第10話 おじさんとユノの初討伐
異世界へと踏み入れる。
現世から、門を通って、未知の世界へ。
ダンジョンに降り立つと、空気が変わる。
ダンジョン外の空気が温かいなら、ダンジョン内の空気は冷たい。
冷たい空気を三度吸う。耳につけている、無数の傷のついた飛翔の耳飾り《フェザーベール》を触りながら、一度目を閉じた。
刹那の瞑想。
自分がダンジョンに潜るための、誓いを胸に刻む。
目を開ける。
ユノちゃんが、ふしぎそうな顔で、僕の顔を覗き込んでいた。場所がダンジョンでなければ、可愛らしいと口にしていた。
見慣れたダンジョンの回廊。石畳の道は足元が良い。足音も響くので、数あるダンジョンのなかでも好みだった。
「行こうか」
「はいっ。どこまで行きます?」
「かしこまらなくて、いいよ。リラックスして行こう。僕はサポーターだから、ユノちゃんが決めていいよ。同級生のように接してって言うと、僕がおっさんだからムリかもしれない。でも、同級生に話すような口ぶりで話してもいいよ。おじさん、気にしないし」
いっしょにダンジョンに潜るのは、はじめてだ。固くなっているユノちゃんの緊張を解くために、ゆっくり歩いてダンジョンを進んでいこう。
僕自身、どうにも目の離せないユノちゃんにパーティーを持ちかけたが、その後のことは考えていなかった。
「ちゃん、取って」
「えっ?」
「おじさん、わたしのこと、ちゃん付けするもん」
不満そうに、そう言われる。
たしかに。
とくに意識してないのに、ちゃん付けしてしまっている。
向こうはJK、僕おじさん。
仕方がない気がする。
「わかったよ、ユノ。ウィザードとですら、若者と接している気がしたのに、ユノがまだ若いからね。僕のほうが緊張していたみたい」
「うん。それで、おじさんは、どこまで行けるとおもう?」
したり顔、強気な目、ユノは、いちいち表情がさまになる。
あなたのほうが、ダンジョン詳しいでしょ? 挑戦的な目は、そう告げている。
「どこまででも、お供します」
柳に風。
力を抜いて、ひらりとかわす。
「わかった。ついて来てね」
本心から楽しそうに、笑顔でそう言ってくる。
僕に向けられていた目を流して、ダンジョンへ向き合う。歩みは迷いなく、踏み出された。足取りは強く、迷いなんて感じられない。
強いな。
一歩踏みしめるごとに、ダンジョンを踏破してやろうという気が見えた。
上級者が初心者を率いてレベルを上げるような行為、パワーレベリングをする気は、なかった。危ない場面があれば、手助けや言葉をかけるぐらい。それ以上は、やりすぎだ。
今は、すこしだけ、支援魔法をかけてもいいかなと思える。レベルが低いうちの支援魔法は強力で、恩恵が大きすぎる。だからこそ、多少慎重になっていた。
剣を振るう姿を見てからにしよう。
「走って良い?」
ユノが後ろを向いて、白い歯を見せながら言ってくる。
思わず、笑う。この子は、まったく迷宮に怖気づいてない。
ユノは走り出した。
走ることに慣れたフォームだった。軽快に、地面を蹴りつけ、体は左右にぶれない。左手は腰に下げた剣に添えて、規則正しいリズムで、ポニーテールが左右にゆれる。
「通るよお」
ユノが冒険者たちの横を通ろうとするので、前に声をかける。足音が響いてるので、前の人たちも気づいているけれど、周りに対しての配慮だった。
3人組の冒険者たち。男性3人は、全員ユノの姿を目で追っていた。横を向いた頭が3つ、綺麗に同じ速度で前を向く。僕が横を通るころには「可愛くね?」と声があがっていた。そんな言葉も、ユノは気にしない。
驚いた。一度入っただけなのに、ユノはダンジョンの構造を覚えてる。ダンジョンが交差する分岐点で足を止め、頭を振って確認し、また走り出す。確実に次のフロアに近づいている。
迷宮の入り口では、モンスターとエンカウトすることが少ない。
接敵もなく、迷うこともなく次の階層へと続く階段にたどり着いた。
この結果に驚いていたのは、僕だ。
この様子なら、2階を飛ばしてしまっても良い。
「ユノ、ショートカットしよっか」
「そんなの、あるの?」
「あるよ」
目を点にするユノに、僕は言った。
