第5話 ダンジョンとモンスター
「おらッ」
ユウがモンスターに挑む。大きな剣が地面を擦りながら、たまに地面に当たって、金属と石畳が擦れた音を立てている。モンスターに近づき、腰を落とし、背中に剣を担ぐ。体全体を使って、叩きつけるように振り下ろした。男子の力って、すごい。
白い大きな芋虫のモンスターが、半分に割れる。
体の大きさに似合わない素早い動きを見せるクロウラーは、体をまるめてユウに噛みつこうとする。頭と胴体を大きな剣が叩きつけて、鳴く暇もないほどに真っ二つに千切られていた。
「見たかっ、俺の実力」
目を見開いて、赤い顔をこちらに向けてくるユウ。その目はきらきら輝いていた。
「すごーい」
「ユノちゃんみたいに、華麗に倒してほしいなー。必死すぎー」
私は、棒読みだったかな、なんて心配したけど、アオイもアオイだ。
「お前ら本当、良い性格してるよな」
「えへっ、ありがとー。うれしーっ」
褒められてないのに、アオイは指を唇にあてながら、そう言う。
「褒めてねーし」
「ユウくんも顔はふつうだけど、格好いいぞっ」
「そこは、褒めろよッ」
ふたりともいつも通りなんだから。なんだか気を張るのがしんどくなってきちゃった。
ダンジョンも2回、階段を降りると他の冒険者も少なくなって、モンスターがダンジョン内を、のろのろ歩いている姿も見れた。モンスターに後ろから襲い掛かったり、寝ているのか、動かないモンスターをアオイが槍で突いて、アオイの叫び声でモンスターがびくってしたり、冒険らしいこともできたかな。
このくらいなら、こっそりひとりで来ても、なんとかなるかも。
なんとなく、物足りない感じがしていた。
でも、ふたりとも冒険を満喫してるし、楽しそうだし、いっか。
3階まで攻略しようって目標になって、次の階層にいける階段を探している。
通路を曲がって、見えた。うっ、また、白い芋虫だ。
喜んでるのはユウだけで、私とアオイは、ムシムシダンジョンにげんなりしていた。上野は虫ばっかりって聞いてたけど、これは、ううーん。だからといって、動物がいっぱい出て来てもイヤだけど。
ユウが意気込んで叫んだ。
「ジャンプ、切りっ」
派手な音が聞こえたから、また倒したんだと思う。地面には、糸の束が落ちていた。
アオイと一緒に手を叩く。
「へへっ」
ユウはそれだけで、ちょっと満足っぽい。
「あっ、来たかも」
アオイが胸に手を当てながら、興奮してるみたい。
「俺もだ」
ふたりが冒険者カードを出して、確認する。
「あっつーい」
アオイがジャージの前をあけて、インナーを引っ張る。大きな胸の谷間が見えたし、可愛い白いブラも見えてる。それを、ちらちら横目で見てる、ユウがいた。
「ユウが見てる」
「見るなっ、ばかっ」
「み、みてねーよ。ちょっとしか」
アオイに怒られたユウが、慌てて否定していた。
「みてユノ、レベルアップだよ」
アオイの冒険者カードを見ると、レベルが3にあがっていた。
「俺もだ。でも、なんでだ。みんな一緒に倒してるのに」
レベルアップのとき、体が熱くなってるような、ぽかぽかした気分になる。高揚っていうのかな。2回目のレベルアップは、私にはなかった。
なんでだろ?
職業が剣士だと、レベル上がりにくいのかな。
「おめでと」
そう言っても、ふたりはちょっと申し訳なさそうだった。
全然気にしないのに。
「うふふっ」
笑い声が聞こえた。鈴が鳴るような女の人の声。
えっ?
「アオイ、いま何かいった?」
「ううん。言ってないよう」
アオイはびっくりしながら、言う。
なんだろう。
背筋がぞわぞわってした。
笑い声が聞こえてからだった。
空耳? ううん、たしかに聞こえた。でも、私だけ?
