第30話 全ては司書様のために

 ネルシアの紐から解き放たれたナンバー2が、よろよろと立ち上がる。


「お、おい! 起きろネルシア!」


 強く揺さぶったが、ネルシアの首はぐわんぐわんと動くばかりで、当の本人は起きる気配もない。


 ナンバー2はというと、しっかり二本の足で地を掴み、手首のストレッチをしていた。余裕しゃくしゃく。急ぐ必要もないといったところか。


「たのむ、頼むから早く起きてぇ……」


 客観的に見れば、ネルシアを抱えて逃げるのが吉だが、主観的に見ればそうはいかない。ナンバー2の怒りにあてがわれて、腰が抜けてしまっているのだ。


 ナンバー2は感情の読めない目をしたまま、俺のすぐそばで片膝をついた。しなやかな手をこちらに伸ばしてくる。逃げたい、けど逃げられない。


「……え?」


 しかし、俺の予想に反して、ナンバー2の手は彼の膝に落ち着いた。それはまるで、騎士が忠誠を誓う時のような姿だった。


「数々の非礼、すまなかった」

「……どういう風の吹き回しだ?」

「生涯をかけた目的のためとはいえ、人間の子供の命を奪おうとするのは度が過ぎた。私は、非人道的なことをした」


 そう言って、ナンバー2は頭を下げた。なんだこいつ。急に紳士になりやがって。お前のせいでどれだけ痛い思いをしたか分かってんのか? 


「本当に、本当にすまなかった」

「……」


 悪態が喉元まで溢れたが、ナンバー2の追い打ち謝罪に、そいつらはあっけなく引っ込んだ。謝罪するナンバー2の姿はとても美しかった。誠心誠意謝罪をしている奴に対して、怒りをぶちまけるのは気が引けたのだ。


「ま、まあいいよ。お前がそんなに頭を下げて謝るんだったら許してやろう」

「……恩に着る」


 返答に一瞬だけ間があったのが気がかりだが、事なきを得たのでとりあえず良しとしようか。


 すっと立ち上がったナンバー2は、床に触れていた部分を手で払った。


「ところで、一つ頼みがあるのだが」

「はい?」


 先ほどまでの丁寧な言い方ではない、普段通りの話し方に戻った。よそよそしさは消えたが、よく考えたらナンバー2とは数時間前に会ったばかりだ。むしろ普段の物言いが図々しすぎるのかもしれない。


「俺を司書様の下へ連れて行ってくれないか?」

「……お前、やっぱり厚かましいな」

「私に対するお前の評価など興味がない。イエスかノーで返事をしてくれ」


 なるほど、さっきの謝罪はこの頼みのためか。強行突破が叶わなかった今、司書の下に行くには、俺達と同行する他ない。そのために、誠心誠意謝った素振りを見せたというわけだ。


「別に良いけど、俺達が扉を開けれるのかは保証できないぞ」

「……どういうことだ?」

「なんたって、俺達は――」


『それ以上は言わないでください』

『なんで?』


 心の会話でコシュアから「待った」がかかる。何で、暗号を解けていないことを言ったらだめなのだろうか。「開けようとしたけど開きませんでした」となるよりも、今のうちに告白しておいた方が穏便に終わると思うのだけど。


『彼がネルシアの拷問を受けている時の目を覚えていますか?』

『あー、あの気持ち悪いやつね』

『それとは真逆のやつです』


「どうした?」


 ナンバー2が、急に黙った俺の顔を覗き込む。「ちょっと考え事」とだけ返事して、ネルシアとの心の会話を続けた。


『……あの猛獣みたいな目か』

『それです。拷問のせいで、彼は今もあなたに相当の怒りを持っているでしょう』

『……俺、拷問に関与してないよね?』

『一番弱そうなので狙われているのでしょう』


 理不尽すぎる。


『それで、この話が暗号を解けなかったことを秘密にすることと何の関係があるんだよ』

『現在、彼が友好的なのは、あなたに利用価値があるからだということです。彼は義人さんが暗号を解いたと誤解している。もし、その誤解を解いてしまったら……』

『……利用価値なし、ということで即刻戦闘になる、と』

『その通りです。私の手は初見殺しですし、ネルシアも疲れて眠っています。……今は友好的にいきましょう』

『なるほどな』


 心の会話を閉じて、現実世界に意識を戻す。ナンバー2の顔には既に苛立ちが見えていた。こいつ短気すぎるだろ。


「すまんすまん、考え事は終わったから。そんで連れて行くって話だけど、もちろんいいぜ!」

「ふむ、それならいいが」


 なるべく機嫌を損ねないように振る舞う。今のところは大丈夫だが、扉が開かなかった場合、本当にどうすればいいのだろうか?

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