第9話 おじさんとユノの初ダンジョン
ギルドの隣には、小さめのコンビニが併設されている。
ダンジョンに潜る前の、準備ができる場所。とはいっても、パンやおにぎりとか、ペットボトルの水とか、冒険者がコンビニで買い求めるものなんて、ふつうの人と変わりは無かった。
チョコレートバーを二本、ペットボトルの水を一本、ドライフルーツとカップのコーヒーを二杯購入する。冒険者カードの電子マネーを使って決済し、手首に袋を吊り下げて、コーヒーを両手に持つ。珍しくない、店員の居ないタイプの24時間営業のコンビニで、手軽に買い物を終えた。
砂糖のスティックを数本、小指と中指の間に挟む。ゆっくりと歩いて、ギルドの受付を横切り、ロビーに戻った。
ウィザードが、椅子に深く座って、ひじ掛けに肘を立てて、額を押さえている。顔には疲労が浮かんでいた。
「いやあ、悪かったね。飛ばし過ぎた」
「いえ、自分が未熟でした。少し名前が売れたからといって、調子に乗っていたかもしれません。エンプラで一番弱かったのが誰だったか思い出しました。今日から称号を外します。ただのウィザードです。魔法の使えない魔法使いなんて、スパイスの入れ忘れたカレーですよ。ああ、魔力不足なんて、いつぶりだろう」
落ち込んだウィザードが、ぶつぶつとつぶやく。
「いやいや、超人揃いのエンタープライズで、しっかり魔法使いやってたよ。魔法の精度は高いし、高速詠唱のスキルで、詠唱時間がいらないのは強いよ。炎の火力は高いし、雷の反応は速いし、前衛の要らないぐらい、立派な魔法使いだよ」
「エンプラ時代も、よく影虎さんに担がれながらダンジョンに潜っていました。少し、なつかしいです。最も、あの頃は魔力不足に加えて、レベル酔いのダブルパンチでしたけど」
ウィザードが、ホットコーヒーを両手に持ち、ぐったりしながらも笑っている。酷使されても笑えるウィザードは、なんだか不憫だが、裏で忠犬と呼ばれた性格は変わっていないなと安心する。
つい、昔話に花を咲かせる。最強と称される冒険者チーム、エンタープライズの雷帝と親交のあった僕は、エンタープライズのみんなとも、それなりに関りがあった。大阪ダンジョンの絶対的エース影虎なんかも、元はエンタープライズの冒険者だ。おかげで各地に、お金を借りられるような、知り合いがいる。
「おじさん」
女の子の声がした。
高校の制服を着た女子高生。膝より上の黒いスカート、純白のブラウスの上に、白いカーディガンを着ている。胸元には青いリボンが飾られていた。
「学校、お疲れさま。疲れてない?」
学校帰りに、走って来たらしいユノちゃんは、楽しみを隠せないようで、目が輝いていた。
「うん。ぜんぜん、平気だよ。ウィザードさんは、なんだか」
少女の純粋な瞳が、ウィザードを見つめる。
ウィザードは、なんでもないように気丈に振舞った。
「平気とは言い難いですが、まだ大丈夫です。ユノさんは、今からダンジョンですよね。がんばってください」
面倒見が良いウィザードは、上野の冒険者の顔と名前を一致させ、気さくに話かける。
初心者が多い上野ダンジョンでは、かけがえのない存在だった。
「ユノちゃん、ダンジョンに行ける準備が出来たら、声をかけて。着替えておいで。ゆっくりでいいよ」
「うん。ふたりは、ダンジョン帰り?」
僕はコーヒーを口にくわえながら、頷いた。
「ぜんぜん、疲れてなさそうだね」
「ウィザードに楽をさせてもらったからね」
「ウィザードさん、かわいそう」
「いえ、案外こういうの嫌いではないです」
ウィザードがそういうと、ユノちゃんは「ふーん」と言ってから。
「なんでだろ。ちょっとマゾっぽいかも」
そう言って、ユノちゃんは着替えに行く。
となりでは、体力も精神力も尽きたウィザードが、屍のような表情を浮かべていた。それを見た僕の、コーヒーを持つ手が震えて、カップのなかの液体が、たのしそうに踊り跳ねていた。