イヤな予感がする。
「ユノ、なにかあったのね」
「うん。イヤな感じ」
それだけ言うと、アオイは飛翔の耳飾り《フェザーベール》を触る。私たちは目を合わせたまま、無言で頷いた。
「ねえっ、ユウ」
剣を背中に担ぎなおしていたユウに声をかけた。よいしょ、と立ち上がっている。
「どうした? ん? なにか聞こえねーか?」
「そう。ヤな感じ。帰ろう?」
アオイとふたりで、そう言った。
「そっか。んー、それだとウィザードの言う通りだよな。もう少し、よくねーか?」
私がウィザードさんに「危ない目にあったら、逃げてでも帰ってきて」って言われたせいで、ユウが意地を張っている。
「ほら、来たぜ」
ユウがにやりと笑った。待ってました、俺の出番。そんな顔だ。
ユウが見つめる先には、大きなうごく影。
タッタッタ。
石の壁は、音をよく響かせる。モンスターが規則正しく素早い足音を立てる音が、近づいてきていた。
ユウは急いで大剣を抜いていた。
「まだ、間に合う。逃げよう。あんなの、いないよ」
黒い影は、夜のように冷たい黒色をした、巨大な狼だった。
後ろ脚で跳ねて、体を上下に揺らしながら、赤い瞳は、私たちをずっと見ている。白く鋭いキバとツメが、こちらを向いていた。
ぞっとした。
敵意? いや、殺気が飛んでいる。
さっきまで、私たちが戦っていたモンスターとはちがう。あの狼からは、ハッキリとした意思を感じる。私たちを倒そうと……ううん、殺そうとしてる。
アオイも、気づいたらしい。私の後ろで握っている槍がふるえていた。
「アオイだけでも逃げて。ユウをぶん殴ってでも、帰るから。もし、戻らなかったら、誰か助けを呼んでほしい」
弱気になっちゃダメ、私。
アオイの飛翔の耳飾り《フェザーベール》を持って、私が唱える。
「
アオイが光に包まれて、すっと消えていく。最後に聞いた言葉は、いまにも泣き出しそうな顔での「ごめんね」だった。
すぐに切り替えて、私。
キッと顔に力が入る。あの、バカっ。剣を構えて迎え撃つどころか、攻めに行ってるユウの背中に、つばを吐きたかった。
だめだ。
もう、止められない。
大きな黒い狼と、ユウがぶつかり合う。
「うらっ、とったあああああ」
ユウは、流石だった。あの速い狼にしっかり合わせて、横なぎの剣を当てる。
出番、なかったかも。
このまま、モンスターを倒して帰れば、アオイも安心できるよね。
ユウの振るう大剣が、狼を捉えた。
剣と狼が重なって、ユウが大剣を思い切り振りきった。
あのぐらいの大きな狼を相手にするなら、大きい剣が必要かも。
そう思っていたら、私のほうに大剣が飛んできた。
「えっ」
すっぽ抜けた剣だ。ユウの剣が、こっちに向かってる。
私は慌てて、その場でしゃがんで小さくなった。
すぐ近くでブンって、思い物が飛んで行った音がする。
大きな音を立てて、剣が地面をバウンドしてから、後ろのほうに滑っていた。
鳥肌が立った。いまのでケガをするところだった。
「ユウッ」
さすがに、いまのは怒るよ。
そう、立ち上がった。
「アアッ、っく、ああああああっ。うわああああああ」
ユウの、声だ。
なんで?
ユウが、食べられてる。
なんで?
