黒いメイド服だった。

 頭につけた白いフリルのカチューシャを傾け、スカートのすそを広げながら一歩引いて、足をクロスさせてみせる。長い足をはじめとして、自分の見せ方をよく知っているようだ。

「はじめまして、ご主人さま。メイドのミラーです。それで、店長さんとは、どんな関係なんですかあ?」

 優雅に挨拶をし、首の黒いチョーカーに指を添え、赤い舌を出しながら、イタズラっ子のように聞いてくる。

「バーカ。そんなんじゃねーよ。あいつ、顔採用したんだ。すげー働いてくれるし、美人だし、おっぱい大きいし、かわいくね?」

「いや、ホーネット、それ僕が言うならわかるよ。君が言うの? よく言った。その通りだ。しかも、いい子よ。僕が迷ってて、連れて来てくれたんだよ」

 ホーネットが「だろ?」と笑っていた。横から、ミラーが声をかける。

「あら、仲がよろしいのね。店長がそんな乙女な顔で笑うの、はじめて見ましたわ」

「仲間なんだよ、こいつ」

 ホーネットが僕を指さす。それで、すべてを説明できる関係だった。

「エンタープライズの?」

 黒髪メイドのミラーは、赤い目を光らせて聞いた。

「そいつが何と言おうと、そいつはエンプラだ。3年ぐらい一緒に潜ってた」

 僕はヒゲを触っていた。それを見たホーネットが目を細めて笑う。

隠者ハーミット、なにか食うか? 喫茶店だから、適当に出せるぞ」

「そうだねえ。いま、相方がダンジョン潜ってるところだからなあ」

「ひでーやつ。8Fあたりに置いてきたか。お前がいると、上がりすぎるからな。待ってろ、茶ぐらいだしてやるよ」

 ソファから、飛ぶように立ち上がり、スカートを整えてホーネットはキッチンへ下がる。

「LV99隠者ハーミット

「はいっ」

 ソファーの横で、棒立ちしているミラーが言った。ギルドは冒険者の情報を一部公開している。スキルやステータスまで公開はしていないが、レベルとクラスと称号ぐらいはわかる。僕は名前を公開していなかったので「LV:99」「称号:隠者ハーミット」「クラス:魔法使い」の情報だけ公開されていた。

 それを見て僕だとわかるのは、僕を知っているごく少数の冒険者しかいないはずだった。

 この子、なんだか、ぐいぐい来る。

 黒髪美女メイドは、僕の座っているソファーに片足を乗せ、手をソファーについて、僕の下から覗き込むように僕を見てくる。まじまじと見られて、恥ずかしい。

「あの、隠者ハーミットさん」

「はいっ?」

「握手しても、いいですか?」

 美しい彼女は、乙女のように、頬を赤らめ懇願する。

 断れるはずがなかった。

 僕が手を差し出すと、冷たい手が触れる。冷えた手が暖を取るように、両手で僕の手を覆った。大事そうに、うれしそうに手を握られる。

 ダンジョンでモンスターとしか触れ合わない僕は、どきまぎした。体に妙に力が入っている。

「きゃあっ。すごい。わぁ、腕も筋肉がすごい。服の上からでは、全然わかりませんでしたわ。うふ、ふふっ、格好いい」

 握手という名目で、いつの間にか体中まさぐられている。

 気が付くと、僕を押し倒すようにして、胸を触られていた。

 どうしていいかわからず、僕は硬直する。

 やめろと言おうとしても、前屈みになっている彼女の胸元が開いており、大きな谷間が見えるせいで、前を向けなかった。

「おまえら、盛るなら今日閉店にするぞ?」

 呆れたような、ホーネットの声がかかる。

 となりのメイドは、はっとしたように体をすくませ、僕を見つめる。

 鼻のしたを伸ばした僕と目が合った。

「すみません、すみません」

 姿勢を正し、何度も腰を折られる。

「いや、大丈夫。イヤじゃなかった」

「ミラーに寄られて嬉しくない男いんのか?」

「いないでしょう」

 顔を赤くして後ろを向くメイドに、誉め言葉を投げた。

 ホーネットの淹れてくれた紅茶を台無しにするように、砂糖をたくさん入れる。紅茶の入ったカップが空になっても、僕たちの間で話題が尽きることはなかった。すぐに17時になり、店がオープンする。オープンから、まばらにお客さんが入ってきて、忙しそうになったので店を出ようとする。

 グレイス・ハーツがオープンする少し前、SNSでオープンすることを伝える投稿をした途端、コメントがいっぱい来たらしく、ミラーさんが店のタブレットに付きっ切りになっていた。いまでは店内のお客さん全員に愛想を振りまき、会話に華を咲かせている。ご主人さま方は、あの手この手で客はミラーさんの手を引こうとする。ミラーさんは、さらりと流して、また、となりのご主人様のところへ行く。なんだか忙しそうだと思う。

 長居は悪いと、席を立ちあがる。いったん厨房に下がっていたホーネットが表に顔を出した。

「わるいね。今度はゆっくり来るよ」

「金持ってこい、金。次からでいいぜ」

 ちっこい少女は、悪い顔でそう言う。

「だいぶ繁盛しているみたいだね」

「ミラーだよ。あいつがいると、あいつ目当てのご主人さまが、わんさかやって来る。チェキは苦手だから、NGなのが惜しいぜ。歌もうまいし、ダンスもできる。うちのアイドル、やらねーぞ? あいつ、冒険者オタクだから、冒険者が来ると喜ぶんだ。プロマイドとか集めてるらしーぜ」

「ええ、いつの間に冒険者って、そんな有名なってんのさ?」

「お前が、ダンジョンに潜り続ける間にだよ。お前、田舎者みたいだぞ」

 ホーネットが意地悪く、そう言う。

「ダンジョン育ちの異世界人なもので」

 僕がそう言うと、ホーネットが軽快に笑う。

「あのっ、隠者《ハーミット》さん、また来てくださいね。私、もっと話を聞かせてほしいです」

 エレベーターに乗り込もうとすると、ミラーが見送りの声をかけてくる。僕は手をあげて答えた。

「冒険者ネーム、何で活動されてるんですか?」

「おじさん」

「ッげえ、マジでリネームしたのかよ?」

 ホーネットが心底嫌そうな顔をしている。ミラーは、覚えるためか僕の名前を何度か口にだしていた。

「うふふっ、おじさん。また会いましょう。いってらっしゃいませ」

 慇懃に頭を下げる美少女メイドと、手をあげるロリメイド。

 僕は軽く手をあげて、エレベーターの扉をしめた。

 ミラーと目が合う。赤い瞳が輝くように、僕を見つめ、口元を緩ませていた。

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