ダンジョンの3階、適当な場所。フロアの端っこ、モンスターが残っていそうな場所を思い浮かべる。片方の目を手でふさぎ、遠見の魔法で、だれもいないことを確認する。
「ひみつの抜け
小さな黒いゲート。黒い霧が立ち込め、その場にとどまり、形が浮かぶ。ダンジョンに入るゲートに似ている、扉を開いた。
「おさき、失礼」
僕はユノに手をふって、抜け道をくぐる。
少しの浮遊感のあと、地面に着地する。しゃがんだまま、即座に周りを見渡す。遠見で確認したうえで、安全確認を行った。
「きゃっ」
「うおっと、グエッ」
いきなり暗くなって、上から押しつぶされた。気を抜いた途端だったので、クロウラーが上から降って来たかと思ったが、どうやら違う。柔らかいし、重くない。クロウラーはもっと、どっしりしている。
それでも僕は、バランスを崩してあおむけに倒れる。
僕の上にユノが座っていた。腹の下に、やけに生々しいあたたかさと、柔らかな感触がある。僕の上で、ユノが尻もちをつくような形になる。
「いててっ。わあっ、おじさん、ごめんっ」
「だいじょうぶ。言い忘れてた。まさか飛び込んでくるなんて」
「だって、置いていかれるかと思って」
ユノがなかなか退いてくれない。僕の上に座ったまま、僕をたたいてくる。
「ところでユノ、どいてくんない?」
「はぁーい」
僕の上で僕を見下ろしている女子高生が、絵にかいたような笑みを浮かべる。つくった笑顔だっていうのが、すぐにわかるような、きれいな笑顔だった。
「おじさん、いまの何?」
言うまで、どいてやらない。吐け。
鋭い目が、そう言っている。
「ワープの魔法」
目を合わせられない僕は、壁の模様を見ながらそう言った。ダンジョンの白い石には、流れるような黒い線の模様が入っている。
「ふーん。みんな使える?」
「きっと、だれでも使えると思うよ」
ユノの眉毛と目の端が吊り上がる。握られた拳が、僕の腹へと振り下ろされた。
「っぐ、うそ、うそ。僕だけ、たぶん、いまのところ、おじさんだけ」
腹にグーパンを食らう。痛くはない。なんだか、嘘を咎められて心が痛い。
ユノの蒼い瞳が、うそを見抜くように輝いている。まるで、心を見透かされているようだ。
やっと退いてくれたユノが、立ち上がり、僕に手を差し伸べる。
「おじさん、やっぱり、すごい人なんだね」
「いや、それはぜんぜん」
謙遜も見抜かれるよう。ふしぎな感覚だった。
やわらかい手に触れて、その手よりも、体を持ち上げるための腕に力を込めながら、立ち上がる。
ふいに、音が響く。
シューッ。
立ち込める湯気が形をつくっていくような、ふしぎな光景。光が集まり、形になる。
白い大きな体のイモ虫。クロウラー。
目立った攻撃も、体当たりや噛みつかれるぐらい。つよい攻撃をもっていないモンスターなので、僕は警戒をしていなかった。
モンスターを指さしながら、ユノに向く。ほら、出たよ。そう言おうとして、言葉を飲み込んだ。
目だ。
この、瞳。
横顔に見る空のような瞳が、青い輝きを放つ。きらきらとした華やかさと、鉄の光のような鋭さを合わせたような輝き。
左足を引いて、ぐっと体を沈める姿は、獰猛な肉食獣の狩りのように、本能的。
スプリント。全身がバネで出来ているかのような瞬発力。距離を詰めて、抜刀し、勢いをのせたまま回転する。回転時にブレない体の軸は、体が止まって見えるかのよう。繰り出される旋風のような剣閃が通り過ぎる。
横なぎの一撃。勢い任せの剣は、モンスターの胴体を分かつ。
芋虫は、まっぷたつになり、勢いよく壁に叩きつけられ、ぐちゃりと嫌悪感の激しい音を立てて、消えていく。
剣を振り切り、握った腕を右背面に伸ばしているユノ。
壁に消えていくモンスターの残滓を見て、ふっと結んだ口元の緊張を緩めた。
ユノの後ろであっけのとられている僕を振り返り、女子高生が大きく口をあけた。
「あはっ」
少女の、心からよろこびを表現する、あどけない純真の笑み。
ひとつの命を奪い、命の喜びを表現する恍惚。
病める僕の心は、それを美しいと感じて、ふるえていた。
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