わからない。
私は、止まってしまった。
「あ、アア、アアアアあああっ、っぐ、ッガふ、っあああああ」
大きな黒い狼は、ユウの腕をくわえている。噛んだまま、大きく左右に首を振る。ユウの体がおもちゃの人形みたいに、ぶらん、ぶらんと揺れた。びたん、びたんと体が地面に叩きつけられて、弾んでいる。
ユウ、動かなく、なっちゃった。
首から力が抜けていて、もう、顔を上げることもなくて、耳に痛い声も聞こえない。
狼は、ユウを口から離して踏みつけた。
「ウウっ、ゆの、にげろ」
かろうじて声になるような、掠れた息が聞こえた。
倒れたユウと、目が合った。
それで、目が覚めた。
世界が色を取り戻したような感覚。
ばか、私のばか。
なんで、止まっちゃうの。
やることは、ひとつ。
「助ける」
戦うための、剣を抜いた。
「退いてっ」
ユウを、助けないと。
剣を向けると、狼と目が合った。
ゆっくりと、私に向かってくる。
大きい。目の高さが、私に近い。身体なんて2メートルぐらいあるかも。
敵対する。剣とキバを見せつけ合う。
いきなり、グンッと狼の体が沈んだ。
来るっ。
体が反応していた。狼といっしょに、地面を離れる。
狼は空中へ飛んで、私は地面へ飛んだ。
地面に肩から落ちる。半回転して、膝をつき、すぐに立った。
私と狼は、位置を入れ替えた。
それだけ。たったそれだけで、私は肩で息をしている。
プレッシャーに、潰されそう。
いつ、死んでもおかしくないよ。痛い思いをして、死んじゃうよ。
後ろでユウが咳をした。
よかったと思った。ユウが、まだ生きてる。帰らないと。
お願いユウ、最後の力で
私の願いは、通じなかった。今にも消えそうな呼吸が、聞こえてくるだけだった。
ぎゅっと剣を握る。
倒さないといけない、この大きな狼を。
攻めろ。
スイッチが切り替わる。
全身に感覚が行き渡る。
私はまだ、戦える。
剣を投げた。
諦めてない。狼に、剣を投げつけた。
剣は甲高い音を立てて、地面を転がった。
やっぱり、この狼、攻撃が通じない。
ウィザードさん、ありがとう。おかげで、知っていました。
攻撃が通じない敵がいることを。
それと同時に、ギルドでウィザードさんに、ダンジョン内で誰かが助けてくれるのは難しいとも聞いていた。
ひとつ命を救われ、ひとつ希望を捨てた。
剣は通じない。でも、戦うしかない。
なにか、なにか投げるものが欲しい。
私は耳を引っ張る。痛みを無視して、耳からお守りを取り払った。
飛翔の耳飾り《フェザーベール》を上に放り投げる。
犬を飼っていた経験から、犬が素早いものを目で追ってしまうことを知っていた。
命綱を自分から囮にしちゃった。
モンスターの目が上を向く。
ここだ。
左足を一歩前へ、右足で地面を力の限り蹴り上げる。
「くらえッ」
右足が、狼に刺さる。大きく足を振り上げた形で、私は止まった。
上段回し蹴り。
見よう見まねで、決まった。
狼は動かない。足に伝わる確かな手応えのわりに、狼には全く反応がなかった。
狼と、目が合う。赤い目が見下すように笑っているみたい。
私の渾身の蹴り、ちっとも効いてない。
黒い大狼が、私に体当たりした。
前から重い衝撃が来て、肺の空気が全部押し出される。すぐに、背中に衝撃が走り、ミシミシという音が体内で響いた。声を出す空気もなくて、苦くて気持ち悪い液体が、口の中に広がった。
ずるずると下がる視界は、背中を壁につけながら、倒れてるんだと気づいた。
気づいたときには、視界は真っ黒。
クロ、クロ、クロ。
真っ黒で、真っ暗。
大きなモンスターが、私のすぐ目の前にいて。
私は、もうじき死ぬんだと悟った。
いやだっ。
いやだ、いやだ、いやだ。
死ぬのは、いやだ。
まだ、やりたいことがいっぱいある。
そう思うと、案外どうでも良い記憶ばっかり出てきちゃう。
学校の授業の風景。
家でお母さんと食べる、一緒につくったカレーライス。
ダイエットだと思って我慢したメロンのパフェ、アオイと食べておけばよかった。
ユウから借りたゲーム、まだ返せてない。
それに、私、恋だってしてない。好きなひとだって、ピンとこなくて、これからだと思っていたのに。
いや。
お願い、お願いします。
神様。
もし、いたら助けて。
お願いします。
ごめんなさい、お母さん。
最後に見えたのは、真っ赤な口の中に光る、恐ろしい牙が、私の視界を覆うところだった。
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