ドライフルーツの袋をあけて、中身を握って口の中に投げこむ。悪魔のように熱いコーヒーを、一気に飲み干した。
「ゆっくりでいいのに」
そう言いながら歩いてくるユノちゃんの恰好は、ラフながら、健康美にあふれていた。
動きやすそうなジーンズを履いて、髪を後ろでひとくくりにしている。ぴったりとした黒いTシャツが、女性らしいウェストとバストの曲線を見せていた。
桜色の唇は、柔らかそうに笑みを浮かべた。あどけない笑顔で、楽しみを表現していた。
「これ、なんだ?」
ポケットから取り出して、ユノちゃんに見せる。前、ダンジョンで拾ったドロップアイテム。モンスターを倒した戦利品だが、ユノちゃんたちが拾いそこなっていた。
「あっ、イモムシ倒したら、出てきたやつ。糸?」
「そう、絹糸。実は結構高いんだ。2000円ぐらい?」
「上野紡績工場って言われる所以ですね。いまギルドでは、もう少し良い値がつくかもしれません」
上野ダンジョンの金策といえば、虫狩りの絹糸集め。良質なシルクになり、軽く柔らかいのにシワになりにくい。素材として、デザイナーに人気で、一時的に価格が上がることもしばしば。
「これ、売りに行こうか。はい、ユノちゃんのだよ」
渡すと、両手に絹糸の束を持ってユノちゃんが固まる。
高校生ぐらいだと、バイトもできないし、自分でお金を稼ぐのは初めてかもしれない。
「こういうの、はじめてで。うれしいな」
ユノちゃんとギルドの買い取り窓口で手続きをする。ギルドの査定なんか一瞬で、持ち込んだ物を専用の台に載せると、何がいくつ持ち込まれたか判定される。すぐに買い取りの品の名前と個数、値段を書いた用紙が出てくるので、サインすれば終わり。
冒険者カードを提示すれば、お金が振り込まれる。
金額に納得すれば、すぐに買い取ってくれるし、買い取り金額もすべてネットに表示されている。
便利な世の中になったと思う。ダンジョンが、この世に現れたことで採ることができた金属や物質のおかげらしい。そう言った意味でもダンジョンは、宝の山と言われる。実際にダンジョンで儲かってるのは、武器や武具をつくる会社とかで、冒険者はそんなに儲からないが。
ユノちゃんは、お金の入った冒険者カードを大事そうに受け取って、携帯電話のケースに差し込んだ。
歩きながら、ダンジョンの前に移動する。
ダンジョンの扉の前で、緊張するユノちゃんを見て、聞いた。
「準備は、いいかい?」
となりに立つ仲間に、そう言った。
「うん。ありがとう、おじさん。私、頑張るよ」
僕は握りこぶしを差し出した。
ユノちゃんが、すこし躊躇ってから拳を握って、僕の拳に当ててくる。
ゴツンッ。
「えへへっ」
ユノちゃんの白い頬は、赤みがかり、ほころんでいた。目にかかるぐらいの前髪が揺れている。
「先輩」
律儀に見送りに来ていたウィザードが声を出す。目は真剣に僕とユノちゃんの拳に向けられていた。冷たい目だった。
僕は笑ってごまかした。
ウィザードは、大きなため息をつく。腰に手を当てて、もう片方の手で額を押さえて、上を仰いだ。指の間から流れた目は、僕を見ていた。
「見逃すのは、今回だけですよ」
「助かるよ。持つべきものは出来の良い後輩だね」
「調子が良いんですから。ユノさん、お気をつけて。良い冒険を」
ウィザードが声をかけながら、手を振って見送る。
「ウィザードさん、ありがとう。行ってきます」
「行ってらっしゃい」
爽やかに、ウィザードが声をかけた。
「じゃあ」
僕は、そういうとウィザードに片手を上げる。
「お気をつけて。噂をすれば、影がさすと言います。ご武運を」
僕とユノちゃんは、ふたりで初めてのダンジョンへ挑んだ。
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